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    <title>Egawa Shoko Journal</title>
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    <updated>2008-05-07T19:03:00Z</updated>
    <subtitle>江川紹子ジャーナル</subtitle>
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    <title>「フリー・チベット」の叫びは広がる</title>
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    <published>2008-05-06T16:55:01Z</published>
    <updated>2008-05-07T19:03:00Z</updated>
    
    <summary>「私はもう、１０年以上も日本に住んでいるわけですが、チベットのためにこんなにたく...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p><img height="397" alt="" width="250" align="right" src="/upload/Image/080506FreeTibetRally 085-250.jpg" />「私はもう、１０年以上も日本に住んでいるわけですが、チベットのためにこんなにたくさんの方々が集まって下さる日が来るとは、正直、想像もしていませんでした」<br />
　それは、挨拶をした在日チベット人小原カルデンさんだけでなく、チベット問題に関わる多くの人の本音だっただろう。５月６日、日本青年館で行われた集会「チベットを救え！」とそれに続くデモには、約３０００人もの人々が参加。チベット問題の平和的な解決を求める声に、ウィグル人、モンゴル人など中国領内で少数民族とされている人々やその支援者が合流し、この問題ではかつてない規模の行動となった。ゴールデンウィーク最終日、さわやかに晴れた原宿の通りに、「チベットに自由を！」「本物の自由を!!」の声が響いた。</p>
<p>　この催しは、胡錦涛・中国国家主席の来日に併せて行われた。冒頭、在日チベット人が３月の騒乱以降のチベットで２０３人が死亡したと報告し、黙祷。<br />
　続いて、呼びかけ人の牧野聖修氏が、「ダライ・ラマ法王の非暴力と対話は、単なる運動論ではなく、法王の生き方そのもので、中国は耳を傾けるべきだ。中国はチベットに本物の自由を与えるべきだ」と挨拶した。<br />
　チベット亡命政府のあるインド・ダラムサラからやってきたカルマ・チョペル・ダグルンツァン亡命政府議会議長が、「もし今、中国指導部が我々の気持ちを汲んでくれなければ、完全な独立を求めて権利を行使する」「チベットにいる兄弟姉妹たちは、もう生きるか死ぬかの状況」と、せっぱ詰まった気持ちを訴えた。<br />
　さらに、チベット問題を考える議員連盟会長の枝野幸男衆院議員は次のように述べた。<br />
「まずはお隣同士支え合い助け合うのが本来の国際貢献。（それなのに、日本より）もっと遠い欧米の方がむしろしっかり現状を見つめてチベットの人たちを支えてきた。今回、多くの血が流され、多くの人が何とかしなければ、という思いに駆られている。この問題は１、２週間で解決するものではない。オリンピックまで、あるいは人の気持ちが冷めるまで先送りしようというのが中国の考え方のようだが、本当に自治が確立し、ダライ・ラマ法王がラサで笑顔で挨拶されるまで、この問題は続いている。福田首相が、（ダライ・ラマ法王の代表と中国側の）形だけの対話を承認したら、日本は（チベットに対する人権侵害の）共犯者になってしまう」（ここで会場からは長くて大きな拍手）<br />
<img height="173" alt="" width="250" align="left" src="/upload/Image/080506FreeTibetRally 005-250.jpg" />「自分たちの行政府の長が、虐殺の共犯者になることを認めるわけにはいかない」（再び長くて大きな拍手）<br />
　集会には、チベットと同じような抑圧を受けている中国領内のモンゴル人やウィグル人も参加した。、<br />
「モンゴルは自分の国があるじゃないかと言われるが、４００万人ものモンゴル人が中国領内の内モンゴル自治区に住んでいる。私たちは少数民族ではありません。私たちは自分の土地に住んでいるのに少数民族と言われる。武力でなく、中国と話をする必要がある」（ケレイト・フビスガル内モンゴル人民党日本支部代表）<br />
「私たちも５０年前からずっと虐殺、弾圧、いじめを受け続けてきた。今やウィグル人、チベット人、モンゴル人が一緒になって行動しなければ、民族が消されてしまう」（イリハム・マハムティ世界ウイグル会議日本エージェント）<br />
　他に、日本の僧侶、宮司、さらには台湾人や民主化を求める中国人なども、それぞれ壇上でチベット問題への共感や支援を訴えた。<br />
　<br />
<img height="122" alt="" width="150" align="right" src="/upload/Image/080506FreeTibetRally sign2(1).jpg" />　デモの列には、チベットの旗が林立。ウィグル人による東トルキスタンの青い旗が混じり、参加者は手作りの様々なバナーやプラカードでそれぞれの思いや訴えていた。<br />
　原宿通りでは、携帯で写真を撮っている若者や歩道橋の上から拍手を送っている男性などの姿もあって、問題が市民の間にも浸透していることを伺わせた。<br />
　<br />
　それにしても、なぜ、チベット問題でこれだけの人たちが参加したのだろうか。<br />
　もちろんこの３月以降の報道の多さもあっただろう。チベットでの騒乱やその後の中国側の対応、ダライ・ラマ法王の訴えなどが、日本でもかなり伝えられた。<br />
　だが、それだけではないような気がする。<br />
　北京オリンピックの聖火リレーで、中国は各地で多くの自国民を動員し、愛国心を盛り上げてきた。長野にも４０００人とも言われる中国人が押しよせ、沿道やゴール付近は中国の旗で埋め尽くされた。そして中国語のシュプレヒコール。数は力、力は正義と言わんばかりに、数で圧倒するやり方に、違和感や恐怖や反感を覚えた人は少なくなかっただろう。<br />
<img height="142" alt="" width="170" align="left" src="/upload/Image/080506FreeTibetRallysign3.jpg" />　しかもギョーザ事件で、自分たちに非のある可能性は絶対に認めないという強硬な対応を見せつけられたばかりだ。<br />
　そんな風に、中国が強さを見せつけることで、自分たちの主張や正当性を押し通そうとすればするほど、その中国の力による人権侵害を受けてきたチベット人たちの訴えが、より現実的で、より身近な切実なものとして、日本の人たちにも伝わってきたのではないだろうか。<br />
　ダライ・ラマ法王はあくまでも非暴力を訴えているし、中国政府が盛んに流しているラサでの騒乱でも、チベット人は武器らしい武器は持っていない。一方の中国政府といえば、軍事増強を進め、核兵器まで所有している。天安門事件で自国民に対して発砲し、装甲車でひき殺した&rdquo;実績&rdquo;もある。この圧倒的な力量の違いは、日本人の判官贔屓の心情を刺激する。<br />
　そのうえ、チベット人はこれだけ政府の対応が消極的な日本に対しても、ダライ・ラマ法王にしろ、その出先機関である日本代表部のラクパ・ツォコ代表にしろ、恨み言は一切言わず、むしろ感謝の言葉を口にしている。あくまで丁寧で謙虚だ。それに対して中国政府は&hellip;&hellip;。<br />
　力に頼れば頼るほど、力を誇示すればするほど、日本の人たちの心は中国から離れていく。それを和らげようというのか、胡錦涛国家主席は、上野動物公園にパンダのつがいを貸与（贈与ではない）すると、福田首相に伝えたそうだ。<br />
　パンダは可愛い。来れば、大いに歓迎されるだろう。<br />
　しかし、可愛い可愛いパンダといえども、ここまで心と頭に深く刻まれたチベット問題やギョーザ事件を消し去る魔力は持ち合わせていないだろう。むしろ、オリンピックに続いてパンダまで政治的に利用しようとしていると、中国に対する反発が増すかもしれない。<br />
<img height="254" alt="" width="120" align="right" src="/upload/Image/080506FreeTibetRally sing4jpg.jpg" />　ダライ・ラマ法王の代表と中国政府関係者との対話があった、という報道も、多くの人は冷めた目で見ているに違いない。外に向かっては対話をしているポーズをとり、内に向かってはダライ・ラマ法王にすべての責任を押しつける、という中国のやり方からは、早期に問題を解決しようという誠意は感じられない。<br />
　解決を先送りすれば、人々は問題を忘れ、事態は沈静化する。そんな計算が、中国政府にはあるのかもしれない。<br />
　だとすれば、少し認識が甘いのではないか。<br />
　今回の集会とデモで明らかなように、「フリー・チベット（チベットに自由を）」のムーブメントは、チベットだけの問題ではなくなっている。中国への反発やチベット人たちへの同情や共感を抱く人々に加え、内モンゴルや新疆ウイグル自治区出身の人々やその支援者が加わって、チベット支援の船団は、かつてないほど大きくなっている。デモでは、中国のベトナム侵略を批判するバナーを掲げている参加者もいた。<br />
　方向性や手法の異なるグループとの連帯の広がりは、チベットの人たちにとって、諸刃の剣とも言えるかもしれない。しかしこれに、ビルマ（ミャンマー）やスーダンなど、中国が支援する政府によって人権侵害や虐殺が行われている国から逃れてきた人たちが加れば、さらに大きなうねりとなって、中国の人権問題を糾弾する流れを作っていくだろう。<br />
　たぶん、このような流れが起き始めているのは日本だけではない。チベットの問題に関しては、枝野議員が集会の席で指摘しているように、日本の動きは欧米に比べると常に遅く、鈍かった。その日本でも、これだけの広がりが見えてきたということは、おそらく世界のあちこちで、様々な連帯や同情や共感が広がっているはずだ。<br />
　中国が事態を放置している間に、この動きが世界中に野火のように広がれば、中国国内の民主化の動きも再び燃え上がる可能性がある。いくら規制や言論弾圧をしても、今は情報伝達のツールは多い。いったん点火すれば、火の周りは早いだろう。<br />
　もしかして、世界で最大の独裁体制が炎上する日は、そう遠くないのかもしれない。<br />
　&hellip;&hellip;というのは少し先走りすぎだろうが、中国は、先送りすればするほど問題が大きくなる可能性を、もっと深刻に考えるべきだ。そして胡錦涛主席を迎えている福田首相は、真の友情関係を結ぼうとするのであれば、先延ばしは中国にとって、あるいは中国政府にとって、決して得策ではないと、友人として言葉を尽くして忠告して差し上げたらどうなのだろう。</p>
<p><img height="225" alt="" width="300" align="middle" src="/upload/Image/080506FreeTibetRally 041-300.jpg" /><br />
　<br />
　<br />
</p>]]>
        
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    <title>ネット社会を生きる人へ〜自戒を込めて</title>
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    <published>2008-04-30T14:41:43Z</published>
    <updated>2008-05-01T00:30:10Z</updated>
    
    <summary>　ネットの世界は、とても便利だし楽しいし有益だけれど、その一方でとんでもない落と...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="雑記帳" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　ネットの世界は、とても便利だし楽しいし有益だけれど、その一方でとんでもない落とし穴もあってとても怖い――よく言われていることですが、今回、それを実感する出来事がありました。<br />
　<br />
　きっかけは、人気ブログ「きっこの日記」で知られるきっこさんから、光市母子殺害事件のご遺族の本村洋さんについて、こういう情報がネットの世界で飛び交っているとメールが来たことです。<br />
　<br />
＜光市の本村洋さんが、小泉元総理と福田市長とともに、岩国・周南・柳井市のダウンタウンを来訪して、山本繁太郎候補の応援演説と少年犯罪罰則強化を訴えることが決まった＞</p>
<p>　私は、即座に「ありえない」というメールを返しました。広島高裁の判決直前のことです。本村さんは、この時期にはテレビや新聞などの単独取材には応じていないなど、マスコミの取材に対しても、とても慎重な対応をされているのを知っていましたし、ましてや判決を間近にして、そんな気持ちにもなれないだろう、と思いましたので。<br />
　<br />
　ところが、判決から数日して、同じきっこさんからＺＡＫＺＡＫという産経新聞系列のサイトに、本村さんが山口２区の補欠選挙に関与していたような記述があるという連絡がありました。<br />
　確認してみると、＜補選惨敗、福田「死に体」加速&hellip;世論無視暴走で自滅＞というタイトルの記事で、次のように書かれていました。<br />
　<br />
＜最後は、山口県光市の母子殺害事件の遺族である本村洋さんまで応援に引っ張り出したほどだ。＞</p>
<p>　単なるウワサではなく、産経新聞というれっきとした媒体の関連サイトですから、私もとても気になりました。<br />
　本村さんがどういう政党、どういう政治家を応援したとしても、それはご本人の自由です。ただ、犯罪被害者の立場を少しでも改善するために声を挙げた本村さんは、あらゆる政治的な立場の人にも理解してもらうように努力を重ねてこられたはず。その本村さんが、こういう行動を取られるかな、と奇異に感じました。<br />
　それで、問い合わせをしたところ、本村さんも困惑している様子でした。<br />
　本村さんの話を、私なりにまとめてみると、事実はこうです。<br />
　<br />
　お昼休みに会社の近くで演説会があったので聞きに行った。誰から頼まれたわけでもなく、ましてや応援の依頼があったわけでもない。ところが、たまたまテレビ局の人が来ていて、本村さんを見つけて声をかけてきたので、「一市民としているだけなので、お構いなく」と言ったけれど、そのやりとりで周囲の聴衆も気が付いて囲まれるような形になってしまった。ということもあって、弁士が「今日は本村さんも来ておられるが、自民党は犯罪被害者対策にも力を入れ」云々と、演説の中で本村さんの名前に触れた。<br />
　<br />
　ただそれだけなのに、この事実が伝えられていくうちに、それぞれが自分の価値観や思惑を加味し、新たな意味づけがされて、ネットの世界で広がっていったのでした。なんと、次の選挙では本村さんが自民党から立候補するというウワサにまで飛躍しているらしく、話に尾ひれがついた、というより、背びれ胸びれまでくっついて、ネットという大海を泳ぎだしてしまった感じです。<br />
　本村さんは、自分が無防備に演説会に行ってしまったために、候補者を初めとする他の人たちに迷惑をかけてしまったのではないか、自分が色づけをされることで犯罪被害者の立場を向上させるための活動に何らかの影響が出るのではないか、と自分を責めていました。そのうえ判決の後の記者会見やら手記の執筆、その他いろいろな対応をした後とあって、とてもくたびれている様子でした。<br />
　私は、自民党側の人も、反自民の人も、本村さんを利用したりせずに、しばらくそっとしておいてあげたらどうか、という気持ちから、きっこさんへの返事として、事実を書いて欲しいと頼みました。ネットの世界で流れている間違ったウワサは、ネットの世界で正せばよいのではないか、と考えたからです。<br />
　ところが、私の説明不足のせいで、「きっこの日記」の中では、光市での演説会での弁士だった安倍晋三元首相への批判という文脈で、この事実が紹介されることになってしまいました。<br />
　これで、本村さんが特定政党と癒着しているかのようなウワサは強く否定されるでしょうし、きっこさんはあくまで善意で書かれているのですが、今度はここに書かれた情報が、新たな意味づけをされて、どんどん広がって、ゆくゆくは親自民反自民といった政治の渦の中に本村さんが巻き込まれるのではないか、と懸念しています。<br />
　お人柄からして、自身のことに関連して誰かが批判されるというのは、本意ではないはずですし、お節介な気持ちから私が勝手にしたことで、本村さんに逆に新たな悩みの種を作ってしまったのではないかと、後悔をし、反省しています。また、私の説明不足から、きっこさんやその読者の方にも混乱を来してご迷惑をおかけしたのではないかと、申し訳ない気持ちです。<br />
　私も安倍氏の演説の映像を見ました。私は、これまで何度も安倍氏を厳しく批判していますが、こと今回については、格別の違和感を持たなかった、というのホンネです。光市で演説をするからには、この事件について言及しつつ「安全な町づくり」に触れることはあるでしょうし、本村さんの名前もさらっと触れただけ、という感じがしました。<br />
　確かに光市の事件や本村さんを選挙に利用しているとは言えますが、まさに立っている者は何でも使うのが政治家でしょうし、針小棒大な自己宣伝も恥ずかしげなくやってのけるくらいの図太さがなければやっていけないでしょう。ましてや選挙中であれば、自分や自分が所属する政党のイメージアップのためになるなら、それくらいのことは他の政党の政治家でもやると思います（オウム事件の後、地方でお話しをする機会に、政治家が来賓として来られて挨拶をされ、自分がオウム事件を解決したみたいなことをぶち上げていくのを何度も聞きました。私はそれまで、その人の顔も名前も知らなかったなんていう政治家もいました。この方々が、本当にそういう活動をしていたなら、オウムの事件は、こんな悲惨な被害を出す前に、もっと早くに解決しただろうになあ&hellip;と思ったことでした）。それにYouTubeに引用されている部分は、安倍氏の自慢話ばかりで、果たしてこれで候補者の応援になっているのかしら、という気がしたくらいです。&nbsp;<br />
　それより私が問題だと感じたのは、本村さんがその場にいた経緯など、事実を確認しないまま、それに様々な意味づけや憶測を付け加えて流していく人たちです。どこかのサイトや掲示板で見たウワサをコピー＆ペーストすれば、今度は自分が発信源になれます。しかも、日本のネット社会は匿名が当たり前のようになっているので、自分が責任を問われません。すごく安易に、とても気軽に、かなり無責任に、情報の流通の担い手になっている人たちがいます。彼らにとっては、単なる面白い情報の一つにすぎなくても、そうやって流された情報によって傷ついたり、困ったりする人がいる、ということを、もう少し考えてもらいたいと思います。<br />
　うちわの井戸端会議なら、憶測や感情が先行したやりとりもいいでしょう。人の口に戸は立てられないと申しますから、口コミでも町中のウワサになったりすることもあるでしょう。でも口づたえによる情報の伝播と、ネットによるそれでは、やはり早さも広がりも違います。ネットによるいじめなども、そこの自覚のなさが一因のような気がします。<br />
　私も他者のことばかり批判はできません。私は、テレビや雑誌、新聞などのマスコミだけでなく、こうやってネットを利用して発言をしていますが、実はネットの記事は、読者の方から誤字脱字を指摘されることがしばしばあるのです。雑誌に載る記事でしたら何度もチェックをするので、そのようなことはめったにありません。私自身も、マスコミでのコメントより、ネットでの発言の方が、気楽な感じでやっているのは否めません。けれども、これだけインターネットが普及している社会にあっては、その影響力や伝播力をゆめゆめ軽んじていてはいけませんね。そのことを、私自身も、改めて深く考えた一件でした。</p>]]>
        
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    <title>「まずは実情を知ってもらいたい」亡命チベット日本代表に聞く</title>
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    <published>2008-04-26T15:09:56Z</published>
    <updated>2008-04-26T15:54:56Z</updated>
    
    <summary>　ゆうどきネットワークというＮＨＫの番組で、チベット問題のレポートをした。 　と...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　ゆうどきネットワークというＮＨＫの番組で、チベット問題のレポートをした。<br />
　とはいっても、何しろ時間が短いのと、この番組は初めてで慣れなかった私の不手際で、取材の大半が紹介できずじまい。<br />
　本当に、短く、分かりやすく、というのは難しい。<br />
　特に、ダライ・ラマ法王日本代表部のラクパ・ツォコ代表のインタビューが、ほんの一部しか紹介できなかったのは本当に残念。<br />
　というわけで、私が行ったインタビューをここで詳しくご紹介したい。<img height="198" alt="" width="200" align="right" src="/upload/Image/lakpa-san.jpg" /><br />
　<br />
　<br />
――長野でオリンピックの聖火リレーがありますが、今、どんなお気持ちですか？<br />
「チベットを支援する団体も行くそうですが、私は、そこで暴力をふるわないようにということをお願いしているんですね。様々の団体が行くようですから、そこで何が起こるかっていうことについては本当の所、心配です。ダライラマ法王がおっしゃったように平和的に進んで欲しいという願いが本当に成就するかと、心配なんですよ」</p>
<p>――何かおきると、法王の指示があったように言われかねない。<br />
「それもあります。胡錦涛さんは演説の中で社会の調和を強調していたんですけれども、いろいろな出来事が起きる中で、チベット人達は平和的じゃないというイメージを一生懸命作っているんです。チベット人と中国人の民族同士の戦いという方向が作られています。そういう流れのなかに、私たちチベットの平和的な運動を巻き込んで欲しくないんですよね。正直の所、<font style="BACKGROUND-COLOR: #99cc00">私たちはアンチ・チャイニーズでもないし、アンチ・オリンピックスでもない。法王様はあれだけ世界中に明確におっしゃっています</font>」</p>
<p>――今回の騒乱以降、日本人の反応は変わって来ましたか？<br />
「随分変わってきました。チベットを中国が侵略して49年になりますが、日本では、チベットの本当の実情を知る機会というのはほとんど無かった。ずっと無視されてきたというのが現状なんですよ。ところが今回、<font style="BACKGROUND-COLOR: #99cc00"><strong>この事件が起きてから、反応はものすごい強いですね</strong>。</font>『自分はチベットにいったことがある、インドにも行ったことがある、は何か出来ることがあれば、是非知らせて欲しい』とか、『チベットの旗を持って全国に宣伝に行きたい』とか、そういう方もいます。とにかく、昔に比較すると大変強い反応ですね」</p>
<p>――仏教界からも色んな反応があるようですね。<br />
「先日、全日本仏教会の代表団がここに見えて、今回の事件に対して、大変自分たちは心配していると、チベット問題を対話で平和的に解決して欲しいという内容を書いて、中国政府の胡錦涛さん宛てに書いた手紙や福田総理大臣にも手紙を送ったとおっしゃっていました。それから、曹洞宗関係、あるいは善光寺ね。同じ仏教としてそういう反応を示したことは、大変ありがたいんですね。これは、世界が見ています。<strong><font style="BACKGROUND-COLOR: #993300"><font style="BACKGROUND-COLOR: #99cc00">世界は日本を仏教の国として見ているから、そういう意味で非常にインパクトが強いんですね。</font><br />
</font></strong>　この話をチベットの中に住んでいるチベット人たちが聞いたら、大変力になりますね。日本も同じ仏教国として、今回、私たちの十分力になってくださったということになりますね。そういう意味で、非常にありがたいんです」</p>
<p>――それまで日本政府はあまり強い意見を表明してきませんでしたが、いらだちはないですか？<br />
「今回は日本の高村外務大臣や福田総理大臣は、チベット問題は国際問題ですっていう発言をなさっていますね。そういう発言は昔だったら考えられない事です。<strong><font style="BACKGROUND-COLOR: #99cc00">日本政府としては随分張り切って、総理もそういう発言なさったと思うので、大変ありがたい</font></strong>し、その発言に国際社会は、非常に反応を示していますね。今回は日本政府もこういう発言をしている、と。本当ですかと我々に聴く人も、結構います。そういう意味で、非常にありがたいんですね」</p>
<p>――他の国に比べると非常に控え目だなっていうのはありますけど<br />
「他のＧ８国に比べると日本はまだまだ。なぜならば、他の欧米の国々、政府、チベットについて実情をよく知っていますね。よく知っているからこそ、反応ができるんですね。日本は今、聖火リレーが話題になったから騒いでいますけれども、この<font style="BACKGROUND-COLOR: #99cc00"><strong>問題の根本はどこにあるかっていうことについてよく知っている人は、日本の政治家、あるいは政府関係者の中には少ない</strong></font>と思いますね。<br />
　でも、今はチベットの問題は現実的に国際問題になっていて、日本政府もチベットの問題無視できない。<br />
　メディアの方々もこの何週間は、ウチの事務所にたくさんいらっしゃったので、まず、チベットの現状、歴史上の背景とかを、１時間以上もかけて説明しました。我々スタッフ３人で対応しても、なかなか時間が足りない状況でした」</p>
<p>――日本の国民に対しては何を一番言いたいですか<br />
「<font color="#ff0000" size="5"><strong>まず何よりチベットの実情を知ってもらいたいんですね。</strong></font><br />
　これまでも、チベットの問題にかなり力を入れている組織や個人の方々もいらっしゃった。その方々は、以前から実情を知っています。でも、マスメディアを通じて全国にチベットの実情を訴えたのは、今回初めてです。<br />
　これまではテレビの番組でも、チベットといえば、五体投地をやっているとか、鳥葬、山や川や高原の風景とかその程度。だから、今回の機会を通じて日本の方々にまず、チベットの実情を知ってもらいたい。実情を知れば知るほど、同情的な気持ちも出てくると思いますね。<br />
　今、日本政府も非常に難しい状況で、中国とは歴史上の関係、いろいろな経済的な政治的な関係があります。こういう複雑な中で、チベットは比較的非常に小さい問題ですね。<br />
　でも、チベットの人々は見た目は日本人そっくりで、歴史上では、いくつものつながりがある。ということで、チベットの現状に沿った何らかの人道的な援助なり、そういうようなことを訴えていけるんじゃないかということは思っています」</p>
<p>――チベットでは、子ども達に文化や言葉を十分伝えられないとも聞いています。<br />
「そうです。ですから、ダライラマ法王は、いつもこうおっしゃる。<br />
&quot;Somekind of genocide&nbsp; is taking place in the world&nbsp; cultural genocide&quot;<br />
　その通りですよ。この49年間の中で、チベットの伝統的な文化、言葉の教育をチベット人の若い世代が受けるチャンスがなかったんですね。中国政府は代わりにドラックス、酒、北京からわざわざ運んできた売春婦。それとカラオケボックス、ディスコ、そういうものを若い世代がすぐ手にはいるような環境をつくっていきました。<br />
　インドに育った世代は、世界のどこへ行っても困らないような、ちゃんとした教育を受けています。でも、チベットの中にいる方々は、個人のせいではなく、中国政府の政策のもとで、チベットの言葉を習うとか、お寺の中でお坊さん達から伝統的な勉強を受けるチャンスがないんですね。<br />
　形はあります。お寺はあります。お坊さんも数はいます。でも、教える先生方は、どんどんどんどん刑務所の中で亡くなった。教える人間がいないんです」</p>
<p>――ラサに行った人から、ラサではチベット人と漢民族との格差がひどく、仕事がないチベット人のホームレスが出ている、と聞きました。<br />
「聞いております。中国人とチベット人が同じ学校で勉強しても、そこでチベット人で優秀な生徒がいても、就職では中国人優先。チベット語は勉強しても生活できないんですよ。それで中国語を勉強しても、中国人と平等のところにはたどり着かないんですね。<br />
　中国語でチベットの名前は西蔵（シザン）と言います。中国の西にある蔵です。で、何の蔵かというと。天然資源の蔵、水の蔵、森の蔵、山の蔵。その上、軍事的には非常にいい場所。そういった理由で中国にとって、大変な貴重な場所になっているんですね。だから、チベットは欲しい。でも、そこに住んでいる人間は邪魔者になのでしょう。<br />
　<font style="BACKGROUND-COLOR: #99cc00"><strong>中国政府がチベットを侵略した後でチベット人たちにもう少し優しくすれば、チベット人の人たちも人間ですから、こんな問題には、ならないと思います。</strong></font>でも、49年間もひどいことをずっとやってきた。チベット人たちは、火山と一緒ですよ。<font style="BACKGROUND-COLOR: #99cc00"><strong>火山もいきなり噴火しないんですね。段々熱がたまって、それと同じように、チベット人たちも不満と怒りをずっと抑えてきて、今回３月１０日に爆発したということは言えると思いますね</strong></font>」</p>
<p>――チベット人は、今、どういう状況でしょうか。<br />
「チベットの中に生まれた青年、インドに生まれた青年、それから欧米に住んでる青年たちもいて、それぞれ違う環境の中で育って、国籍も別々だけれど、自分の体の中にはチベット人の血が流れている意識は非常に高い。今、民族意識は非常に高まっているんですね。<br />
　中国政府は、今回の事件に対して、全てダライラマ法王の指示のもとでやったが後悔している、間違っているという文章作って、お坊さん達にサインを迫って、でもお坊さんの中には、そういうことをやりたくないと言って、自殺図ったお坊さんもいます。それから、たくさんのお坊さんは山に逃げて、食べ物が無くて、飢えで死んだという情報もあります」<br />
　<br />
――ダライ・ラマ法王の影響力は依然として大きいわけですね。<br />
「もちろん、そうです。ダライラマ法王は内外の状況、世界の状況を見た上で、中道の政策を提案したんですね。2000年以上の独立国家の歴史があった民族ですけれども、でも独立は要求しません。この政策の主なポイントには今、現在中国の憲法の範囲の中で私たちは仲良く暮らしましょうと。嫌いでも中国人とチベット人と過去の何千年の歴史の中で一緒によく住みました。これからも、嫌いでも仲良く住まなければならないので、ですから、現実的になって一緒に暮らしましょうと。中国政府の一番の心配は、チベットが中国から離れるんじゃないかと、それが一番彼ら恐れているんですね。じゃあ、その心配をなくすために、私たちは独立を要求しませんと。チベットは、外交と防衛は中国政府に任せるので、あとのことは、私たちチベット人に任してほしい、ということです。けれども、中国政府には、解決しようという政治的な意思が足りない」</p>
<p>――ダライラマ法王が、みんなに非暴力で中道の道を行こうじゃないかと呼びかければ、武装蜂起をしたいと考えると人も、それには従うわけですか<br />
「ダライラマ法王は２００２年から特使を６回にわたって中国政府に特使を送っているんですね。でも、何の成果も得られないんです。成果がないから、特に若い人の間に、フラストレーションはたまっています。<br />
　でも、ダライラマ法王は、我々チベット人には大変な大きい存在です。誰にも比べられないような存在なんです。政策に対しては、個人個人の意見が法王の意見と必ず同じになるとは限らないんですね。でも法王には、非常に尊敬の気持ちがあり、たとえこの中道の政策が賛成できないという人たちも、法王がおっしゃることですから受けましょうということで、この政策を70年代からずっとやってきました」<br />
　<br />
――この状況が続いて、ダライラマ法王が病気になられたり、亡くなるようなことがあれば、抑える人がいなくなってしまう&hellip;<br />
「だからこそ、ダライラマ法王は３月１０日の声明の中で、<font color="#ff0000" size="5"><strong>中国政府の指導者たちはもう少し現実的に</strong></font>なって、解決したい意思がもう少しあれば、私もチベットの人たちがまとまるような役目はこれからも果たしますということをおっしゃっているんですね」</p>
<p>――ダライラマ法王と中国政府との間に妥協が出来て、話がまとまれば、ダライラマ法王および今、インドにある亡命政府は、チベットに戻ろうということになるわけですか？<br />
「それはダライラマ法王と亡命政府が、非常明確にしています。もし、チベットの内外のチベット人が一つになる、国に戻る時期になった場合には、今のダラムサラの亡命政府は自然になくなります。中にいるチベット政府は民主主義の下で選挙の責任者、総理大臣を選ぶ。法王ご自身も政府の立場からは離れます。もし、そのときの選挙でそういう指導者たちが、亡命政府の役人たちの経験、知識を求めるんだったら、私たちはいつでも協力をしますと」</p>
<p>――そういう日が早く来るようにと祈っています。<br />
<br />
（写真は３月２７日の特派員協会記者会見でのラクパ・ツォコさん）</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
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    <title>非暴力が暴力に勝てる日</title>
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    <published>2008-04-26T10:36:48Z</published>
    <updated>2008-04-26T10:53:46Z</updated>
    
    <summary>　暴力はいけない。 　けれども、暴力沙汰が起こらなければ、問題に人々は気づかない...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[　暴力はいけない。<br />
　けれども、暴力沙汰が起こらなければ、問題に人々は気づかない。あるいは、忘れてしまう。<br />
　暴力が激しければ激しいほど、被害が大きければ大きいほど、ニュースは広く、繰り返し伝えられる。そうして、人々は暴力の原因となる、問題について知ったり、考えたりすることになる。<br />
　パレスチナ問題でもそうだった。ロシアでのチェチェン問題もそうだった。悲惨な被害を出すテロと、それを上回る被害を出しての報復や鎮圧行為。そうした事態になって初めて、マスコミはこれを報じ、人々は問題が未解決であることを思い出す。<br />
　しかも、最初の暴力には驚いていても、それが続くと慣れてしまう。当初は数人の被害者が出れば大きく報じられたのが、そのうち犠牲者が何十人もに及ぶ規模にならないと、新聞の一面には載らず、テレビでも伝えられなくなる。アメリカが&rdquo;勝利宣言&rdquo;をした後のイラクが、まさにそうだ。<br />
　影響力という点で、暴力は非暴力をはるかに勝っている。<br />
　　<br />
　チベットを巡る問題も、同じような矛盾を抱えている。<br />
　ダライ・ラマ１４世がラサを離れ、インドに亡命して４９年。事態は改善されていないどころか、むしろ悪化しているとようだ。けれども、この現状は大メディアではほとんど報じられない。例外的に、ダライ・ラマ法王がノーベル平和賞を受賞した時やカルマパ１７世がチベットを脱出してインドに亡命したことなどは大きく伝えられたが、その時でも、報道は主に法王自身の人柄や発言を伝えることに終始したり、報道は一瞬で終わってしまったりして、チベットで何が行われているかが、人々に強く印象づけられることはなかったように思う。<br />
　それが、先月チベットでの騒乱があって、死傷者が出て、世界中の人々が、問題の存在に気づかされたり、思い出したりした。報道が規制されている中国でさえ、政府によって都合よく事実がゆがめられているとはいえ、不満を持っているチベット人が少なからずいることを、人々が知らざるを得なくなった。<br />
　中国政府は外国人を締め出し、海外の報道にも自由な報道をさせず、情報を遮断することで事態の収拾を図ったが、たまたまオリンピックの聖火リレーの時期と重なったことでそうはいかなくなった。<br />
　ドイツのメルケル首相やイギリスのチャールズ皇太子らが、開会式には出席しない意向を表明。さらにロンドンやパリの聖火リレーのコースでは、デモも起きた。ここで聖火リレーをやめさせようとするデモ隊と警官隊のぶつかり合いもあり、こうした&rdquo;肉弾戦&rdquo;が大きく報じられた。<br />
　アメリカでは、サンフランシスコの金門橋にチベット支援者が大きなバナーを掲げた。やった人たちは、「平和的に訴えるには、この方法しかなかった」と語った後、建造物侵入などで逮捕された。この時の映像は、やはり世界に広く伝えられた。<br />
　その後のパキスタンやインド、タイでの聖火リレーは、市民を閉め出す形で行われ、オーストラリアでも大きなトラブルは起きなかった。そういう時は、報道は小さい。<br />
　チベットで、いったい何が行われたか、何が行われているのか、まったく知る機会がないまま、人々の関心は主に、長野での聖火リレーで暴力沙汰があるかどうか、へ移っていった。<br />
　<br />
　そして当日。<br />
　テレビは、萩本欽一氏が担当している区間でモノを投げ込んだ場面と、福原愛さんの時にチベット旗を手に飛び出してきた男が取り押さえられ、連行されるシーンを繰り返し繰り返し流した。新聞の夕刊各紙が１面に載せた写真も、警官隊によって男が取り押さえられるシーンだった。<br />
　結局、男５人が逮捕され、４人のけが人が出た、とのこと。中国人とチベットの旗を持った日本人との小競り合いも起きていたようだ。そういう様子も時々流れたし、すさまじい数の中国国旗が林立し中国語で叫ぶ様子も報じられた。<br />
　それにしても、中国国旗の数はすさまじい。オーストラリアのキャンベラでは１万人以上の中国系の人々が集まってきたといい、大使館が関与して留学生を動員したと伝えられているが、日本でもおそらくはかなりの組織的な動員が行われたのだろう。留学生たちはそれなりに日本語はできるだろうに、中国語で叫んでいたところを見ると、聖火ランナーに向けられた声援ではなく、愛国心と中国パワーを誇示するシュプレヒコールのように聞こえた。中国としては、国家の威信を保ったつもりかもしれないが、まさに数は力なりで、力による威圧に、怖さを感じたり不快感をもった日本人はかなりいるはずだ。<br />
　おそらくチベット人たちは、激しいパフォーマンスをしなかったのだろう、彼らが平和的に訴えている様子は、あまり紹介されていなかった。<br />
　聖火リレーのスタートと併せて、善光寺では騒乱の犠牲者のための法要が営まれていたが、その様子もわずかしか伝えられない。まったく触れていないニュース番組もあった。新聞も、朝日新聞は善光寺の法要については、見出しすら立てず、写真も掲載せず、記事の中でさらりと触れただけだ（ただし、読売新聞は写真付き２段見出しを立て、ＮＨＫ７時のニュースでは法要に参加したチベット人の感謝の言葉も流していた）<br />
　善光寺がスタート地点を辞退したことで、日本の中にもチベット問題に心を痛めている人が少なくないことが、世界に発信された。暴力や法律違反を伴うアクションはできないし、したくないが、何らかの意思表示はしたい――日本人の中にはそう考える人は少なくないだろう。善光寺の一連の対応は、そうした思いを象徴しているのではないか。この日の法要も、一つのお寺の宗教行事としての意味合いを超えて、多くの人々の願いが込められたものと言えるだろう。<br />
　けれども多くの報道では、静かに営まれる法要より、逮捕者が出るアクシデントが優先される。淡々と行われる事柄よりも、（いろんな意味での）力の行使に注目が集まる。<br />
　それは、ジャーナリズムの性（さが）とも言えるし、人はみなそうしたもの、とも言えるだろうが、非暴力を訴えながら暴力沙汰にならないとなかなか目を向けない矛盾を、せめてもう少し意識したい。<br />
　<br />
　とはいえ、チベットでの騒乱、そして各国の聖火リレー中の様々な出来事は、これまでチベット問題にとりたてて関心のなかった人たちにも、考えるきっかけを与えた。<br />
　大切なのは、この関心を継続していくことだと思う。聖火が日本を去っても、チベット問題が解決するわけではないのだから。<br />
　中国が、すぐに外国人ジャーナリストの自由な取材を認めるとは思えない。当面、現地で何が起き、何が起きているのかは、私たちの目に見える形で伝わってくることはないだろう。けれども、見えないからといって、問題がなくなったわけではない。断片てきかもしれないし、時間はかかるかもしれないが、様々なルートを通じて情報は伝わってくるはずだ。<br />
　魯迅は書いている。<br />
＜これは事件の結末ではない。事件の発端である。<br />
　墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を隠すことはできない＞<br />
　これまでに、どういうことが起きてきたかを知り、断片的な情報をつなぎ合わせながら、想像力で補っていけば、問題の姿形は私たちの心の中に浮かび上がってくるだろう。<br />
　<br />
　中国政府は、長野での聖火リレーの前日、近いうちにダライ・ラマ法王の私的代理人との会談を再開するとの発表をした。<br />
　悪い知らせではないが、とりたてて大きなニュースとも思えない。<br />
　国際社会に向けてのパフォーマンスにすぎない、という指摘もある。<br />
　にもかかわらず、各国政府は早々とこの発表を大歓迎している。<br />
　アメリカは国務省の報道官が、「勇気づけられるステップだ」と発言。ＥＵは、欧州委員会のバローゾ委員長が訪中している間に、この決定が発表されたことを評価した。<br />
　日本政府も大歓迎。高村外相が記者会見で期待と歓迎を表明した。報道によれば、日本政府は「日本政府の働きかけが功を奏した」と喜んでいるらしい。誰も褒めてくれないので、せめて自分で自分を褒めようというのだろうか&hellip;&hellip;<br />
　どこも、少しナイーブすぎはしないか。できれば中国との関係を悪くしたくない各国首脳が、とりあえず拳をおろす理由をくれた中国政府に感謝している構図を見せられているような気もする。<br />
　来月、胡錦涛国家主席が来日する。日本政府には、「中国が同意すれば、同じ時期にダライ・ラマ法王を日本に招いて、両者の会談の場を提供する用意がある」くらいのメッセージを発してもらいたい。<br />
　今回の中国の発表を、国際社会の批判をかわすためのポーズに終わらせず、実のある対話を実現するには、外からの視線が注がれていることが大切だ。人々の関心が薄まれば、この問題はまた棚上げにされてしまうに決まっている。<br />
　オリンピックが終わって聖火が消えても、世界の人々の関心は消えない――そう中国政府が意識した時に、事態は動き出すだろう。<br />
　そういう日が来た時、非暴力が暴力に勝てることを、私たちも実感できるのだと思う。]]>
        
    </content>
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    <title>暴力には屈しない</title>
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    <published>2008-04-09T13:57:42Z</published>
    <updated>2008-04-09T14:01:32Z</updated>
    
    <summary>　かつて、私が神奈川新聞の記者をしていた時のこと。 　金のペーパー商法などが流行...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　かつて、私が神奈川新聞の記者をしていた時のこと。<br />
　金のペーパー商法などが流行り、そのほかの悪徳商法も問題になった。それら様々な消費者問題を取材する中で、私は統一教会の霊感商法を知った。信者が組織的にあちこちの家庭を回り、悩みを聞き出したり、将来に不安を抱かせたりしたうえで、災いを取り除くなどと称して印鑑や壺などを高額で売りつける、というもの。消費者センターなどの窓口にも相談が寄せられており、弁護士の有志が相談会を開いたりもした。<br />
　私が書いた、弁護士による相談会についての記事は、新聞に掲載された。ベタ記事か、せいぜい２段見出しくらいの小さな扱いだったと記憶している。<br />
　ところが、それにはびっくりするほどの、大きなリアクションがあった。<br />
　その日の夕方から、新聞社はすさまじい数の抗議電話にさらされたのだ。代表電話は受信能力を超えて常にお話中の状態となった。当時は部局ごとの直通電話はほとんどなかったし、携帯電話もない時代。会社の通信機能はマヒしてしまった。<br />
　この電話は夜中の２時まで続いた。<br />
　そして翌朝も、同様の事態が続いた。さらに翌日も&hellip;&hellip;。<br />
　圧倒的に無言電話が多かったが、社長や編集局長の身辺に気をつけるようにという脅しもあった。会社の幹部の自宅にも嫌がらせ電話はかかってきた。<br />
　その時、私の上司だった牧内良平社会部長は、次のような３段見出しのコラムを書いて、実名と共に紙面に掲載した。</p>
<p><font color="#ff0000" size="5"><strong>　&rdquo;暴力電話&rdquo;には屈しない<br />
</strong></font>　<br />
　中身を引用する。<br />
<br />
<font color="#993300"><strong>＜暴力は、どんな形にしろ絶対に容認できない。電話によるいやがらせは陰湿なうえに、数にモノを言わせたものは組織暴力である＞<br />
＜記事に批判されるべき誤りや欠陥は全くない。<br />
　公器である新聞は、真実の報道が使命であり、誤報は許されない。仮にその内容に誤りや誤解を生む記述があれば、批判や抗議を受けるのは当たり前だし、社として誠意をもって対応しなければならない。しかし、このケースは記事に落ち度があるわけではなく、第一、理不尽な「無言電話」では誠意も示せない。さらに言えば、本社の幹部宅へのいやがらせ電話は言語道断というほかない。<br />
　わたしたちは、こうしたいやがらせ電話を言論の自由に対する重大な挑戦と受け止めている。電話は、ある大がかりな団体による組織的なものと察しがついている。電話による暴力にひるもどころか、豊田商事事件の教訓に習って被害者の立場に立ったキャンペーン記事を載せていきたいと思っている。県民の財産ともいえる地元紙の編集権が特定の勢力に侵されてはならないし、そうした暴力に屈するわけにはいかない＞</strong></font></p>
<p>　「ある大がかりな団体」というのは、もちろん統一教会のことだ。何年も経ってから、元統一教会信者が、教団の上司の指示でいやがらせ電話をかけたことを、私に告白してくれた。<br />
　牧内部長は、紙面でこのような宣言を行う一方、私に対して、「霊感商法に関する記事を積極的に書くように」と命じた。先方には嫌がらせや脅しは逆効果であることを伝え、読者県民に神奈川新聞社がそうした暴力には屈しないということを明らかにするためにも、あえて霊感商法を取り上げよ、というのが、部長の指示の趣旨だった。<br />
　私は、霊感商法についてのキャンペーンを準備していたわけではなかった。こういういやがらせをうけたおかげで、私は消費者センターや弁護士を周り、さらには統一教会本部を訪ねるなど、記事の材料集めに奔走することになった。<br />
　<br />
　言論・表現・報道の自由を巡る私の考えの出発点は、この時の体験にある。<br />
　脅しや暴力に対しては、社会は大いに警察の力を活用すべきだ。しかし、それ以前に、言論・表現・報道に携わる者が、それに対する攻撃に対しては毅然と立ち向かうという姿勢を示すことが、まず必要だと思う。<br />
　それは同時に、社会に向かってのＳＯＳでもある。それは、健全な民主主義社会にとって、もっとも大事な要素の一つである言論・表現・報道の自由が損なわれようとしている時、人々は暴力を排除するために声を挙げてくれるだろうという、信頼に基づいたメッセージだ。<br />
　そのメッセージに対して、人々がどう応えるかが問われる。<br />
　<br />
　しかし、映画『靖国』の上映を取りやめた映画館が、そうしたメッセージを発することさえしないまま、撤退を決めてしまったのは、実に残念なことだった。<br />
　この問題について書いた前回の拙稿について、いくつかのご批判をいただいた。その中には、上映を取りやめた映画館に対して江川は厳しすぎる、映画館がかわいそうだ、というご意見もあった。けれどもやはり、私は映画館の対応は間違っていた、と思っている。<br />
　実は、上映を中止してしまった映画館の関係者の中にも、「バンバン批判して下さいよ」と無念そうに語ってくれた者もいた。<br />
　映画館の経営者は、自らの生業はエンターテイメント産業であると同時に、表現の場である、という自覚をもってもらいたい。</p>
<p>　ただ、幸いなことに、そういう自覚のもとに仕事をしている映画館経営者が少なくなく、全国各地で地域に根ざした営みをしていることを、今回の出来事は示してくれた。<br />
　上映中止が相次ぐ中、予定通りに上映するとした大阪・第七芸術劇場の支配人の言葉がいい。<br />
「庶民と深く結びついている映画館は、作品を見て考え、議論のきっかけになる場所。上映を求める声があるので、それに応えたい」<br />
「社会派からアイドル映画までさまざまな映画を上映するスタンスで、いろんな考えの人が気軽に見に来られる場であるべき。見られる場がなくなるというのは、違うのでは」<br />
　ひるまず、かといってむやみに肩に力が入っているわけでもなく、自然体の対応に、プロ意識を感じる。<br />
　新たに上映を決めた映画館もあるようで、全国２１か所での上映が決まっている、との報道もあった。<br />
　これらの上映を、経営的にも成功させたいものだ。そのことで、言論・表現・報道に対する暴力や妨害は、むしろ逆効果であることが明らかにしたい。<br />
　もちろん、映画に対する意見は様々だろう。何しろ、上映されないことには、映画に対する批判もできない。これをきっかけに活発な議論が展開されればいいと思う。本稿を読んで下さっている方には、近くに公開している映画館があれば、とりあえず見てみて、そのうえで映画のよしあしを議論してもらいたい。<br />
　<br />
　もし、映画館に対する妨害や脅しがあった場合、当該映画館はぜひとも社会に向かってＳＯＳを発信して欲しい。<br />
　私たちは、その時再び声を挙げたい。人々が連帯することで言論の自由を守っていきたい。右翼の中でも、自分たちの言論の自由を守るためには他者の言論も守らなければならないと考える人たちもいる。<br />
　たとえば、民族派の一水会代表木村三浩氏は、私の問い合わせに対して、次のように語っていた。<br />
「上映の妨害などが起こらないよう、呼びかけをしている。批判も含めて、映画についてのまっとうな議論をするためには、まずは（右翼の人たちに）映画を見てもらいたい。そのための努力をしている」<br />
　<br />
　もちろん、警察の適切な対応も求められる。<br />
　右翼の示威活動に対して、警察の対応があまりに大人しい、と思っている人は少なくない。私も、暴力的な音量や威嚇的な言葉による「抗議行動」に対して、警察官は周囲を取り巻くだけで、何の制止もしない、という場面を何度も見たことがある。<br />
　そうした警察の対応の積み重ねによって、多くの人が「何かあっても警察は助けにない」という不信感を抱いていることを、今回の出来事をきっかけに、警察にはよくよく認識してもらいたい。<br />
　この不信を払拭するためにも、警察庁長官や国家公安委員長が「言論や表現に対する威嚇や妨害は、きちんと取り締まる」と明言し、全国の警察に徹底させるべきではないか。<br />
　<br />
　ただ、警察の取り締まりは、本当は「尻を叩いてようやく動く」くらいがちょうどいいような気もする。<br />
　高輪プリンスホテルは、日教組との契約を一方的に破棄した理由の一つとして、「警察当局から私どもには具体的な警備のご相談が一切ございませんでした」と書いている。しかし、何も依頼されてないのに、ご用聞きのように、警察の方から「ご用はありませんか」と、何でもかんでも首を突っ込んでくるようになっては、新たな問題が生じるのではないか。<br />
　今回の映画の上映を不適切と考えた人が、例えば映画館に対して自分の意見を表明することが、一切まかりらん、というのも行きすぎだ。上映反対を言う自由もある。発言の内容ではなく、その態様が暴力的威嚇的であるかどうかによって、取り締まるか否かを判断することになるだろう。<br />
　どの程度の、いかなるタイミングでの取り締まりが「適切」なのかは、ケースバイケースで難しいところだが、警察力を活用するのも、映画館、及びこの社会を構成する一人ひとりが、言論・表現・報道・集会結社の自由を守っていくという意識が大前提で、警察が先行してすべてを取り仕切るというのは、かえって危険だ。「私たちは何もやりたくありません」と警察に任せきるのは、私たちの言論・表現の自由を、権力機関に預けてしまうようなもので、やはり問題だろう。<br />
　まずは、言論・表現・報道を生業とする者が、その権利を守る自覚をもつこと。これは、言論・表現・報道に携わる者の、職業倫理だと思う。<br />
　</p>
<p>　稲田朋美議員ら政治家の行動については、稿を改めて書くことにしたい。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>素朴な疑問</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.egawashoko.com/c006/000256.html" />
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    <published>2008-04-09T13:38:37Z</published>
    <updated>2008-04-10T11:37:24Z</updated>
    
    <summary>　北京オリンピックのための聖火リレーがアメリカに渡りました。 　いろんな抗議行動...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　北京オリンピックのための聖火リレーがアメリカに渡りました。<br />
　いろんな抗議行動が待ちかまえているという報道がありますが、それはそれとして、その前に素朴な疑問が一つ。<br />
　今回のリレーは、フランスでの抗議行動によって、いったんは（報道によっては2度も）火が消されたと報じられています。<br />
　聖火リレーは、アテネで太陽の熱から採火する儀式が行われ、その火が様々な地域をわたって最後にオリンピック会場に灯されるというところに意味があるはず。<br />
　誰が、どのように再点灯したのか分かりませんが、それでもやっぱり「聖火」なのでしょうか&hellip;？</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(追記）</p>
<p>　複数の方から、ランタンのようなものに種火が用意してあって、それを点灯することになっている、と教えていただきました。<br />
　ありがとうございます！<br />
</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
</entry>
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    <title>この萎縮現象は、表現の自由の自殺行為だ</title>
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    <id>tag:www.egawashoko.com,2008://1.255</id>
    
    <published>2008-04-02T14:52:38Z</published>
    <updated>2008-04-02T15:06:28Z</updated>
    
    <summary>　なんということだろう。 　ドキュメンタリー映画『靖国』の上映を予定していた映画...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　なんということだろう。<br />
　ドキュメンタリー映画『靖国』の上映を予定していた映画館が、相次いで上映中止を決め、東京都内ではどこも上映する所がなくなってしまったのだそうだ。<br />
　映画館の言い分を、毎日新聞は次のように伝えている。<br />
　<br />
＜銀座シネパトスを経営するヒューマックスシネマは「上映中止を求める電話がかかったり、周辺で抗議行動があった。近隣や他の観客に迷惑がかかるため、中止を決めた」としている。一方、Ｑ−ＡＸシネマの営業責任者は「具体的な抗議や嫌がらせはないが、不特定多数の人が集まる施設なので、万が一のことがあってはならない」と、上映見送りの理由を語った。＞（毎日新聞より）</p>
<p>　唖然とした。<br />
　こんな程度で、上映を辞めてしまうとは&hellip;&hellip;<br />
　しかも、それを「近隣や他の観客に迷惑がかかる」などと正当化するとは、まさに噴飯モノである。<br />
　念のため、私も確認してみた。<br />
　たとえば、上映が中止になった映画館の中で、一番「抗議行動」を受けていたヒューマックシシネマ。上映中止を求める電話は１０数本。周辺での抗議行動は、全部で３回で、いずれも街宣車１台が長くて３０分程度、「上映を中止せよ」とがなり立てたとのこと。その都度警察に連絡をし、対応についての相談にも乗ってもらっていた。警備員を雇うという話も出ていたが、「女性の従業員が怯えているし、対応しきれないんじゃないかということで、会社として中止が決まった」そうだ。<br />
　Ｑ−ＡＸシネマの場合は、何の威嚇を受けたわけではないのに、「何かが起こってからでは取り返しがつかない」などと中止を決めてしまった。どういう危険性を想定したのかをいくら尋ねても、「いろいろ」と言うばかりで具体的な話は何もなかった。何を聞いても、質問に答えようとはせず、判で押したように同じ曖昧な言葉が返ってくるだけ。担当者の口ぶりからは、外からの問い合わせや抗議に対する対応マニュアルができているように思われた。<br />
　最初に上映中止を決めた新宿バルト９も、報道を見る限り、格別の威嚇や業務妨害を受けていただけではなさそうだ。<br />
　これといった威嚇や脅迫もないのに、上映をやめてしまったという今回の映画館の判断は、事なかれ主義もここに極まれりという感じだ。<br />
　かつて、戦時中に新聞記者だった人から、当局の規制以上に新聞社や記者たちの自己規制が言論・表現・報道の自由を後退させたという話を聞いたことがある。<br />
　現在私たちが直面しているのは、当局の取り締まりを恐れての自粛ではなく、漠然とした不安だけで表現活動を止めてしまう恐るべき「萎縮」現象であり、表現の自由の自殺行為だ。　<br />
　<br />
　<br />
　高輪プリンスホテルが、日教組の大会や宿泊の契約を一方的に反故にし、集会・結社の自由を毀損したのも、右翼の街宣活動を恐れての萎縮だった。<br />
　同ホテルの契約解除は、裁判所の判断をも無視して行われた。宿泊キャンセルについては、旅館業法違反と港区が判断し、何らかの処分を行う方針だ。<br />
　にもかかわらず、同ホテルは、＜ホテルご利用のお客さま、ホテル周辺の住民の方々、病院・学校・受験生などの多くの方々の「安全・安心」を最優先に考えた結果ということであります＞と自己正当化をする文書をホームページに掲載し続け、未だに反省の色がない。<br />
　右翼の街宣車が「多くの方々の『安全・安心』」を脅かす心配があるというなら、そのために警察がいるはずだ。<br />
　ところが、プリンスホテルは以下のような責任逃れの言い訳をしている。<br />
＜警察当局から私どもには具体的な警備のご相談が一切ございませんでした。こうした状況では完全に安全な状態での集会の開催は事実上困難と判断いたしました＞<br />
　警察当局の方から「ご相談」にやってくるのを漫然と待つのではなく、自分たちから「警察当局」に相談に行けばいいではないか！<br />
　　<br />
　今回、上映中止を決めた映画館には、裁判所の判断さえ平然と無視して違法行為を続けた高輪プリンスホテルほどの悪質さは感じられない。とはいえ彼らの、自分たちは「表現活動の場」を提供しているという自覚の欠如には、唖然とするばかりだ。<br />
　なお、やはり上映中止となったシネマート六本木、シネマート心斎橋を経営するエスピーオーの担当者は「こちらから上映中止を決めたのではなく、配給会社の方から中止の連絡があった」と説明し、配給会社の方が一方的に作品を引き上げてしまったのだと主張する。それに対し、配給会社であるアルゴ・ピクチャーズは「事実に反する」と反論。「エスピーオーから電話で上映は中止すると言われた」という。<br />
　言い分は真っ向から対立するが、エスピーオーは、上映中止を新聞各紙に批判された後、＜「靖国　ＹＡＳＵＫＵＮＩ」上映中止に至る経緯に関しまして＞と題する、責任は配給会社側にありと主張する文書を発表。その文書の最後には＜通常の上映が安全にできる環境が可能であれば「靖国　ＹＡＳＵＫＵＮＩ」の公開を希望するものであります＞とあり、あくまで同社が上映に前向きであることが強調されている。わざわざこんなことを書くくらいなら、仮に配給会社側から辞退の申し入れがあったとしても、なぜ説得し、公開を実現するために努力しようとしなかったのか。それが、この映画の公開を待っている人たちのために、映画館経営者が果たすべき責任だろうに。<br />
　<br />
　一連の問題につき、「上映中止の責任を映画館側に押しつけてはいけない」（映画監督の羽仁進氏・毎日新聞）と、映画館をかばう意見もあるようだ。しかし、私は、そういうかばい合いこそが、映画館経営者の無自覚を蔓延させると思う。<br />
　日頃表現の自由の恩恵を受けている映画館は、そうした自由が脅かされないよう努力する義務がある。そうすることで、表現者の権利、自分たちの利益を守ると同時に、国民の知る権利に応えることになる。これは、映画館を営む者や会社の職業倫理と言えるだろう。<br />
　経緯はともあれ、上映中止とした映画館は、この最も大事な職業倫理をないがしろにしてしまった。耐震偽装をした建築士、手抜き工事をした建設会社、欠陥商品によって消費者に被害を与えたメーカーにも等しい（あるいはそれ以上の）非行として、映画館の上映中止の判断は大いに非難され、追及されて然るべきだ。<br />
　映画業界からは、このように映画界の職業倫理を損なった無自覚な映画館には、当面の間、一切配給をしないなどのペナルティがあってもいいのではないか。<br />
　表現の自由を脅かすのは、組織としての国家権力とは限らない。個々の政治家だったり、政治団体だったり、暴力団だったり、宗教団体だったり&hellip;&hellip;いろいろだ。そのような集団に対して、ひとり徒手空拳で立ち向かうのは難しい。だからこそ、そういう時のために、法律があり、警察や弁護士がおり、メディアが存在している。警備員を雇うなどの自助努力はもちろん必要だが、それだけではなく、警察や弁護士に相談したり、メディアを通じて世論に訴えたり、被害を出さずに表現の自由を守るための工夫はいろいろできるはずだ。<br />
　そうした出費や手間は、表現の自由を守るための必要経費である。それを惜しみ、具体的な危険もないのに、「何かあったら&hellip;&hellip;（面倒、怖い、困るetc）」という不安だけで表現活動を止めてしまうような者は、表現に関わる仕事を生業にする資格がないと言わざるを得ない。<br />
　<br />
　もちろん、大音響で威嚇的な抗議を行い、嫌がらせを行う個人や団体も問題だ。<br />
　こうした嫌がらせから、警察が言論・表現・集会の自由をどれほどしっかり守っているか、ということも問い直されなければならない。<br />
　今回の映画に関しては、公開前に国会議員向けの試写会を行うという異常な状況を作った稲田朋美衆院議員らの言動の是非も議論されるべきだろう。稲田議員は、問題にしているのは、助成金の支払いが妥当であったか否かであるとし、試写は事前検閲でないと主張している。たとえそうだとしても、今回のような異常な状況が、民間企業である映画館に対してどれほどの圧力になっているかを認識し、自分たちの権力の大きさを自覚してもらいたい。<br />
　<br />
　そのうえで、もう一度言う。<br />
　映画館に限らず、新聞やテレビ、出版社、そして個々のジャーナリストや評論家、作家も含めて、言論・表現・報道の自由を享受している企業や個人は、そうした自由を守り、国民の知る権利に応える責務を負っている。<br />
　私も、この原稿を書きながら、自らの責任の重みを改めてかみしめている。</p>
<p>　ところで、この映画を上映するまっとうな映画館はどこにもないのだろうか。<br />
　名乗りを上げたところがあれば、そこで正常な上映をできるように、そしてちゃんと利益が上げられるようにしたい。<br />
　私も見に行く。<br />
　威嚇や業務妨害があれば、警察は毅然と対応すべきだし、そのために声も挙げたい。<br />
　言論・表現・報道の自由を守る者を、みんなで守る。それでこそ、言論・表現・報道の自由は守られる。</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
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    <title>チベット問題・最悪のシナリオと唯一の解決法</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.egawashoko.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=254" title="チベット問題・最悪のシナリオと唯一の解決法" />
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    <published>2008-03-28T08:26:57Z</published>
    <updated>2008-03-29T13:26:52Z</updated>
    
    <summary>「ダライ・ラマが提唱してきた中道路線が最も現実的であり、チベット人のみならず、中...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
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            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>「ダライ・ラマが提唱してきた中道路線が最も現実的であり、チベット人のみならず、中国政府にとっても有益である」<img height="269" alt="" width="250" align="right" src="/upload/Image/080327FCCJtibet250.jpg" /><br />
　３月２７日、日本外国特派員協会で行われた記者会見で、ダライ･ラマ法王及びチベット亡命政府の駐日代表ラクパ・ツォコ氏は、そう強調し、中国政府が「現実的」な対応をとるよう、協力を求めた。<br />
　ダライ・ラマ法王はチベットの独立は求めず、中国の一部として高度な自治のみを要求すると、様々な場で約束している。あくまで対話を呼びかける非暴力な手法を貫いており、血気にはやる若者たちを諫めてきた。その姿勢が評価されて、ノーベル平和賞を受賞している。<br />
　だからこそ、今回のチベット騒乱に関して、世界各国がダライ・ラマ法王との対話を呼びかけている。当初は腰の重かったブッシュ米大統領も胡錦濤国家主席に電話でダライ・ラマ法王との対話を促した。<br />
　ところが、中国政府はそれを拒否。対話を行うのは「ダライ・ラマが分裂の立場を放棄し、分裂活動を完全に停止すること」が条件だとして、あくまで一連の騒乱は「ダライ分裂集団」が指示したものだという主張を続けている（これを信じているのは、言論統制の中、政府の主張だけが流されるメディアに接している中国国民だけだろう）。<br />
　中国政府の宣伝は、あたかもダライ・ラマ法王さえいなくなれば全てはうまく行くかのようだ。<br />
　しかし、この認識は誤っているどころか、むしろ全く逆である。<br />
　このまま事態が解決しないまま、ダライ・ラマ法王の影響力が弱まれば、タガがはずれたように、様々な行動が、何の統率もとれないままに行われ可能性がある。<br />
　原意、ダライ・ラマが提唱する非暴力路線でも、事態が改善しないどころか、チベット人にとって状況はむしろ悪化している。文化的宗教的アイデンティティへの抑圧は強まり、漢民族とチベット族との格差も拡大。そんな中、非暴力路線に見切りをつけて、武力闘争に心を引きつけられている若い人たちは増えている。<br />
　『ニューズウィーク日本版』2008.4.2号は、チベット問題のレポートの中で、若い亡命チベット人たちの間で高まっている不満を伝えている。<br />
　<br />
＜ダライ・ラマが掲げる非暴力の中道路線に、公然と反対するチベット人はほとんどいない。それでも、若い亡命チベット人の間では不満が高まっている。「過去50年、ダライ・ラマの中道路線が何をもたらしたか考えてみてほしい」と、国境地帯へのデモ行進を企画した組織の一つ、チベット青年会議のツェテン・ドルジーは言う。「ダライ・ラマ本人は、いくつかの栄誉と欧米人の支持者を手に入れた。しかし、われわれは何も手にしていない。もし誰かが武器を持って自由のために立ち上がったら、全力で支える」＞<br />
＜「かつてチベット人は偉大な戦士の王に率いられていた」と、非暴力でもの計画をとりまとめた活動家の一人シェラブ・ウエサルは言う。「チベット人が信心深くなったのは、仏教が入ってきて以降のこと。われわれの目標はチベットの解放であり、そのためならどんな手段でも使う<br />
　若い亡命チベット人の多くは、自由のための闘争を始める心の準備ができている。彼らにとって、今回の騒乱は自分たちの祖国を取り戻す「歴史的なチャンス」。「このような大義のために戦える機会は、もう二度と来ないだろう。これは生きるか死ぬかの戦いだ」とウエサルは言う＞<br />
　<br />
　こうした血気にはやる若者たちも、現時点では、ダライ・ラマ法王に反旗を翻してまで武力闘争に走ることはしていない。これまでも非暴力路線の放棄を訴える若い人たちを説得してきたダライ・ラマ法王は、今回も、亡命政府の元首からの退位を示唆しながら、暴力の自制を必死で訴えている。<br />
　しかし、ダライ・ラマ法王も７２歳。病に伏したり亡くなったりして、メッセージを発することができなくなったら、どうなるだろうか。<br />
　このまま中国政府が対話を拒否し、騒乱にかかわった（と中国政府が認定した）者を処罰し、取り締まりを強化していけば、チベット人たちの不満はますます高まるだろう。カリスマである法王の重石がとれた時、それでもチベット人たちはあくまで非暴力路線を貫けるだろうか。そういう人々もいるだろう。しかし、武装化に舵を切る者たちが、少なからず出ることは、容易に想像できる。<br />
　これまで、各地で独立を求める人々が展開してきた&rdquo;武力闘争&rdquo;を思い起こして欲しい。クルド人がトルコ国内で、チェチェン人がロシア国内で行った&rdquo;武力闘争&rdquo;に、どれだけ多くの一般市民が巻き込まれ、犠牲になったか&hellip;&hellip;。たとえば２００４年９月、武装集団によるベスラン学校占拠事件では、ロシア当局の強硬な姿勢もあって、子どもを含めて３００人以上の死者が出る大惨事となった。武器を突きつけ人質を取って立てこもったり、あるいは多くの人が集まるところで爆破事件を起こすなど、手法としては絶対に認められないが、そうした被害が出なければ、世界の人たちは問題を忘れ、事態の解決のために声を挙げたりもしないことも、事実だ。<br />
　パレスチナの問題では、和平交渉が進まない中、希望を失った若者がイスラエル国内で自爆を行い、民間人の死傷者を出す。イスラエルは軍隊の力で押さえ込もうとし、さらに子どもを含めたパレスチナ人の命が失われる。報復に次ぐ報復で多くの犠牲者が出て、世界の人々は、衝撃や憤りと共に、この問題が未だに解決していないことを思い出したり、思い知らされたりしたのだった。パレスチナでは、そうした事件を引き起こした者は、非難されるどころか、英雄として扱われていると聞く。<br />
　チベットに関してはどうだろう。<br />
　今の時点で武力に訴える者が出ても、それは法王の意思に反した行為として大衆の支持を得ないだろう。しかし法王が過去の人となってしまった時点では、武闘派は民衆の不満を代弁する存在として英雄視されかねない。<br />
　穏健な非暴力路線を続けている間は、世界の人々も、日頃チベットの問題を忘れがちだ。それでも、ダライ・ラマ法王の地道な活動には、世界各国の人々から尊敬を込めたまなざしが注がれており、その言動は常に注目されている。こうした発信力のある存在を失なえば、あとは武闘派による多くの犠牲を伴う活動だけがチベット問題を世に訴える手段ということになってしまう。<br />
　チベットを、そんな風にしていいのか。<br />
　世界各地で今も進行中の悲劇から、中国は教訓を学ぶべきだ。</p>
<p>　チベット問題を、早期に、平和裡に解決しようとするのであれば、中国政府にとって選択肢は一つしかない。それは、ダライ・ラマ法王が若い人たちの不満を抑え込むことが可能な今のうちに、共存のための話し合いを行うことだ。その結果合意に至れば、余計な火種を抱え込まずに済むという点で、中国政府にとっても大いにプラスになる。法王がラサに戻れるようになれば、この地は平和の聖地として栄え、中国のイメージは飛躍的に向上するだろう（ひょっとしたら、様々な言論弾圧や天安門事件の記憶など、中国がなしてきた諸々の人権侵害を、国際社会は忘れてくれるかもしれない）。そのうえチベットを手放す必要はないのだ。<br />
　しかし、あくまで対話による解決を拒否し、抑圧を続ければ、いずれは力の勝負になる。今の中国政府の姿勢は、むしろチベット人たちを暴力への道に追いやろうと挑発しているかのようだ。そうなれば、一挙に不満分子を粛正できると考えているかもしれないが、そんなに甘くない。武力の点では、中国政府が圧倒的に勝ることは間違いないが、いくら最先端の兵器をそろえ、多くの兵士を抱えても、広い国土のどこで起きるか分からないテロは食い止められまい。それは、戦力的には圧倒的に勝っているイスラエルがパレスチナの抵抗に苦しみ、アメリカ軍がイラクで苦戦しているのを見れば想像に難くない。<br />
　しかも、こうした武力闘争は、いったん始まれば、どちらも矛を収めるのが難しくなる。そうすれば中国は、テロの恐怖と不安という火種を、長く長く抱え込むことになるだろう。被害を受けるのは、中国の一般市民であり、中国に滞在する外国人であり、中国は国際的に大いに信用を落とすことになる。<br />
　そればかりではない。９．１１テロでもパレスチナ問題が名目にされたように、チベット問題を大義名分にした世界のあちこちで破壊行為が起きるなど、中国の外に飛び火していく最悪のシナリオが実現してしまう可能性もある。<br />
　対話と拒絶――それぞれがもたらす結果は、こんなにも大きい。中国政府は、メンツにこだわらず、どちらに実利があるか、冷静に判断すべきだ。<br />
　</p>]]>
        
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    <title>五輪開会式ボイコットはあり、だ</title>
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    <id>tag:www.egawashoko.com,2008://1.253</id>
    
    <published>2008-03-20T03:43:59Z</published>
    <updated>2008-03-20T03:51:03Z</updated>
    
    <summary>　このニュースを読んで、なるほど、そういうやり方もあるな、と思った。 　　 ＜［...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
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            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　このニュースを読んで、なるほど、そういうやり方もあるな、と思った。<br />
　　<br />
＜［パリ　１８日　ロイター］　国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」は１８日、各国の関係当局者らに対し、８月に行われる北京五輪の開会式をボイコットするよう呼び掛けた。チベット自治区の騒乱に対する中国政府の態度を非難する動きで、フランスは検討する可能性を示唆している。<br />
　パリを拠点とする記者団は声明で「中国は五輪開催地に選ばれた２００１年に交わされた約束を尊重していない。それどころか、中国政府はチベットでのデモを容赦なく鎮圧し、完全な情報統制を強制した」と非難。<br />
　北京大会自体のボイコット呼び掛けは避けているが、記者団は「世界の政治指導者はこれ以上、この状況を前に沈黙していることはできない」と主張。開会式のボイコットによって、中国政府のやり方に対する不満を表明すべきだとしている。<br />
　これに対し、フランスのクシュネル外相は記者会見で、北京五輪のボイコットには賛同しないが、国境なき記者団が提唱した開会式不参加については検討する用意があることを明らかにした。＞<br />
　<br />
　この、競技には参加するが開会式はボイコットという選択肢は、日本を含め各国が大いに検討に値するものではないだろうか。　<br />
　<br />
　中国政府は、「事件はダライ集団が念入りに画策、扇動したものだ」（温家宝首相）の一点張りで、ダライ・ラマ法王がかねてから「独立を求めない。高度の自治を求める」としてきたことも、「偽善に満ちたうそ」などと決めつけた。<br />
　これに対しダライ・ラマ法王は、中国政府、チベット人双方に自制を求めている。中国政府には話し合いを、我慢の限界だとして武装蜂起を主張するチベット人に対しては、自身の退位にも言及しながら、非暴力を訴えている。<br />
　また、中国政府は死者は１３人と発表。死者の中には僧侶はいない、武装警察は発砲していない、と主張している。<br />
　しかし、ロンドンに本拠を置くＮＧＯ&lt;Free Tibet Campaign&gt;のサイトに掲載された血だらけのチベット人の遺体写真には、銃創が何カ所も見える。僧衣姿の遺体もある。これが、今回の事件の犠牲者の遺体に間違いないなら、中国の発表は事実にまったく反することになる<a href="http://www.freetibet.org/march2008.html">http://www.freetibet.org/march2008.html</a><br />
　また、インド・ダラムサラのチベット亡命政府によれば、死者はすでに９９人にも上っているという。<br />
　真相を確かめようにも、中国政府は、事件発生直後には外国人をチベットから追い出し、ジャーナリストに自由な取材・報道をさせない。外から、電話などで取材をしようにも、ラサへの電話は不通状態だという。<br />
　ダライ・ラマ法王は、国際的な調査団による調査を求めたが、中国政府はこれも拒否。<br />
　また、中国国内からYou TubeやＢＢＣなどのサイトへのアクセスもできなくなり、中国国民には&rdquo;大本営発表&rdquo;の情報しか与えないなど、徹底的な情報統制を行っている。<br />
　おそらく、中国政府要人の頭の中には、武力天安門事件の記憶が蘇っていることだろう。民主化を求める若者たちを人民解放軍が虐殺する模様が、ＢＢＣやＣＮＮなどを通じて、全世界に中継された。あの轍を踏まじ、ということで、&rdquo;外の目&rdquo;を排除することに躍起になっているのに違いない。<br />
　このような状況で行われた、中国政府による一方的な「調査」に、どれだけの信頼性があるというのだろう。<br />
　<br />
　そもそも今回、ダライ・ラマ法王が唱える非暴力主義に公然と反発する人たちが出るほどの状況が生まれたのは、中国がチベットで行ってきた文化と環境の破壊に原因がある。学校ではチベット語で教えることを禁じられ、ダライ・ラマ法王の写真を持っていただけで身柄を拘束されたり、激しい拷問を受けるなど、チベット人たちのアイデンティティと人権を踏みにじってきた。<br />
　自由を求めて、脱出するのも命がけ。２００５年９月には、ネパールとの国境近くで、無防備なチベット人の一行を人民解放軍が銃撃し、１７歳の尼僧が殺され、数十人が拘束された場面を、たまたま近くを登山中だったルーマニア人がビデオで撮影し、You Tubeで世界に伝えられた。<br />
　このような非人道的な行為と情報統制による事実の隠蔽。これに対して、国際社会はもっとはっきりと、ＮＯ！の声を挙げていくべきではないだろうか。<br />
　すくなくとも、情報コントロールによって真相隠しをしようとする態度に対しては、厳しい批判がなされて当然だ。<br />
　ところが、各国とも懸念の声は挙げているものの、経済大国となった中国に遠慮しているのか、オリンピックが混乱するのを気にしてか、あるいは北朝鮮問題の解決に支障が出るのを恐れてか、発言のトーンが弱い。<br />
　そのうえ早々と、「オリンピックはボイコットしない」と宣言して、中国政府を大いに安心させたりしている。<br />
　<br />
　中国の人権に関する政策は、チベット以外でも、問題になっている。スーダン・ダルフールでの大虐殺でも、民兵組織の支援を行っているスーダン政府を中国が支えている。ジャーナリストの長井健司さんが殺されたことで日本でも注目されるようになった、ビルマの民主化運動を弾圧するミャンマー軍事独裁政権も、中国を頼りにしている。<br />
　スピルバーグ監督が、ダルフール問題を理由に、北京オリンピック開会式・閉会式のアーティスティック・アドバイザーから降りた。中国政府は、「オリンピックの政治化に反対する」と反論したが、中国もオリンピックを国威発揚の場にしており、十分に「政治化」していると言えるのではないか。<br />
　</p>
<p>　これまで長年努力を重ねてきた選手たちのことを考えれば、競技のボイコットは最後の最後の手段であり、極力避けたい事態ではある。<br />
　しかし、開会式・閉会式は一種のお祭りであり、中国の存在感を見せつけるためのイベントでもある。差別を受け、弾圧を受け、アイデンティティを奪われ、血を流している人々をよそに、私たちはお祭りに興じたり、中国の国威発揚に協力したりしていいのだろうか。それは、中国による人権侵害を認め、支持することに等しい、と思う。<br />
　自由と人権を大切な価値と認める国々は、せめて開会式をボイコットするという選択肢は排除すべきではない。そのうえで、まずは国際機関での調査やジャーナリストの自由な取材を受け入れ、真相を明らかにするよう、中国に対して強く迫っていかなければならない。<br />
　この機を逃したら、新たな革命でも起きない限り、中国の人権に関する政策を改めさせることはできないのではないか。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>史上最高の《フィガロ》</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.egawashoko.com/c002/000252.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.egawashoko.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=252" title="史上最高の《フィガロ》" />
    <id>tag:www.egawashoko.com,2008://1.252</id>
    
    <published>2008-03-13T08:33:13Z</published>
    <updated>2008-03-13T13:50:12Z</updated>
    
    <summary>　この躍動感！ 　そして、アンサンブルの美しさといったら!! 　そのうえ、ソリス...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="Museたちの部屋" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　この躍動感！<br />
　そして、アンサンブルの美しさといったら!!<br />
　そのうえ、ソリストたちの表現力も抜群!!!<br />
　というわけで、私のオペラ鑑賞史上（なあんて大げさですけど）、<font color="#993366" size="4"><strong>こんなにも楽しい《フィガロの結婚》は初めて♪</strong></font><br />
　サントリーホール・ホールオペラの最終日、すっかり夢中になって興奮したためか、帰る頃には体が汗ばんでいるほどでした。<br />
　<br />
　今回のＭＶＰは、なんといっても、指揮をしながらピアノ・フォルテの演奏もした<font color="#ff0000" size="5"><strong>ニコラ・ルイゾッティ様</strong></font>（略してルイ様）！<br />
　ルイ様の血肉に、モーツァルトが溶け込んでいるからでしょう、生き生きとした音楽を紡ぎ出すのみならず、いかようにも遊べるという感じの演奏でした。会話部分につけるピアノ・フォルテは、モーツァルトの他のオペラやピアノ曲のメロディを織り込みながらの即興風。これが、登場人物の雰囲気や気持ちにぴったり合って、絶妙でした。<br />
　東京フィルハーモニー交響楽団のメンバーが、本当に楽しそうに演奏している姿も印象的。以前、東京交響楽団がルイ様と共演した時も、団員たちが乗りに乗って演奏していました。ルイ様は、まずオーケストラに音楽の魔法をかけてしまうのでしょう。<br />
　普通の演奏会とは逆に、オーケストラはステージの奥に、メインの客席に背を向ける形で座りました。ルイ様は客席方向を向いて指揮＆演奏。私は２階左サイドの最前列だったので、舞台にも近くて指揮の様子もよく見えたのですが、手の動きだけでなく、目や顔の表情も含めて全身で演奏者の心にモーツァルトのオーラを送り込んでいるみたいでした。<br />
　ステージの前半分が、オペラの舞台。全体に大きな貴族の肖像画が散乱していますが、これは古い支配層が没落し、市民層が社会の主役となる時代の転換期を現しているそうです。なるほどこのオペラは、貴族であるアルマヴィーヴァ伯爵に対する、フィガロやスザンナら平民の抵抗をユーモラスに描いたドラマでもあります。上手に高低差をつけたセットで、舞台が広く、立体的に感じられました。本来はオペラ仕様のホールではなく、客席は舞台を取り囲むような形になっていますが、それを逆手にとって、まるで小劇場でお芝居を観ているような気分になれる仕掛けです。<br />
　<br />
　ソリストは、まさに適材適所。しかも、みなさん絶好調のようで、アドリブ的な動きを交えたベスト・パフォーマンスを披露してくれました。通常のオペラとは違って、指揮者はソリストの後ろ側に位置していることになります。何カ所にも設置されたモニターの画面で指揮は確認できるとはいえ、、これだけ呼吸のあった演奏になるには、相当の練習をしたのではないかしらん。<br />
　<font color="#ff00ff" size="4"><strong>ダニエレ・デ・ニース</strong></font>の明るくはつらつしたスザンナと、しっとりと気品のある大人を歌い上げた<font color="#ff00ff" size="4"><strong>セレーナ・ファルノッキア</strong></font>の伯爵夫人。<font color="#ff00ff" size="4"><strong>牧野真由美</strong></font>のマルチェリーナは、なんともコミカルで存在感があり、押しが強いくせに、どこか可愛いのです。<br />
　スザンナには、はじける若さと未来への希望があります。伯爵夫人は、それをまぶしく感じながら、未だ未練を残しています。そして、マルチェリーナはもはや達観していて、自分の思いに素直に、今を生きています。年代の異なる３人の女性を、三者三様に魅力的に描いているのが、やっぱりモーツァルト。時の移ろいと共に失うものはあるけれど、そしてそれは寂しいことではあるけれど、人生の楽しみという点では、むしろ後半生にたっぷり用意されているのかもしれないよと、言ってくれているような気がします。<br />
　それから、<font color="#00ff00" size="4"><strong>ダニエラ・ピーニ</strong></font>のケルビーノは、歌と演技だけではなくスタイルも抜群で、ぴったりした軍服姿が魅力的。バジリオとクルチオ二役の、<font color="#00ff00" size="4"><strong>ジャンルーカ・フローリス</strong></font>のいかにもイタリアンなテノールも堪能しました。<br />
　そしてそして、伯爵役の<font color="#ff0000" size="5"><strong>マルクス・ヴェルバ</strong></font>が、とっても<font color="#ff0000" size="5"><strong>ス・テ・キ</strong></font><span style="FONT-SIZE: 200%; COLOR: red"><font size="6">&hearts;</font></span>　<br />
　《セビリアの理髪師》時代から年は流れたとはいっても、この伯爵はまだまだ若くてモテモテなのでしょう。少なくとも本人はそのつもりらしく、女性に対しては自信たっぷり。妻とは違って、まだまだ大人になりきれていない感じです。フィガロ役の<font color="#00ff00" size="4"><strong>ガブリエーレ・ヴィヴィアーニ</strong></font>が、どっしりと豊かな男っぽいバリトンなら、ヴェルバはもう少し軽やか。そのうえ品があって、清潔な色気というか、さわやかな艶っぽさも漂う声です。一杯食わされた後に歯がみして悔しがるところなど、演技力もピカイチ。しかも、ルックスもいいのです。プログラムに掲載されたプロフィールを見ると、《魔笛》のパパゲーノが当たり役ということですが、私としては、ぜひこの方のドン・ジョバンニを見てみたい！と思いました。<br />
　<br />
　一つだけ残念だったのは、平日だからということもあるのでしょうけれど、２階の上に空席が目立ったこと。<br />
　もったいないな〜<br />
　サントリーホールだし、お値段がリーズナブルということで、コンサート形式でやる演奏会と思って、パスした人がいたのかもしれません。でも、どんな劇場でやるオペラより、オペラ的なオペラだったのに&hellip;。見てよし、聞いてよし。少し気が早いけれど、年末に一年を振り返った時に、今年のオペラベスト３にきっと入れたくなる、と思うできばえでした。<br />
　そんな公演を見逃された方々のためにも、そして、もう一度あの楽しさを反芻したい私のためにも、収録していたＮＨＫは、ぜひ、ノーカット版で放送してくださるように!!<br />
（放送日はまだ決まってないそうです）<br />
　<br />
　今年は、モーツァルト＆ダ・ポンテ三部作の１年目で、来年は《ドン・ジョバンニ》。<br />
　ルイ様には絶対来年も来てもらいたいな〜、ヴェルバのドン・ジョバンニが見たいな〜<br />
　そう思っていたら&hellip;&hellip;<br />
　<br />
　なんと！<br />
　<font color="#993366" size="4"><strong>来年も指揮はルイ様。しかもヴェルバがドン・ジョバンニ役ですって!!<br />
</strong></font>　今からしっかり日程を手帳に書き込んでおかなくては!!!<br />
（公演日は２００９年４月５、８，１１日です）<br />
　</p>]]>
        
    </content>
</entry>
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    <title>”冤罪オペラ”を観る</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.egawashoko.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=251" title="”冤罪オペラ”を観る" />
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    <published>2008-03-10T23:56:18Z</published>
    <updated>2008-03-11T00:25:38Z</updated>
    
    <summary>　こんな面白いオペラが、なぜ日本ではこれまで上演されなかったのだろう。 　日本初...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="Museたちの部屋" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　こんな面白いオペラが、なぜ日本ではこれまで上演されなかったのだろう。<br />
　日本初演だという藤原歌劇団「どろぼうかささぎ」を見て、そう思った。<br />
　実は、海外でもこの作品はあまり上演の機会がないらしい。そういえば、ＣＤやＤＶＤを探しても見あたらない（ネットオークションに出ていたけれど、１万２０００円という高値がついていた）<img height="291" alt="" width="200" align="right" src="/upload/Image/dorobou kasasagi200.jpg" /><br />
　<br />
　ロッシーニのオペラというと、明るくて、底抜けに楽しいかったり元気で力強かったり、という印象だが、この作品は主人公が冤罪で死刑を言い渡される、シリアスでドラマチックな物語だった。<br />
　簡単にあらすじを記しておくと――<br />
　<br />
　ニネッタは、元々は裕福な農園主の娘だったのに、家が没落して別のお屋敷にメイドとして働きに出ている。そのお屋敷の跡取り息子ジャンネットと相思相愛の関係で、農園主ファブリーツィオもかわいがっているが、その妻ルチーアはどうもこの娘が好きになれない。以前、銀のフォークが紛失したのはニネッタが盗んでいるのではないかと疑ってもいる。<br />
　そこへ、ニネッタの父親フェルナンドがこっそり会いに来る。彼は外出許可をくれない上官と争いになり、剣を抜いてしまった。上官への反逆は死刑にもなる重罪だが、仲間がこっそり逃亡させてくれたのだった。ニネッタに、唯一の財産である銀の食器を渡して、これを売って金を作るように頼む。ニネッタは言われた通りにする。ところが、それと相前後して、ファブリーツィオ家の銀のスプーンが一本紛失。ルチーアはニネッタの金を見て、この娘が盗んだと思いこむ。<br />
　事態を複雑にするのは、悪代官ゴッタルドの存在。彼はニネッタに惚れていて、激しく迫るのだが拒絶されて頭に来ている。ルチーアの話を聞いて、ニネッタを逮捕。使用人が主人の持ち物を盗んだ場合には最高死刑という重罰で脅して、自分に服従させようという企みだ。けれど、ニネッタはガンとして拒絶し続ける。裁判でも、無言を貫く。というのは、自分の身の潔白を訴えようとすれば、父親のことを言わねばならず、そうなると父親が自分の元を訪ねたことが明るみに出て、捕まってしまうかもしれないと恐れたからだ。<br />
　自分のために娘が犠牲になると知った父フェルナンドは、勇気を奮い起こして裁判所に駆け込む。けれど、娘を救うことはできず、自分が捕まってしまうだけ。ニネッタは「お父さんを救うために自分は死ぬのに&hellip;」と悲しむ。　<br />
　裁判官は、ニネッタに死刑を言い渡す。思いの他の展開に、「こんなはずでは」とルチーアは激しく後悔し、悪代官も動揺するが、もう判決が出てしまった後はどうしようもない。<br />
　刑場に連れて行かれるニネッタ。その頃、ファブリーツィオ家の召使いのピッポが、かささぎの巣から紛失した銀の食器を見つけていた。実は、どろぼうの犯人はかささぎだった。ピッポは慌ててかけつけるのだが&hellip;&hellip;<br />
　パーンと一発の銃声がなる。<br />
　ヴェルディがこの物語をオペラにしていたら、一歩遅くて処刑は終わっていた、という展開で、悲劇にしていたに違いない。<br />
　でも、そこはロッシーニ。めまぐるしいどんでん返しを用意して、ハッピーエンドにむけて（いささか強引に）突っ走る。銃声も、「間に合わなかった！」と思わせておいて、実は「祝砲だ」とのこと。冤罪が晴れ、釈放されるニネッタにルチーアは許しを請い、晴れて彼女はファブリーツィオ家の嫁として祝福される。フェルナンドにも国王からの恩赦が出る（ちょっと都合よすぎる気がしなくもないが、よいよい、ロッシーニだもの）。というわけで、悪代官以外はみんな幸せになって幕。<br />
　<br />
　ハッピーエンドだと分かっていても、途中はドキドキハラハラ&hellip;<br />
　そうでなくても、ロッシーニの音楽は、聞いていると胸の鼓動がどんどん早くなっていく。特に重唱を聞いている時の気持ちの高まりは、本当にたまらない。そのうえ、ストーリーがこれだから、どんどんのめり込んで、あっという間に終わってしまった。<br />
　あ〜、もう１回最初からみたい！<br />
　<br />
　以前、やはり藤原歌劇団でロッシーニの《チェネレントラ》《ランスへの旅》を指揮したアルベルト・ゼッダさんが素晴らしく、オケのリズムと盛り上がりが、「本当に日本のオケ？」と思うくらい。かなりのお年のようだが、お元気な限り、ロッシーニの魅力を日本に伝えて欲しい。<br />
　ニネッタ（チンツィア・フォルテ）の伸びのある声、ジャンネット（アントニーノ・シラグーサ）の幅広い音域を難なくこなす軽やかな美声にうっとり。そして、悪代官（妻屋秀和）の密度の濃い声と存在感、ルチーア（森山京子）の厚みのある声で息子の嫁候補に対する複雑な母親心を歌う表現力も印象的だった。<br />
　あと、若手では裁判官（安東玄人）が、張りのある声で、なかなか。プログラムを見る限りまだ２０代半ば？というのに、権威の権化のような役柄にふさわしい重々しさを醸し出していた。こういう若手のよい低音が出てくると、本当にうれしくなる。<br />
　<br />
　演出も、奇をてらわず、安心して物語の世界に入り込めた。　<br />
　室内なのに上から木の葉が振ってくるなど、余計なところもないわけではなかったけれど、ストップモーション効果を上手に使ったり、パネルの角度を変えることで場面展開をはかったり、テンポのよい音楽を上手に視覚化する工夫がなされていた。<br />
　それにしても、ラジコンのかささぎにはびっくり。<br />
　出てくるたびにちょっとドキドキしたけれど、本当に上手に飛んで、大事な役割をしっかり務めていた。最後のカーテンコールの時には、リモコン操作をしていた人（イタリア人？）が、歌舞伎の黒子のような衣装を着て登場し、かささぎが客席の上をぶい〜んと飛んで拍手喝采。<br />
　こういう、上演の機会が少ない名作を積極的に取り上げる藤原歌劇団にも、思い切り「あっぱれ！」をあげたい<br />
　　<br />
　それにしても、物語に出てきた裁判所は、「正しい人を守り、悪人に雷を落とす」と言ってるわりに、いい加減な裁判で死刑を言い渡す。<br />
　これは決してオペラの世界だからこその誇張した話、ではないと思う。<br />
　ロッシーニの時代もそうだっただろうし、今の日本でもいくつもの冤罪事件がある。「名張毒ぶどう酒事件」のように、事件と本人を結びつける客観的証拠は何一つないことが分かっても、過去の死刑判決を後生大事に守って、なかなか再審を開かないという事件もある。<br />
　１８００年代初頭のイタリアと、２１世紀に入って８年目になる日本とでは、時代も場所も変わらないけれど、裁判所の体質は古今東西、本質的に変わってないのかも。<br />
　希薄な証拠で死刑判決を下してしまうけれど、罪がないことが分かればすぐに訂正されるオペラの中の裁判所の方が、ずっとまともに思えてきたりしなくもない。<br />
　<br />
　ところで、終演後、藤原歌劇団の人に最初の疑問をぶつけてみた。<br />
　なぜ、今までやらなかったの？<br />
　そうしたら、すぐに返ってきた答えは「難しいから」。<br />
　「いい歌い手が揃わないとできないし」<br />
　オケも難しそうだし。<br />
　でも、こんなに面白いオペラなんだもの、機会を見て、再演して欲しいな。<br />
　<br />
　<br />
　なお、この公演はＮＨＫが収録していた。<br />
　６月頃に、芸術劇場で放送する予定らしい。<br />
　録画を忘れないようにしなくっちゃ！</p>]]>
        
    </content>
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    <title>またも無罪！</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.egawashoko.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=250" title="またも無罪！" />
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    <published>2008-03-06T03:09:42Z</published>
    <updated>2008-03-06T04:34:23Z</updated>
    
    <summary>　４年前に北九州市で起きた殺人・放火事件について、福岡地裁小倉支部が無罪判決を出...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　４年前に北九州市で起きた殺人・放火事件について、福岡地裁小倉支部が無罪判決を出した。<br />
　<br />
　被告人と事件を結びつける物証も供述もない中、検察側は警察の留置場で同房だった女の証言だけを頼りに懲役１８年を求刑していた。しかし裁判所は、同房者は「捜査機関に迎合するおそれが内在している」などとして、その証言には任意性も信用性も認めなかった。女が、被告人から聞いたという告白内容、つまり初めに被害者の首を刺したという点についても、「生前の傷と認めるには合理的な疑いが残り」として、真の犯人しか知り得ない秘密を暴露したものとはいえない、とした。<br />
　さらに裁判所は、「同房者からの参考聴取は許されるが、今回はその域を超えている。本来、取り調べと区別されるべき勾留が犯罪捜査に乱用された」と警察の捜査のあり方を批判。<br />
　鹿児島の選挙違反事件（冤罪志布志事件）や富山の冤罪事件に続き、またしても警察や検察の問題点が露わになった無罪判決だった。<br />
<br />
　事件被害者の妹片岸みつ子さんは、当初別件の窃盗容疑で捕まった際には北九州水上署で勾留され、そこで後に&rdquo;犯行告白&rdquo;を証言することになるＡ子と同房になった。その後片岸さんは八幡西署に移されたが、なんとＡ子も、後を追いかけるようにして、八幡西署に身柄を移され、２人きりの勾留が続いた。この動きは、たまたま同房になったというには、あまりに不自然だ。<br />
　雑誌『冤罪File』創刊号に掲載された今井恭平氏のレポートなどによると、Ａ子は未成年の頃から窃盗、覚醒剤、詐欺などで数度の補導・逮捕歴があり、少年院にも２度入院しているとのこと。片岸さんと同房になった時は、成人になって初めての逮捕で、窃盗容疑だったが、逮捕直後に尿検査をされており、覚醒剤取締法違反容疑でも逮捕されたことが分かっていた。他に窃盗の余罪も８件ほどあったようだ。ところが、このＡ子は余罪を取り調べられることもなく、懲役２年６カ月執行猶予４年の判決で自由の身となった。<br />
　一方の片岸さんは、別件で２回の逮捕、さらに本件も殺人容疑、放火容疑と２度に分けて、計４回もの逮捕・勾留が繰り返された。逮捕されたのが２００４年５月２３日、最後の起訴が１１月１６日というから、１７７日間も被疑者として警察留置場に身柄拘束された。この長期に及ぶ勾留でも、殺人・放火については否認を続けた。<br />
　自白がとれず、片岸さんと事件を結びつける情報が欲しい捜査官と、少しでも警察の心証をよくしたいＡ子。この両者が、取調室という密室の中でどういうやりとりを交わしたのかは、定かではないが、警察からなんの働きかけもないのに、Ａ子が自発的に片岸さんからの「犯行告白」を作り上げるというのも考えにくい。</p>
<p><br />
　裁判所やメディアが指摘するように、この事件での福岡県警の捜査は厳しく批判されなければならない。<br />
　と同時に、こうした捜査手法を可能にする構造的な欠陥にも目を向ける必要がある。<br />
　本来、勾留手続きを経た被疑者は拘置所に収容することになっている。拘置所は法務省が管轄しており、警察の権限が及ばない。同じ警察で取り調べを受けている被疑者を同房にしない、という配慮をすることも可能だ。<br />
　しかし実際には、捜査の都合や拘置所が十分でないことから、警察の留置場を拘置所代わりに使うことが認められている。こうした&rdquo;代用監獄&rdquo;が冤罪の温床になると言われてきたが、警察は捜査部門と留置管理部門を切り離したり、拘置所では認められない弁護士と被疑者との夜間や休日の面会を認めるなどサービスを行うことで、批判をかわしてきた。実際、被疑者が犯行を認めている事件では、被疑者本人にとっても家族にとっても弁護士にとっても、警察に身柄が収監されている方が便利だったり快適だったりすることは少なくない。<br />
　けれど、同房者を捜査員の&rdquo;手先&rdquo;として使うようなことが行われているのでは、いくら警察の人事を捜査部門と留置管理部門できっちり分けたとしても意味がない。また深夜にわたる取り調べなど、無理な取り調べで自白を迫るような事態も起きやすい。<br />
　密室の中で夫今割れる取り調べ状況が不透明であることに加えて、この代用監獄の問題は、早急に改善する必要がある。<br />
　<br />
　<font color="#ff0000" size="5"><strong>取り調べの可視化</strong></font>と併せ、今回のような問題捜査が再び行われないようにするためにも、<font color="#ff0000" size="5"><strong>少なくとも容疑を否認している被疑者の収監先は必ず拘置所にするべきだ</strong></font>。これは、今日にでも実行可能な対策といえる。というのは、逮捕された被疑者の大半は容疑を認めており、否認する被疑者はごく一部。そのすべてを最初から拘置所に収容させることは、決して不可能ではないはずだ。<br />
<br />
　勾留状を発布するのは裁判所。<font color="#993300" size="4"><strong>裁判官が、勾留尋問の時に容疑を否認した者を勾留する時には、拘置所を収監先と定めるだけでも、事態はかなり改善される。</strong></font>残念ながら、今の裁判所は、警察・検察側が求めるままに逮捕状・勾留状を発布する&rdquo;自動令状発行機&rdquo;と化しているのが現状。せめて、否認事件の収監先を拘置所に指定するくらいのチェック機能は果たしてもらいたい。<br />
　弁護人も、留置場に置いておくのが問題だと思われるケースは、裁判所に収監先の変更を求める申し立てを積極的に行ったらどうか。弁護士会は、代用監獄の廃止を主張するわりに、そうした申し立てはあまり行われていない。ある弁護士に言わせると、申し立てをしても裁判所が認めないからやらない、とのことだが、果たしてどうだろう。かつて否認する被疑者が弁護士との面会を捜査機関に妨害されていた時代には、弁護士たちが積極的に裁判所に申し立てや訴訟を行って制度を改善させた経緯がある。当時の弁護士たちの活発な活動に比べると、勾留先の問題に関しては、あまり熱意が伝わってこないのだが。<br />
　すでに混み合っていて、否認の被疑者をすべて受け入れたら定員をかなり超えてしまう拘置所は、増改築で収容力を高めていく必要がある。「冤罪」発言で物議を醸した鳩山法相には、汚名挽回のつもりで、<font color="#993300" size="4"><strong>拘置所の収容力アップ</strong></font>に力を尽くし、冤罪防止に努めてもらいたい。<br />
　<br />
　それから、今回の事件で、警察と同じく、というより、それ以上に糾弾されなければならないのは、同房者の供述だけを頼りに片岸さんを起訴し、懲役１８年の求刑まで行った検察である。　<br />
　すでに警察によるでっち上げが明らかになっている冤罪志布志事件でさえ、裁判所は一部被告人の捜査段階での「自白」の「任意性」を認めた。日本の裁判所は、検察側が提出した証拠や証言の「任意性」を安易に認めてしまうのが常だが、今回はその裁判所ですら「任意性」を認めなかったのだ。<br />
　こんな証拠価値のない&rdquo;証言&rdquo;に依存して３０回に及ぶ公判を維持してきたことを、検察当局は大いに恥じ入って欲しい。検察側からの控訴はすべきでなく、むしろ自分たちがやっていたことや判断をきちんと反省すべきだ。<br />
　志布志事件でも、富山の冤罪事件でも、検察は警察の捜査をチェックすることはまったくなく、無罪方向の証拠を無視し続けた。今回の北九州市の事件でも、検察は警察の捜査のチェック機関としての機能をまったく果たしていない。これでは、<font color="#ff0000" size="5"><strong>なんのために検察官がいるのか分からない</strong></font>。こうも続くと、一人二人の職務怠慢な（あるいは能力の低い）検察官がいるというのではなく、検察全体の質の低下、劣化現象が起きていると言わざるをえない。あるいは、何らかの構造的な問題があるのかもしれない。<br />
　検察当局は、志布志事件を「冤罪でない」と認識しているらしいが、今回も不幸にして証拠が十分揃わなかっただけ、と自分たちの責任を軽視するような受け止め方をしているのかもしれない。早急に検察官の再教育を行うなどの改善策をとらなければ、国民の検察当局に対する信頼は、低下の一途をたどるばかりだ。検察は、もっと危機感をもって、今回の無罪判決を受け止めるべきだし、そうなるよう鳩山法相には指導力を発揮してもらいたい。</p>
<p>　<br />
　それ以外に、この事件を巡って感じたことをいくつか。<br />
　<br />
　被告人となった片岸さん本人だけでなく、その子どもたちが顔も名前も公にして、母親の無実を訴えている。支援者が作っているサイトには、片岸さん一家の思い出の写真が何枚も掲載され、息子さんが顔写真つきで、「母は無実です」と訴える肉筆のメッセージを寄せている。息子さんと娘さんはブログ<a href="http://blog.hikinoguchi.com/">http://blog.hikinoguchi.com/</a>も開設しているが、やはり実名で顔写真も載っている。<br />
　とりわけ息子さんは、勤めていた会社も辞めて、母の支援活動を続けてきた、という。<br />
　日本では、身内が逮捕されれば、冤罪であっても、家族は顔を伏せてひっそりと暮らさざるをえなくなることが多い。そんな中、堂々と顔をさらして訴えを続けている姿には心を打たれる。<br />
　<br />
　本件である殺人・放火事件について無罪が出た後も、新聞はどこも片岸さんを「片岸被告」と書いている（テレビでは、少なくともテレビ朝日は「片岸さん」と呼んだ）。<br />
　確かに、今なお「被告人」であるには違いないが、無罪が出た以上、敬称は「さん」にすべきではないだろうか。<br />
　それから、片岸さんが窃盗罪や威力業務妨害で有罪判決を受けたとは書いてあっても、その中身にほとんど触れていないため、「やっぱりお兄さんのお金を盗んだりした人なんでしょ」という負のイメージは強く残る。<br />
　<br />
　ちなみに、支援者のサイト<a href="http://hikinoguchi.com/index.html">http://hikinoguchi.com/index.html</a>では、この２つの罪名について、弁護人が次のように説明している。　</p>
<p>＜この窃盗容疑なるものは、生前から預かっていたお兄さんの通帳から、預金を引き出したというものです。 しかし、みつ子さんが預金の引き出しを行ったのは、お兄さんの生前の意思に従ったものでした。預金を引き出したことは隠さずに警察にも話し、刑事にもその引き出したお金を見せて確認してもらっていました。<br />
通常、このような事案で立件されるかは大変疑問ですし、まして逮捕されることなど考えられません。明らかに殺人での自白強要のための別件逮捕でした。（中略）<br />
　７月１日には、威力業務妨害で再逮捕されました。兄嫁がお兄さんと別居生活を続けながら、実家の離れをほぼ独占的に公文教室として使用していましたが、離れの所有者であるお兄さんやお母さんに使用してもらうため、その一部に壁を作って間仕切りしたということを事件から２年も経って持ち出してきたのでした。明らかな別件逮捕であり、実際の取調べも、相変わらず殺人容疑の厳しい追及が連日なされました。＞<br />
　<br />
　被害者は、アルコール依存症を患い、妻子と別居して、事実上は片岸さんが後見人のような立場で面倒を見ていた、とのこと。その兄の死後、生前に預かっていた通帳から、お金を引き出したのが、果たして窃盗になるのかな、という気がする。<br />
　威力業務妨害に至っては、家族間のトラブルにすぎないのではないか。<br />
　これを有罪ととしたのはなぜか、本人の主張と裁判所の判断について、メディアはもう少し丁寧に触れてもらいたかった。<br />
<br />
　メディアは、捜査段階の報道などで、片岸さんの負のイメージ作りには（その意図はなくても）一役買ってしまっている。それを考えると、無罪判決後の報道では、被疑者・被告人となった人たちの名誉回復にもう少し気を遣うべきではないか、と思う。</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
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    <title>ニューヨーク・フィルの訪朝を考える</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.egawashoko.com/c006/000249.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.egawashoko.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=249" title="ニューヨーク・フィルの訪朝を考える" />
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    <published>2008-02-28T13:22:07Z</published>
    <updated>2008-02-28T23:43:06Z</updated>
    
    <summary>　ニューヨーク・フィルハーモニックが北朝鮮の平壌でコンサートを行った。 　 　こ...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　ニューヨーク・フィルハーモニックが北朝鮮の平壌でコンサートを行った。<br />
　<br />
　このニュースに、最初は違和感を覚えた。もっと率直に言えば、曰く言い難い&rdquo;ヤナ感じ&rdquo;がした。<br />
　この違和感は、今も消え失せたわけではない。<br />
　けれども、日米の報道をあれこれ見ながら考えるうちに、次第に「少なくとも、悪いニュースではない」という気がしてきた。</p>
<p>　インターネットを通じて見るアメリカのメディアは、おおむね前向きの評価。新しいことをやる、ということに肯定的な国民性もあるのだろう。保守的なＦＯＸテレビでさえ、「平壌でアメリカの国歌が演奏されたなんて！」と女性アナウンサーがはしゃいでいた。紹介される北朝鮮側の反応も似たり寄ったりで、「（アンコールで演奏された）アリランに感激した」とか。メインプログラムのドヴォルザークの「新世界より」やガーシュインの「パリのアメリカ人」は、果たしてどんな風に受け止められたのだろうか&hellip;&hellip;。<br />
　前向きの評価とはいっても、これですべてが好転するとは限らないという冷静な視点もあって、今回の公演でアメリカ国民が北朝鮮への評価をガラリと変えることはありえない。むしろ、閉鎖的なこの国の様子を、メディアの側がせっかくの機会だからと興味津々でのぞき込んでいる感じだ。</p>
<p>　公演終了後、客席と舞台で手を振り合っている様子などを見ると、この演奏を聞いた北朝鮮側の観客にも、何らかの感銘や肯定的な印象を抱いた人がいるのではないか、と思う。少なくともアメリカ人も鬼のような人ばかりではないという思いを持ったのではないか。たとえ、それがエリート階層の人に限られていたとしても。<br />
　もちろん、アメリカのメディアが「歴史的公演」と持ち上げるほど、今回の公演によって大きな変化が起きるとは思えない。演奏はテレビ中継されたということだが、そもそもテレビが普及してないこの国でそんなことをしても、確かにあまり意味はない。けれど、「あまり意味がない」のと「まったく意味がない」のには、やはり違いがある。<br />
　そもそも文化交流は、音楽にしろ映画にしろ、一つのイベントが成功したからといって、様々な問題が一挙に解決に向かわせるような性格のものとは違う。一つひとつは非力で細くて弱いかもしれにが、そうしたつながりを幾重にも通わせることができれば、政治という影響力のある太いパイプが詰まっている時にも、少なくとも「あいつらを殺してしまえ」という極端な話に飛躍しないですむ抑止力になるかもしれない。<br />
　それは、「かもしれない」というレベルのものではあるけれど、人と人のつながりは、多様で多重である方が、不幸な事態は起こりにくいような気がする。</p>
<p>　日本のメディアは、批判的な論調と客観的な報道の２つに分かれた。面白かったのは、批判的なメディアほど、このイベントを大きく伝えていたこと。<br />
　産経新聞は、なんと２月２７日朝刊の一面トップでこの公演を報じている。６面と７面にも関連記事が掲載され、計２枚の写真が載せられた。<br />
　読売新聞は、一面左肩の扱いでやはり写真付き。２面で解説を、７面で詳細なレポートを行い、さらには社説までこのイベントを取り上げる破格の扱いだ。やはり写真は２枚、そして公演会場の東平壌劇場の場所を示す地図を載せた。<br />
　毎日新聞は、一面左肩と６面での関連記事で、写真は計２枚。<br />
　一番そっけなかったのが朝日新聞で、一面の中程に「平常でＮＹフィル公演　金総書記は姿見せず」という写真付きの短い記事を載せたほかは、７面にごくごく短い関連記事を一段見出しという小さな扱いだった。<br />
　批判的なメディアは、「これが北朝鮮とってプラスの宣伝になってはいかん」という警戒心のあまり、たかだか１回行われただけのオーケストラ公演を大イベントに格上げしてしまったのは、なんとも皮肉なことだ。<br />
　<br />
　内容的に一番興味深かったのは、毎日新聞国際面の記事。それによると、アメリカのオーケストラは、これまでにも東西冷戦期のソ連や中国、ベトナムで公演を行い、「米国との対立やしこりを和らげる役割を果たしてきた」とのこと。１９５６年にはボストン・シンフォニーが、１９５９年にはニューヨーク・フィルがソ連を訪れた。さらに、フィラデルフィア管弦楽団が、ニクソン米大統領の電撃的な訪中の翌年に中国を訪れ、１９９９年にはベトナムで演奏会を開いているが、これはクリントン大統領がベトナム戦争後米大統領として初めての公式訪問を行う前年だった。<br />
　今回も、核問題が今頃は進展していることを見込んで、両国の劇的な「雪解け」を演出するつもりで公演を企画したようだ。その思惑が外れてしまった中、米朝双方がわずかな期待と現実的で冷めた思いを抱きながら公演を実現した、というのが事の次第らしい。<br />
　中止した時に生じるマイナスのイメージを回避したい、という意図も双方にあっただろう。<br />
　<br />
　今回の公演に批判的なメディアは、「政治的な色彩の濃い公演である」（読売）と指摘する。確かに、それは否めない。<br />
　けれども、「政治的な色彩」にも、いろいろな色と形がある。音楽を利用してナショナリズムを煽ったり、権力者の利益を図るのは困るし、過去には音楽が政治のプロパガンダに利用された歴史もある。今回の演奏会も、対アフガニスタンも対イラクも対イランも八方ふさがりで、残す任期のうちにせめて北朝鮮問題での実績を上げたいブッシュ大統領の名誉欲と、隣国韓国の大統領が変わって要求を丸呑みしてくれなくなったという事情を抱える金正日総書記の権力欲が前面に出ているのであればともかく、幸か不幸か双方ともそういう「政治的な色彩」をビカビカと発散することはできなかった。<br />
　「政治的な色彩」といっても、人々が理解し合ったり融和することに役立つ形でなら、それは悪いことではない。物は言い様で、音楽を政治に「利用」するというと悪く聞こえるが、音楽が両国の関係改善や友好に「貢献」するとなれば、むしろ肯定的に受け止められる。<br />
　<br />
　政治的な課題への「貢献」を、積極的に行っている音楽家もいる。<br />
　ズビン・メータという指揮者は、そうした音楽家の一人だ。<br />
　若い頃、１９７８年から９１年にかけて、ニューヨーク・フィルの音楽監督も務めている。最近は、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを何度も指揮しているし、オーケストラやオペラの公演で、しばしば来日もしているので、格別の音楽ファンでなくても、テレビで見たことのある人は少なくないと思う。<br />
　インド生まれで、ゾロアスター教徒の末裔と聞く。欧米の音楽家とはかなり違った背景を持って育った彼は、違う言葉や価値観の中で育っても、音楽という共通言語では人間は理解し合うことが不可能ではないことを、身をもって示している。<br />
　彼は、イスラエル・フィルとも早くから関わりを持ってきた。１９６８年に音楽顧問となって以来、親密な関係が続いており、今は終身音楽監督の地位にある。イスラエルとインドが国交を結んだのは、１９９２年。それまでの間、メータ氏は自身の立場を生かして、「非公式大使として活動した」と、私が以前インタビューした時に語っていた。政治的にはインドと緊張関係にあった時期の中国でも音楽活動を行った。さらにはベルリン・フィルをイスラエルに連れて行き、イスラエル・フィルと混成オーケストラを作って演奏することもしている。<br />
　不幸な過去の傷を癒し、人々の感情的なわだかまりを解きほぐしていくために、政治的な事柄にも、音楽家はむしろ積極的に関与すべし。あるいは、音楽はどんな政治的な障害も乗り越えて、人の心に響い合う。そんな信念に基づいた生き方を、メータ氏は貫いてきた。<br />
　実は、ニューヨーク・フィルの理事長として、今回の訪朝公演を熱心に準備してきたザリン・メータ氏は、このズビン・メータ氏の弟である。<br />
　ニューヨーク・フィル側は、北朝鮮に対して公演を中継することを強く求めたが、その要求を受け入れを北朝鮮が決めた決まった時、ザリン・メータ理事長はニューヨーク・タイムズに次のようにコメントしている」<br />
「多くの人が演奏を聴いて、アメリカの文化がいったいどういうものか見るからこそ、我々オーケストラはこの企画に前向きなんだ。いわば、文化の伝播の一翼を担うというか、それが重要なんだ」<br />
　このザリン氏の言葉には、兄のズビン・メータ氏と通じる志を感じる。<br />
　<br />
　政治的な事柄に積極的に関わっていく音楽家は、他にもいる。<br />
　メータ氏の親友でもあるダニエル・バレンボイム氏は、ユダヤ人でありながら、パレスチナに足を運んで演奏や指導を行ったり、ユダヤ人とアラブ人の若い音楽家を集めてイースト＝ウェスト・デバイン・オーケストラを結成し、指導を行うなどの活動を続けている。<br />
　ベルリンの壁が崩壊した時には、バッハの無伴奏チェロ組曲を弾いたチェリストの故ロストロポーヴィチ氏の例もある。<br />
　チェリストと言えば、かつてパブロ・カザルスはホワイトハウスでケネディ大統領を前にして演奏を行った。<br />
　その時の録音がＣＤになっているが、そのライナーノーツにはカザルスがケネディ大統領の招聘に応じた経緯が次のように書かれている。<br />
＜カザルスは、アメリカ合衆国では１９３８年以来、公の席での演奏を中止していたのである。祖国スペインのフランシスコ・フランコ独裁政権を承認する国では絶対に演奏会を開かない、というのが老巨匠の信条であった。（中略）アメリカ合衆国の大統領の公邸で、たとえそれが非公開のものであったにもせよ、カザルスが演奏するというのは画期的な行事であった。（中略）<br />
　カザルスは受諾を知らせた手紙に、次のように書きしるしたのであった――。<br />
　「人間性が、今日ほど重大な状況に直面したことは、いまだかつてありません。いまや世界の平和ということが、全人類の祈願ともなっています。すべてのひとは、この最終目標達成のために最善をつくすというくわだてに参加する義務があります。<br />
　それゆえに私は、閣下と個人的に親しくお会いできるこの機会を心待ちにしております。私が閣下ならびに、閣下のお友達の皆様方のために演奏するのでありましょう音楽は、アメリカ国民への私の深い感情と、自由世界の指導者としての閣下にたいする私たちすべての信頼と誠意を、かならずや象徴化してくれるものと確信しております。<br />
　大統領閣下、どうか私の心からの敬意と誠意をお受け下さい」＞<br />
　<br />
　こうした音楽家たちの判断や活動には、批判もあったことだろう。<br />
　たとえばバレンボイム氏には、イスラエル国内からあからさまな批判が投げつけられている。<br />
　そんな中でも、活動を続けてきたバレンボイム氏の志と勇気に私は感動し、心からのエールを送ってきた。その気持ちは今でもまったく変わらない。むしろ強まっている。<br />
　ただ、今回のニューヨーク・フィルの訪朝を聞いて以来、心にわだかまっている&rdquo;ヤナ感じ&rdquo;と向き合う中で、バレンボイム氏に反感を抱く人の気持ちも、ほんのわずかばかり分かるような気がしてきた。<br />
　イスラエルには、肉親や友人をテロで失った人もいる。テロをもたらしたものは、イスラエルの政策にあると言っても、そうした理屈より、身近な人を失った人の喪失感や憤りへの共感の方が先に立つのが人間なのではないか。<br />
　けれど、そうした人間としての感情を大事にしながらも、人間を人間たらしめている理性に耳を傾けることは、やはり大切だ。とても難しいことではあるけれど&hellip;&hellip;<br />
　<br />
　北朝鮮に対しては、多くの日本人がそうであるように、私もいろんな思いがある。<br />
　なにしろ、核問題も思うように進展しないし、拉致問題は置き去りにされ、北朝鮮国内の人権問題も放置されたままだ。<br />
　北朝鮮のことを考えると、そうした現状に対する反感や金正日総書記らこの国の中枢にいる者たちへの不信感がまず先に立つ。その状態で、北朝鮮が国際社会に受け入れられれば、大事な問題が忘れられるのではないかという不安があるし、何より北朝鮮の利益になるような事柄を見せつけられるのは愉快ではない。拉致問題や脱北者などの人権問題などに深くかかわっている人であれば、その思いはなおさら強いだろう。<br />
　そんな感情に心を揺さぶられる一方で、北朝鮮を今以上に閉ざされた頑な国にしてはならないという理性の声も聞こえてくる。<br />
　<br />
　それに、北朝鮮は日本やアメリカにとっては閉ざされた国だが、国際的に見れば、孤立した国というわけではない、という現実も、見据えなければならない。北朝鮮はすでに１６０カ国との国々と国交を結んでおり、ヨーロッパの主要国には大使館も構えている。<br />
　音楽に関しても、少なからぬ音楽家の卵を、北朝鮮はヨーロッパに留学させている。才能ある人もいるようだ。北朝鮮を国際社会から隔絶した文化後進国と見くびっていると、この国の実情を見誤り、適切な対応をし損なうかもしれない。</p>
<p>　ただ、北朝鮮にとっては、音楽も国威発揚、国家の威信と結びついているようで、少しでも成績がよくない学生は即刻帰国させてしまう、などという話も伝え聞いた。<br />
　勝敗を競うスポーツがしばしば国と国との威信をかけた戦いになるのとは違い、音楽は勝負事ではない。なぜ国家の権威がしゃしゃり出てくるのかと問いたくなるが、北朝鮮の当局にとって音楽は、帽子の羽根飾りのごとく、国を装うアクセサリーという位置づけなのだろう。欧米のオーケストラの演奏会という、ちょっとしゃれた飾りをつけてみたい北朝鮮当局者の意識を、アメリカ側が上手にくすぐったということなのかもしれない。そう考えると、やはりニューヨーク・フィルの訪朝についての&rdquo;ヤナ感じ&rdquo;が再び頭をもたげてくる。<br />
　もっとも、日本も、特にバブル経済の時期には、ベルリンフィルやウィーンフィルなどの&rdquo;ブランド・オーケストラ&rdquo;の高額チケットが接待に使われ、音楽にまったく興味もない人が、&rdquo;おしゃれ&rdquo;や&rdquo;泊づけ&rdquo;としてコンサートにやってきた、という話を聞いたことある。音楽を帽子の羽飾りのごとくに扱う、という点では、日本があんまり他人をとやかく言える立場ではないかもしれないが&hellip;&hellip;。</p>
<p>　今後、北朝鮮のオーケストラがイギリスを訪問する計画があるらしい。何なら、日本に来てもいいではないか、と思う。その代わりに、先方にも日本のオーケストラを受け入れてもらい、今度はテレビではなく、ラジオで中継させる。国家の威信を見せつけるような立派なコンサートホールだけでなく、各地の学校や公民館のような場所での演奏会も実現してもらう。そういう提案をしてもいいかもしれない。　<br />
　政治ではなかなか空けられない扉を、文化がノックするということは、やってみる意味があるのではないか。</p>
<p><br />
　こんな風に、文化と政治について、自分なりにあれこれ考える機会になったという点でも、今回のニューヨーク・フィルの平壌公演は、やはり「少なくとも、悪いニュースではない」と思うのだ。<br />
　　<br />
</p>]]>
        
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    <title>これは個人的な「失言」ではない</title>
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    <published>2008-02-26T03:17:09Z</published>
    <updated>2008-02-26T03:24:55Z</updated>
    
    <summary>　イージス艦が漁船に衝突した事故と、２６年前も前の「ロス疑惑」の再燃で、鳩山法相...</summary>
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            <category term="社会のこといろいろ" />
    
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        <![CDATA[<p>　イージス艦が漁船に衝突した事故と、２６年前も前の「ロス疑惑」の再燃で、鳩山法相の冤罪に関する発言は、すっかり忘れられてしまった感がある。そのうえ、発言の主が自党の幹事長の弟であるために遠慮をしたのか、民主党はハナから大きな問題としてとらえる姿勢が見えなかった。けれども、これをこのままにして、完全に忘却の彼方に葬ってしまっていいものだろうか。<br />
　当初、鳩山氏は「個人的な見解」として、鹿児島県議選での選挙違反事件（志布志事件）について、「冤罪と呼ぶべきではない」と断言。さらに「冤罪という言葉は服役後に真犯人が現れるなど、１００％ぬれぎぬの場合を言う」「（志布志事件を冤罪にするとは）すべての無罪事件が冤罪扱いになってしまうのではないかと思う」と述べた。<br />
　後日発言を撤回し謝罪したが、その際、同氏は次のような釈明を行っている。<br />
「今回の冤罪の問題は、法務省や検察が常日ごろ言っていることをそのまま言った」「真犯人が後から現れた場合を冤罪と言い、裁判による無罪は冤罪とは言わないというのが法務省、検察の基本的考え方だ」「検察の方は謝るべきでないと思っただろうが、私は自らの気持ちでおわびした」<br />
　つまり問題の発言は鳩山氏の「個人的な見解」を述べたのではなく、法務省・検察当局の見解を代弁した、というわけだ。となると、これは「友人の友人はアルカイダ」などの、まさに「個人的な見解」とは事情が異なると言わざるをえない。しばしば物議を醸す同氏の個人的失言というふうに矮小化してとらえるのではなく、冤罪についての法務省・検察当局の認識を厳しく問い直すべきだ。<br />
　しかも、「自動的に死刑執行」という発言は、かなり乱暴な言い方ではあるが、執行の対象者が密室で決まることなど、今の死刑制度の問題点を突いたものであった。「アルカイダ」についても、本人の蝶々採取の趣味の課程で、密林の奥などに行く同好の仲間から聞いた話を、無防備にかつ何の脈絡もなく言い出したもので、適切とは思えないが、彼なりに日頃考えていた事柄を口にしたと言えるだろう。<br />
　また、初めて死刑執行の後に自ら記者会見を開くなどして、事実を公表するなどの改善を行ったり、司法試験の合格者を３０００人にするというのは「多すぎる」として、減員の方向性を示すなど、鳩山氏の法相としての仕事ぶりは、評価すべき点が少なくない。前後の脈絡とは関係なく、唐突に、しかも突飛な物言いで物議を醸してはきたが、何の根拠もないでまかせを口にしてきたわけでもなかった。<br />
　冤罪に関する今回の発言も、鳩山氏としては、単なる思いつきを述べたわけではなく、法務省・検察当局内部の常識に基づいて話をしたら、それが社会の常識とは大きく食い違って、批判をされることになった、というわけだ。<br />
　鳩山発言から推測するに、法務省・検察当局は志布志事件を「１００％ぬれぎぬ」とは認めていないらしい。つまり無罪にはなったが無実とは考えてないようだ。<br />
　しかし、志布志事件はありもしない事件を警察が作り上げていたものであることは、すでに明らかになっている。検察も警察の不当な捜査をまったくチェックしないばかりか、アリバイなど無罪を示す証拠類を無視して、有罪の論告を行った。そういう経緯を考えると、検察当局の責任は相当に重い。<br />
　そのうえ、検察が保釈に反対したために、長い人で身柄拘束は３９５日にも及んでおり、事実上の&rdquo;服役&rdquo;を強いられた。<br />
　逮捕から無罪が確定するまで約４年の年月を要した。その間、刑事裁判は判決公判も含めて54回を数えた。裁判や打ち合わせがある日には、一日がかりで鹿児島市内に出向かなければならない。その負担の大きさたるや、東京など交通の便利な町中に住んでいる者の想像を絶するものがある。<br />
　マスコミの世界でも、裁判で有罪判決を受けてその後無実が明らかになったケースのみを「冤罪」と呼び、法務省・検察当局と同じように、志布志事件を「冤罪」の枠組みから外しているメディアもある。しかし日本では、ひとたび逮捕されれば、事実上「犯人」扱いされるのが常だ。起訴された時点で、職を失う人も少なくない。そして無罪判決を受けても、事件前の生活に戻れるとは限らない。<br />
　電車内で痴漢に間違われ、最終的に無罪が確定したある元被告人は「無罪になっても、ゼロからの再出発さえできない。マイナスからの出発なんです」と嘆いていた。<br />
　冤罪の場合、警察や検察は、一般市民にそうした多大な苦痛や損害を与えた加害者である。そういう加害者としての自覚や責任感が、法務省・検察当局には著しく欠落している。<br />
　犯罪の捜査や裁判で、検察官は容疑者や被告人に対し、被害者に対するお詫びを求め、反省が十分でない者を厳しく論難する。けれども検察当局の責任者が、志布志事件を初めとする冤罪事件の被害者を訪ねてお詫びをしたという話はついぞ聞かない。<br />
　今回の鳩山発言は、国会などでそうした捜査機関の姿勢を問いただし、反省を求め、冤罪を起こさない、冤罪の被害者には償いをするという方向性を打ち出す機会だったのに、民主党の態度には本当にがっかりした。<br />
　検察は新たな冤罪を防止する対策にも消極的だ。違法な捜査を防ぐために、取り調べをすべて録音・録画する「全面可視化」の必要性を訴える声に対して、検察側は断固反対の態度を続けている。通常の取り調べは密室のまま行い、調書代わりに被疑者が自白する場面だけを録画して証拠に利用しようというのが、検察側のねらいだ。しかしこんな「一部可視化」では、志布志事件のような違法捜査をチェックすることは、到底できない。<br />
　鳩山氏は、「もう冤罪という言葉は使わない」と言っているそうだが、これでは謝罪の意味がない。本当に今回の発言を反省しているのであれば、鳩山氏がやるべきは、取り調べ課程の全面可視化を導入し、新たな冤罪防止に尽力することだ。その課程で、法務省・検察当局の意識変革を導いていくことが、法相には求められている。</p>
<p>（２００８年２月２５日付熊本日日新聞掲載の《江川紹子の視界良好》に加筆しました）<br />
</p>]]>
        
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    <title>江川書房開店?!</title>
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    <published>2008-02-22T07:15:19Z</published>
    <updated>2008-02-22T07:46:18Z</updated>
    
    <summary>　新風舎の倒産によって、同社から出していた拙著を書店などでお求めいただくことがで...</summary>
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            <category term="お知らせ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　新風舎の倒産によって、同社から出していた拙著を書店などでお求めいただくことができなくなりました。<br />
　お読みになりたいという方がいらっしゃいましたら、次の４冊につき、若干ある手持ちの分をお送りいたします。<img height="104" width="300" align="bottom" alt="" src="/upload/Image/books300.jpg" /></p>
<p>　まだ在庫をお持ちになっている書店がいらっしゃるかもしれないので、価格は定価とさせていただきます。ただし、郵便振替手数料分８０円と梱包・郵送にかかわる費用は当方が負担いたします。<br />
　というわけで、『オウム事件はなぜ起きたか』は上下巻それぞれ９１０円、『冤罪の構図』と『大火砕流に消ゆ』は６１０円としました。</p>
<p>　ご希望の方は、当サイトのトップページにある＜お問い合わせ＞を利用して、お申し込みください。<br />
　冒頭に「本購入申し込み」とお書きになり<br />
　　　・本のタイトル（同タイトルを複数の場合は冊数も）<br />
　　　・お名前<br />
　　　・住所<br />
　　　・電話番号<br />
　　　・メールアドレス<br />
を明記してください。<br />
　こちらから、振込先をご連絡します。<br />
<br />
　なお、手元にある若干冊がなくなった時点で、&rdquo;閉店&rdquo;といたします。<br />
　また、『名張毒ブドウ酒殺人事件　六人目の犠牲者』は、事件の支援団体がまとまった数を保管されており、今後、そこから入手が可能になると思われます。</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
<p>　</p>]]>
        
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