「さようなら」の代わりに〜岩城宏之さんを悼む

2006年06月14日

 岩城宏之さんは、「行動の人」だった。あれこれ考え込むより、人に指示を出してやらせるより、まず自分が動く。たとえば――
 六年前のこと、私はレストランで友人と食事をしていて、最後の皿が下げられた頃に、突然声をかけられた。
「指揮者の岩城と言いますが……」
 見ると、「あの」マエストロ岩城が目の前にいた。ウィーン・フィルとベルリン・フィルの両方を指揮した初めての日本人。日本で最初の国際的な指揮者を前にして、私はドギマギドギマギ。岩城さんは、私たちの食事が一段落するのを待っておられたらしい。会話を中断させることを丁寧にわびられて、こう切り出された。
「アンサンブル金沢の応援団に入ってもらえませんか」
 聞くと、行く先々でいろんな人に声をかけて、手塩にかけたオーケストラ・アンサンブル金沢のPRをしているのだという。
 もちろんその場で応援団入りを約束した。これがきっかけで、親しくお話させていただくようになったのだが、巨匠と呼ばれる立場なのに、私のような音楽の素人に対しても、とても気さくで優しかった。それは、音楽会のプログラムにも現れている。現代音楽の紹介に力を入れていたが、そういう曲ばかりだと、私のようなミーハー音楽ファンは腰が引ける。でも岩城さんは、現代曲を演奏する時は、よく親しまれた曲を組み合わることが多かった。
「邪道と批判する人もいるけど、僕はメンデルスゾーンとかチャイコフスキーを聴きに来る客に、現代音楽を聴かせたいんだよ」というのが岩城さんの考え。お陰で、私は新しい音楽を聴く機会をたくさんいただいた。
 岩城さんの一生は、病気との闘いでもあった。受けた手術の回数をご本人に尋ねたら、「三十回くらい。正確には分からない」とのお答え。けれども、それを悲観したり愚痴を言ったりするのを聞いたことがない。
 昨年の肺ガンの手術の後も、「いつも早期発見。手術で取ってしまえば治るガンばかりなので、僕はラッキーだ」とおっしゃっていた。
 さすがに、この時は痛みがなかなか引かず、しんどそうではあったけれど、ベートーヴェンの9交響曲を全曲一晩で演奏するという年末の演奏会は、10年続けたいと、意欲的だった。
 そういえば、この演奏会を最初にやった一昨年には、こんなことを入れていた。
「若い時のような振り方では、とても9曲もたない。もっと年をとってからでは、体力がついていかない。だから僕は、今が旬なの」
 70歳で、今の自分が旬だと言い切れるなんて、本当に素敵だなと思った。私もこういう年の重ね方ができたら、どんなにいいだろう、と。
 5年前、喉のガンの手術を終えて退院された直後、私は岩城さんから食事のお誘いをいただいた。ごひいきのイタリアンレストランに行ったが、まだ飲み込む機能が十分回復していない岩城さんは、食べられるものが限られていた。ご飯のように噛めば粥状になるものはよいが、好物のスパゲティはツブツブになるだけなので、気管に入り込んで肺炎を引き起こす危険があった。
 奥様の木村かをりさんを交えて、いくつかのメニューを試した。ラビオリを召し上がって、「これなら大丈夫。っていうことは、餃子もいけるな」とニコニコされていた岩城さんの笑顔が忘れられない。
 しばらく声が出にくくなったので、オーケストラの練習時に使う、マイクとスピーカーを特注された。工事現場などで使う規制のスピーカーでは、声が散漫になってしまい、一人ひとりの奏者にストレートに言いたいことが伝わらないとじれったそうだったが、この特注品でその問題も解決したようだった。
「世界中で、こういう特注品をもっているのは僕だけだ」と、ちょっぴり自慢そうだった。
 病気によって失われた機能を嘆くより、今できることを最大限に喜び、楽しむ。だからこそ、病魔にも打ち勝ってこられたのだろう。困難な時こそ、楽観的で前向きに考えるべしと、自らの生き方で教えて下さった。
 そんな岩城さんに今、改めて感謝の思いがこみ上げてくる。私は、「さようなら」の代わりに「ありがとう」で見送りたい。
 たくさんの喜びを、ありがとうございました。
 生きる勇気と希望を、ありがとうございました。
 ありがとう。ありがとう。ありがとう――
 岩城さん、本当にありがとうございました。

(共同通信の依頼で書いた追悼原稿に、加筆をしました)

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