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    <title>Egawa Shoko Journal</title>
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    <updated>2012-05-07T14:20:54Z</updated>
    <subtitle>江川紹子ジャーナル</subtitle>
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    <title>（注）＋アルファ　</title>
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    <published>2012-05-07T08:23:29Z</published>
    <updated>2012-05-07T14:20:54Z</updated>
    
    <summary>　当初、以下の拙稿は、郡山を訪ねた後に書いた「福島の今とこれから、そして報道につ...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="雑記帳" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　当初、以下の拙稿は、郡山を訪ねた後に書いた「福島の今とこれから、そして報道について考えた」の（注）にするつもりでいた。<br />
&nbsp;  しかし、記事の（注）なしヴァージョンを出した後、気が変わった。この記事の最後に、上杉氏のことを長々と読まされれば、読者はそちらが印象に残って、私が本来記事の中で伝えたかったことが消し飛んでしまうのではないか、と不安になったからだ。<br />
&nbsp;&nbsp;なので、いったんアップしかけた（注）ありヴァージョンの原稿をすぐに引っ込め、（注）を別稿とすることとし、若干の加筆をした。<br />
<br />
&nbsp;&nbsp; 元の記事で（注）をつけようとしていたのは、次の一文。<br />
〈ましてや、測定場所もあいまいな虚実取り混ぜた情報を、「郡山市に人は住めない」といった、おおざっぱで根拠不明の素人評価を押しつけて流布するなどといった行為は、メディアやジャーナリストが、今の福島に関して最もしてはならないことだ。〉</p>
<p>　ということで、この問題に関心のある方のみ、以下の（注）＋&alpha;をご覧ください。</p>
<p>（注）＋&alpha;<br />
&nbsp;&nbsp; 上杉隆氏によるこの記事では、<br />
&nbsp;〈筆者が、郡山市役所前で測った地上１メートルの空間線量の値は毎時１・８マイクロシーベルトを超えた。一方、同じ日「民報」「民友」では、同じ地点での線量が０・６マイクロシーベルトとなっている。公の発表と私の測定値が、なぜこうも違うのか。〉<br />
&nbsp;と問いかけ、その答えとして、こう書かれている。<br />
&nbsp;〈「だって、あの発表の数値は、測定前に水で地面を洗って測っているんです。違うのは当然ですよ」　地元の放送記者が種明かしをする。〉<br />
<br />
&nbsp;&nbsp; その時期、新聞に掲載されている「公の発表」は、福島県の合同庁舎の駐車場で測定された数値であり、市役所のものではない。<br />
&nbsp;&nbsp; 今、合同庁舎の測定は、別の場所に測定器が設置され、自動的にデータはホームページにアップされるようになっている。それでも、私がこの場所を訪れた時、駐車場には、順一さんの妻たちが測っていたころのガムテープのバミリがきれいに残っていた。<br />
&nbsp; このような環境で、水で流せば線量に変化が出るのか。安斎育郎立命館大学名誉教授（放射線防護学）に聞くと、「現場を見てないのではっきりしたことは言えないが、デッキブラシでごしごしこすって洗い流せば、多少は下がるかもしれない」とのこと。しかし、毎回そんなことをしていれば、せっかくのバミリが剥がれてしまうのではないか。それに人や車が出入りし、警備員の目もある場所。そんな細工をしていれば、目立つ。しかも&hellip;。<br />
&nbsp; 県の災害対策本部の臨時職員として、合同庁舎の計測に携わっていた順一さんの妻は、次のように証言する。<br />
「測っていると、よく『今日はどうですか』と声をかけられたり、自分の測定器を持った人が、『一緒に測らせてください』と言って来られました」<br />
&nbsp;&nbsp; 地元の人であれば、その辺の事情には詳しいだろう。記事の中で、洗い流しを証言したという「地元の放送記者」は本当にいたのだろうか&hellip;。後の、米紙記者のコメントのいきさつを考えると、疑問は深まるばかりだ。<br />
「毎日ちゃんと測っていたのに、あれでは私たちが嘘をついていたと書かれたに等しい」と順一さんの妻は今も悔しがる。<br />
&nbsp;　　<br />
&nbsp; また、測ったのが市役所前だとしても、それがどこの地点なのかは書かれていないし、特定はできない。<br />
&nbsp; その点について、地元の人（tateさん）が、疑問を感じ、詳細に調べて回った報告がある。<br />
&nbsp; 　　&darr;</p>
<p><a href="http://dl.dropbox.com/u/9821234/%E9%83%A1%E5%B1%B1%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E4%B8%8A%E6%9D%89%E5%A0%B1%E9%81%93%E6%A4%9C%E8%A8%BC.pdf">http://dl.dropbox.com/u/9821234/%E9%83%A1%E5%B1%B1%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E4%B8%8A%E6%9D%89%E5%A0%B1%E9%81%93%E6%A</a></p>
<p>　　このtateさんによる調査では、市役所周辺を入念に計測しながらチェックしても、測定場所は見つからなかった。彼は、本当に「市役所前」で計測されたのかどうか疑問を投げかけている。<br />
&nbsp;<br />
後に上杉氏がブログの中で、この計測に「同行」したとされるS氏は、私に対し、その話を否定している。この日は、市役所近くの県教職員組合郡山支部の会館で自由報道協会の催しがあり、S氏はそこにいた。始まる前に、上杉氏が「ちょっと測ってくる」と出かけ、まもなく戻ってきて、計測器の数字をみせられた、という。なのでS氏は、上杉氏がどこで計測したのか知らない。<br />
いったい彼は、どこで測定を行ったのだろうか&hellip;。<br />
&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br />
&nbsp;&nbsp; それに、側溝の線量が高いのはよく知られた話。その分、道路などは雨水に洗い流されたりして線量が下がっている。仮に、上杉氏が撮影したのが市役所前の側溝だとしても、これはあくまで側溝の数値であって、市役所前はこの値であるかのような雑な発表の仕方は、人々に不安や誤解を与えるだけだ（もっとも、こういう誤解を与えるような記述をするのは上杉氏だけではない。人が住んだり、長時間にわたって滞在するわけでもない側溝の値を示す際、「年間被曝量○○mSv」というマスメディアの報じ方も適切なだろうか、と思う）。<br />
&nbsp;&nbsp; ましてや、この数値で「郡山」の線量を代表させるというのは、雑にもほどがある。そのうえ、見出しの「郡山市に人は住めない」の元になった米紙記者２人の発言が、後から「ありませんでした」となり、さらにその後、別人のイタリア人記者１人の発言だったという弁解が出てくるに及んでは、コメントする言葉も見つからない。「原因は取材メモの混合と単純な勘違い」という上杉氏のブログでの説明を読んで、陸山会事件で虚偽の捜査報告書を作った検事の「記憶の混同」という弁明を思い出した。片や「混合」、片や「混同」。果たしてその信用性はいかがなものか&hellip;。<br />
&nbsp;&nbsp; しかも、同氏が日頃から、マスメディアは誤った報道についてきちんと説明や謝罪をしない、と批判していることを思えば、地元の人からの質問や批判にも答えない対応の不誠実さは、なおさら際立つ。</p>
<p>　この記事だけではない。<br />
&nbsp;&nbsp; 記事の中にベラルーシのエートス活動に関わっていたエリアール＝ドブレイユさんのコメントを引用した件について、本人に確認したうえで「捏造」との疑惑を表明したbuvery氏の指摘にも無視を決め込んでいる。 <br />
災害や原発事故の問題とは無関係だが、脳科学者の茂木健一郎さんとの対談の中で、「記者はツイッターをしてはいけないという言論封殺を、天下の『朝日新聞』ですらしていたのです」と述べ、朝日新聞記者から訂正を求められた件では、上杉発言を受けて感想を述べた茂木氏は、間違いが分かるとすぐに謝罪し、記事を訂正するなどの迅速な対応をしたのに、上杉氏の方はそのまま放りっぱなしだ。<br />
&nbsp;&nbsp; ５月５日付毎日新聞に掲載された斗ケ沢秀俊記者の批判に対しても、ツイッターで「とがさわひでとしって、だあれ？」ととぼけてみせ、上杉ファンとおぼしき人の「毎日新聞科学部で #脱原発 派と言って原子力ムラ宣伝屋にすぎぬ犬マスゴミ」という罵詈雑言をRTしたりしている。</p>
<p>　また彼は、自由報道協会の賞に関して、私がメールで批判をした際、投票で福島の農家をオウム信者扱いした早川由起夫・群馬大学教授や原口一博・元総務大臣が一位になった場合には、賞を辞退するように上杉氏自身が２人に働きかけるという答えが返ってきて、唖然としたことがあった。そういう裏取引は、投票した人たちへの裏切りではないだろうか。いったい、どこが「世界でいちばん開かれたジャーナリズム賞」なのだろうか&hellip;。<br />
<br />
&nbsp; 上杉氏は、著書などを通じて、マスメディアについて「真相を隠蔽して虚報を流し、バレても責任を取らない。それでいて正義の旗を振りかざす横暴ぶり」と糾弾。マスメディアが国民をだましていると非難している。だが、そうした糾弾や非難は、そっくり今の彼に当てはまりはしないか。 <br />
<br />
&nbsp; それでも、彼の関心の対象が政治家やマスメディアに向いている間は、それぞれ反論する力や機会のある人や組織であり、私などがあれこれ言うことはないと思っていた。経歴を巡る脚色があったのかなかったのか、という点も、彼の読者や視聴者が判断すればよいことだと考えていた。<br />
&nbsp; しかし、彼の事実に基づかない記事やお喋りによって、ただでさえ原発事故の多大な影響を受けて生活している福島の人たちを不安に陥らせ、ストレスとなり、あるいは福島の人々への差別を生みかねない事態になっているとなれば、話は別だ。なのに、彼のファンからの非難や揚げ足取りなどのリアクションを面倒がったり、同業者を批判する後味の悪さを嫌がって黙っていることは、結局、彼がやっていることに加担するのに等しいのではないか。なんども迷った挙げ句、そのように考え、思い切って本稿をアップすることにした。<br />
&nbsp; 上杉氏は、実に行動的で話が面白く、プレゼンテーション能力が高くて発信力があり、多くの人を惹きつける。仲間内に対する情にも篤い人だと思う。『官邸崩壊』などを書いた頃の彼は、もっときちんと取材をする人だったのではないか。また、麻生元首相に対するマスコミのアンフェアな扱いを彼が批判するのを聞いて、私もそういう扱いに加担していたなと、とても反省させられたことがある。<br />
&nbsp; そういう才能豊かで、能力がある、本当に希有な存在であるだけに、今のように、事実を確認しない雑な取材や、あるのかないのか分からないあやしげなコメントを連ねて記事を書き散らしたり、誇張や脚色を加えた講演活動をしたり、問題点を指摘されても誠実な対応を避けていることが、本当にほんとうに惜しまれる。もったいない&hellip;。<br />
&nbsp; 余計なことかもしれないが、無理かもしれないが、こうした批判に一度真摯に耳を傾け、じっくり考えてくれないかな&hellip;と願ってやまない。</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
</entry>
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    <title>福島の今とこれから、そして報道について考えた</title>
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    <published>2012-05-04T07:09:39Z</published>
    <updated>2012-05-07T10:07:38Z</updated>
    
    <summary><![CDATA[　久しぶりに、郡山市を訪れた。 &nbsp; 事故直後に比べ、空間線量はかなり下...]]></summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　久しぶりに、郡山市を訪れた。<br />
&nbsp; 事故直後に比べ、空間線量はかなり下がってきた。学校など子供の立ち入る場所の除染も行われ、学校や文化施設、公園など市内３９３カ所に空間線量を測るモニタリングポストが設置され、リアルタイムで線量を確認できるようになった。安心感を取り戻してきたのだろう、公園で遊ぶ親子連れの姿も見かけるし、町を歩く人のほとんどはマスクはしていない。</p>
<p>　 一方で、線量がなかなか下がらない地域もある。まだ子どもに外遊びはさせたくないという親御さんも少なくない。そんな家庭の子どもたちのために、病児保育で知られるNPO法人フローレンスが、ショッピングセンターの中に「ふくしまインドアパーク」を運営してもう５か月。そこで子どもを遊ばせていた親御さんたちに話を聞いてみた。</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　<img width="300" height="225" align="middle" style="width: 320px; height: 225px;" alt="" src="/upload/Image/DSCF0798.JPG" />　　　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　 たとえば、同市内で最も線量が高い（モニタリングポストの値で1.3&mu;Sv/h前後）ある酒蓋公園近くのマンションに住む４歳の子どものお母さん。昨年の原発事故の後、12月まで大分の実家に帰省した、という。 <br />
その間、夫は勤め先の郡山市内に残っていた。実家では、ずっといればいいと言われていたけれど、「子どもがずっと父親と離ればなれというのもよくないと思って、一緒に気をつけながら暮らそう、と戻ってきました。それに、子どもも心配だけど夫も心配。実際、外食ばかりだったせいか、夫は糖尿病になってしまいました」という。<br />
東海村の日本原子力研究開発機構に子どもを連れてホールボディカウンターの検査を受けに行き、「結果を聞いて『ここで生活していても大丈夫なのかな』と思った。でも、まだ心配。こういう検査を何ヶ月かおきにやっても　らうと、安心できるかも&hellip;」<br />
<br />
子どもに個人線量計（ガラスバッジ）が貸与されるというので申し込んだ。「結果を見て、基準値以下なのでほっとしました。また貸与があると聞いたので、申し込みました」。そうやって検査をしたり測ったりして、少しずつ安心を得ているとはいえ、不安から解放されたわけではない。特に心配なのは将来のこと。<br />
「今は、関心が高いけれど、時間が経って、もし何らかの症状が出た時に、（政府は）何をしてくれるのか分から　なくて&hellip;」。<br />
自分にできることとして、子どもは外で遊ばせずに、このインドアパークや市が運営する屋内の遊び場ペップキッズ、ニコニコこども館に行き、野菜や牛乳はできるだけ遠くの産地のものを選ぶなど、できるだけ気をつけながら生活している。</p>
<p>　 報道について聞いてみた。<br />
それで返ってきたのが、週刊文春に郡山市出身の子どもに「甲状腺がんの疑い」という記事が載った時のこと。やはりこの記事は地元の人には大きな衝撃トを与えたようだ。<br />
九州の叔父から「そこに住んでいて大丈夫なのか」と電話があって、記事のことを知った。急いで買って読んで、「わ〜、どうしよう」と思った。でも、インターネットで調べてみたら、医師が記事内容を否定していることを知り、少し落ち着いた、という。<br />
「マスコミは（心配の）火だけつけてくれるから&hellip;」<br />
不安を抱えながらも、郡山市で暮らすことを選択し、様々な検査の機会を利用し、できるだけ多様な情報をえながら生活しようとしている、理知的なお母さんだった。</p>
<p>　</p>
<p>　 あるいは、５歳の女の子を連れて、大玉村からきていたお母さん。「県外に出られたらいいな、という気持ちはあるけれど、家はあるし、仕事もあるし、やっぱり出られない」と言う。<br />
子どもを外で遊ばせないようにしているので、「家の中ばかりだと、どうしても運動不足になり、子どもが太ってきたのが心配。それに、一人娘なので、たいてい私が遊びの相手。それで、近所の子との遊び方、子ども同士のつきあい方が分からなくなっちゃっているみたいで、これはとても心配です」と。インドアパークの中にいる時も、その子は他の子どもと交わるのにためらいがちで、しょっちゅうお母さんのところに来て、相手をしてもらいたい様子。そのたびにお母さんは「いってらっしゃい」と優しく励ましながら、他の子どもたちと遊んでくるように促していた。<br />
<br />
このインドアパークのスタッフで保育士の木村沙希さんは、親御さんたちから相談をよく受ける。<br />
「生まれてから一回も外で遊んだことがないんですけれど大丈夫でしょうか」「公園デビューもないし、どうやって　お友達を作ったらいいか分からない」&hellip;<br />
木村さんたちスタッフは、お母さん同士が知り合えるように仲を取り持ったり、様々なイベントを開いて友達作りのきっかけにするなどの工夫をしている、という。</p>
<p>　 放射線リスクを心配し、できるだけそれを避ける生活は、新たなほかのリスクを生む。県外に出ようとすれば、住まいや仕事など生活面が心配だ。リスクは放射線ばかりではない。福島で暮らす親御さんたちは、いくつものリスクを天秤にかけ、悩みながら、模索しながら日々の生活を送っているのだろう。「仕方なく」住み続けている人たちもいれば、公表されるデータに納得し安心している人々もいて、その意識は一様ではない。<br />
<br />
空間線量の高いところから除染が始まっている。ただ、先のお母さんが住む大玉村では、町中と違って、期待していたような効果が出ていない、と言う。それまでは周囲が山に囲まれた自然豊かなところだったのが魅力だったのだが、山に降り注いだ放射性物質は容易に取り除けないのだ。　<br />
「うちでも線量計を買って測ってみるんですけど、日によって（数値が）違う、風向きによって違う、天気によって違う。こういう数字を見ても、どうしたらいいか分からない」<br />
前述したように、郡山市内には、すでに３９３箇所に空間線量を測るためのモニタリングポストが置かれ、個人で線量計を購入している家庭も少なくない。この日話を聞いた他の親御さんも、家で購入したと話していた。　<br />
ただ、その数字の意味、その数字をどう活かしていくのかということになると、以前より高くなった低くなったという変化を見る以外、「どうしたらいいか分からない」という人も多いようだ。</p>
<p><br />
話を聞いていて、先日、「ふくしまの話を聞こう」勉強会で、いわき市の安東量子さんが語っていた「科学的知識や計測した数値は、生活の文脈に落として初めて意味を持つ」との指摘を改めて考えた。<img width="291" height="189" align="right" alt="" src="/upload/Image/DSCF0782.JPG" />　</p>
<p><br />
空間線量の測定や食べ物の検査によって、身の回りの放射能はだいぶ「可視化」できるようになってきた。そうやって得られた数値をどう使いこなし、自分の生活に活かし、自分で自分の生活を管理しているという自信と安心を回復していくのか&hellip;。今は、　そういうステージに入ってきているのだろう。<br />
私の理解では、安東さんが進めている「エートス福島」の活動は、低線量の地域で、住民が主体性を持って学んだり考えたり話し合ったりしながら、科学的知識や数値を一人ひとりの「生活の文脈に落とす」ための文法作りのようなもの。「○○&mu;Sv（もしくはBq)以下は住んでも（食べても）よい、それ以上はダメ」と国が人々に降ろしていった一律の基準値とは別に、一人ひとりが自分で「ものさし」を握り、それによって生活を管理することで、自信と安心を構築していこうとしている。<br />
&nbsp; 自分や子どもの生活圏で、周囲と比較して放射線量が高めな場所があると分かった時、自分なりの「ものさし」があれば、それに応じていろんな選択肢が考えられる。除染ができるならする。それが無理でも、「ここはたまに通り過ぎる場所だから、この数値なら遠回りするほどのことでもない」と考えることもできれば、「この場所は避けて通ことにしよう」という選択も可能。そうやって、放射線の影響を自分でコントロールし、できるだけ被曝を避けつつ快適な生活を自ら作っていく。そうすることで、絶対安全か絶対危険かという二元論のくびきをから解放され、萎縮しおびえながらの毎日は、もっと伸びやかなものへと変わっていくだろう。これは、人々が原発事故によって傷つけられた人間性、人として生きる権利を回復していくプロセスなのだと思う。<br />
個人ごとの「ものさし」は、その人の考え方や知識によっても違ってくるだろう（注）。だからこそ、きめ細やかで多様な支援や情報が、今の福島には最も必要なのではないか。<br />
&nbsp; たとえば、子どもの遊び場について言えば、公園などの除染を進めて、安心して外で遊べるような環境を整えつつ、インドアパークのような屋内の遊び場もある。そうすれば、親御さんは自分の「ものさし」によっていろんな選択ができる。<br />
<br />
&nbsp; そういう今の時期には、報道の仕事にも、よりきめ細やかな配慮が大切になってくる。<br />
&nbsp; たとえば周囲に比べて高線量の地点が見つかった時、できるだけ具体的に、評価を交えずにそれを伝えるなら意味はある。それによって、人々は「この場所は避けて通ろう」などと行動に役立つ情報として受け止めるだろうし、行政に「ここは早く除染などの対策をすべきだ」と働きかけることもできる。あるいは、自治体ごとの比較として伝えれば、遅れている地域の対策を急ぐよう、尻叩き効果があるだろう。測定の方法についての提言なども有益だろう。</p>
<p>　ところが、線量計を持って側溝や植え込みなどの線量の高い場所を探して周り、「福島は（あるいは郡山市は）、まだこんなに汚染されている！」「○○にはまだ線量が高いところがいっぱいある」とおおざっぱな伝え方をする人たちがいる。こんな風に、特定の場所の線量を、その地域全体が同程度に汚染されているかのような印象づけをして伝えるのは、むしろ有害だ。</p>
<p>　 ましてや、測定場所もあいまいな虚実取り混ぜた情報を、「郡山市に人は住めない」といった、おおざっぱで根拠不明の素人評価を押しつけて流布するなどといった行為は、メディアやジャーナリストが、今の福島に関して最もしてはならないことだ。あるいは、原発の影響による病気や体の異常をいち早く見つけようと前のめりになっている報道姿勢も問題だと思う。</p>
<p>　 問題や時期によっては、多少正確性を犠牲にしても急いで伝えなければいけない事柄もある。問題の所在を多くの人に気づいてもらうために、人を驚かせる大げさな表現になることがないとは言わない。しかし、今、福島の人たちと放射線の影響を語るのには、どちらの手法も不適切だ。間違っても訂正すればいい、などという考え　　では、無責任に過ぎる。プロの情報発信者なら、まずは間違えないように努めるのが大前提だ。</p>
<p>　 <br />
今回、郡山市内を案内してくださって塾講師の佐藤順一さんご夫婦からは、福島の人と県外の人の婚約が破談になったり、著名な反原発活動家の話を聞いた母親がすでに結婚している娘に対して「子どもを作るのはやめなさい」と言った、などという話も伺った。<br />
間違った情報が、差別を生む。不安を生む。不信を生む。情報を伝えるプロはもちろんのことだが、今は誰もが発信者になれる時代。自分のちょっとした書き込みや何気なくしたRTが、差別の土壌になるかもしれない、という意識を１人ひとりが持ちたい。キーボードやマウスを操作する前に、「これは本当に確かなことなのか」と心の中で自分に問う作業は、誰もが必要だと思う。そうでないと、無意識のうちに、デマを伝え、人々を不安にさせたり、差別の原因を作ってしまうことになりかねない。<br />
</p>
<p>　先の勉強会で、安東さんは「『福島を見捨てない』を形にしたい」と語った。彼女は、何が何でも福島に留まれ、と言っているのではない。福島に住み続けている人たちが、萎縮と怯えから解放されて、もっと伸びやかな暮らしを取り戻したい、というのがその第一義であり、そうすることによって、迷っている人々が福島で暮らすことを選択肢の一つしてもらいたい、ということだ。<br />
私は安東さんの話を聞きながら、福島への支援は、その思いを共有することから始まる、と思った。</p>
<p>　福島に住み続けている人たちが、萎縮と怯えから解放され、もっと伸びやかな暮らしを取り戻すために、今何が必要か。−−ここを出発点にして、いろんな人たちが知恵や力を出し合いたい。<br />
「福島エートス」では、ツイッターなどを通じて活動を知った人たちが、英文の資料を翻訳するなど、支援をしている、と聞く。あるいは、人々の生活を改善したり、選択肢を増やすための取り組みをやっているNPOや個人に対して、資金的な支援をする、という方法もあるだろう。</p>
<p>　では、私には何ができるか、何をすべきか&hellip;。<br />
福島で見た様々な光景、出会った人たちの顔を思い浮かべながら、今、そんなことを考えている。 <br />
</p>
<p>福島エートスについてもっと知りたい方はこちらへ<br />
<a href="https://docs.google.com/document/d/1Yvrc2O2jTUwmgHhVHrB1R9w4YbMi4yMFRab58-I2az4/edit?pli=1">https://docs.google.com/document/d/1Yvrc2O2jTUwmgHhVHrB1R9w4YbMi4yMFRab58-I2az4/edit?pli=1</a></p>
<p>「ふくしまの話を聞こう」勉強会の映像はこちら<br />
<a href="http://www.ustream.tv/channel/ethos-learning-tokyo">http://www.ustream.tv/channel/ethos-learning-tokyo</a></p>
<p><br />
（注）</p>
<p>　この点について、ベラルーシで行われた復興計画ETHOS活動に詳しく、福島エートスにも協力しているbuveryさんから次のような指摘があった。<br />
<br />
〈いわきの山あいのように集落が残っているところでは、『共同で物差しをつくる』というのも大事です。共同ですることで、コミュニティのなかでの放射能による齟齬を解消しながら、自分たちで選べる手段を増やす、ということができます〉</p>]]>
        
    </content>
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    <title>「小さな革命を起こしていく」〜駒崎弘樹さんにインタビューしました</title>
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    <published>2012-04-01T13:31:35Z</published>
    <updated>2012-04-02T01:02:44Z</updated>
    
    <summary>　先日、病児保育や福島での子どものためのインドアパークの設置などで知られるNPO...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　先日、病児保育や福島での子どものためのインドアパークの設置などで知られるNPO法人フローレンスの代表理事駒崎弘樹さんのお話を伺ってきました。駒崎さんの本を読んで、「どうしても会いたい！」と思った私のラブコールを受けてくださり、忙しい中、時間をとってくださいました。<br />
そこでジャーナリズムのあり方や、私が国民として様々な課題にどう向き合うかという問題について、示唆に富んだ話がありましたので、ここでご紹介。<img width="200" height="150" align="right" alt="" src="/upload/Image/IMG_6926.jpg" /></p>
<p><br />
−−駒崎さんは、政治家や官僚だけが世の中を変えるのではなく、「気づいた個人」が立ち上がれば、問題を解決できるんだと著書でも書かれていますね。世の中を少しでもよくしていく、ということについて、どう考えていますか。<br />
<br />
「どのように世の中を少しでもよくしていけるかということについて、僕がなんとなく思っているのは、かつては火炎瓶の投げ先があった社会だったんだと思う。誰か悪いもの&hellip;国なり&hellip;がいて、彼らを糾弾して正させることによって、正しいガバナンスが行われるみたいな。それを、我々の世代は感じられない。火炎瓶の投げ先がない（笑）。<br />
それをはっきり認識したのは、鳩山内閣で半年だけ官僚をさせてもらった時のことです。寄付税制とか新しい公共を考えるということで、政治任用されて、内閣府非常勤国家公務員（政策調査員）になりました。それで政策決定の中枢に入ってみて、僕はこれまで大きな勘違いをしていたなと思った。総理大臣になれば、いろんなことを変えられると思っていたのに、どうもそうではないらしい、というのが分かってしまったんです。<br />
たとえば寄付税制についても、鳩山総理がこういうことをやります、と言っても、財務省のナントカ課の課長が、「それはカクカクシカジカでできないです」って言って突き返すみたいなプロセスが何回もあって、「そんなバカな」とびっくりした。「社長がやろうって言ってるのに、課長がダメっていえるのかな」と。<br />
それまでは、ベスト＆ブライテストがいて、その人たちがたるんでいるから進んでいかないのかなと思っていたけど、そうでもないらしい。機構自体が、リーダーシップをふるいにくいものになっているんだなあというのを思い知ったんですよね。<br />
結局、寄付税制改革は、みんなで野党の議員を説得し、議連を動かして、マスコミも騒がないでいてくれたから、するっと通ったんですね。欧米を超える税額控除の割合を実現できたので、１０年後２０年後には、『あの時が日本の寄付文化の転換点だったね』と言ってもらえるようなものだと思うんですけど、それも総理がやろうって言ったからってできるもんじゃない。それで確信を強めたんですよね。やっぱり自分たちで変えるしかない、って」</p>
<p>−−変える、といっても、どのように？<br />
<br />
「一つは、僕らがやっているように事業によって変える。制度の隙間に入ってしまっている課題を、事業として展開していく。それも、わざわざ国にパクらせて制度化してもらう。病児保育でパクられた体験があって、それが点の変革を面の変革に変えられるかもしれないと思った。<br />
今はマイクロ保育園、おうち保育園というのをやっているんですが、これは今までは保育園は定員２０人以上じゃないとダメという訳の分からない制度があったんですが、それって意味がないよな、と。９人でも１０人でも小さい保育園をたくさん作れば、都心部の待機児童の問題は解決できるんじゃないかなと思い、提案したら、実験事業をやらせてくれた。それがうまくいったので、自分たちだけでやっててもダメだから厚労省にパクってもらおうと思って、政策の営業をしたんですね。そうしたら、村木厚子さんが待機児童対策チームのトップで、話をしたら『それはいいね』ということで、子育て新システムの中に小規模保育サービスということで入れてくれたんですね。それで、２０１５年からは全国で２０名以下の保育園が作れる、ということになったんです。これを進めていけば、待機児童の問題は過去のものにできる。<br />
そうやって自分でモデルを作って、それが成功したら、政策に反映してもらって制度化していく。これが一つ。<br />
あとは民間からのロビイングがありますね。寄付税制の時にも、シーズというNPOが本当に粘り強く野党の議員を説得した。その他のNPOの方達も、各選挙区の議員に「反対しないでね」とやった。運良くメディアもスルーしてくれた。あれが注目されていたら、野党議員はメディア向けに反対しなきゃいけなかったんですけど、まったくノー・アテンションだったので、通っててくれた。そういうふうに議連を作ってもらい、議連をメインテナンスして、議員立法で通していく。そうやって外部からも法律できるんだ、という成功体験を得たので、民間ロビーをやることで、確実に変えていけるんじゃないかな、と思いました。<br />
ただ、これは紙一重。アメリカのロビイングはかなり利権まみれになっている。ある種のビジネスになってしまっている。そうなると政策の意思決定が歪んでしまいます。あくまでも困っている人のために動く市民型ロビイングを発展させることが望ましいんじゃないかと思っています」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>−−メディアがスルーした方がやりやすい、というのは、ちょっと残念な気がしますけど、なぜなんでしょう。<br />
<br />
「本当に、そういうのは残念なんですよね。こんなことがありました。新しい公共の審議会で、ツイッター中継とユーストリームで中継をやったんです。それは憲政史上初だったみたい。総理がいるところを、リアルタイムで流す。これはいいね、開かれた民主主義だねと盛り上がったんですけど、これをメディアの人に言うと、「それってどうなんですか」と冷ややかな感じ。我々に情報をシェアするのが筋でしょ、と言うわけですね。<br />
でも、僕からすると、『あなた方に言うと叩くでしょ』と。実際、メディアの方々とコミュニケーションしようとしたら、親しい記者の方が、「いいことやっているのは分かるけど、（それを肯定的に書くのは）無理なんだよ。今は叩くフェーズだから」とおっしゃったんですね。その方は、理知的ですごくいい方なんですけど、マスメディアが『叩くフェーズ』になっていると、ある種の凶器だな、と思った。むしろメディアをかませない方が、いろんなことが決まるな、と。<br />
でも、だからといってマスメディアは全部だめというのは極端すぎる。今回、むしろソーシャルメディアが福島についてのデマを流したりして暴走したりすることもありました。ちょっと前までは、ネットに希望を託していたんですけど、メディアの問題はマスだろうがソーシャルだろうがあるんだな、と思いました。つまり、叩けばいいと思っている。反体制のポーズをとることがジャーナリズムであると思っている。おそらく火炎瓶を投げる先があったパラダイムを今でも引きずっているんですね。<br />
今は&rdquo;how&rdquo;を考えなきゃいけない。国はやるべき、だけじゃくて、どうやってというのも一緒に考えないと。そうでないと、我々は船長の悪口を散々言いながら、船長と共に沈没していくだけ。そういう船に乗っかっているんじゃないかな&hellip;」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>−−叩いて引きずり降ろす、というフェーズは、世論もそうなっていませんか。<br />
<br />
「そうなんです。（ジャーナリズムと世論は）鶏と卵の関係かもしれません。ものすごい政府不信があって、何かをやろうとする時に、政府が主語だと『信頼できないもの』となりますよね。<br />
たとえば、僕たちは前から休眠口座基金を作ろうということを話していたんですね。これはイギリスや韓国では眠っている口座の使われていないお金をマイクロファイナンスで貧困家庭や児童養護施設で奨学金などとして活用したりしているんですね。すごくいいなと思った。僕も仕事をしていて、貧困の再生産というのにすごく胸を痛めていて、やりたいなと思った。プロボノと一緒に調査をして、昨年の審議会に提案しました。しばらく黙殺されたんですけど、今回、古川大臣が『やろう』となりましたね。そうなった瞬間、メディアが『休眠口座を国が狙っている』みたいに書く。そんな話じゃなくて、いつでも返せるように預金者の権利を保護しながら、それでも８割くらいは永久休眠しちゃうから、それを社会に還元していこうという話なのに、それを叩く。国民の側も、『また、こんなことやって。ダメだな、ミンスは』（苦笑）みたいに叩いて溜飲を下げる。<br />
政府が主語になったとたん、いいことでも受け入れない。そのネガティブフィルターをなんとか取ろうと、今、休眠口座国民会議というのを作って、シンポジウムしたり情報発信したりしているんです。何をやろうとしても、国民の信頼のゲージが一定程度より下がってしまうと、何も進まなくなっちゃう。メディアと国民が、負の相乗効果で、政府不信の谷底に落ちてしまっている状態ですね」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>−−それは、原発事故が輪をかけたのだろうけれど、その前からの現象だと思います。<br />
<br />
「そうです。麻生降ろしなんかもそうでしたね。漢字読めないキャンペーンとかね。そんなことどうでもいい。その間に、社会保障のこととかもっとできていたら、今はもっと違っていたんじゃないか&hellip;と思う。自分たちから不幸になりにいっている。そういう皮肉な状況ができるほど、我々国民がシニカルになってしまっている」</p>
<p><br />
−−ここから脱皮するには、どうしたらいいと思います？<br />
<br />
「鉄の意思を持った人たちがゲリラ的に変革を先導するしかないのかな、と。明治維新も、当時の人口４０００万人くらいだったようですけど、志士と言われる人は数千人ぐらい。少数であっても、革命は起こせなくても、いろんなところで小さな革命をいろんな分野で起こしていければ、変えられるんじゃないか、と。一つひとつは地味で、知らない人が見れば何が変わったのかと思うかもしれないほどの変化でも、蟻の一穴を開けることで、あとから振り返れば、『あの時が転機だな』となることが、いっぱいあると思うんですよ」<br />
</p>
<p>　そういう覚悟を語る駒崎さんの話を伺っているうちに、私は居住まいを正すと同時に、なんだか明るい気持ちになっていくのを感じました。日本にも、まだこういう若手がいる！<br />
ただ、変革はこういう少数のリーダーだけでは進みません。提案を実行に移す人たち、それを応援していく人たちが必要。一緒に行動したり、周囲で応援したりするのも、小さな革命に加わることかな、と思います。叩いて引きずり降ろすだけでなく、世の中をよくしたいと思い、それに何らかの形で参加したり応援したりする人たちが増えていくためにも機能するジャーナリズムでありたい、と思います。<br />
<br />
それから、もし、駒崎さんたちの活動を応援したいな、と思う方がいらしたら、フローレンスで行っている一人親の家庭での子育てを支援する仕組みがあります。また、実際に行動してみたいという方には、こどもレスキュー隊員を応募しているようです。関心のある方は、こちらをどうぞ。<br />
&darr;<br />
<a href="http://www.florence.or.jp/corp/fr/index.html">http://www.florence.or.jp/corp/fr/index.html</a></p>
<p><a href="http://www.florence.or.jp/staff/join/rescue/"><font color="#0066cc">http://www.florence.or.jp/staff/join/rescue/</font></a></p>
<p>また、福島の中高生への学習進学サポートへの支援はこちら<br />
&darr;<br />
<a href="http://kibounozemi.jp/support.html"><font color="#0066cc">http://kibounozemi.jp/support.html</font></a>&nbsp;</p>
<p>福島の子どもたちが安心して遊べる場所を提供している「福島インドアパーク」を支援したい人はここ<br />
&darr;<br />
<a href="http://www.facebook.com/fukushima.indoorpark?sk=app_172678112819575"><font color="#0066cc">http://www.facebook.com/fukushima.indoorpark?sk=app_172678112819575</font></a></p>]]>
        
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    <title>タレのこと</title>
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    <published>2012-02-29T12:28:06Z</published>
    <updated>2012-02-29T12:52:26Z</updated>
    
    <summary>　タレが逝った。 享年は１９歳と１１ヶ月ということになっているけど、本当のところ...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="雑記帳" />
    
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        <![CDATA[<p>　タレが逝った。<img width="300" height="400" alt="" src="/upload/Image/0808tarechibi 022.jpg" /><br />
享年は１９歳と１１ヶ月ということになっているけど、本当のところは分からない。もう２０歳になっていたのかもしれないし、１９歳と９ヶ月くらいかもしれない。<br />
いずれにしても、雲仙普賢岳の噴火災害の最中に、土石流の後で巡り会って以来、約１９年間、私と一緒に暮らした。出会った時は、まだ子猫で、私がつけていたウェストポーチに乗っけるとちょうとぴったりだった。<br />
最初は現地で里親を見つけるつもりだったが、一緒に濃霧の山越えドライブをした時から、タレのぬくもりと離れては暮らせないという気持ちになり、飛行機に乗って、故郷島原を後にした。<br />
何しろ、猫と一緒に暮らすのは初めてなので、私はまったく勝手が分からない。砂を入れたトイレが必要なことと、猫用の缶詰を売っていることは分かったけれど、どうすれば猫が快適なのかは、本を読んだりしながら手探り状態。ある時、タレが後ろ足に小さな傷を作り、わずかな出血があった。私はマキロンをしゅぱしゅぱとかけ、包帯を巻いた。ところがタレは足をぶるぶる震わせて取ってもしまう。私は薬局に走り、指用の伸縮ネットを買ってはめてみた。今度は、足をぶるぶるさせても取れない。すると、タレはやたらと走り回りながら、足をぶるぶる&hellip;そんなことをしたら、なお傷の治りが悪くなるのでは、と思い、猫好きの友人に相談の電話を入れた。すると友人は大笑いして、「猫は自分でなめて治すから」と言った。<br />
私は、それくらい猫については無知なお世話係だった。<br />
そうこうするうちに、私が当時住んでいた横浜で出会ったチビも家族になった。チビは、まだようやく目が明いたくらいの、文字通りチビだった。赤ちゃん猫は、母猫がなめてやることでおしっこが出る。私は、獣医さんから教わった通りに、ティッシュをお湯でしめらせて拭いてやるのだけど、なかなか出ない時がある。するとタレがやってきて、チビをなめてやるのだ。タレは若くしてとっても世話が上手な保父さんだった。<br />
１９９４年秋、オウム真理教によって私の部屋の中に有毒ガスがまかれる事件が起きた。ドアに取り付けられた郵便受けのところから、室内に向かって噴霧したようだが、その音で私が目が覚め、電灯をつけたことで、犯人連中は逃げた。私は急いで換気扇を回した。玄関や台所付近に立ちこめていた悪臭が消えた頃、奥の部屋に寝ていたタレが「何があったの〜」という寝ぼけ顔で現れた。このガスを吸ったせいで、私はしばらく声が出なくなったのだが、タレたちがのんびり寝てくれていたのでふたりには被害がなく、ほっとした。<br />
タレとチビを車に乗せて、何度か島原に里帰りをさせた。横浜からだいたい１３５０キロの旅。９５年１月にも、ゆっくりゆっくり休憩を取りながら到着し、行きつけのお店でビールを飲んでいた時、オウム真理教被害者の会の永岡会長が倒れた、という報が入った。私は翌朝の飛行機で東京に戻ることにし、タレたちの世話を人に頼んだ。後から分かるのだが、永岡さんはオウムにVXをかけられて意識不明になったのだった。不幸中の幸いで命は取り留めたが、警察はなかなか事件として見てくれない。そんなこともあり、オウムの取材を少ししている時に、阪神淡路大震災が起きた。私は原稿を仕上げると、すぐに島原に戻った。車を起きっぱなしでは動きが取れないし、当時は大阪からは被災地に入るのは車が渋滞していて大変だと聞いたので、西側から入ろうと考えたのだ。島原の人たちが、車につめるだけの救援物資を用意してくれた。タレとチビのケージも乗せて、被災地に向かった。<br />
大変な被害に遭っている所に伺うのに猫連れは不謹慎に感じる方がおられるといけないので、日中はずっとケージの中。夕方になると、人がいない埠頭などに行って、リードをつけて散歩をした。あの時は、タレとチビには我慢を強いてしまった。<br />
島原に行った際、短い時間だけれど、フェリーに乗ったこともあった。なので、最初の飛行機と合わせて、私はタレのことを「陸海空を制した猫タレ」と呼んでみたりもした。<br />
住まいは、何回か引っ越した。新しい所に着いてケージを開けると、まずはタレがそろそろ出てきて、匍匐前進のように室内の点検を始める。鼻の周りが筋肉痛になるんじゃないかと思うくらい、ひくひくさせながら、隅々まで点検を続けた。それに比べると、チビの点検はかなり手抜きで、兄貴がやってくれるんだからさ、という感じだった。<br />
一緒に住んだ場所は、どこも狭いわりに私の荷物が多く、猫たちにとって快適な場所ではなかっただろう。とりわけ動き回りたい若い時には。それでもタレは、居心地のいい隠れ場所を見つけるのが上手で、棚の上の段ボールが1つ空なのを発見したり、押し入れの奥に空間を見つけたりした。なので、帰ってみても、時々タレが見つからずに、大騒ぎして探したりした。<br />
今の前の住まいでは、まずはテーブルに飛び乗り、冷蔵庫に移り、それから棚の上へと、高いところに上がるルートも、タレが開拓。そうやってタレが1人でくつろいでいた場所も、しばらくするとチビが押しかけ、狭いところにぎゅうぎゅう体を押し込んでいく。場所によっては、タレが押し出されることもあった。そんな時、タレは「仕方ないなあ」とでも言うかのように、次の場所を探すのだった。<br />
時々、チビと一緒に段ボールからの脱出ゲームをやって遊んだ。チビは段ボールの蓋を閉めても、自分で何とか脱出するか、それが無理だと分かると、「出して〜」と叫ぶ。ところがタレは、中でじっとしていて、何が何でも脱出しようとしない。あきらめがいいというか&hellip;。タレが脱衣所に入り込んだのを気づかずに私がドアを閉めてしまった時も、全然声をあげないから、どこに隠れているのかと探してしまった。「たれ〜、たれ〜」と呼べども答えず。押し入れの中、棚の段ボールの中と探し回り、最後に脱衣所のドアを開けたら、そこにちょこんと座っていて、かわいく「にゃん」。「どうして、出してって言わないの？」と聞いても、これには答えず、トイレに駆け込んだりするのだった。<br />
土石流のトラウマもあるのか、タレはことのほか大きな音が嫌いで、掃除機は最大の敵。掃除機を持ち出すと、あっという間に隠れてしまう。押し入れが開いていればその奥に、あるいは棚の上の段ボール箱の中に。一方のチビは、掃除機を全然怖がらない。体についてる抜け毛を掃除機で吸い取っても平気だった。そうしているうちに、ある時、うっかりチビの尻尾を吸い込んでしまった。「ふぎゃ」とチビ。もちろん、すぐに掃除機のスイッチを切ったのだが、それと同時くらいに隠れていたタレが飛び出してきて、掃除機のホースに強烈な猫パンチを食らわした。あんなに掃除機が怖いのに、チビを助けようとしたタレに、私は「勇敢なる猫タレ」と称えた。<br />
チビに対しては、ずっといいお兄ちゃんだった。ふたりはよく一緒に寝ていたけれど、いつもタレが枕になっていた。若い時には、しばしば2人でレスリングごっこ。たいていチビが仕掛け、タレが応戦し、いつもチビが勝つのだった。そんな時も、タレは「仕方ないな〜」という顔で、ひとり別の場所に行って寝る。すると、そこにチビが押しかけてきて、タレを枕にするのだった。<img width="250" height="333" align="right" alt="" src="/upload/Image/neko.inu 005-300.jpg" /><br />
タレは、いつも私の気持ちを和ませてくれる存在でもあった。本当に悲しいことがあった時には、私はひたすらタレをなでながら、自分の気持ちをタレに語った。そんな時、タレはいつまでも嫌がらず、じっと私の相手をしてくれた。「タレや、タレや」となでているうちに、悲しみや悔しさでぐちゃぐちゃになった心も落ち着き、明日もこの子のために生きていこうという気になった。<br />
そんなタレに対して、私はいつも「タレちゃんは世界一の猫さんですね〜」と言っていた。実際、タレがいるから、一日くらい家を空けても不安はなかった。食べる物と水を用意しておけば大丈夫、と思えた。<br />
何かと要求が多く、「イヤなモノはイヤ」のチビに比べて、タレはあるがままを受け入れる派だった。私の無知で、予防注射をしていなかったために、初めて病気をして、チビと一緒に病院に行った時のことが未だに忘れられない。吐いてぐったりしていたのに、チビは診察の台に乗せられると必死に逃げようとして、病猫とは思えぬ抵抗ぶりだったのに比べ、タレががんばったのはケージから出される時まで。台に乗せられたら、もうまな板の鯉状態だった。<br />
ただ、タレはあまり病気をしない子で、その後は長いこと、病院にお世話になるのは健康診断の時くらい。なので、私が家を留守にしていても、時々病院のお世話になるチビが入院している時も、タレはいつも家にいて、部屋の空気を暖めたり和ませたりしていてくれた。<br />
要求はあまりしない代わりに、頑として受け入れない、という頑固さが出る時もあった。ずっと気に入っていた缶詰を、突然食べなくなる。一口くらいの小さなお団子にして口元に持っていくと、「仕方ないな」と２〜３口食べるものの、その後は口を開かない。無理に食べさせようとしても、ダメ。お給仕係の私は困り果て、タレが自ら食べてくれるまで、２缶目、３缶目と開ける羽目になった。<br />
食いしん坊チビが朝になると私を起こすのに対して、タレは全くそういうことがなく、寝坊しても怒らなかった。<br />
基本的に来客は苦手。人が来ると、必ず顔を出して愛嬌を振りまき、たちまち主役になってしまうチビと違って、タレは奥に引っ込んで出てこない。とりわけ嫌いなのは、だみ声や胴間声、それに猫なで声だった。以前、時々遊びに来ていた大学生の男の子が、タレと仲良くなりたくて、猫のおもちゃをいろいろ持ってきてくれるのだけど、もうとびきりの猫なで声で接近しようとするものだから、そのたびにタレは「フーッ」と怒って、逃げ出してしまう。一度、その子から電話があった時に、くつろいでいた椅子から飛び降り、隣室に逃げてしまったこともあった。どうやら、受話器から漏れてきた声に反応したらしかった。<br />
気に入らないことがあるとチビは、私にも何度も「フーッ」をしたが、タレからは一度もない。でも、何度か怒られたことはある。たいてい、夜遅くまで飲んで帰った時。玄関先まで来て、「だめじゃないか」と言わんばかりの声は結構強くて、私はいつも「ごめんなさい」と平身低頭。<br />
日頃は要求が控えめのタレだったが、突如、私の足もとでゴロンとなって、「お腹をなでて」と要求したり、床に新聞を広げて読んでいると上に乗ってきたり、強い口調で「構え！」と命令してくることもあった。それは、私がしばらくちゃんと相手をしなかった時。日頃は控えめな分、タレの強い声には迫力があって、やはり私は「ごめんね〜」と謝りながら、額、喉や首をかきかきし、お腹と背中をなでなでするのだった。<br />
<img width="300" height="127" align="left" alt="" src="/upload/Image/tare infrontof screen.jpg" />　ここ何年か、押し入れ以外でタレの好きな場所は、冬は私の椅子の上。夏は机の上か本棚の前。机の上はキーボードとディスプレイの間が定位置で、平らになって寝ている分にはいいけれど、起き上がると画面が見えなくなってしまう。「タレ！見えない！」と寝かせても、また起き上がる。その繰り返しだった。椅子にタレが寝ていると、おしりがほんのり温かい。ところが、チビまでやってくると、私がおしりを乗せるスペースは５，６センチしかなくなってしまう。タレがいなくなっても、その癖は抜けず、椅子に深く腰掛けることができない。ちなみに、この椅子は、タレの寝場所であると同時に、ふたりの爪研ぎもかねていて、背はボロボロ。座面には主にタレの毛がこびりついている。<br />
先ほども書いたように、タレはあまり病気をしない子だったけれど、しだいに腎臓の値が心配になってきて、ご飯はk/dを中心にするようにしていた。２年くらい前に病院に皮下点滴に通い、その後、やり方を教えていただいて、うちでやるようになった。さらに、心臓にも不安があるということで、お薬を飲むようになり、昨年、それが２種類に増えた。<br />
タレは薬を飲むのは上手だった。チビに薬を飲ませようとすると大格闘になってしまうのに、タレはいつもすんなり飲んでくれた。注射は嫌い。でも、点滴をする時には、いつも同じ箱の中に入れると、格別抵抗もせず、仕方ないな&hellip;という感じ。でも、体を固くするので、上手に針が入らず、何度かやり直して痛い思いをさせてしまうこともあった。針が刺さるときには、小さく「にゃっ」とないた。３本のシリンジを交換する間も、静かにじっとしていてくれた。<br />
昨年の秋から今年にかけて、チビの状態が悪化した。激しく鼻血を出し、起きている時も呼吸のたびにいびきのような音を出す。最初は抗生物質の注射で収まった。それが効かなくなり、点鼻薬を処方されたのだけれど、チビはものすごくいやがり、無理に点鼻するとそれが刺激になってまたも大出血。一時はステロイドが効いて、無事に年は越したのだけれど、それもつかの間だった。いつもの病院でできる検査はすべてやって、あとは麻酔をかけてのCT検査をするしかなかった。麻酔のリスクを恐れて、私がもたもたしている間に、チビが呼吸をするのも大変なくらいに悪化してしまった。ご飯も食べない。<br />
あまりに苦しそうな様子に、私もようやっと意を決して、大学病院に連れて行った。鼻腺癌とわかり、放射線治療が始まった。<br />
この時期の私の頭はチビの状態を少しでも楽にしてあげることで占められていた。食事も、チビが少しでも食べられるものはないかと、あれこれ試した。タレのことは二の次になっていた。本当は、この時期にタレの腎臓も心臓もどんどん弱っていて、気持ち悪い時も多かっただろうに&hellip;。<br />
それまでは、カリカリをあまり食べないチビのために、腎臓用の療養食をふやかして缶詰を混ぜて食べさせていた。チビに缶詰やパウチを出すようになって、タレにはカリカリをそのままという手抜きになった。いくら好きなものだけ出しても、チビはほんの少ししか食べない。すると、私が見てないすきに、タレがそ〜っとチビのごはんに近づき、食べていた。私がそれを見つけた時、タレは「みつかった！」という顔をした。それを見て、本当に不憫で、かわいそうなことをした、と思った。タレにこんな顔をさせてしまったことを悔いた。<br />
「そうだよね。タレだって食べたいよね、おいしい缶詰」<br />
タレを思い切り抱きしめた。タレは迷惑そうに、「ふにゃ〜」と声をあげた。<br />
それ以降、タレにも少し缶詰をあげることにした。そのことで腎臓悪化を早めたかもしれない。ただ、後悔することばかりの私も、この時期にタレにも好きなものを食べてもらったことだけは、よかったんじゃないかな、と思っている。いただいたおせんべいの中に、海苔で巻いたものがあったので、それを剥がして上げると、これも喜んでぱりぱり食べた。海苔はタレの大好物なのだ。<br />
チビについては、もう長くないのではないか、と思った。だから、とにかく苦しくない日を一日でも作ってやりたい。そんな気持ちで、酸素室もレンタルした。酸素室からのチビのいびきを聞きながら、タレに「また私とタレの2人だけに戻っちゃうのかな&hellip;」と語りかけたこともあった。そんな私の言葉を、タレはどんな心持ちで聞いていたのだろうか&hellip;。<br />
そのタレも、２月に入ると体調がよくないのは分かった。食欲が減り、水を大量に飲んで吐いたりすることもあった。それでも、私の時間と関心のほとんどは、チビに向けられていた。週１回の大学病院での放射線治療の間は、毎日動物病院に通って、体力を温存するための点滴や流動食の給餌などをしていただいていた。１０日に健康診断の予約をしていたので、そのときに診ていただけばいい、という気持ちだった。<br />
そして１０日。検査をして下さった先生が、いつになく暗い顔で、「タレちゃんの腎臓、とてもよくないです」とおっしゃった。そのまま入院して点滴治療が始まった。治療は結構長くなりそうということもあり、１２日の夜にはいったん家に連れて帰り、翌日朝にまた入院することにした。<br />
１２日に戻った時には、確かに具合は悪そうだったけれど、椅子の上に自分で飛び乗る力はあった。けれど、次第にうなだれ、呼吸が速くなってきた。この時には、チビは放射線治療の効果が出てきて、かなり呼吸は楽になっていた。なのでチビの代わりに、タレを酸素室に入れた。ただし、ドアのロックはせずに、トイレに行きたければ出られるようにしておいた。<br />
そして翌朝。タレはその酸素室に入れたあったかまん丸ベッドの中で、おしっこをしたらしく、タオルも毛もぬれていた。トイレに行く力もなくなっていたのだ。いそいでタオルを交換し、濡れティッシュで体を拭いているうちに、息が苦しそうになって、ぐったりしてきた。急いで保温マットの上に移し、酸素をマスクにつないで口元に置いた。チビも一緒にタクシーで動物病院に向かった。<br />
心臓が弱っているため、点滴で入った水分がうまく体を循環させられず、肺の中にたまっている肺水腫を起こしていた。利尿剤や強心剤の投与が始まった。でも、これは腎臓に負荷をかけることになる。一方、腎臓のための点滴をすれば心臓に負担となる。両方の状態をみながら、昼夜をかけてゆっくりゆっくり点滴をしながらの治療が続いた。一時は、看護師さんが缶詰を小さなお団子にして食べさせて下さったり、自分でほんの少しのご飯を食べたこともあった。しかし、何度か発作を起こし、状態は一進一退&hellip;というより、一進二退ぐらいだったのだろう。<br />
それでも、なんとか２５日の土曜日には家に帰れるようにという目標を立てて、先生方は治療にあたってくださっていた。私も、もう治らないものなら、せめてもう一度家に連れて帰り、そこで最期を迎えさせたい、という気持ちでいた。<br />
２２日の猫の日。いつものように夕方、面会に行った。この日は、少し長くいて、いつものように、「タレちゃんは、世界一の猫さんですよ〜」と何十回も言った。それから「土曜日にはおうちに帰ろうね」とも&hellip;。<br />
タレは、額をかくと、首を伸ばして、「あごもかいて」のポーズをして応えてくれた。<br />
そして２３日。午前中、私はチビを大学病院に連れて行った。放射線治療の最後の日だったので、CTも合わせてとっていただいた。本当は、４回の治療を全部終えてしばらくしてからCTを撮るのが理想らしいけれど、その分麻酔を一回かけなければならない。チビの体の負担を考えて、これまでの３回の治療の結果をみて、今後の対応を考える、という病院側の配慮だった。<br />
「今日は、いいお話ですよ」ーー検査後、担当の先生は、画像を見せながら説明をして下さった。最初は、大人の男の人の親指くらいあった癌が、小豆粒くらいになっていた。完治するということはないけれど、今後、この癌が急に大きくならなければ、その間は普通に快適な生活ができる。本当にうれしかった。<br />
家に戻って、チビに食事をさせ、私自身も遅い昼ご飯を食べた。そして、今日は何時にタレに面会に行こうかな&hellip;と思っていた時に、電話がなった。動物病院からだった。<br />
「タレちゃんが発作を起こしました。すぐにいらっしゃれますか？」<br />
「行きます」<br />
タクシーに飛び乗って駆けつけると、タレには人工呼吸器がつけられ、先生が心臓マッサージをして蘇生を試みて下さっているところだった。<br />
駆け寄ってタレの耳元で言った。<br />
「タレちゃんは世界一の猫さんですよ〜」「うちに来てくれてありがとう」「ずっと一緒だからね〜。おうちに帰ろう」<br />
タレは動かない。先生に「ありがとうございます。もう、いいです」と伝えた。先生の手が止まった。呼吸器が外された。<br />
２０１２年２月２３日午後２時２５分。タレ永眠。<br />
まるで、チビの治療が終わって、いい結果が出るのを待っていたみたいに、タレは逝ってしまった。そればかりか、私がお昼ご飯を食べ終わるのも、待っていたのかもしれない。入院してから２週間もない闘病生活。チビについてはある程度覚悟はしていたけれど、まさかタレが先に逝ってしまうなんて、考えたこともなかった。いつもいつも、チビに譲ってばかりのタレだったから、もしかして、たった１つしかない命もチビに譲って上げたんじゃないか、とさえ思えてくる。<br />
ダメダメなお給仕係だったけど、もし、生まれ変わることがあるなら、懲りずにまたうちに来て欲しい。<br />
本当に、ほんとうに、タレちゃんは世界一の猫さんなんです。</p>
<p><img width="300" height="315" align="middle" alt="" src="/upload/Image/ta.jpg" /></p>]]>
        
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    <title>9.26陸山会事件の判決を聞いて</title>
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    <published>2011-09-28T04:52:49Z</published>
    <updated>2011-09-28T05:45:19Z</updated>
    
    <summary>　裁判所の大胆で強気な判断の連続に、判決を聞いていて驚きを禁じ得なかった。   ...</summary>
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        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　裁判所の大胆で強気な判断の連続に、判決を聞いていて驚きを禁じ得なかった。</p>
<p>  　実際に報告書を作成した石川知裕、池田光智両被告は有罪とされることは十分ありうる、と思っていた。この事件は、お金の出入りについて、政治資金収支報告書に記載すべきかどうか、いつ記載すべきかが、本来は最大の争点だった。なので、実際に支出があった年に報告しなかったり、小沢一郎氏の他の政治団体など身内間の金の融通についても逐一報告しなければ違法、と判断すれば、有罪になる。   </p>
<p>　なので、主文言い渡しの際、２人が有罪となったことについては（求刑通りという厳しさには「おっ」と思ったが）、特に驚いたわけではない。驚いたのは、判決理由と、陸山会事件で大久保隆規被告も有罪とした点だった。   　</p>
<p>　東京地裁は、6月に証拠採否の決定で、検察側主張を支える供述調書の多くを退けた。自ら証拠を排除しておいて、判決ではそれを「当然&hellip;したはずである」「&hellip;と推認できる」など、推測や価値観で補い、次々に検察側の主張を認めていった。しかも、その論理展開は大胆に飛躍する。</p>
<p>  　たとえば、大久保被告の関与。同被告が政治資金報告書の作成に関与していないことは争いがない。しかも、石川、池田両被告が「報告書原案を大久保被告に見せて了承を得た」とする検察側主張を、裁判所は判決で退けている。</p>
<p>  　にも関わらず、石川被告から土地の登記の日をずらすよう不動産会社と交渉して欲しいと頼まれたことで、小沢氏が建て替えた４億円を隠蔽することについてまで、大久保・石川両被告人は「意思を通じ合った」と決めつけた。さらに、それから半年後の報告書に虚偽を記載する共謀までできあがったと認定。そのうえ、石川被告から後任の池田被告に事務に関する引き継ぎをもって、「石川を通じて池田とも意思を通じ合った」と断定した。そんな証拠はどこにあるのだろうか。</p>
<p>  　法廷で明らかになったことは全く逆の事実だった。石川被告が自身の選挙の準備で忙しく、丁寧な引き継ぎを行わなかったうえ、この２人の関係は疎遠だった。池田被告は厳しい石川被告を恐れ、満足に問い合わせもできずにいた。そのため、報告書に記載された金についての認識も、両者で食い違う。</p>
<p>  　にも関わらず、石川被告を媒介に大久保被告と結びつけられたうえ、判決でいきなり「大久保に報告するのが自然である」と認定された池田被告は、よほど驚いたのか、目をぱちくりさせていた。</p>
<p>  　いくら「名ばかり」といえども、会計責任者になっている以上、石川、池田両被告人の行為が違法と判断されれば、大久保被告の道義的、あるいは政治的な責任が問われるのは当然だろう。しかし、だからといって刑事裁判において、裁判官の価値観と推測によって、かくも安易に共謀を認定し、刑事責任を負わせるというのは、あまりに荒っぽく、危険に思えてならない。</p>
<p>  　犯罪の実行に直接関与せず、それについての相談にも乗らず、謀議もなく、事後にも何の報告も受けず、犯罪の存在すら知らずにいても、共謀が成立して有罪となるのでは、企業などでは部下の犯罪は知らずにいても上司の罪となりうる。これでは、郵便不正事件で、係長が行った公的文書の偽造を上司の村木厚子さん（当時課長）は知らないはずがない&hellip;という思い込みから出発した（と考えられる）大阪地検特捜部の発想や判断と同じではないのか。</p>
<p>　水谷建設から石川被告への５０００万円の授受も、目撃者も裏付け証拠もないまま、同社関係者の証言だけで、「あった」と断定した。これなら、複数の仲間が一定の意図の下に「金を渡した」というストーリーに基づいて話を合わせれば、それが事実ということになり、いくらでも事件が作れてしまう。石川被告に５０００万円を「渡した」とする証人は１人だけで、しかも、その証言に疑問を投げかける別の証人も２人いた。にも関わらず、「渡した」と決めつけるのは、被害者の訴えだけで逮捕されたり有罪判決を受けたりする痴漢冤罪事件と同じ構図に見えてならない。</p>
<p>&nbsp; 　冤罪を防ぐために、昨今は痴漢事件でも、手に付着した下着の繊維片などの裏付け証拠が重視されるようになってきた。今回の判決は、こうした証拠重視の時代の流れに逆行していると言わざるをえない。</p>
<p>  　もう１つ気になったのは、裁判所が、肝心の政治資金収支報告書の記載について淡々と証拠と法律に基づいて判断するのではなく、「政治とカネ」問題を断罪することに並々ならぬ熱意を注いでいたことだ。</p>
<p>  　そもそも本件、つまり政治資金の虚偽記載に関して、水谷建設からのヤミ献金の有無は直接関係がない。なぜなら、検察側の主張するヤミ献金の受け渡しは、土地購入のために小沢氏が４億円を立て替えた後の出来事で、この４億円に問題とされた水谷マネーは入りようがないからだ。なので、小沢氏を起訴した検察官役の指定弁護士は、この問題を争点から外している。  </p>
<p>　ところが、秘書３人の事件では、検察側は「動機もしくは背景事情」として、このヤミ献金疑惑の立証にもっとも力を入れた。そして、裁判所もそれを許した。裁判を傍聴していても、これはいったい何の事件だったのか、ヤミ献金事件、もしくは収賄事件の裁判ではないかと錯覚しそうになったほどだ。</p>
<p>  　そして迎えた判決も、この点に多くが割かれ、読み上げる登石郁朗裁判長の声にももっとも熱が込められていた。やはり、これは収賄事件の判決ではないかと思うほどであった。そして、すでに閉廷予定時刻の５時が迫っているのに、量刑の理由を読み上げる前に、わざわざ10分間の休廷をはさみ、一気呵成に「小沢事務所と企業の癒着」を論難した。</p>
<p>  　その口調からは、裁判所が「政治とカネ」の問題を成敗してやる、という、ある種の「正義感」がびんびんと伝わってきた。そこに、我々が社会の不正を正してやる、という特捜検察の「正義感」と相通じるものを感じて、私は強い違和感を覚えた。この種の「正義感」は「独善」につながることを、一連の特捜検察の問題がよく示しているのではなかったか。</p>
<p>  　証拠改ざん・隠蔽事件で大阪地検特捜部の検事三人が逮捕されて一年。検察の独自捜査の問題点が少しずつあぶり出され、検察自身も改革を進めつつある。せっかく取り調べの可視化や客観証拠を重視することで冤罪をなくしていこうという機運が高まってきたのに、こういう判決は「マスコミを活用した雰囲気作りさえできていれば、薄っぺらな状況証拠しかなくても、特捜部の捜査は有罪認定する」という誤ったメッセージにならないかと危惧する。</p>
<p>  　刑事司法の問題はすなわち裁判所の問題だ。検察が無理をしても調書を作るのは、裁判所がそれを安易に採用し、信用するからだ。しかし、郵便不正事件以降、裁判所も検察を過信するのを控えるようになってきたのではないか、という期待もあった。ところが、それはあまりに甘い見方だったようだ。</p>
<p>  　今、もっとも改革が必要なのは、裁判所かもしれない。</p>
<p>  （９月２７日の朝刊に掲載された共同通信配信の原稿に、大幅加筆しました） </p>]]>
        
    </content>
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    <title>「『適切でない』と申し上げた」〜”子どもにも20mSv/年”問題と放射線防護学の基礎</title>
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    <published>2011-05-01T11:25:43Z</published>
    <updated>2011-05-01T14:09:15Z</updated>
    
    <summary>「先生が、子どもの場合も、年間の許容被曝量が20mSvとすることが適切と考えられ...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>「先生が、子どもの場合も、年間の許容被曝量が20mSvとすることが適切と考えられる理由を伺いたいのですが&hellip;」<br />
　４月２８日の午後、私は前夜の記者会見で、廣瀬研吉内閣府参与（原子力安全委員会担当）から、この値を支持した人の１人として名前が挙がった本間俊充氏（(独)日本原子力研究開発機構安全研究センター研究主席・放射線防護学）に確認の電話を入れてみた。すると、本間氏の答えは意外なものだった。<br />
<font color="#003366">「私は（緊急事態応急対策調査委員として）原子力安全委員会に詰めていたんですが、（子どもについても）20mSv/年が適切か、ということに関しては、私は『適切でない』と申し上げたんです」<br />
</font>　記者会見で安全委員会は、５人の原子力安全委員の他に、２人の専門家の意見を聞き、全員が20mSv/年を「適切」と判断した、と説明していた。ところが、その専門家である本間氏はまったく逆の意見を述べていた、というのだ。<br />
　本間氏は、いきなりの電話だったにもかかわらず、国際放射線防護委員会（ICRP）が2007年勧告の中で初めて打ち出した「参考レベル」という概念や、東電福島第一原発の事故によって放射能汚染の被害を受けている地域の人たちの防護について、１時間半にわたって説明してくれた。さらに、後日30分ほど、私の質問に答えて丁寧な補足説明があった。<br />
　私自身の頭を整理するうえで、２回にわたる本間氏の話をメモを元に、まとめてみる。文責はあくまで江川にある。私の理解不足や誤解により、間違いや不適切な記述があれば、お気づきの方はツイッター @amneris84 などで、ぜひご指摘いただきたい。<br />
　<br />
　　　　　　　　　　――＊――＊――＊――＊――＊――<br />
　<br />
　<br />
　ICRPの07勧告で使われている「参考レベル」というのは新しい概念で、実は専門家でも分かっていない人が多いのです。そこでは、人が受ける放射線の状況を<br />
（１）緊急時被曝状況<br />
（２）現存被曝状況<br />
（３）計画的被曝状況<br />
の３つに分けています。（３）は平常時に、放射性物質を管理することで、一般の人の被曝量を１mSv以下になるようにしています。<br />
　不幸にして事故が起きてしまった時には、（１）緊急時被曝状況では２０〜１００mSv/年、（２）事故の場所とは少し離れた地域など、汚染された状況の中で人々が生活しなければならない現存被曝状況では１〜２０mSvを参考レベルとして、この範囲の中でできるだけ「防護の最適化」、つまりできるだけ被曝を制限するように努めなさいと言っています。<br />
　まずは、それぞれの上限を超える被曝をすることになりそうな人を、この範囲に収めるようにする。そのうえで、この範囲でできるだけ低い被曝ですむような対策をすることが求められます。<br />
　ただ、日本では放射線審議会がまだICRPの07年勧告を受け入れる答申をしていません。ですから、今の段階では、この参考レベルはガイダンス、法的な強制力のない基準にすぎません。<br />
　今回の災害で、緊急時被曝状況にある地域では、まだプラントが不安定なこともあり、そこにいる人たちの被曝をできるだけ制限するために、飯舘村などで計画的避難区域が設定されました。<br />
　それより離れた福島市や郡山市も、すでに汚染ができてしまった中で人々が生活をする、つまり現存被曝状況にあるといえます。<br />
　ここで難しいのは、平常時は「公衆は１mSv/年が限度」と言われているので、一般の人には１mSvが安全と不安全の境と思われている、ということです。<br />
　食べ物の出荷制限などでも、ずいぶん問題になりましたが、放射線の場合、「ここからは安全」という線引きはとても難しいのです。我々放射線防護の観点では、１００mSvを超えなければ「確定的影響」はないが、それ以下でも「確率的影響」はあると考えます。そして、浴びる放射線量は少ないほどいい、というのが前提です。<br />
（１）「確定的影響」というのは、大量の放射線を浴びてしまい、体の組織に対してすぐに影響が出ることで、深刻な場合は死に至ります。<br />
（２）「確率的影響」というのは、すぐに身体に影響は出ないけれども、その後何年かして一定の確率でガンを発症する場合などを指します。では、どれくらいの量だったら影響が出るか、という点については、人によって意見が分かれています。５０mSvだという人もいれば、２００mSvだという人もいる。<br />
　同じ量の放射線でも、広島や長崎のように一瞬で浴びた場合と、低い線量で長期にわたって浴びた場合では、影響は異なります。人間には回復能力がありますから、低い線量で長期に浴びた方が、いっぺんに浴びた場合に比べ、その確率的影響は１／２〜１／１０くらい頻度が低くなる、とされています。<br />
　そうは言っても、平時の「１mSvが限度」という概念から比べると、２０mSv/年という数値はとても高い。びっくりするのは当然です。<br />
　私は、福島の学校の子どもたちについて意見をもとめられた時、現存被曝状況を適用して、被曝をできるだけ低くしなければならない、と申し上げました。２０mSv/年というのは、飯舘村の計画的避難が決められた時に用いられました。これを越す可能性がある人たちは避難をしなさいということです<font color="#003366"><font color="#000000">。</font>「それと同じ値を、学校を再開するために、子どもに適用することは反対です」</font>と申し上げました。<br />
　ＩＣＲＰは、大人も子どもも一緒でいい、などとは言っていません。確かに外部被曝の影響は大人も子どももあまり違いは出ていませんが、やはり子どもは感受性が高く、より守らなければならない。他に、妊婦などの感受性を考えなければならない人たちがいます。<br />
　今は、日本人の３分の１がガンで死にます。ガンを発症する理由はいろいろで、多くは何が原因か分からない。私のような年だと、多少放射線を浴びても、それが原因でガンを引き起こす前に、別の理由でガンになって死ぬでしょう。でも、子どもは余命が長い（ので、その間に影響が出る可能性は年長者より高い）。だから、子どもに関しては特にケアしていくべきです。<br />
　なので、まずはモニタリングをきちっとやっていきなさい、と申し上げた。それも学校の１カ所だけで測るのではなく、「校庭も校舎の中もまんべんなく測りなさい」と。それを夏までに環境を変えるための資料にしたい、というのが文科省の立場ですね。<br />
　それはいいのですが、実際に測った値を見て驚いたのは、校庭の線量が高いんですね。３月１５〜１６日に降った雨の影響だと思います。建物があれば屋上や側壁にくっつく分がありますが、校庭はすべてを地面が受け皿になってしまった。文科省が２０mSv/年に達するとして想定した３．８&mu;Svを上回る所もありますね。<br />
　限度を半分の１０mSv/年にすればかなりの数の、従来の１mSv/年にすればほとんどの学校が対象になってしまい、学校が再開できなくなってしまう、ということで、２０mSv/年としたのでしょう。文科省はとても急いでいて、早く原子力安全委員会のお墨付きをちょうだい、という感じでした。<br />
　私は、原子力安全委員会がこの文科省の方針を認める判断をするプロセスには関わっていないので、どのようにして決められたのかは分かりません。ただ、決めてしまったからには、この線量を少しでも下げる努力をすることです。被曝を少なくするためには、高い所から優先的に対応をとっていく。校庭であれば、表土を削ぐくらいはやるべきでしょう。<br />
　ＩＣＲＰの参考レベルは、取り返しのつかない事故が起きてしまった時に、どのように対応するかを考え、そして最終的には元のようにするべくがんばるためためのコンセプトなんです。少しでも汚染があれば人が住めない、というものではないし、そこを離れるには多くのデメリットがあるという人が多いでしょう。なので、まずは２０mSv/年を越えそうな人がいれば越えないように努め、１〜２０mSv/年の範囲の中でできるだけ低いところを参考レベルに設定して、人々の被曝線量がそれより低いレベルになるよう改善を図っていく。<br />
　３月２１日に<font color="#003366">ＩＣＲＰが出した声明も、日本政府に対して、許容線量を２０mSv/年に引き上げろと言ったわけではありません。Ｉ</font>ＣＲＰの勧告では、できるだけlower part（低いところ）を目指せと言っています。１〜２０mSv/年の範囲で、どこを参考レベルに設定するかは、まさに政府の判断です。<br />
　今までは１mSv/年が安全か不安全かの境だと思っている住民に、いきなり２０mSv/年を上限に設定したら、相当混乱するでしょう。特に、子どもに関して、飯舘村で計画的避難の指標として出した２０mSv/年としたら、「とても受け入れられないでしょう」と申し上げた。ただ、ではいくらならよいか、と言われると、これは難しい。５mSv/年とか10mSv/年とか数字を言うのは簡単ですが、その根拠を科学的に説明するのは難しいんです。<br />
　ただ、こうした問題を考える時、人々に「受け入れられる」というのはとても大切です。<br />
　「これ以上だったら絶対に受け入れられない」というレベルと、「これ以下だったら何のためらいもなく受け入れる」というレベルの間には、グレーゾーンとも言うべき「ある程度がまんする」という領域があります。被曝に関して言うと、１００mSv/年以上は絶対に受け入れられないし、１mSv/年以下ならすんなり受け入れられますね。その間の領域でもがまんしてください、と言うことになるわけです。<br />
　ここで用いられるのが、「リスクとベネフィット（利益）」という考えです。人は何らかの利益があると思うから、がまんするんです。リスクよりベネフィットが大きければ、がまんしようと思える。<br />
　たとえば、レントゲンやＣＴなどの医療放射線は、ガンを発見する、というリスク以上の利益がある場合などを言います。そういう利益があるから、放射線を浴びることのリスクもがまんできる。事故が起きた当初、食べ物の放射線レベルをＣＴスキャンと比べて発表していましたが、あれは適切ではありません。今回の事故による放射能汚染は、誰にもベネフィットはありませんから。<br />
　特に、福島の住民の場合、何のベネフィットもありません。利益ではなく、不利益をどうしたら減らせるか、という問題です。例えば、多くの人は仕事などもあるし、簡単に引っ越すわけにはいかない。そういう場合、そこに住み続けることの方が不利益が少ない。あるいは、牛をたくさん飼っている人が、避難すればその牛を安い価格で売らなければならなかったりして、そのためにコストが生じる。それを回避するために、（将来ガンを発症する可能性がないとは言い切れないなどの）リスクを甘んじて受ける、という判断もあるでしょう。子どもの場合は、「学校に行かれなかった時の不利益」や「転校する時の不利益」がありますね。そういう不利益とリスクとのバランスの中で、住民はそこに住み続ける判断するわけです。<br />
　とは言っても、本当はそれを言うのは、すごく酷なことなんです。だって、今回の事故では、何の罪もない人が汚染で影響を受けているわけですから。住民は、「私たちは事故に責任はもない。早く元の状況に戻して欲しい」と思っているでしょう。それは当然なんです。そういう人たちに、普段より大きいリスクを示して、「この程度までだったら許容できるはず」と言うことなんですね。<br />
　でも、実際に取り返しのつかない状況が生じている。それでも、元の場所で暮らすメリット、移転の不便さなどを考えれば、リスクの部分は補償をしてもらおうということで、多くの人がそこに住み続けるわけです。<br />
　だから、せめて被曝ができるだけ低いレベルになるよう、住民の協力も得ながら、精一杯改善を図らなければなりません。子どもについては、校庭の表土を取り除いたり、ドロ遊びをして土が口に入ってしまった、などということがないように気をつける。校庭で遊んだ後、土やほこりが衣服についたまま教室に入って部屋の空気を汚染したりしないように防ぐ。<br />
　子どもだけではありません。そこにはたくさんの人が生活しています。「この辺りは線量が高いのでできるだけ通らないようにしましょう」「しばらくは家庭菜園はやめておきましょう」という情報をこまめに提供して、住民と納得づくで対策を話し合っていくことが大事です。住民が自分の生活を管理していくことも大事なので、こういうことはお上が勝手に決めるのではなく、stakeholder（利害関係人）が参加し、関与し、納得するというプロセスが大切です。ＩＣＲＰも、stakeholderの関与ということを盛んに言っています。<br />
　今回の問題では、県の教育委員会に関与させたのでしょうかが、政府と教育委員会だけがstakeholderなのかな、という気はします。本当は、最大のstakeholderは学校に通う生徒のでしょうし&hellip;。<br />
<br />
　（「当局には、ふだんの２０倍もの高い値を子どもに適用し、リスクを強いているという認識が感じられないのだが」という私の問いに）日本では医療被曝の多さが問題になっています。それに比べれば「１０ミリや２０ミリくらい平気でしょ」「２０ミリくらい浴びても大したことはない」という感覚が、本音のところにあるんじゃないでしょうか。今は原発の事故も収まっていない状況だから、ということもよく言われますが、「火事場だから」というだけでは分かりにくいですね。そういう時でも、住民にはよく説明して、お互いのネゴシエーションの中で対策を決めていく、というのが必要です。<br />
<br />
　（「政府に判断についての説明を求めても、『原子力安全委員会の助言』『原子力安全委員会の助言』と繰り返すばかりだが」という問いに）すべての責任を原子力安全委員会に負わせている感じがしますね。原子力委員会には決定権限はないわけで、<font color="#003366">１〜２０mSv/年の中でどこに設定するか、といった事柄は、まさに国がdecision make（意思決定）すべき問題です。今の状況は、責任あるところが責任あるメッセージを出していない、と思えてなりません。<br />
</font><br />
　（文責・江川）<br />
</p>]]>
        
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    <title>はじめのい〜〜っぽ―特捜検察の取り調べ録音・録画の取り組み</title>
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    <published>2011-05-01T04:01:48Z</published>
    <updated>2011-05-01T08:37:15Z</updated>
    
    <summary>　ようやく日本の捜査機関も、取り調べ過程の可視化に向けて、地味で小さく控えめな、...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[　ようやく日本の捜査機関も、取り調べ過程の可視化に向けて、地味で小さく控えめな、しかし具体的な１歩を踏み出した、と言えるだろう。<br />
　最高検の中に設置された検察改革推進室（林眞琴室長）が４月２６日、改革の第一弾としていくつかの対策を発表。その１つとして、「取り調べの録音・録画の試行に関する運用要領」を作成し、同日付で特捜部のある東京、大阪、名古屋の各地検に送ったことを明らかにした。<br />
　運用要領では、録音・録画によって、調書が適正な取り調べによって作成されたことを立証するだけでなく<font color="#993300">、</font><font color="#003366">「取り調べの録音・録画を行うことは、それ自体が、取り調べの適正を担保することにも役立つ」</font>とプラス面を強調。<font color="#003366">「可能な限り積極的かつ柔軟に取り組むことが肝要」</font>として、前向きに行うよう、現場の検察官の背中を押している。<br />
　これまでも、裁判員裁判対象事件では、取り調べの最終局面で調書の読み上げやそれに関する応答を録画するなど、ごくごく一部の映像記録は作られていた。しかし、それが取り調べのほんの一部であることに加え、いつ収録を行うかは検察官の裁量で決められていることもあり、取り調べ過程を検証可能にするための「可視化」とはほど遠い、と批判されていた。<br />
　大阪地検特捜部の郵便不正事件の捜査では、村木厚子厚労省元局長が偽の証明書の発行に関わったとするストーリーに従った調書が数多く作成されていた。これまでは調書が作成されていれば、被告人が「検察官の誘導があった」などと主張しても、検察官が「適切な取り調べを行った。誘導はしていない」などと証言すれば、裁判所は検察官側の主張を信用する傾向があった。しかし、村木さんに無罪判決を出した大阪地裁は、検察側が申請した43通の調書のうち、34通を証拠採用しなかった。<br />
　この無罪判決と前田恒彦元検事の証拠改ざんを受けて作られた「検察の在り方検討会議」の提言を受け、江田五月法相は４月８日に笠間治雄検事総長に対して、特捜部の捜査については「取り調べの全過程の録音・録画を含めて」試行に取り組むよう指示した。今回の運用要領はその指示を受けて作成されたものだ。試行とはいえ、「全過程」が含められたことで、ようやく「可視化」と呼ぶに値する録音・録画もなされる可能性が出てきた。<br />
　村木さんの裁判で、検察の調書作成の過程で被疑者・参考人を誘導したり、精神的に追い詰めるなどした捜査の実態が明らかにされたこともあり、今後は裁判所の検察側を見る目が厳しくなる、と最高検は危機感を募らせているようだ。被告人が法廷で不当な捜査を主張した場合、録音・録画がされていなければ、調書が採用されず、検察側立証が困難になる事態も想定し、「運用要領」には、次のような指摘もある。<br />
<font color="#003366">「録音・録画を実施しなかった場合には、調書の任意性・信用性等が争われた際に有用な立証方策の1つを失うこととなるおそれがある」</font><br />
　そういう事態を避けるため、弁護人が請求した場合には、極力全過程の録音・録画をするようにするのか？――私のこの質問に対し、記者会見で林室長と同席して説明に当たった片岡弘・最高検検事は、次のように回答した。<br />
「<font color="#800000">それをルールにするということではないが、実際は大きな考慮要素になると思う。</font>ただ、真相解明機能を損なわない、ということが優先する場合もあるということはご理解いただきたい。その場合、立証方法の１つを失うリスクを負うということだ」<br />
　今回の発表で、積極的に録音・録画に取り組むとしているのは、特捜部による独自捜査のみだ。札幌、千葉、京都、福岡などの10地検に置かれている特別刑事部でも独自捜査を行っている。「検察の在り方検討会議」の提言では、この特別刑事部も、録音・録画の試行対象に含めるよう求めている。最高検は「機材が揃っていないこともあり、まずは特捜部から行うことになった」と説明しているが、今後、特捜部と同じような対応をしていくことが求められる。<br />
　というのは、今回行われているのは「試行」であり、１年を目途に、その結果を検証することになっている。意味のある検証を行うには、十分な事例が必要だ。また、できるだけ多くの検察官に「録音・録画を行う取り調べ」に慣れてもらうことで、今後、可視化を法制化していくうえでの抵抗感を薄らいでいくのではないか、と思う。<br />
　問題なのは、今回対象となっているのは逮捕された被疑者のみで、任意の取り調べの可視化が置き去りにされていることだ。郵便不正事件で明らかなように、任意の事情聴取であるにも関わらず、検察側の筋書きに従って事実と異なる調書を作成してしまうケースは少なくない。そうして作成された調書を元に、強制捜査が展開されていくことを考えると、事件によっては任意での事情聴取をきちんと記録しておく必要がある。<br />
　捜査機関がやってくれないならば取り調べを受ける側が、自ら録音機を持ち込み、録音をしておこうとしても、検察官はそれを許さない。本来、任意の取り調べは、あくまで本人の意思が尊重されるべきで、参考人や被疑者が自分で録音することを妨げる法律はない。ところが、実際には検察は録音を許さず、さらには携帯電話の電源は切らせ、荷物を離れた所に置くように命じたりして録音されないように警戒している。<br />
　調べられる側に録音されたくなければ、捜査をする側が求めた場合には録音するなどして、取り調べの状況を後から検証できるような客観的な記録を残すべきだ。<br />
　また、この日の記者会見では、録音・録画と合わせ、特捜部が行う「大規模または複雑困難と認められる事件」の捜査を行う場合は、公判部など特捜部以外に所属する検察官を総括審査検察官に指名することとも明らかにされた。総括審査検察官は、捜査段階で全ての証拠を把握し、主任検察官が適正な判断を行っているかをチェックし、決裁官などに必要な意見を述べ、起訴された場合は、公判主任検事として公判を担当する、という。<br />
　検察内部で上司からの決裁だけでなく、横からのチェックを受ける仕組みとして導入された。ただ、「大規模または複雑困難と認められる事件」という点についての説明は曖昧。考えてから動くのではなく、とりあえず制度を作って、やりながら考えていく、という状況。これも実施というより、どちらかというと試行に近い。法相に期限を切られたこともあるが、とにかくやってみる、という前向きな姿勢は悪いことではない。<br />
　問題は、制度を作った後に、それがどう運用されるか、だ。総括審査検察官を指名するのは当該地検の検事正。それならば、特捜部の検事を直前に公判部に内部異動させたうえで、総括審査官検察官に指名することも可能で、そうなると身内同士で審査したりされたりすることになるわけで、「横からのチェック」にならない。<br />
　その点を質問すると、片岡検事は「危惧はごもっとも」と認めた上で、次のように語った。<br />
「それはダメだというのは、（各検事正に）理解してもらっていると思う。それに、総括審査検察官は自分で公判をやらなければならないので、（不適正な捜査や十分な証拠もないのに起訴すれば）自分が大変な思いをするだけなので（ちゃんとやるだろう）。当該事件の捜査をやっていてイケイケになっている者が指名されるということはない、と信じているが、特捜部の事件捜査を知っているという必要はあり、特捜部経験のある人が指名されることになると思う。現場の人のやりくり、というものもある。ただ、<font color="#800000">急な異動は脱法行為ということで指導する</font>」<br />
　こうして、検察改革は少しだけ動き出した。全面的な可視化が制度として行われるまでの道のりはまだまだ遠いが、「千里の道も一歩から」とも言う。日本の検察も、ようやくこの道に、そろりと一歩を踏み出したことは、意義深い。しかし、１年後に「いろいろやってみたけど、やっぱり可視化はやりません」などという&rdquo;検証結果&rdquo;が出ないように、また次の２歩目を早く踏み出せるように、そして道を踏み外す、などということがないよう、多くの人が関心を持って見つめ続けていくことが大切だと思う。<br />
　最後に、今回の発表についての私の感想を言っておくと、可視化に関しては、予想していたよりも最高検は積極的な姿勢を示したな、という感じがする。「嫌だけどやれって言われたから仕方なくやる」というのではなく、録音・録画は検察側にとっての立証手段でもある、という認識が盛り込まれたのは、評価していいと思う。<br />
　とはいえ、先に述べたように課題も多く、１年後の「検証」をどうするのか、ということも気になる。いくら最高検がこのような改革策を出しても、実際に現場で取り調べを行う検事の中には、裁判所に任意性を否定されても全く意に介さないような人もいる。それを考えると、あまり楽観はできない。<br />
　「おのおの方、油断召されるな」<br />
　そんな気持ちで、私自身もこの取り組みの結果をしっかり見ていきたい。]]>
        
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    <title>やっぱり可視化は必要だ〜陸山会事件第9回公判傍聴記</title>
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    <published>2011-04-24T12:08:14Z</published>
    <updated>2011-04-24T13:20:41Z</updated>
    
    <summary>　４月２２日に行われた陸山会事件の第９回公判。検察側証人として出廷した検事が、取...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
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            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　<strong><font color="#003366">４月２２日に行われた陸山会事件の第９回公判。検察側証人として出廷した検事が、取り調べ中に作成したメモを、被疑者の面前で破り捨てたことを認めた。３人の裁判官たちはこの事実に強い反応を見せ、口々に「なぜ破ったのか」「どのようにして破ったのか」「あなたはその時に興奮してたのか」などと検事を追及。郵便不正事件の裁判では大阪地裁の裁判官たちが、公判前にメモを廃棄したことについて取り調べ検事に鋭い質問を浴びせていた。東京でもメモの扱いを巡っては、裁判官が敏感に反応するようになってきたのだろうか&hellip;。<br />
</font></strong>　<br />
　この日検察側証人となったのは、石川知裕議員の取り調べを行った吉田正喜検事（当時、東京地検特捜部副部長）。石川議員の取り調べは田代政弘検事が担当していたが、水谷建設からの５０００万円を受けとったのではないかという追及に石川議員が否認を続けていたため、この点に限って副部長が取り調べることになった。<br />
　単なる認識の違いや形式的なミスに過ぎないと主張されることが予想される政治資金報告書の記載の石川議員を自白に追い込めれば、小沢氏を巻き込む５０００万円の贈収賄事件に発展する可能性がある、ということで、副部長を投入することになった、と思われる。<br />
　しかし、吉田検事の取り調べでも、石川氏は否認を続けた。<br />
　この取り調べの状況について、検察側主尋問を行ったのは、４人の検察官団の中で、恰幅といい存在感といいいかにも親分格の斎藤隆博検事。その問いに答えて、吉田検事は次のように述べた。<br />
「証拠を改めて精査したが（５０００万円を受けとったのは）間違いないと思い、『あなたの弁解を無視しているわけじゃない。証拠を精査したが間違いない。本当のことを話してください』と言った。すると、石川さんは興奮して『川村を呼んでください』と言い始めたので、私は『そういう話じゃない。私が証拠を精査したのに、それを信用しないんですか』と言った。この時は、少し声が大きくなったかもしれない」<br />
「『石川さんは不正な金は一切受けとっていないのか』と聞いたら、『議員になってから不正な金を何度か受けとっています』と認めた。詳細に聞いたわけではないのに、（石川議員の方から自発的に）『ある支援者から平成１９〜２０年に合計１５００万円の金を受けとっています。議員活動を期待しての裏金ですから賄賂と思っています』と語った」<br />
　この「賄賂」という言葉は、石川議員自身の方から出たことを強調。<br />
「職務権限も分からない漠とした話ですから（私の方からは）言えません」<br />
　この１５００万円については、調書化された。そのいきさつについて、吉田検事は次のように語った。<br />
「この取り調べより先に、石川さんの女性秘書の取り調べがあった。それが問題となり、弁護士から抗議書が来た。そのことについて『石川さんはどう思っていますか』と聞くと、石川さんは『（女性秘書は）私をかばおうとして、がんばっちゃってるんですよ。私が話して認めているんだから、そんなにがんばらないでいい、と伝えてください』と。私は『それなら、弁護士さんに話したらどうか』と言ったのですが、石川さんが『（本人に）伝わるかどうか分かりませんから』と言うので、『じゃあ、認めているということで簡単な調書を作っておきましょうか』ということで、作成することになった」<br />
　検察側としては、この調書を作成することで、石川議員がこの取り調べを乗り切って国会議員を続けることを断念させ、一気に水谷建設からの５０００万円を認めさせようという意図があったようだ。吉田検事は、捜査の手法について、こう語った。<br />
「人が不正行為を認めるのは、勇気がいる。取り調べは、できるだけその勇気を与えて上げること。正面から事実を認めて欲しいが、いきなり（水谷の）５０００万円ということではなく、周りを詰めていくこともある」<br />
　しかし、吉田検事が意図したように取り調べは進まなかった。そんな中で、吉田検事はメモを破ったことを、主尋問の中で認めた。<br />
<br />
　検察官「それ（石川議員が支援者から受け取った金）については記録したのか」<br />
　吉田「手元のコピー用紙に箇条書きで書いた」<br />
　検察官「そのコピー用紙はどうしたか」<br />
　吉田「最後の取り調べかその前に破ってしまっている」<br />
　検察官「なぜか」<br />
　<strong><font color="#003300">吉田「その後の取り調べでも、石川さんは水谷建設の５０００万円を否認し、『私は正直に話してます。不正な金をもらったことも正直に話しているじゃないですか』と言い続けた。自分の不正を話していることを心の支えにしてがんばり通そうとしていると思い、『これは関係ないんですから、水谷のことを話してください』と言って紙を破りました」</font></strong></p>
<p>　続く反対尋問で、石川議員の弁護人は、支援者から１５００万円を受けとったことについて「あなたが通帳を示して、『こんな金もあるじゃないか』と攻めたのではないか。賄賂という言葉も、本当に石川自身の口から出たのか。１５００万もの賄賂を受けとったとなれば、実刑になる。そんなことを被疑者が自らベラベラしゃべるとは思えない」と反論したが、吉田検事は「本当です」と証言。話は平行線に終わった。石川議員の弁護人は、このような質問より主張が中心の&rdquo;弁論的尋問&rdquo;が多く、これまでも検察側証人の反対尋問では、こうした平行線が続いていた。証人が答える前から、「否定するなら否定していいですよ」と決めつけることもしばしば。証人から何かを引き出したり、矛盾をあぶり出すより、少しでも多く石川議員の主張を裁判官に聞かせたい、ということなのだろうか&hellip;<br />
　<strong><font color="#800000">絶対に交じり合うことのない平行線的尋問を聞くたびに、取り調べ課程がきちんと可視化されていれば、こういうやりとりはなくなり、もっと効率的な審理ができるのに、と思う。<br />
</font></strong>　<br />
<strong><font color="#000000">　その後行われた裁判官たちによる尋問では、弁護人が関心を示さなかった、吉田検事のメモの扱いについて質問が集中した。<br />
　まず藤原靖士左陪席裁判官。<br />
左陪席「メモを破った件ですが、石川被告人の面前で破ったんですか」<br />
吉田「メモを呼べるものかどうかは分かりませんが&hellip;」<br />
左陪席「破った理由は？」<br />
　吉田検事が、主尋問と同じ答えを繰り返すと、左陪席裁判官はさらに問いを重ねた。<br />
</font></strong><strong><font color="#000000">左陪席「話をして説得するだけではなく、メモを破る必要性はあったのか」<br />
吉田「石川さんは、『このメモがあるから（水谷の５０００万円は受け取ってないと）信じてください』と。こっちがあるからこっちも真実ということにはならないだろうということで&hellip;」</font></strong></p>
<p><strong><font color="#000000">　このやりとりを登石郁朗裁判長が引き取り、質問を始めた。<br />
</font></strong><strong><font color="#000000">――自分の不正について話しているのだから、他のことも信じて欲しいというのは、理屈としてはありえますね。<br />
吉田「一般的な理屈としては」　<br />
――自分の不利なことを話しているものを、なぜ破くという行為になるのか。<br />
吉田「水谷の５０００万円は大久保の指示でやった小沢事務所の件。一方１５００万円他何件かは、石川さん個人のこと。否認しているのは小沢事務所のことで、一般的な理屈とは違う。これは関係ないことを示すパフォーマンスということで&hellip;」<br />
――そのように説得するにとどまらず、破くというのはどういう意味か。<br />
吉田「箇条書きにしている紙があり、石川さんもそれに目をやって、（５０００万円を否認する）よすがになっている。よすがを取り除くという意味」<br />
――あなたはかなり興奮していたのか。<br />
吉田「興奮っていうか&hellip;興奮はしてないと思うが、興奮していたかもしれない」<br />
――相手を説得するのは分かるが、紙を破くというのは別の話だ。<br />
吉田「あくまで箇条書きにしただけものも。誰々、いくら、と書いてあるだけ。石川さんに本当のことを喋ってもらうためのテクニックというか」<br />
――それで話したくない気持ちが変えられるかも、と？<br />
吉田「はい」<br />
――興奮していたというよりテクニックなのか<br />
吉田「複合的なもの」<br />
　<br />
　続いて市川太志右陪席裁判官。<br />
――メモはびりっとやぶったのか。どのような態様で破いたのか。<br />
吉田「普通に裂いた」<br />
――少し持ち上げて？<br />
吉田「置いたままでは破けない」<br />
――相手に見せつけるように？<br />
吉田「それは、そう」<br />
</font></strong><strong><font color="#000000">――気の弱い被疑者であれば、目の前でびりっと破られれば、検事さんを怒らせてしまったのではないかと思うのではないか。そういうことは気にならなかったか。<br />
吉田「必ずしも気の弱い被疑者ということはないので、そういう意識はなかった」<br />
　<br />
　再び裁判長。<br />
――メモを破った時には、両者の間に緊張感のようなものがあったか。<br />
吉田「石川さんの取り調べは、あまり緊迫感はなかった。石川さんが『ワッハッハ&hellip;』と笑ったのを覚えている。弱い立場の被疑者という意識はない」<br />
</font></strong><strong><font color="#000000">――興奮とテクニックと半々ということだが、破くことで何か効果を期待できるのかな。<br />
吉田「私は一定の効果があると思った&hellip;外れましたけど」</font></strong></p>
<p>　同じような質問が繰り返されていることなどからも、裁判官たちが、吉田検事の説明に、どうしても納得できないでいることが伝わってきた。<br />
　<br />
　<br />
　<br />
　この日午後の法廷では、石川議員の女性秘書Ｕさんが弁護側証人として出廷。民野と名乗る検事に呼び出され、弁護士に連絡を取ることも許されず、長時間の取り調べを受けるなど、検察に不当な捜査を受けたと訴えた。<br />
　弁護人の問いに答えてＵさんが語ったところによれば、押収品の返却のために平成22年１月26日午後１時に東京地検に赴いたところ、証拠隠滅容疑の被疑者として取り調べを受けた。「弁護士に連絡させてください」と頼んだが、「すでに弁護人専任届けを出した弁護士でなければ、そういう権利はない」と拒否された。「あなたを逮捕できる情報を手にして調べているんだから、自分から話をして罪を軽くしなさい」と言われたが、何について聞かれているのか分からなかった。<br />
　「石川の政治生命は終わりなのだから、庇う必要はない」などと言われ怖くなったが、検事からは具体的な質問はされず、ただ「話なさい」としか言われなかったので、何のことか分からず、黙っていた。夕方には子どもを保育園に迎えに行かなければならないので、「５時にここを出られるよう約束してください」と頼んだが、「人生そんなに甘くない。あなた次第だ」と言われた。さらに、子どもたちのことについて「この子たちが保育園で『犯罪者の子どもだ』と言われたら、どんな気持ちになるんだろうね」と言われ、絶望的な気持ちになった。<br />
　その間、男性の事務官が同席していたが、しだいに居眠りを始め、途中からは机の上に足を投げ出すようにして眠りこけていた。それを見ながら、Ｕさんは「こういう人にも残業代は出るのかな。この人たちは私に何かを聞きたいわけじゃなくて、ただここに閉じ込めておきたいだけなんだ」と思った、という。<br />
　休憩を申し入れても認めてもらえず、もうこれでは倒れてしまうと思い、カバンから携帯を出して弁護士に連絡を取った。検事は「石川がどうなってもいいのか」と怒鳴っていたが、朦朧としていて、とにかくここから出して欲しい一心だった。弁護士から「帰っていいんだ」とアドバイスされたので帰ろうとしたら、それでも検事は目の前に立ちふさがって「帰れるだけないだろう」とすごんだ。結局、解放されたのは午後11時だった。「任意」の取り調べは１０時間も続いたことになる。<br />
　「今思えば、私を拘束することによって石川に与える心理的プレッシャーを考えていたのかもしれない」とＵんは主尋問での証言を締めくくった。<br />
　<br />
　続いて、検察側の反対尋問は市川宏検事。４人の公判検事の中でも、常に沈着冷静。感情を表に出さず、丁寧に、かつ理詰めで攻めるタイプ、という感じだ。<br />
――この日は夕食もとれなかった、と言いましたね？<br />
「はい」<br />
――実際には、事務官がサンドイッチを買ってきたのではないですか。<br />
「覚えていません」<br />
――呼び出しの電話では、押収品を返すと言ったのですか。<br />
「はい」<br />
――実際には、民野と名乗る人は、ほかに「あと少し確認したいこともある」と言ったのではないですか。<br />
「聞きたいことがあるとは言っていたと思う」<br />
――取り調べでは具体的な質問はない、ということでしたね。<br />
「はい」<br />
――実際には、関連政治団体の寄付処理について聞かれたのではないですか。<br />
「具体的な口座名をおっしゃらなかったので、私は分かりません」<br />
<br />
　このような形で、主尋問の証言を少しずつ修正させ、その後で石川議員の政治団体の預金通帳のカラーコピーと白黒コピーを示した。カラーコピーは、検察が押収した時の預金通帳の写し。それとは別に、石川事務所からは通帳の白黒コピーが押収されていて、そこには入金や振り込みの横に、支援者の名前などの書き込みがされていた。押収した預金通帳にはその書き込みがなかったことから、不利な証拠になるので誰かが意図的に消した、と検察は見ていたようだ。<br />
――取り調べの際に、これを示されたのではないですか。<br />
「民野検事は、こういうサイズの通帳のコピーは持っていた。見せてくれとお願いしても見せてくれなかったので、分かりません」<br />
――それで、何を聞かれましたか。<br />
「具体的なことは聞かずに、自分から言った方が罪が軽くなると」<br />
――特定人物の書き込みをあなたが消したんじゃないかと、聞かれませんでしたか。<br />
「そういうことを聞いてくれれば対応しました」</p>
<p>　弁護側の異議で、裁判長はそれ以上通帳のコピーを証人に示すことは禁じたが、尋問の続行は許可した。<br />
　市川検事は、個人名は伏せつつ、５件の振り込みや入金合計６５０万円の例を挙げ、それをＵさんが通帳から消したのではないかと、民野検事から聞かれたのではないか、と問うた。<br />
　Ｕさんは、「具体的にそういうことは聞かれません」と否定。<br />
　ただ、こうしたやりとりになると、Ｕさんは証言をしてよいものかどうか迷うのか、何度も弁護人の方を見たり、証言を渋ったりした。検察官からは「証言を回避している態度が見られる」と指摘され、裁判長からも「弁護人の方を見ないで」「記憶に従って述べてください」と何度か注意を受けた。こうした証言をためらう態度によって、主尋問での証言のインパクトも、かなり減殺された印象だ。石川議員の弁護人は、反対尋問を想定してろくに打ち合わせをしないまま、Ｕさんを法廷に送り出したのだろうか。<br />
　いずれにしても、検察側の見方とＵさんの証言は、平行線のまま終わった。このＵ証言の信用性についても、取り調べの課程を録音なり録画なりしておけば、容易に判断できる。録音があれば、おそらくＵさんを証人として引っ張り出す必要もなかったのではないか。<br />
<br />
　江田法相は、最高検に対して、特捜部などの独自捜査では、取り調べの全過程を含む録音・録画の試行を行うよう指示した。しかし、Ｕさんのように任意の取り調べでは、試行すら行われない。取り調べを受ける側が、自ら録音機を持ち込んで録音することを禁じる法律がないことは法務省も認めているが、検察は「庁舎管理権」を盾に録音を認めない。<br />
　Ｕさんの場合も、携帯電話は電源をオフにさせられ、小物入れのバッグは遠くに離しておくように命じられている。密かに録音されることを警戒してだろう。<br />
　しかし、録音記録がないことで、このように真相解明に支障が生じている。<br />
　<br />
　<strong><font color="#800000">せめて、本人が音声記録や映像記録を求めている被疑者については、任意であっても、身柄を拘束されていても、録音・録画を行うという制度を、早く作るべきだ。<br />
　そうでなければ、法廷でこういう平行線が続くだけだ。後は、想像で「この人は信用できるっぽい」「いや、あんまり信用できそうもない」と判断するしかない。そこには、どうしても主観が入ってしまう。<br />
</font></strong>　<br />
　それにしても、陸山会事件とは何だったのだろうか。小沢氏の３人の元秘書は、政治資金収支報告書への４億円の記載を巡って起訴されたはずなのに、それ置き去りにされ、どんどん事件が拡散している。検察側は水谷建設からの５０００万円を強調し、まるで実は贈収賄があったかのように印象づけ、さらには石川議員の政治資金を巡る問題まで法廷に持ち出されている。<br />
　小沢氏に連なる人たちは、何か怪しい、何か隠している、けれども結束力が強くしっぽを出さない――そんな雰囲気作りだけが、着々となされている感じもする。<br />
　検察側と弁護側の力量の差ゆえなのか、裁判長の訴訟指揮によるものか、その辺はよく分からないが、果たして刑事裁判の在り方として、こういうことでいいのだろうか&hellip;&hellip;。</p>]]>
        
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    <title>同時に裁かれる特捜〜石川知裕議員らの初公判を傍聴して</title>
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    <published>2011-02-09T01:00:00Z</published>
    <updated>2011-02-09T10:11:45Z</updated>
    
    <summary>　政治資金規正法違反の裁判だというのに、検察の冒頭陳述はまるでダム建設の受注を巡...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[　政治資金規正法違反の裁判だというのに、検察の冒頭陳述はまるでダム建設の受注を巡る汚職事件のようだった。嫌疑がはっきりしているなら収賄罪で立件すべきで、それができないものを、被告人らの悪いイメージをかきたてる印象操作に利用するというのは、フェアと言えるだろうか。<br />
<br />
　弁護人の冒陳で驚いたのは、大阪地検から応援で派遣された前田恒彦元検事（証拠隠滅で起訴）が、大久保隆規元秘書を約２週間にわたって取り調べた際、ほとんど検察事務官を同席させることなく、完全な密室状態だった、ということだ。そこで前田元検事は、時に号泣するなど不可解な言動もあった、という。<br />
<br />
　さすがに検察側はこの調書の証拠請求を撤回したが、弁護側主張が事実なら、東京地検特捜部はなぜこのような取り調べを許していたのか、説明を聞きたい。<br />
<br />
　また、石川知裕衆院議員の女性秘書に対する事情聴取は、任意であるはずなのに、子どもを保育園に迎えに行くことも電話をすることも許さず、10時間にわたる威圧的なものだった、と弁護人は主張。池田光智元秘書の弁護人も、調書への署名を迫った検察官から「署名しなければ保釈されない」「署名すれば悪いようにしない」などと取り引きめいた発言があったと指摘した。<br />
<br />
　石川議員が、保釈後に受けた取り調べを録音した内容も印象的だった。検察官がしきりに、捜査段階の供述を変更すると小沢一郎民主党元代表に不利になる、という趣旨の話を執拗に繰り返している。石川議員が、いくら「（小沢氏に借り入れた）４億円を隠すために時期をずらしたわけではない」と説明しても、検察官は聞き入れない。３時間半後には石川議員も「分かりました。忸怩たる思いが&hellip;仕方ないです」と主張を通すことを諦めたようだ。<br />
<br />
　こうした状況からは、検察側の筋書きに沿わない調書は絶対に作成したくないという検察側の強い意志が伝わってくる。大阪の郵便不正事件でも、検察の筋書きに合わない供述は調書にしてもらえない、という問題があった。特捜検察に共通する問題かもしれない。<br />
<br />
　今後の公判では、取り調べ検事も出廷する。被告人３人だけでなく、特捜検察の捜査手法も同時に裁かれている、と言えるだろう。]]>
        
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    <title>これでいいのか、検察審査会</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.egawashoko.com/c006/000326.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.egawashoko.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=326" title="これでいいのか、検察審査会" />
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    <published>2010-07-23T09:23:04Z</published>
    <updated>2010-07-24T02:34:19Z</updated>
    
    <summary>　東京都内の飲食店経営会社の社長から現金約30万円を脅し取ったとして６人が恐喝で...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[　東京都内の飲食店経営会社の社長から現金約30万円を脅し取ったとして６人が恐喝で逮捕され、不起訴となった事件で、東京第４検察審査会は、この会社の役員1人について「起訴相当」とする議決をした。<br />
　東京地検はこの６人を、「起訴猶予」にしていた。犯罪としての要件は満たすけれど、あえて起訴するまでもないという判断だ。この点で、犯罪事実の立証そのものができなずに「嫌疑不十分」で不起訴とした民主党の小沢一郎氏の政治資金を巡る事件とは、大きく異なる。<br />
　今回の事件は、元はと言えば店の共同経営者同士の利益の配分を巡る民事上のトラブルであるし、被害金は返却されている。さらには逮捕後の被疑者の態度なども考慮されたはずだ。検察はわざわざ国費を使って裁判にして犯罪者を増やすほどの意味はない、と判断したのだろう。<br />
　一方の検察審査会は、被害者の主張を重視し、その被害感情を汲み取って、検察の判断に異を唱えた。被害者側からすれば、被害者重視の「市民感覚」によって検察審査会が存在感を発揮した、と言うことになる。<br />
　検察側はもっと被害者が納得するような対応なり丁寧な説明なりをしなければならない、という「市民感覚」による意思表示とも読める。<br />
　<br />
　ただ、議決はそれだけで終わらなかった。<br />
　検察審査会の議決要旨は、「起訴相当」の結論を書いた後、わざわざ民主党の横峯良郎参議院議員の名前を挙げて、捜査批判を行った。<br />
　まず、横峯議員は＜いわば参謀のような活動をしており、深く犯罪に関与している＞と断定。それにも関わらず、取り調べ対象にならなかったことについて＜弱い立場にある者だけが捜査の対象になっているのである。余りにも不公平で適正を欠く＞と捜査を非難し、そのうえで＜捜査機関は国民の信頼や期待を裏切ることのないよう厳正公平に捜査を行っていただきたい＞と注文をつけた。文章に、憤懣やるかたないといった感情がほとばしっている。<br />
　検察審査会は捜査の全課程を検証する機関ではなく、求められているのは検察の不起訴処分に対する判断だ。そもそも横峰氏は、被害者からの告訴対象にもなっておらず、今回の審査対象でもない。そうした人物について、ここまで言及したことに、「踏み込みすぎ」という批判も起きている。<br />
　小沢氏を巡る事件でもそうだったが、政治家、とりわけ与党議員の名前が出てくると、検察審査会のメンバーは俄然、使命感をかき立てられるのだろうか、ついつい前のめりになり、感情的な発言も多くなるようだ。<br />
　この東京第４検察審査会は、４月下旬に鳩山由紀夫首相（当時）の資金管理団体で虚偽の収支報告書が作成された件で不起訴となっていた鳩山氏に関し「不起訴相当」の議決をしている。その議決要旨の最後に、政治資金規正法が＜政治家に都合のよい規定になっている。選任さえ問題がなければ監督が不十分でも刑事責任に問われないというのは、監督責任だけで会社の上司等が責任を取らされている世間一般の常識に合致していないので、本条項は改正されるべきである＞という意見が強く主張された旨の付言がある。<br />
　鳩山氏を「起訴相当」にできないことへの無念さがにじみ出ている議決をした当時のメンバーが、この検察審査会にはまだ半分残っている。その無念さが、横峯氏は「与党の議員＝強い立場」だから捜査対象にならなかった、という見方につながり、捜査機関への憤りとなって噴き出したようにも思える。<br />
　そういう事情が背景にあるとすれば、横峯氏の名前がなければ、検察審査会がこれほど被害者に感情移入しただろうか、という気もしてくる。検察側の判断に異議を申し立てるにしても、「起訴相当」までいかずに、「不起訴不当」程度で済んだのかもしれない&hellip;&hellip;これは、私の想像に過ぎないのだが。<br />
　<br />
　閑話休題。政治家は、一般市民よりはるかに厳しくその言動をチェックされるのは当然だ。<br />
　横峯議員に関しては、私自身も、この事件への関与が取りざたされた後の態度は必ずしも誠実とは言い難い印象が残っている。そもそもトラブルが起きている先に、プロレスラーを紹介するという発想が、理解しがたい。また、彼が参議院議員にふさわしい仕事をしているのかについても、疑問を抱いている。なので、国民から様々な批判を受けたり、メディアに報じられたりしたからといって、かばい立てをしたいとは全然思わない（もっとも、衆議院が解散された２日後、逮捕された６人はすでに釈放されているにもかかわらず、２つの週刊誌に横峯氏の関与が報じられたことには、総選挙を前にした警察の意図的なリークの臭いもするのだが）。<br />
　しかし刑事責任は、道義的責任、民事責任、あるいは政治的責任とは別に考えるべきだ。<br />
　起訴をすれば、法廷で検察側は証拠に基づいて有罪を立証していかなければならない。裁判の場では、雑誌など報道から得た情報や印象などは排除される（ことになっている）。そういう中で有罪判決が得られる見込みがなければ、検察は起訴はしない。<br />
　小沢氏を巡る二つの議決といい、今回といい、検察審査会のメンバーは、刑事責任の意味や裁判での立証などについて、どの程度事前にレクチャーを受け、理解していたのだろうか、という疑問がわく。<br />
　裁判員制度は、初めて導入されることもあって、事前に模擬裁判を重ねるなどの準備を行った。予断を持った人は裁判員に選ばれないようにする仕組みもある。そのうえで、実際の裁判の前に、法廷に出された証拠のみで判断するように、裁判員たちにレクチャーがなされている。<br />
　一方の検察審査会は、制度としては以前からあった。なので「起訴相当」の議決２回で強制起訴とすることになり、権限が大幅に強化された時にも、裁判員制度の導入ほど注目もされず、事前にどのような準備が行われたのか、よく分からない。<br />
　審査にあたって、予断を持つ人が排除されているのかも、分からない。事前にどのようなレクチャーがなされているのかも分からない。どういう証拠に基づいて判断したのかも分からない。検察官が呼ばれて説明をしたのかどうかも、その説明内容も分からない。補助員の弁護士がどういう意見を述べたのかも分からない。それどころか、議決文全文も明らかにならない（発表されるのは、あくまで「要旨」だ）。<br />
　裁判員は本人の意向を確認したうえで、匿名のまま裁判終了後に記者会見で感想などを述べることがあるが、検察審査会の場合は、それもない。<br />
　最終的に無罪となったとしても、誤った起訴をされて刑事被告人となるだけで、一般人の場合は職を失うこともあり、公務員でも休職を強いられ、政治家は政治生命を失いかねない。起訴の権限を持つということは、それだけ重い責任を負うということだ。<br />
　先日、金沢地裁で盗難クレジットカードを使ってコンビニのＡＴＭから現金を引き出した、として窃盗罪で起訴された男性が、鑑定の結果犯人とは別人と証明され、検察側は無罪の論告をし、謝罪した。<br />
　「嫌疑不十分」で不起訴となった人が、検察審査会で２度の「起訴相当」を経て強制起訴された場合、裁判で無実が明らかになったら、どうするのだろう。<strong><font color="#ff0000" size="4">検察審査会によって、間違った起訴がなされた場合、いったい誰が責任をとり、誰がどのように謝罪するのか。</font></strong>損害を回復するための措置を、誰がどのようにしてやってくれるのか。<br />
　強い権限と重い責任を担っている検察審査会のあり方が、果たして今のように不透明でいいとは思えない。予断を排し、証拠のみによって審査を行う工夫や、検察官や補助員弁護士の説明や証拠の標目は公開するなど、改善すべき点は少なくない。早急に、検察審査会の問題点を洗い出し、よりよい制度にするための議論を始めるべきだ。<br />]]>
        
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    <title>ツイッターについて</title>
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    <published>2010-06-22T02:20:40Z</published>
    <updated>2010-06-22T02:21:51Z</updated>
    
    <summary>　私のツイッター・アカウントはこちらです http://twitter.com/...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="お知らせ" />
    
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    <title>郵便不正事件・倉沢被告への判決を読んで</title>
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    <published>2010-04-27T08:53:51Z</published>
    <updated>2010-04-27T13:46:22Z</updated>
    
    <summary>　　実にスカッとしない良い判決だ――郵便不正事件で、自称障害者団体「凛の会」元代...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　　<font color="#ff00ff" size="5"><strong>実にスカッとしない良い判決だ</strong></font>――郵便不正事件で、自称障害者団体「凛の会」元代表・倉沢邦夫被告に対する大阪地裁の判決を読んでみて、しみじみそう思った。<br />
　スカッとしないのに良い、と感じたのはなぜか。それはあとでゆっくり述べるとして、裁判所は、偽の公的証明書作成に関与したとする虚偽有印公文書作成・同行使罪については倉沢被告に無罪を言い渡した。<br />
　倉沢被告は、裁判で捜査段階での検察官調書と異なる供述をしているが、判決はいくつもの点で調書の信用性に疑問を呈している。とりわけ、厚生労働省元局長の村木厚子被告（事件当時は課長）が倉沢被告の求めに応じて、郵政公社の幹部に電話をしたという部分については、倉沢調書は「不自然」とまで言い切っている。<br />
　公判での供述・証言より供述調書の方が信用できるとする主張を退けられた検察側は、審理が終盤に入っている村木被告の裁判でも、一層苦しい立場に追い込まれた、と言える。<br />
　ただ今回の判決は、村木被告が偽の公的証明書に関わっていない、とは言っていない。その点についての判断はせず、事件の真相を解き明かしてはいない。<br />
　そういう点で、実にスカッとしない。けれど、そこが今回の判決のいいところだ。</p>
<p>　公判で被告人が捜査段階の自白調書を否認しても、任意性・信用性ともに認められて、検察側の主張をベースに有罪判決が下されるというのは、刑事裁判でよくあるパターン。そういう場合は、調書は「信用できる」、被告人の公判での供述は「信用できない」と決めつけるので、判決は実に明快だ。有罪という結論が決まれば、その結論を支える証拠を選択してつなぎ合わせたり、証拠を結論に合わせて解釈していけば、首尾一貫したストーリーができあがる（無罪の結論ありきで判断が行われることは、希有だろう。例外的に思い浮かぶのは、真犯人が現れた富山冤罪事件やＤＮＡ鑑定で無実が判明した足利事件の再審裁判くらいだ）。<br />
　一方、今回の事件では、検察官調書を信用性あるものと受け止めることに、裁判所が強いためらいを覚えている様が、判決文の端々から感じられる。倉沢公判は、村木公判とは証拠も証人も異なり（同じ証拠もある）、別事件として裁かれているものの、裁く裁判官は同じ。いくら別事件として審理しても、裁判官だって人間だ。村木公判では多くの関係者が捜査段階とは異なる証言を行い、検察官があらかじめ決められたストーリーに沿う供述を強いたかと述べ、しかも検察官は誰一人として取り調べメモを残しておらず、机を叩いたり大声を張り上げたりといった&rdquo;威嚇的取り調べ&rdquo;が一部であったことを認めている。そういう情況を目の前にすれば、裁判官だって、いつものように検察官調書の信用性を簡単に認めることはできない、という心理は働くだろう。<br />
　かといって、村木公判と違って、倉沢公判では上村被告らの証人尋問を行っておらず、提出された証拠の範囲で判断をしなければならない。そのため裁判官としては、証人尋問を行っておらず、倉沢被告が同意している関係者の調書を排除することはできかねるし、被告人の調書もハナから信用できないとは言えない。<br />
　そんな中、一つひとつの争点について、裁判所は証拠を丹念に精査。ある証拠をみれば「被告人の検察官調書の供述記載の信用性を相当程度確保しているともみえる」としながら、別の証拠を見ると「公判での供述を排斥することはできない」と考える。そうやって、いろんな証拠を検討したうえで、捜査段階に疑いの余地があるかどうかを判断していった。すると、捜査段階の供述「疑いを入れる余地」「合理的疑い」が残るということが分かってくる。<br />
　そうした判断を積み重ねていったところ、倉沢被告は「凛の会」が障害者団体としての実績がないことは認識していたものの、公的証明書を得るための具体的な作業は同会の実質的な主宰者である河野被告がやっていることもあって、厚労省側が正規の手続きを経ないで偽の公的証明書を出したのか、それとも厚労省側も河野被告にだまされて正式な証明書を出してしまったのか知らなかった可能性もある。<br />
　要するに、真相はよく分からない、というのが、倉沢公判での裁判所の事実上の結論だ。<br />
　こういう状況では、公的証明書の作成権者である村木被告が偽の証明書と知りつつ作成に関与したと、倉沢被告が認識しているとは判断できない。<br />
　なので、「被告人のなした行為は、社会的には不相当で非難されるべきものではあるが、本件公訴事実については犯罪の証明がないことになる」として無罪としたのだ。<br />
　<br />
　検察官が「<font color="#ff0000" size="5"><strong>合理的疑いを超える証明</strong></font>」をしなければ、裁判所は有罪判決は出してはならない、というのが刑事裁判の原則。私たちは学校で「<font color="#993300" size="5"><strong>疑わしきは被告人の利益に</strong></font>」と習った。今回の判決は、この原則に忠実に、争点一つひとつについて、検察官が「合理的疑いを超える証明」を行っているかを吟味している。<br />
　もっとも、これではいったい何が真相なのか分からない。<br />
　事実が未解明なのは、実にモヤモヤした後味の悪さが残る。分からないものを分からない、と認めるのは、あまり気分がいいことではない。そういう感情は、裁判官だって同じだろう（と私は思う）。できれば、「事実はこうだ！」というスカッとした判決を書きたいに違いない（と私は想像する）。かなり強引に事実認定をしてしまう裁判が少なくない背景には、そういう裁判官の心理も影響しているのではないか（と私は推測している）。<br />
　今回、大阪地裁の第12刑事部の裁判官たちが、そういう誘惑に抗し、刑事裁判の原則に従った慎重な判断に徹したのは、やはり村木公判での証人尋問で、大阪地検特捜部の捜査のひどさを目の当たりにしたことが大きいだろう。<br />
　だからこそ、全国すべての裁判官たちに村木公判に注目して欲しい。そこで語られた検察の取り調べの実態を見れば、安易に検察官調書の任意性や信用性を認め、それに乗っ取ってスカッとした判決を書くことが、どれほど危ういのか、分かるはずだ。<br />
　<br />
　私たちは、つい司法に「真相解明」を求めてしまいがちだ。けれども、それは本来の裁判所の役割とは違う。大切なのは、「真相はこうだ！」といったスカッと明快な事実認定をすることではなく、検察側が「合理的疑いを超える証明」をちゃんとしているかどうかをチェックすることだ。そういう裁判所の本来の役割、そして刑事裁判の原則を、今回の判決は私たちに思い起こさせてくれた。<br />
　そういう意味で、私は「スカッとしない良い判決」だと感じたのだ。<br />
　おそらく、村木被告の裁判においても、この裁判官たちは、スカッと真相を解き明かすより、検察の立証が「合理的疑いを超える証明」になっているか、一つひとつ丹念に検討する判断をするのではないか。<br />
　それこそ、まさに私たちが裁判所に本来期待すべきことだと思う。</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
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    <title>『検察が危ない』を読んで</title>
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    <published>2010-04-20T10:07:50Z</published>
    <updated>2010-04-20T10:47:11Z</updated>
    
    <summary>　元検事でコンプライアンスの専門家の郷原信郎氏の新著『検察が危ない』（ベスト新書...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　元検事でコンプライアンスの専門家の<font color="#800000" size="4"><strong>郷原信郎氏</strong></font>の新著<font color="#ff0000"><strong><font size="5">『検察が危ない』</font><font color="#800000" size="4">（ベスト新書</font></strong></font><font color="#800000" size="4">）</font>を読んだ。<br />
　一連の小沢氏の政治資金問題の捜査をとっかかりにして、過去から現在に至る検察特捜部&rdquo;罪&rdquo;と、それが生み出される構図を明らかにひもといている。<br />
　そうした&rdquo;罪&rdquo;は、多くの人が人生を狂わされる人権問題を引き起こしたにとどまらず、日本の政治経済にも大きな負の影響を及ぼす、まさに大規模なものだった。それこそ、まさに「巨悪」と呼ぶのがふさわさしい。</p>
<p>　いくつもの事件の問題点を具体的に指摘しているが、その中でも中村喜四郎衆院議員のゼネコン汚職についての記載が印象的だった。<br />
　この事件は、埼玉県内の公共工事を受注する建設会社６６社の組織「埼玉土曜会」の談合事件をめぐって、大手建設会社「鹿島」の元副社長からの請託（依頼）を受け、公正取引委員会の委員長に対して告発を見合わせるよう迫り、その見返りに現金１０００万円のわいろを受け取った、として斡旋収賄罪で実刑判決を受けた。<br />
　ところが、そもそも、公正取引委員会は検察が了承した事件しか告発をせず、事実上告発の権限は検察にあるのが実態。その検察が、埼玉土曜会事件は告発すべきでない、と判断していた、と郷原氏は書く。中村議員自身は、告発回避に関して自らの関与を否定しているが、仮に口利きがあったとしても、それはまったく意味のないものだった。<br />
　新聞も口利きによって告発を見送ったとしている断じたわけではないが、メディアの国民の間に「ゼネコン汚職事件で政治家が逮捕されないのは納得できない」という気分が充ち満ちたのは、メディアがそうした方向で世論を導いたためだ、と郷原氏は具体的な例を挙げながら指摘する。<br />
　検察のサポーターと化したメディアが疑惑を煽り、国民が検察に過剰な&rdquo;期待&rdquo;をし、検察はその期待に煽られる。煽りが煽りを呼ぶ中、検察は暴走していく&hellip;&hellip;その構図は、今も続いている。<br />
　この時、郷原氏は公取委に出向していたこともあり、事件の当事者に近いところにいた。だからこそ、むしろ守秘義務により書けないことが多いのだろうが、その時に抱いた疑問と無念は、次の文章からも伝わってくる。<br />
＜特定の政治家、ゼネコン間の金のやり取りを贈収賄として立件することに膨大なコストが費やされ、金のやり取りの背景としての談合構造の解明はほとんど行われなかった＞<br />
＜ゼネコン汚職の捜査が、公共調達をめぐる談合構造とそこにおける政治と金の構造を明らかにする方向で行われていたとしたら、現在の日本の経済社会はまったく異なった状況になっていたかもしれない＞</p>
<p>　ゼネコン汚職の時に限らず、特捜事件となればメディアは大きく取り上げる。むしろ検察に先行して、疑惑を書き、疑惑を語り、世論を盛り上げる。検察を激励し、時に叱咤もしてみせる。<br />
　検察を軍隊、司法記者クラブを従軍記者に喩えているのは、その根拠を読むと実に適切だと納得。このような関係があるので、検察を「正義」として賞賛する報道ばかりが溢れ、人々の&rdquo;特捜信仰&rdquo;がますます強くなっていく。特捜検察の問題は、メディアの問題でもあるとつくづく思う。</p>
<p>　他に本書が指摘している特捜検察の問題点で印象に残ったのは、<br />
（１）起きていることは複雑なのに、事件のストーリーを単純化させる<br />
（２）一人ひとりの検事が主体的にものを考えるのではなく、仕事環境がむしろ思考停止に追い込んでいく<br />
（３）検察全体の問題であるにもかかわらず、不法な取り調べの問題は個人の検察官の不祥事に矮小化され、教訓が若い世代に引き継がれない<br />
――という点など。<br />
　どれも、記述は具体的。筆者が検察出身だけに、その論は説得力がある。郵便不正事件の村木厚子・厚生労働省元局長の裁判を傍聴していると、一つひとつうなづいてしまう。ただ筆者は、守秘義務に抵触しないよう、そうした点に関しての具体的な記述は新聞記事や他人の著作をうまく引用するなど、工夫をこらしていて、執筆中の苦労がしのばれる。<br />
<br />
　筆者は、特捜検察の捜査こそ、まず可視化をすべしと主張。私もこれに強く同意する。<br />
　また筆者は、特捜部に多数の検事を常時配置している今のあり方にも疑問を呈しているが、特捜部解体も検討してみるべきではないかと考え始めている私は、この部分も大きくうなづきながら読んだ。<br />
<br />
　メディアに登場する元検事は、基本的に今の検察のやっていることを肯定的に説明する人ばかりという印象だが、郷原氏のように、法律家として検察はいかにあるべきか、という視点で語ってくれる人が、ようやく現れたのだな、と思う。<br />
　郷原氏の検察批判は、アンチ検察ではない。その言動の出発点には、検事という仕事への誇りと愛情がある。単に内部の事情に通じているというだけでなく、自分が長く携わった仕事への強い思いがあるからこそ、彼の著作物は多くの人の共感を呼ぶのではないだろうか。</p>
<p>　本書は、今後、検察がいかにあるべきかを、一人ひとりが考えるための材料をたくさん提供してくれている。<br />
　国民が「特捜信仰」から解き放たれて、自ら考えるための一冊。とりわけ、この信仰の布教者となっているマスコミの方々には、ぜひ読んで欲しい。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>常岡浩介さんへのツイッターインタビューより</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.egawashoko.com/c006/000321.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.egawashoko.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=321" title="常岡浩介さんへのツイッターインタビューより" />
    <id>tag:www.egawashoko.com,2010://1.321</id>
    
    <published>2010-04-19T02:43:57Z</published>
    <updated>2010-04-19T03:05:10Z</updated>
    
    <summary>　ジャーナリストの常岡浩介さんがアフガニスタンで消息を絶ってから、まもなく20日...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.egawashoko.com/">
        <![CDATA[<p>　ジャーナリストの常岡浩介さんがアフガニスタンで消息を絶ってから、まもなく20日になります。何者かに誘拐されたという発表があり、その後杳として行方は分からないまま。無事だという未確認情報は流れたけれど、あくまで未確認情報であって、どういう状況に置かれているのかは判然としません。<br />
　ご自身もムスリムであり、海外の紛争地域など難しい状況での経験豊富な常岡さんのことなので、大事には至っていないと信じますが、長引くと、やはり心配。ご家族や愛猫のことを思うと、早く無事が確認されることを祈ります。<br />
　現地で途中まで同行されていた中田考・同志社大学教授のツイッターは、今回の常岡さんのアフガン行きの目的を次のように書いています。<br />
　＜常岡さんと私がアフガニスタンに行ったのは、この戦争を終わらせるためにアフガニスタン・イスラーム首長国の最高指導者ウマル師との交渉の糸口を見つけるため＞<br />
　そのために、外国人と分からないようにして潜伏したり、タリバン関係者と面談したりしていたようです。その合間に、現地の状況をツイッターやブログで伝えていました。私のツイッター・インタビューにも丹念に答えてくださっています。<br />
　すでに一部がtogetterでまとめられていますが、ダイレクトメール（ＤＭ）でのやりとりの一部も含めて、ここでまとめておくことにします。<br />
　　<br />
　<br />
<strong>３月２３日</strong><br />
朝日ニュースター「ニュースの深層」（キャスター上杉隆＆重信メイ）に電話出演後</p>
<p><strong>江川</strong>　見（聞き）ました。お会いになったタリバン幹部は、和平交渉はしないというのであれば、今後どうしたいorどうなる、と言っているのですか？交渉しないのは本心だと思いますか？イラクでは本心より強いことを言う男たちが多かったですが、タリバンなどはどうなのかしら&hellip;</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　ザイーフ師は、交渉は無駄だ。戦って勝つ、という姿勢なのだと思います。戦闘でタリバン側が圧倒的有利なので、そう考えるのでしょう。米国の「18ヶ月後の撤退」についても、全く信用できないということでした。</font></p>
<p><strong>江川</strong>　米側や政府側が劣勢の時に和平交渉言い出しても、足元見られるだけってことなのかしら</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　ただ、それがタリバンの総意なのかは謎です。和平交渉の全面に立っているムタワキル師とは今回、まだ会えていませんし、ザイーフ師は日本の和平仲介努力も知らないようでした。</font></p>
<p><strong>江川</strong>　では、まだ決めつけることはできないですね。今後の情報を待っています</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　去年はザイーフ師も和平交渉を支持していたので、先のマルジャ攻略戦とバラダル師拘束が和平への機運を潰してしまったのだと思います。</font></p>
<p><font color="#993300">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;ちょっと気になるのが、18日に入国以来、タリバン側の和平交渉当事者の誰一人、なぜか連絡が取れないことです。電話しても呼び出しっぱなし。カルザイまたは米欧軍当局の情報遮断でなければいいんですが。実は、日本の犬塚議員も連絡が取れなかったと話していました。</font></p>
<p><strong>江川</strong>　秘密裏に交渉準備に入っている、という可能性は？</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　交渉は去年から続いていて、それがバラダル師拘束で妨害された、ということのようです。去年は簡単に連絡が取れましたから、なにか状況の変化があったのか？</font></p>
<p><strong>江川</strong>　ありがとうございます。また常岡さんのお仕事に支障のない時に、いろいろ教えてください</p>
<p><strong><br />
３月２５日</strong></p>
<p>（ＤＭでその日の常岡さんの行動について話を聞きました。その中で、常岡さんが「<font color="#993300">オマル師と和平の話をしなければいけないのですが、彼に繋がる人物に辿り着くのが一苦労です</font>」と書いていたのに続いて、以下のやりとりがありました）</p>
<p><strong>江川</strong>　初歩的な質問で申し訳ないんですが、オマル師って本当に生存していて、最高指導者としてメンバーを指導し、その指示命令はちゃんと末端に正しく伝わるような状況なのでしょうか&hellip;</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　オマル師の生存は間違いないみたいです。命令系統も存在していますが、主要な指導層はパキスタン国内にいて、パキスタン軍諜報機関の強い影響を受けているようです。</font></p>
<p><strong>江川</strong>　オマル師とパキスタン国内にいてパ軍諜報機関の影響を受けている指導層では方向性は一致しているの？</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　オマル師自身、パキスタンにいて、パキスタン諜報機関の監視・保護下にいるようです。そこで幹部会議なども開催されているようです。タリバン側は、自分たちはもはやパキスタンのかいらいではない、と主張していますが&hellip;。</font></p>
<p><strong>江川</strong>　となると、和平交渉のための工作は、アフガニスタンよりもパキスタンで行った方が効果的、って傍目には感じたりもしますが、どうなのかしら</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　おっしゃる通りです。が、先日のバラダル師の拘束で、パキスタンが和平プロセスを妨害している実態が明白になりました。国際的な圧力が必要かと。</font></p>
<p><font color="#993300">　つまり、タリバン自身は和平を望んでいるが、それを保護、管理しているパ当局がそれを許さないという図式のようです。もっとも、米軍マルジャ作戦とバラダル師拘束でタリバン自身も和平を断念しつつあるようです。</font></p>
<p><br />
<strong>江川　</strong>タリバンが望む「和平」って、どういう状態？　９．１１以前のアフガニスタンに戻すことを求めていくのかしら？</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　タリバンは外国軍の即時撤退を求めています。その前提として、和平交渉を始める土台作りとして、タリバン幹部の国連制裁リストからの解除や、捕虜を（違法に）収容しているバグラム刑務所の管理権のアフガン政府側委譲を求めています。後者の2つは部分的に実現しつつありました。（続きます）</font></p>
<p><font color="#993300">　米国が要求するだろうアルカーイダとの絶縁については、ムタワキル師は「受け入れ可能だ。もはや彼らはアフガニスタンの客人ではないから」と、していました。アルカーイダの行った911事件のために、アルカーイダのいなくなったアフガニスタンで米軍とタリバンが戦うのは無意味だ、という意見です。</font></p>
<p><strong>江川　</strong>このやりとり、差し支えない範囲でDMじゃなくて、TL上でやりません？そうすると、多くの人たちに伝わるし</p>
<p><font color="#000000"><strong>常岡</strong>　そうですね。では、あとはTLでお願いいたします。</font></p>
<p><br />
<strong>江川</strong>　アルカーイダとの絶縁について、常岡さんがインタビューしたムタワキル師は「受け入れ可能だ。もはや彼らはアフガニスタンの客人ではないから」と、していた、とのこと。初歩的な質問で申し訳ないのですが、アルカイダであり、かつタリバンという人はいない、と考えていいのかしら</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　アルカーイダは外国人の反米武装組織で、タリバンはアフガン人ローカルの自国改革を目指す運動組織です。協力関係はありますが、構成員も組織も全く別です。</font></p>
<p><strong>江川</strong>　縁を切るということになれば、アルカイダ系のにはアフガニスタンを出て行ってもらう、ということ？</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　そうです。そもそも、アフガニスタン国内にはアルカーイダはもはや100人もいないそうです。海外に出たアルカーイダが再び国内で活動することを認めない、という約束になると思います。</font></p>
<p><strong>江川</strong>　さっき「パキスタンが和平プロセスを妨害している」とおっしゃっていましたよね。パキスタンは、なぜ、どのように妨害を？</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　去年だったか、パ軍諜報機関トップが「米国とオマル師の和平を仲介する用意がある。ただし、カシミール問題で米国がパ国を支援することが条件」と、発言しました。パ当局はあくまでアフ国の戦争とタリバンを自国益に利用したいのでしょう。だから、パ国を介さない独</font></p>
<p><font color="#993300">自の和平プロセスを妨害するのだと思います。パ国内ではむしろアルカーイダがパキスタン・タリバン運動とともに「開放区」を作っていますし、アフ国、パ国からカシミールまで、問題は複雑に絡み合っています。</font></p>
<p><strong>別の方</strong>　 ということは、アルカーイダ義勇兵は隣国パキのＴＴＰへ合流しているのでしょうか？横からスミマセン。</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　そうです。アルカーイダの主力はパ国のワジリスタンにいます。パ・タリバン運動は大っぴらに、「アルカーイダを支援する」としています</font></p>
<p><strong>江川</strong>　ホント複雑ですね。だから、対応が難しいんですね。そのパキスタン・タリバン運動とアフガニスタンのタリバンとは提携しているわけですか？</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　協力していますが、やはり方針も組織も別です。TTPは世界革命論に傾いているようです。アフ・タリバンはパキスタンに侵攻したりしませんが、TTPはアフガニスタン国内でも活動しているそうです。</font></p>
<p><strong>江川</strong>　米国がアフ・タリバンにパキ・タリバンとの絶縁を求めたら、どうなるかしら。あと１つ、NATOがいなくなると、タリバンが国を支配して、再び以前のような状態、たとえば女の子の就学が難しいとか、名誉殺人など、女性の人権が脅かされる状態にならないでしょうか</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　TTPはアフ・タリバンよりパ国諜報機関と複雑に関係を持っています。米国もそれは理解して、パ国への圧力という形でTTPに対処しようとしているようです。和解なしに米国が撤退した場合、アフガニスタンが再び内戦に逆戻りするのは間違いないと思います。（続きます）</font></p>
<p><font color="#993300">内戦を避けるためには、米欧軍とタリバンが和解して、アフガニスタンを国際社会から孤立させず、見捨てないことが必須ですが、現状では米国は18ヶ月後にあとは野となれで一方的撤退をするつもりのようです。（まだ続きます）</font></p>
<p><font color="#993300">女性の人権や名誉殺人といった諸問題については、現在すでに最悪の状況です。メディアのプロパガンダで、女性迫害の責任がタリバンだけにあるように宣伝されましたが、実際にはアフガニスタンのあらゆる勢力がそれに関わっています。その原因は世界最悪の教育水準にあります</font></p>
<p><br />
<strong>３月２７日<br />
</strong><br />
<font color="#993300"><strong>常岡</strong>　イスラハ神学校でなぜか講演したなう。ちびっ子からおぢさんまで100人ぐらいのタリバン（神学生たち）に喝采していただいた。</font></p>
<p><strong>江川</strong>　講演のテーマは？</p>
<p><font color="#993300"><strong>常岡</strong>　外国の侵略に対しては、君らは最強だ。米国にも余裕で勝つだろうと私は心配してない。しかし、その君らがイスラム教徒同士殺し合うのは重大事だ。思うに、君らは世界から孤立した中で周りを敵に囲まれていると感じたと思う。しかし、あなた方の（続</font></p>
<p><font color="#993300">　友人は世界中にいる。キリスト教徒や仏教徒の中にも友人がいる。非力ながら私もアフガニスタンの友人を増やす努力をします。だから、敵ばかりではなく、世界に友人がいっぱいいると考えて手を差し伸べて欲しい、というような話をしました。</font></p>
<p><font color="#993300">&nbsp;上空を米軍ヘリがひっきりなしに低空飛行する中で、タリバンと同じデオバンド派の神学生たちとイスラム神学のお勉強会をするなんて、シュールすぎだったかも？</font></p>
<p><br />
他の方の質問に答えている様子も含めてご覧になりたい方は、こちらをどうぞ&rarr;http://togetter.com/li/10938</p>
<p>なお、常岡さんのツイッターアカウントは@shamilsh<br />
こちらからアクセスできます<a href="http://twitter.com/shamilsh">http://twitter.com/shamilsh</a></p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>新聞とツイッター</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.egawashoko.com/c006/000320.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.egawashoko.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=320" title="新聞とツイッター" />
    <id>tag:www.egawashoko.com,2010://1.320</id>
    
    <published>2010-03-02T13:24:54Z</published>
    <updated>2010-03-02T13:53:39Z</updated>
    
    <summary>　チリの地震に伴う津波についての情報を原口総務相がツイッターで公開していたことに...</summary>
    <author>
        <name>egawa</name>
        
    </author>
            <category term="社会のこといろいろ" />
    
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        <![CDATA[<p>　チリの地震に伴う津波についての情報を原口総務相がツイッターで公開していたことに、読売新聞が疑問を呈した。<br />
　ところが、同新聞社のサイトに掲載された記事は、途中で内容がかなり変更されていて、同社がいったい何を問題視しているのか、まことに分かりにくい。<br />
　<br />
　まずは最初の記事。掲載日時は2010年3月2日11時00分となっていた。<br />
　見出しは<strong>「原口総務相釈明&hellip;ツイッターで津波情報流してた」<br />
</strong>　以下が、内容。<br />
　<br />
<font style="BACKGROUND-COLOR: #ccffcc">＜原口総務相は２日午前の閣議後記者会見で、チリで起きた巨大地震に伴う津波の関連情報を自らのツイッター（簡易投稿サイト）に書き込んだことについて、「<font color="#0000ff"><strong>（投稿者が総務相の名をかたる）なりすましの危険はあるかも分からないが、</strong></font>正確な情報を国民に伝えることを優先した」と述べ、理解を求めた。<br />
　そのうえで、ＮＨＫなど災害情報を発信する放送機関について、「もっと適宜適切に公共放送も含め、横並びでない細かな情報が流れていくように、双方向のシステムがあればいい」と指摘した。<br />
　総務相は地震が発生した先月２７日から、政府の対応策を平野官房長官や岡田外相らとやりとりした事実のほか、各地の避難状況など７０件以上の情報を書き込んでいた。＞<br />
</font>　<br />
　これを読むと、なりすましの危険があって、誰かが原口総務相の名前を騙って、間違った情報を流されたら危ないのではないかと、読売新聞は心配しているように思える。<br />
　実際、原口氏のツイッターでは、記者からの質問の内容について、次のように書かれている。<br />
　<br />
<font style="BACKGROUND-COLOR: #99ccff">＜記者会見で私のツイッターによる災害対策情報提供について記者の１人よりなりすましの危険もあり不適切ではないかと質問がありました。 全くそのような認識を持っていないと回答しました。＞</font></p>
<p>　ところが、午後になって、読売のサイトの記事の内容が変わった。<br />
　タイトルは<strong>「原口総務相弁明&hellip;ツイッターで津波情報流してた」</strong><br />
　<br />
<font style="BACKGROUND-COLOR: #ffcc99">＜原口総務相は２日午前の閣議後記者会見で、チリで起きた巨大地震に伴う津波の関連情報を自らのツイッター（簡易投稿サイト）に書き込んだことについて、「正確な情報を国民に伝えることを優先した」と述べ、理解を求めた。<br />
　そのうえで、ＮＨＫなど災害情報を発信する放送機関について、「もっと適宜適切に、公共放送も含めて横並びでない細かな情報が流れるように、双方向のシステムがあればいい」と指摘した。<font color="#800000"><strong>放送行政と総務省消防庁を所管する総務相が、災害放送が義務づけられる放送機関より、ツイッターの利用を優先させる考えを示した</strong></font>ことは、今後、論議を呼ぶ可能性がある。<br />
　総務相は、地震発生後から、政府の対応策について平野官房長官らと行った協議など、計７０件以上の情報を書き込んでいた。＞<br />
</font>　<br />
　なりすましの危険性については、すっぽり削除。その代わりに、<font color="#800000">赤字</font>の部分が付け加えられた。要するに、総務大臣のくせに放送機関よりツイッターを優先したことがけしからん、というわけだ。<br />
　しかし、そもそも原口氏は放送よりツイッターを優先させたのだろうか。放送機関には情報を出し惜しみ、ツイッターで職務上知り得た情報を独占的に流すような行為をしていれば、非難されて当然だろう。けれども実際は、そういうわけではない。ＮＨＫでも民放でも、当日はジャンジャン津波情報を流していたのは記憶に新しいところだ。変更後の記事はほとんど言いがかりに近い。<br />
　<br />
　しかも、記事の論点がすり替わっているのに、掲載時刻は同じ2010年3月2日11時00分だ。どういうことなのだろう。<br />
　見出しも、最初の「釈明」が「弁明」へと変更された。<br />
　う〜ん、「釈明」と「弁明」。読売新聞の社内基準では、この二つをどう使い分けているのだろうか。<br />
　ちなみに、紙面には夕刊第４版で変更後のサイトと同じ記事が載っている。<br />
　<br />
　原口氏は、ずいぶん前からツイッターをやっていて、それを公言している。今さら「なりすまし」ということはありえない。そういう批判をされて、論点を変更する小細工をしたのではないか。<br />
　けれど、「なりすまし」を心配してみせた最初のヴァージョンの方が、まだ掲載する意味はあったかもしれない。今回はツイッターを使い続けている原口氏だから問題はないとはいえ、今後、誰かの名を騙って間違った情報が流されるような事態は考えられる。そのために災害時に流言飛語が飛び交い、人々が混乱したり、新たな被害が出たりしないよう、何か工夫はした方がいいだろう。ツイッターは災害時の情報提供手段として有効だと思うが、もし何らかの問題点があるなら、早めに洗い出しておくのにこしたことはない。<br />
　けれど、妙な小細工をしたことで、読売の記者やデスクたちの本音が、災害時の情報の混乱などではなく、もっと違うところにあることが、多くの人に透けて見えてしまった。政府が収集した情報は、テレビ・新聞・ラジオ・通信社などの既存マスメディアを通して流す、という慣習を、原口氏が破ったことが気に入らなかったのだ、きっと。記者会見もフリーランスやネットメディアの記者に公開している原口氏のやり方を、苦々しく感じ、ここは原口氏に軽く釘を刺しておこう、といったところではないか。<br />
　<br />
　最近は、ブログやツイッターが普及する一方、政府の情報をマスメディアが独占しにくくなっている。そんな中、自分たちの存在感が低下していくのではないかというマスメディア関係者不安や苛立ちが、今回の記事からは漂ってくる。<br />
　こうした焦燥感は、読売だけでなく、他の新聞も同じように抱いているはず。たぶん読売は、考えていることが他社より正直に顔&hellip;&hellip;ならぬ紙面に出てしまったのだろう。<br />
　<br />
　今回のような反応をみると、法廷メモを巡る問題を思い出す。<br />
　かつて、法廷で一般傍聴人はメモをとることが許されなかった。認められているのは、司法記者クラブに所属する大手メディアの記者だけ。それに異議を申し立てたのが、アメリカ人弁護士ローレンス・レペタさん。レペタさんは日本語が流ちょうで、ちゃんとメモも日本語で取れる。日本の経済事件の研究をするために裁判傍聴をしていたが、数字などは書き留めておかなければ忘れてしまう。なのでメモを取ろうとしたら、裁判長に禁じられた。それで、法廷メモ解禁を求めて、裁判を起こしたのだ。<br />
　１審、２審と敗訴。最高裁で争っている時、私はこの裁判を知って、支援を始めた。支援というより、レペタさんに勝ってもらわないと、私自身も困るのだ。私も以前は新聞社にいて、そういう問題があることにすら気がつかずにいたことに、とても恥ずかしい気持ちもあった。<br />
　裁判所がメモを禁じる理由は、今思い出してみても笑ってしまう。「法定内の静けさ（判決文では難しく「静謐」という言葉を使っていたっけ）が乱される恐れがある」とか、「証人が不安を感じて正直に証言しなくなる恐れがある」とか、およそ意味のない、様々な「恐れ」を作り出していたのだった（もちろん、メモを解禁した後、そのために法定内が紙にペンを走らす音でうるさくなったり、証人尋問ができなくなったりなどという事態は起きていない）。<br />
　当時、新聞社はメモ解禁に否定的だった。その理由を聞くと、ある知人の記者がこう言った。<br />
「これまで自分たちだけで座っていた座布団に、誰か知らない人たちがお尻をのっけてきた、そんな感じがする」<br />
　そして今、様々な役所の資料がインターネットを通じて直接国民に公開され、大臣会見がフリーランス記者に開放され、今回のようにツイッターによるリアルタイムの情報公開が行われ&hellip;&hellip;。気づいてみたら座布団に、次々にいろんな人がお尻を載せてきて、居心地が悪い、という気分に陥っている新聞社の人たちは結構いるのではないだろうか。<br />
　<br />
　でも、もう少し違う考え方ができないだろうか。<br />
　人々の生活が多様化している中、広く急いで知らせた方がいい情報などは、いろんなメディアを通じて流した方が望ましい。<br />
　記者会見なども、役所や政治家による公開情報の提供なので、なにも新聞記者だけのものにしておく必要はない。<br />
　むしろ、公開情報の詳細を伝えるのはネット系メディアに任せてしまってもいいくらいで、新聞社には新聞社しかできない（あるいは、他には難しい）報道にもっと力を入れるチャンスだと考えてもいいのではないだろうか。<br />
　たとえば、昨年始まった裁判員裁判。フリーランスは、個々の裁判をカヴァーしたり、一つの事件をじっくり追うことはできても、全国各地で行われている裁判の詳細（法廷だけではなく、弁護士や検察官の対応、裁判員選任手続きの状況、判決後の裁判員の記者会見、被害者・遺族の声）をすべて取材することは無理だ。その点、新聞社は多くの記者を動員して、全国の動きを細かく取材し、情報を交換することで、全国的な傾向を分析したり課題を指摘する、というようなこともできる。<br />
　あるいは、緊急な出来事に迅速に対応できるのも、新聞社の強みだ。組織的な調査報道も、新聞社の得意とするところだろう。<br />
　誰もに公開されている情報の伝達は、むしろ通信社やネットメディアに任せ、ただでさえ忙しい記者たちを細かい仕事から解放し、新聞社だからこそできる仕事にもっと力を入れていく、という道もあるのではないか。<br />
　私自身は、今でも新聞が好きで、新聞なしの生活は考えられない。紙媒体としての新聞が未来永劫残るかどうかどうかは別にして、規模が大きく資金的にもそれなりにしっかりした、プロのジャーナリスト組織としての新聞社は、今後も必要だと思う。<br />
　だからこそ、座布団を抱え込むことに神経をすり減らすより、今の時代に必要とされている新聞のあり方を探っていくこと、いわばよりよい座布団を作っていくことに、時間とエネルギーを費やして欲しい、と心から願う。</p>]]>
        
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