熟成をもたらす年の重ね方

2006年05月14日

 60代、70代の方々の活躍ぶりが、最近気になるのは、自分自身が「年の取り方」を現実の問題として考える年齢になってきたかもしれない。
 《レナート・ブルゾン舞台生活45周年記念 スペシャル・コンサート》@サントリーホールに行ってきて、すばらしい歌に心を揺さぶられながら、こんな風に年齢を重ねられたら、なんて素敵なんでしょう、と思った。
 
 「こんな風に」とは、どんな風に、か。
 私が答えるより、プログラムに掲載されていた音楽ジャーナリスト香原斗志さんの次の文章が、何より的確に語っているように思う。
 
〈もちろん、木材や金属でできた楽器にくらべれば、人間の肉体に支えられた声という楽器の生命は短いが、しっかりと造りこまれ、メンテナンスさえ怠らなければ、驚くほど長持ちするものである。今年70歳を迎えたブルゾンの声には、往年の輝きこそ求め得ないかもしれないが、しかし、年齢がそのまま味わいになった稀有な例といえるだろう。とりわけ子を思う父親の心は、汲めども尽きない美声を自在に操っていたころには、あふれて流れてしまった分まで、いまは旋律のうえに漏れなく乗って、聞き手の心にしっかりと届くようになった気がしてならない〉
 
 ブルゾンさんは1936年生まれ。歌い手として世に出るまでは、相当の苦労を重ねた方だ。以前、私がインタビューした際に伺ったのだが、子どもの頃に教会で歌ってはいたものの、音楽の道に進むことは考えていなかったそうだ。家が貧しく、食べるためには働かなければならない。農業のアルバイトをしながら専門学校で化学を学んだが、卒業することはできなかった。その後、音楽学校に入ったが、経済的に苦しさは続いていた。それでも、学長が彼の才能を認めて奨学金を出してくれたので、なんとか勉強は続けられた。
 デビューは1961年。だが、当初は仕事も少なく、生活はやはり困窮。当時住んでいたローマのペンションに払うお金もなかったが、ペンションの主は「払えるようになってからでいい」と言ってくれた。
 「そういった経験は、人生のうえでプラスになっていますか」という私の質問に、ブルゾンさんは「苦労の経験というより、その時の絶望が私に力を与えてくれたのです」と答えてくださった。
 
 ブルゾンさんほど聞き手、特に男の聞き手を泣かせるバリトンはいないかもしれない。香原さんも「ブルゾンには泣かされる」と書いているし、つい最近お話を伺ったバリトン歌手堀内康雄さんも、「歌であれだけ泣かせるっていうのはあの人だけです」と述べていた。
 この日の演奏会は、ヴェルディの作品の中でも、5つのオペラに登場する父親に焦点を当てたプログラム。ヴェルディの時代は、父親は子どもにとって神にも等しい権威だった。その権威や社会的立場と、子を思う情との間で、様々な葛藤や思いが生じる。彼は切々と、しかし抑制の効いた表現で歌う。思いが高ぶる場面で、感情をあまりにあらわにされると、見ている方は白ける。けれども、常に気品を失わない彼の歌は、役柄の思いを音楽に乗せて、聞き手に自然に溶け込んでいき、心を共鳴させる。聞き手は、歌に耳を傾けながら、無意識のうちに自分の体験や自分の父親の姿と重ね合わせて涙する……のではないだろうか。
 もちろん彼は、女性の聞き手の涙腺も大いに刺激してくれる
 この日の演奏会でも、とりわけ《椿姫》のジェルモンは、絶品だった。娘の幸せのために、アルフレードをあきらめてくれとヴィオレッタを説得する二重唱と、息子に故郷に戻って来いと説得する場面のアリア〈プロヴァンスの海と陸〉は、この日のコンサートのハイライト、と言えるのではないだろうか。とりわけこのアリアは、父親の哀しみが伝わってきて、聞いていてじんわりと目が潤んできた。
 この歌を美しく歌う人は他にもいるけれど、父の哀しみをしみじみ感じさせるジェルモンというのは、やはりブルゾンさんならでは、という感じがする。これは彼の持ち味であると同時に、年を重ねるにつれて、その哀しみが、より深く静かに音楽の中に染み込ませるようになったのではないかしらん。
 これが、年輪というものなのだろう。
 
 昨年秋に来日したメゾ・ソプラノのフィオレンツァ・コッソットさんの歌を聞いた時にも、同じような感動を覚えたものだった。
 彼女は、カラヤン全盛期のメゾの女王。昨年秋の時点で、70歳だった。
 最盛期に比べれば、音程を保ちながら音量を絞るような微妙なコントロールは難しそうだ。けれど、豊かな声とそこに乗せられた思いは、聞いている者をしびれさせ、心をわしづかみにするような感動を与えてくれた。
 この時のプログラムには、彼女のこんな言葉が紹介されていた。
 <若いときは人間みな肉体的には美しい。でもその美しさが枯れていくとき、心や精神でその美しさを補うことができるとしたら、その美しさでひょっとすると若かったときよりも光り輝くことが出来るものかもしれないって思えるようになりました。だとすると、素晴らしいことだと思いませんか?>
<私も人生の様々なこと、悲しみや試練を越え、今は歌うことにただ喜びだけを見出しています。若かったときよりもずっと自由になったともいえるのかもしれません>

 若いときに比べれば、肉体的な機能は次第に衰えていく。張りや輝き、という点では、いくらメインテナンスをしていたとしても、若い時代にはかなわないだろう。でも、失ったものを補って余りある何かが加わっていくとしたら、その変化は単なる「老化」ではなく、「熟成」となる。「70歳でも、これだけ歌える」のではなく、「70歳になったからこそ、これだけ歌える」のだ。
 若い時には、こういう考え方は、ある種の負け惜しみだと思っていた。でも、それは若さ故の傲慢だったな、とだんだん感じるようになってきた。より美しく、より強く、より速く、より大きくと、エネルギーが外に向かって発散しがちな時代には、見過ごしたり聞き逃したりしていた、表現の深さや静けさや、人の内側の複雑な色合いに惹かれるようになったからかもしれない。そして、その複雑さが人間であるし人生でもあって、それを表現したのが芸術であるような気がしてきた。
 私も、ただ受け身の状態で老化するのではなく、前向きに熟成をしていきたいと、つくづく思う。ただ、そのためにはどうしたらいいかという点になると、まだまだ皆目検討もつかないのだけれど。
 
 
 
(ブルゾンさんのコンサートには、日本人の共演者が活躍した。とりわけ《椿姫》のヴィオレッタを歌った野田ヒロ子さんが素晴らしかった。音程が高くなっても柔らかさを失わず、ピアニシモまで美しくコントロールされた声と繊細な表現力にうっとり。明るめのモスグリーンに左肩と右腰に大きな花をあしらったドレスやメイクも、よく似合っていたし、役柄にもぴったり。大きい舞台にふさわしけれど、派手すぎず、ブルゾンさんを立てつつ、自分の美しさもちゃんと表現されていて、そのお人柄と知性に感じ入った。
 アンコールでは、聞きに来たのに突然舞台に引っ張り出されたという感じで、まったく普段着の歌い手さんが何人か。その1人ひとりに、最後の〈乾杯の歌〉の前にブルゾンさん自らシャンパンのグラスを配って周り、すごく盛り上がって終演。なんと開演から2時間50分。オペラを一本見たような満足感だった)

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