胸に迫る《ノルマ》、心弾む《こうもり》

2006年07月03日

 怒濤のような6月は、ベッリーニ大劇場《ノルマ》で幕。
 オペラって、やる方はもちろん大変だと思うけど、6月のように海外オペラ劇場の引っ越し公演ラッシュになると、聞く方だって体力戦。
 仕事片付けるのに朝は早起き。一つひとつの公演が、どれもいい歌手を揃えているものだから、見る方もついつい気合いが入る。そのうえ、帰っても興奮してすぐに寝られないから寝不足になるし……
 日本に来てくださるのは本当にうれしいのですが、一ヶ月に一団体ずつ、分散して来ていただくわけにはいきませんでしょうか……とお願いしたい気持ちにもなろうというもの。
 しかも、すっかりアラーニャ熱に浮かされていた私は、ほとんど”心神耗弱状態”で、前後の見境なくびわ湖まで行ってしまい、肉体的にも財布的にも、くたびれ果てしまったのでした
 けれど、そのお陰で、すばらしいパフォーマンスに接することができて、実に充実した一ヶ月でもありました
 
 《ノルマ》は、その一ヶ月を締めくくるにふさわしい公演となりました。
 この作品は、大好きなオペラの一つ。
 音楽はもちろんでけれど、このノルマという女性に、とても惹かれるのです。
 オペラに出てくる女性で、キャラクターとして一番好きなのは《ラ・ボエーム》のムゼッタなのですが、ノルマと《アイーダ》のアムネリスには、共感するというか、心を吸い寄せられてしまいます。
 この二人に共通するのは、思うようにならない現実の中で、何とか活路を開こうと、懸命にもがくところです。
 アムネリスは王女、ノルマは巫女という立場=現実と、愛する人への思い=理想の狭間で苦しみます。いずれも、愛する男は自分の近くにいる別の女に夢中になって、いくらがんばっても、思いはかないません。この現実の中で、懸命に理想を求めていくのですが。けれども、もがいてももがいても、それはむなしい結果に終わります。
 ラダメスはアイーダと死ぬ道を選びました。二人は、現実世界を捨てて理想の世界に飛び込んでしまいました。けれどもアムネリスは、彼の愛を得られないだけでなく、自分の立場から逃れることもできません。辛くても、この現実の中で生きていかなければならないのです。
 ノルマは、巫女でありながら、敵将ポリオーネとの間にできた二人の子どもを、隠し育てます。彼を愛するゆえに、自分の国を裏切るお告げまで出します。なのに自分から離れ、若い巫女のアダルジーザに夢中になってしまったポリオーネの気持ちを引き戻そうとするのですが、かないません。一時は、絶望のあまり愛する子どもたちを殺そうとまでします(イタリアにも無理心中という発想があるのですね)。ポリオーネとアダルジーザに対する復讐の気持ちを燃え上がらせたノルマですが、彼を憎みきることはできませんでした。結局自分が裏切り者であることを人々の前で告白し、子どもを父親に託し、自らが火刑台に上ることを決意します。その愛の深さに打たれたポリオーネは、一緒に火刑台に上がっていきます。この二人も、最後は現実を離れて理想の世界に旅立つのですが、そこに至るまでのノルマの激しい葛藤が、オペラで描かれています。
 《アイーダ》は古代のエジプトを舞台にした物語ですし、《ノルマ》は古代ローマに支配されたガリア地方(今のフランス)でのお話。ですが、この現実と理想の葛藤に苦しみ、思うようにならない現実でもがきながら、自分自身で道を切り開こうと必死になる女たちのドラマは、時代を超え、洋の東西という違いを超えて、胸に迫るものがあります。
 
 そんな風にこだわりのある役だからこそ、ついつい歌い手への要求や期待も高くなってしまいます。
 今回のノルマを演じたディミトラ・テオドッシュウは、そんな期待に十二分に応えてくれました。
 声の浸透圧が高く、ギリギリまで声を絞ったピアニシモでも、というか、ボリュームを絞れば絞ったほど、歌に込められたノルマの思いが凝縮して、その濃厚なエッセンスがぐんぐん心にしみてくる感じです。その一方で、恨みや怒りを炸裂させる時のパワーは、圧倒するような迫力があります。
 共演者も、このテオドッシュウのすばらしさを十分に引き立てる配役でした。
 特に、アダルジーザ役の二ディア・パラチオスは、声が清らかで、やはりピアニシモをきれいに歌います。ヴィジュアル的にもほっそりした美人で、ポリオーネが夢中になってしまったのもむべなるかな、という説得力があります。彼女とテオドッシュウの二重唱は、あまりに美しくて涙が出るほどでした。
 ノルマの父オロヴェーゾ役のリッカルド・ザネッラートも、声量豊かで、声に威厳があって、いいバスでした。テノールは、アラーニャ様のような輝きのある美声を聞きたいところですが、そこまでとは言わずとも、声量は十分にあり、存在感もあって(衣装も体型もほとんどスーパーマン)悪くありませんでした。
 舞台は、決して豪華ではありませんでした。斬新でもありませんでした。セットはアリモノで済ませたという感じがしましたし(最後の火刑台の場面は、もう一つの演目「夢遊病の娘」のセットの一部を使い回しているように思えたのは、私の見間違いでしょうか)、合唱の衣装は合唱は3種類くらいのパターンしかなかったりして、ビジュアル的にはこれといった特徴もない超フツーの舞台なのですが、それなりにまとまって見え、格別チープな感じはしませんでした。あれこれ奇をてらわず、音楽をたっぷり聴かせることに徹した、邪魔にならない演出、と言えるでしょう。
 しかもチケット代は、ボローニャ、メトロポリタンの約半額。コストパフォーマンスが高く、お買い得感のある公演でもありました。
 来年1月、テオドッシュウはドニゼッティ《アンナ・ボレーナ》で来ます。しかも今回、好共演したパラチオスとザネッラートも一緒。これは絶対「買い!」という気がして、さっそくチケット申し込みのFAXを送ったのでした。

 海外のオペラ劇場の来日公演ラッシュだけでなく、新国立劇場のオペレッタ《こうもり》も、いい公演でした。
 シャンパンオペラとも呼ばれるこの作品。栓を抜いたばかりのシャンペンから立ち上る泡のように、音楽はオーケストラによる序曲から弾んで欲しいもの。私が行った日、序曲では音楽よりも、指揮者の方がぴょんぴょんと弾むのが目立っていた感じでした。若干不安になったのですが、それは結局杞憂で済みました。歌い手たちの表現力に触発されるように、オケも次第に軽やかに、喜劇を盛り上げていったのです。
 歌い手たちには、本当に満足。主な配役は、ウィーンなどで活躍されている方々が演じられ、その中には日本が誇るソプラノ中嶋彰子さんも。今回は、アイゼンシュタインの家の女中アデーレ役。《コジ・ファン・トゥッテ》のデスピーナといい、《フィガロの結婚》のスザンナといい、喜劇を盛り上げる女中役が中嶋さんは本当にうまい。かつてインタビューの中で、中嶋さん自身は、《トラヴィアータ》や《ルチア》など悲劇の主人公も得意としているのだけれど、日本ではどうしても喜劇で呼ばれることが多い、とおっしゃっていました。喜劇の重要な役どころは、悲劇のヒロイン以上に表現力を要するので、どうしても中嶋さんに声がかかるのでしょう。中嶋さんは、《ラ・ボエーム》のムゼッタも最高に素晴らしいのです。私が初めて中嶋さんに惚れ込んだのは、新国立劇場の《ボエーム》でした。
 アイゼンシュタインのブレンデル、ロザリンデのグスタフソンもよかったけれど、印象的だったのは、オルロフスキー公爵役のエレナ・ツィトコーワと、刑務所の看守フロッシュ役のハンス・クレマー。こういう脇役が充実していると、舞台全体が生き生きしてきます。テノール歌手アルフレード役の水口聡さんは、《リゴレット》《トスカ》《トゥーランドット》などのテノールの名曲アリアを、獄中で何曲も披露。へっぽこ弁護士役の高橋淳さんも、まさにはまり役でした。
 アールデコ風のセットもしゃれていて、見ていてとってもきれい。
「日本でも、こんな風にちゃんとオペレッタがやれるようになって、とってもうれしい」と中嶋さん。
 見ている方も、とってもうれしいです、本当に。
 このところは舞台に集中して、幕間にワインを飲むこともなかったのですが、この日はついついシャンパンが飲みたくなり、スパークリング・ワインを味わったのでありました。
 海外からの引っ越し公演だけでなく、こういう素敵な舞台が日本で制作されたことは、音楽メディアでもっともっと評価されていいのではないかしらん。
 新国立で久々に心の底から「楽しかった」と思える公演でした。
 ぜひ再演を望みます。

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