アラーニャ様完全復活を祝う〜最高のホールでの最高のパフォーマンス

2006年06月18日

 オペラは、前評判がどうあれ、実際に行って聞いて見てみなければ、どういう出来になるか分からないところがある。
 どれほどの配役をそろえたとしても、何しろ歌手は生身の体が楽器。いくら健康に気を遣っても、常に最高の状態で本番に臨めるとは限らない。もっとも、調子が万全でなくても、お客が満足するようなパフォーマンスをやってのける歌い手が、超一流なのであって、そういう人たちが出ている公演は、たいていの場合、満足してホールを後にすることができる。
 とはいっても、できればベストのホールで、ベストのキャスティングで、重要な役の歌い手が皆さんベストの調子で、合唱もオーケストラも素晴らしく、演出や衣装、セットも最高、という公演に巡り会いたいもの。
 ボローニャ歌劇場引っ越し公演《イル・トロヴァトーレ》最終日@びわ湖ホールの観客は、こういう条件がすべて揃う僥倖に恵まれたと言えるだろう。私もその場いることができた幸せを、これを書きながら今、しみじみ感じている。
 

 主役のロベルト・アラーニャ様が、まさに絶好調。輝かしく、熱い思いがこもった、それでいて品のあるお声に、一時は体調不良が伝えられたアラーニャ様の完全復活!を確信した。
 舞台の袖から声だけが登場する第1幕の初っぱなから、伸びやかな声。柔らかくてなめらかなのに、コシが強い(讃岐うどんではありませ〜ん)声に、今日はすごいことになりそうだ、という予感。
 その後の展開は、私の予感以上に素晴らしいものだった。
 圧巻は第3幕。レオノーラに対する思いを切々と歌い上げて、拍手とブラヴォーの嵐を巻き起こした後、ルーナ伯爵にとらわれた母アズチェーナを助けるため、勝ち目の薄い戦いに挑む決意を高らかに歌った。
<母さん、今行くよ。助け出すために。それがダメでも、一緒に死ぬために>
 命がけで勝ち取ったレオノーラと結ばれる直前だったが、<君を愛する前に、僕は母さんの息子なんだ>と出陣を決意する。仲間の兵士達が、<戦いだ。俺たちも共に戦い、共に死ぬぞ>と気勢ををあげる。それに応えて、地の果てまで届けとばかりに<アラーミー、アラーミー(戦いだ! 戦いだ!)>と雄叫びをあげるマンリーコ。
 力強い合唱、思い切りフォルテを鳴らすオケの音を、アラーニャ様の力強く輝かしい声が貫き通した。
 自分が本当の子ではないのではないかとの疑念は持ちつつ、それでも、愛情を持って育んでくれたアズチェーナに対する思いがあふれた熱唱に、マンリーコの純粋さ、若々しさが、会場いっぱいにはじけた。
 第3幕の幕が閉じられた後、一人で現れたアラーニャ様は、再び巻き起こった拍手とブラヴォーに何度も応えた後、鳴りやまない歓声を圧倒するように”アラーミー”と声を張り上げ、会場の興奮をさらにかき立てた。
 第4幕も、牢獄の中でアズチェーナを思いやり、自分のために犠牲になったレオノーラを愛おしむ、情感あふれる歌が続いた。あれだけ強い声を響かせた後に、こんなにも繊細に美しく歌えるなんて、本当にすごい歌手だと思う。
 そして最後。銃殺される場面では、刑吏がついて来られないほどの速さで階段を駆け上がり、「さあ、殺せ」とばかりに腕を広げた。理不尽に殺されていく気の毒な敗者ではなく、ほんの一足先にこの世を去ったレオノーラに追いつくために、マンリーコはむしろ積極的に死を選び取ったのだ。
 だからこそ、形のうえでは強者だが、一人遺され、これからも生きていかなければならないルーナ伯爵の哀れさがクローズアップされる。戦いの勝者が、人生の勝者とは限らないのだ(ルーナ伯爵役が、もう少しその辺の陰影を表現できると、もっとよかったのだが)。


 
 そして、もう一人特筆すべきが、アズチェーナ役のマリアンネ・コルネッティ。このオペラは、母親を先代ルーナ伯爵に殺されたアズチェーナの復讐の物語であり、もう一人の主役といってもいい重要な役どころ。私は、このアリアを聴くと、なぜか無性に血が騒ぐ。大好きな役柄だけに、期待も大きい。コルネッティは見事その期待に応えてくれた。「現代最高のアズチェーナ」という前宣伝の通り、凄みのあるフォルティッシモから哀愁に満ちたピアニッシモまで、自由自在。母親への思いやルーナ伯爵家への恨みと同時に、マンリーコへの愛情という複雑で怒濤のようにあふれる思いが、聞き手の胸にびんびんとストレートに伝わってきた。ヴィジュアル的にも肝っ玉母さん体型で、彼女をとらえた兵隊5、6人をなぎ倒したり、腰ひもを地面にたたきつけて抵抗するところ(最後は7人がかりで押さえつける)など、兵士役の男性合唱が本当に腰が引けているように見るほどの迫力。今回の来日公演中、常に安定して最高のパフォーマンスを見せて聞かせてくれた彼女には、最高殊勲歌手賞を差し上げたい。
              
 レオノーラ役はダニエラ・デッシー、ルーナ伯爵役はアルベルト・ガザーレ、ルーナ家の兵隊の隊長フェランド役はアンドレア・パピ。いずれも、びわ湖公演では調子がよさそうで、それぞれ大きな拍手を浴びていた。
 ただ、ガザーレ・ファンには申し訳ないのだが、彼のルーナ伯爵は私にはかなり不満だった。この役は、単にマンリーコやアズチェーナの敵役というだけではない。自分の感情に素直に、自由に振る舞うマンリーコに対し、ルーナ伯爵は、レオノーラへの思いに心乱れながらも、貴族としてのプライドと気品は捨てられない辛さと弱さを持つ。身分と財産はあっても、家族に不幸があり、恋人の心は得られない彼の苦悩は、それだけで一つの物語をなしている。このオペラの、第3の主役、と言ってもいい。
 それにしてはガザーレのパフォーマンスは全体的に平板な感じがした。一つひとつの歌は、声量豊かに歌うのだが、ドラマの中にうまく溶け込まないというか、彼が歌うと、そこだけが彼のリサイタルみたいになってしまう。貴族という品位と不自由な立場を表すためにも、せめて軍服はかっちりときれいに着て欲しい(上着のボタンを外し、シャツも胸をはだけるような感じは、セクシーというより、だらしなく見えた)。
 ルーナ伯爵側はマンリーコやアズチェーナを「悪党」と吐き捨て、マンリーコやアズチェーナもルーナ伯爵を「悪党」とののしる。現代の様々な争いに至るまで、そういう関係は世界中のあちこちであって、その中で様々な悲劇が展開されているはずだ。そういう意味で、このオペラはとても普遍的なのだと思う。
 奇をてらわず、それでいてすっきりとした舞台設定など、演出もオペラのもつ普遍性を大事にしていたし、衣装も美しく、イタリアの香りをいっぱい嗅ぐことができた。
 
 合唱とオーケストラのもブラヴォー三唱を!
 合唱の迫力と自然な演技は、優れたオペラ劇場の引っ越し公演だからこそのぜいたくをたっぷりと味合わせてくれた。このオケの、歌に沿わせて演奏する技術の巧みさはすごい。曲に合わせるのは当然だが、歌手の調子にも臨機応変に対応していく。さすがは、本場イタリアのオペラ劇場の座付きオケ。ワールドカップのイタリア戦の翌日は、夜を徹して応援していたのか、少しばかりお疲れ気味の気がしたが、びわ湖公演では、やはり最高の演奏で、好調の歌い手陣のパフォーマンスをさらに盛り上げた。

 
 それにしても、びわ湖ホールは、実にいい。やわらかく、かつバランスよく全体に響くここの音響は出色で、この日も、美しい音に包まれて全身で音楽を感じることができた。しかも、視覚的にも素晴らしい。ホールの構造が美しいだけでなく、客席と舞台がとても近く感じて、どこに座っても物語に没入できる。
 そのうえ、ホワイエは壁全体がガラスの造りで、目の前にはびわ湖が広がるロケーションも最高。しかも、ここで働いている人たちが、とっても感じがいい。裏方さんたちが、1つひとつの公演を盛り上げようとそれぞれの持ち場で工夫をしているのが分かる。唯一の欠点は、トイレの大半が和式で、洋式トイレが少ないことくらいだ。東の新国立、西のびわ湖が両横綱と言えるのだろうけど、新国立はこういう海外の引っ越し公演には貸さないみたいだし、総合点で評価をすれば、オペラをやるホール日本一のタイトルは、私としてはびわ湖に差し上げたい(アラーニャ様も、終演後「このホールはいい」とおっしゃっていた)。
 本当に、びわ湖ホールを東京に持って帰りたい!――そう言ったら、「だめですよ〜。関西の至宝なんですから」といなされてしまった。
 
 終演後、アラーニャ様に「日本で最高のホールで、世界で最高のテノールを聞けてうれしい」と申し上げたら、文字通り小躍りして喜んだ。歌や、恵まれた容姿だけでなく、こういう素直でチャーミングな性格も、彼のたまらない魅力の一つ。
 そのアラーニャ様の完全復活を、こうやって最高のホールで、生で実感できたことは、本当にうれしい。
 ポスト3大テノールの筆頭とも言うべき彼が、体調を崩し、低血糖症のためにオペラ出演を続けてキャンセルしたと知った時には、本当に心配した。まして、マンリーコは気力・体力ともに充実していなければ、歌いきることができない。
 今回の来日公演でも、体調が必ずしもベストの日ばかりではなかったようだ。そんな時は、舞台袖に引っ込むたびに、砂糖水を飲んで糖分を補ったり、あるいは客席には演出の一部と思ってもらえうような形で微妙に動きを変えてエネルギーの消耗を防いで、歌に集中。マンリーコの勇敢な闘士としての力強さよりも、吟遊詩人としての繊細さを表現するような歌い方で、運命に翻弄される青年の切ない思いをたっぷり聞かせて、次のような評価を得た。
 
<途中から声のパワーで押すのではなく、マンリーコの心情を切々と歌い上げる繊細な歌唱スタイルに切り替えて、最後まで集中力を欠くことのない凝縮した役作りを行っていた。輝かしい美声を聴かせるだけではなく、多岐にわたる表現スタイルを使い分けていたのはさすがで、彼のオペラ歌手としての総合力の高さを実感させられた。>(Classic Japan 即評 宮嶋極氏の評より)
 
 病気にまつわる話は「聞きに来てくれるお客さんたちが知る必要はない」と、私のインタビューでも、彼はあまり多くを語ろうとしなかった。会場でも「本日は体調不良ですが、お客様のために精一杯歌います」といったエクスキューズのアナウンスも出さなかった。病気の報道があった後だけに、知らせればお客が心配してオペラを楽しめなくなるのではないか、というアラーニャ様ならでは配慮なのだろう。ただ、たまたま調子がよくなった日に当たってしまった不運な聞き手の中に、失望したり、「アラーニャはもう終わった」といった否定的な評価をしている方もゼロではないようなので、今回の来日公演は終わった後ということもあり、ちょっと筆がすべって、ここまで書いてしまった次第。

 冒頭に書いたように、生身の体が楽器となるオペラでは、どんなにいい歌い手でも、時には体調がよくなかったりする。そういう時に、どういうパフォーマンスができるかが大事で、その点彼は当代最高の歌い手の一人と言い切ることができる。それに、その後は調子を上げたし、とりわけびわ湖でのパフォーマンスを見る限り、彼の完全復活は間違いない。
7日のパフォーマンスを終えて 東京公演の2日目は、彼の誕生日だった。この時も、持ち前の輝かしい声をたっぷり聞かせてくれたのだが、終演後のカーテンコールで、ケーキと花束贈呈。ろうそくを一息で消すと(さすが歌い手だけあって、息が長い!)、オケの演奏で出演者や客席が「ハッピィ バースディ」を歌って、祝った。
 彼は、全然知らされていなかったようで、「本当にびっくりしたし、うれしかった」と満面の笑顔だった。
 そういったことも含め、今回の公演で、ますます日本が好きになってくれたらうれしい。毎年でも来て欲しい、と言ったら、来年、再来年にも彼はまた来日する計画があるそう。その辺も含めて、彼に対するインタビューは来月、もしくはさ来月に発売の『音楽の友』に掲載の予定。
 私の重症のアラーニャ熱は、まだまだ続きそう。
 オペラのCDやDVDのほかに、ユニヴァーサル・ミュージックからたくさんのアリア集が出ているので、それを楽しみながら、次の来日を待ちたい。

 

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