ブラヴォー×3
2006年03月30日
これが「不調」と言うなら、「絶好調」の時はどうなっちゃうのかしらん――チェチーリア・バルトリ&チョン・ミョンフン デュオ・リサイタル@サントリーホールを聞きながら、そんな気持ちでいました。
開演前に、「体調を崩しておりますが、お客様のために精一杯歌います」のアナウンスが流れました。だから、うまく歌えなくても怒らないでね、という、一種の弁明。演奏曲目にも変更がある、とのことでした。会場は不安に満ちた静かなどよめきが起きました。
しかも予定時刻を過ぎても、なかなかバルトリは現れません。だいじょうぶなのかしら……と心配になった頃、ようやく現れた彼女はグリーンのドレス姿。手には白いハンカチを持っていました。
最初はモーツァルトを3曲。
鳥よ、年ごとに
喜びのときめきが
わからないわ、どうしたの
軽々と、自由自在に、楽しげに歌っているように聞こえて、本当にこれが「不調」なの? だ、歌っている間も、ハンカチを握りしめていて、彼女としては必死に歌っていたのかもしれません。
続いてベートーヴェンを2曲。
旅立ち
期待
シューベルトは予定された2曲のうち1曲をとりやめ《羊飼いの娘》のみ。もう一曲はパイジェッロの《ジプシー娘をお望みなのはどなた》に変更となりました。
曲が終わるごとに、大きな拍手。私の席からは、ピアノのチョン・ミョンフン様の顔がよく見えたのですが、彼も途中で何度も目で「ブラヴォー」を送っている感じでした。バルトリさんは、そうした拍手や称賛にほほえみで応えていくうちに、次第に気持ちが乗ってきたようです。
ロッシーニの歌劇「チェネレントラ」のアリア《私は苦しみと涙のためにうまれ……もう火のそばで》では、得意のコロラトゥーラを存分に披露し、聴衆をまさに圧倒しました。
後半は、ハンカチはピアノの上に置いて、その表情にも余裕が見えました。ロッシーニの《チロルのみなしご》では、ヨーデル風の部分を後ろのP席の方に向かって歌ってみたりして、本当に楽しい演奏でした。コロラトゥーラの技術だけでなく、表現の幅が広くて、歌詞が分からなくても、歌の心は存分に伝わってきました。
アンコールは2曲。
バルトリさんは、チョン・ミョンフン様のピアノを心底信頼しているようです。インタビューをしたジャーナリストの話によると、世界で最高の伴奏者と言っていたそうです。
実際聞いていても、チョン様のピアノは出過ぎず引っ込みすぎず、歌い手の呼吸を読み、歌とのバランスも絶妙。まるで広くてきれいで歩きやすい絨毯を、歌い手の足下にさあっと広げて、「さあ、ここをお歩きなさい」と言っているような感じの演奏でした。
思うに、オペラを素晴らしく振れる指揮者で、かつピアノの名手こそが、声楽のコンサートの最高の伴奏者ではないかしら。
同じことを、以前、レナート・ブルソンさんのリサイタルの時に感じました。その時のピアノは、ニコラ・ルイゾッティ様。サントリーホールの小ホールだったのですが、まるで大きなオペラの舞台にのっているように、大きな世界をピアノが作り出し、歌い手はそこで存分に表現を広げることができるのです。
バルトリさんとチョン様は、フランス歌曲のCDも出していて、相性はぴったり。
これまではCDで聞くだけだったのですが、バルトリさんのことは大好きになって、いつかはナマで聞きたいと念願していたので、素晴らしい演奏に大満足で帰ったのでした。
ところが……
その6日後、また同じデュオの公演@オペラシティを聞くことができました。
来日中にひいた風邪も完治し、体調は回復した、とのうわさに、期待は高まります。
で、一曲目からバルトリ・ワールドに引き込まれました。
まずはイタリア古典歌曲を3曲。
スカルラッティ 《ガンジス川に日は昇り》
グルック 《おお、いとしい恋人よ》
パイジェッロ 《ジプシー娘をお望みなのはどなた》
最初の2曲は、ホロストフスキー様のCDにも入っていて、私はバリトンの声で耳に馴染んでいるのだけれど、バルトリさんのメゾの声で聞くと、まったく違った味わい。心地よいリズムと相まって、聞いていても気持ちがぐんぐん高まってきました。
続いてモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ロッシーニ。
シューベルトは、前回取りやめになった《あなたはご存知のはず、まだどれほど私が……》も歌われました。
音の広がりといい、つやといい、確かに前回よりずっとずっとスゴイ!
しかも、このコロラトゥーラときたら!!
前に後ろに、右に左に、大きく小さく、内に外に、高く低く、遠くに近くに、早くゆっくり、本当に自由自在に、しかも美しく音を操っていきます。
それは単なる巧みな技術にとどまらず、豊かな表現力と結びつくのです。この日一番感銘を受けたのは、ビゼーの曲でした。
《てんとう虫》では、最後にてんとう虫が語っている部分を、声色を変えて、すごく愛らしく歌いました。
《別れを告げるアラビア人の女主人》は、去っていく白人の恋人に対する、愛情と悲しみと恨みが混じり合った思いが胸に迫ってきて、涙がにじんできました。
彼女の表現力の幅をうんと広げているのは、天女の羽衣のようなピアニシモ。透けるように薄く、軽く、光によって様々な色合いを見せながら、ふうわりとホールを包み込みます。
この日の彼女は絶好調。ビゼーの後、ベッリーニを3曲、ロッシーニを4曲歌い、さらにアンコール
モーツァルト「フィガロの結婚」から《恋とはどんなものかしら》
ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」から《今の歌声はこころに響く》
デ・クルティス 《わすれな草》
鳴りやまぬ拍手に、さらにもう一曲、ビゼーの《タランテラ》をもう一度歌って、彼女ならではのコロラトゥーラをたっぷり聴かせてくれました。
なんでも、来日は13年ぶり、とのこと。
なぜ、これほどご無沙汰だったのか分かりませんが、今回の公演を通して日本を好きになってくれたような気がします。
最後に日本語で「アリガトー」と言っていました。
体が楽器である歌い手は、どんなに気をつけていても、常に調子が万全とは限りません。そういう歌い手に対して、日本の観客は特に不調の時に結構やさしいのです。以前、テノールのラ・スコーラさんもおっしゃっていました。彼が岡山でリサイタルをやった時、前日泊まった宿の空調の影響もあって、当日とても不調だったそうです。それでも精一杯歌ったら、お客さんからは温かい拍手が来て、とてもうれしかった、とのこと。そういう日本を、彼はとても大切に考えているようです。他の歌い手がキャンセルしたりしても、彼は約束は必ず守って来日します。
今回のバルトリさんの公演も、サントリーホールでの滑り出しに一曲ごとに沸いた拍手は、称賛の他に、「調子が万全でないのに、こんなに素敵に歌ってくれてありがとう」という感謝と激励がこもっているような感じがしました。それが、彼女のエネルギーになったのではないかしら。
そして、オペラシティの時には彼女の音楽に感動した観客の熱い熱い拍手とブラヴォーの嵐。
高いお金を払うのだから、いい演奏を聴かせてもらうのが当然、気に入らなかったり調子が悪い人には遠慮なくブーイングを浴びせる権利がある、という考え方もありますが、演奏会って音楽家と聴衆の相互作用でよくもなり悪くもなります。私は今回のような反応を示す日本の聴衆って好きです。
ピアノが終わる前に拍手が起きたり、せっかちな面もありましたけど、総じて日本の観客のいい部分を、バルトリさんも感じ取って帰ってくれたのではないかしらん。
だから、きっと次回は、それほど間をおかずに来てくれる……そんな気がします。
ブラヴォー、バルトリ! ブラヴォー、チョン・ミョンフン! ブラヴォー、日本の聴衆!