びわ湖の《海賊》に酔う

2006年10月30日

 世界的にもあまり上演の機会がないらしく、事前にCDやDVDを見つけられなかった。予習なしでいきなり本番。唯一の手がかりとして、チラシに掲載されているあらすじを読んでみても、なんだか荒唐無稽で、どうしてこういう展開になるのかよく分からない。何はともあれ、ヴェルディ作曲《海賊》日本初演を見に、愛しのびわ湖ホールへ。
 で、見て聞いて帰ってきた今、改めて考えてみても、不可解なストーリー展開の作品だと思う。
 なのに、なのに、なのに……客席では、筋書きのことなど吹っ飛んで、音楽とそれぞれの役柄のほとばしるような思いに心が翻弄されっぱなし。ドラマチックな舞台に引き込まれ、たたみかけるようなフィナーレに圧倒され、すっかり気持ちが高揚して、気がついたら夢中で拍手をしていた。
  
 問題のストーリーはこんな感じ。
 勇猛果敢な海賊の頭領コッラード(福井敬)は、トルコのコロンの太守セイド(直野資)を倒そうと出陣する。恋人のメドーラ(大岩千穂)は泣いて止めるが、「オレは行かねばならぬ〜♪」と振り切って行ってしまう。
 セイドの後宮(つまり、ハーレム)で、一番寵愛を受けているのは、グルナーラ(佐藤ひさら)。グルナーラは、セイドに対して愛憎相半ばする複雑な気持ちを抱いているらしい。で、そこに襲いかかった海賊の軍団。セイドの後宮にいた女たちを戦闘の炎から助け出すが、セイドの手勢の反撃に合い、コッラードは囚われの身に。
 セイドは、コッラードの助命嘆願をしたグルナーラへの怒りと愛にもだえ苦しむ。グルナーラは、牢につながれたコッラードに、船を用意してあるからと逃亡を勧めるが、コッラードはそれを拒む。グルナーラは「剣の使い方を女奴隷が教えてあげる」と叫んで、セイドの寝室に向かい、太守を殺す。自分のために人殺しまでしたグルナーラの説得に応じて、コッラードは共に逃走する。
 ところがその頃、恋人は死んでしまったと思いこんだメドーラは、毒をあおっていた。そこにグルナーラを連れて戻ったコッラード。グルナーラがコッラードを愛していることを知って愕然としながら、それでも恋人を信じて息絶えるメドーラ。嘆くコッラードは、絶望して海に身を投げる(男トスカ、みたい)。
 
 それにしても、なぜコッラードは、逃走を拒むのか。自分でセイドを殺して逃げればいい。最初から、セイドを倒す気で、やってきたわけでしょうに……
 最後も、なぜ海賊が海に身を投げるの? 泳いで助かってしまうんでないの?
 冷静になってみると、こんな風に疑問もあれこれ湧くのだが、回答は後で原作(バイロン作)を読んで探すことにしよう。
 
 という感じで、台本は難ありの作品だと思うのだが、さすがはヴェルディ。時に美しく、時に激しい音楽で、聞き手の心をわしづかみにして、疑問を抱くいとまを与えない。
 第2幕の戦いに敗れる場面では、コッラードの「敗者の怒りは勝者に勝る」「戦いに勝っても運命に勝てぬ」という声が何度も響く。現在も中東で続いている戦争でも、こくいう怨嗟の声があちこちで響いているような気もする。そして、愛する女を力で従わせているセイドに、グルナーラは告げる。「愛は自由な心にこそ感じる」。こうした人間の本質的な情が、音楽という翼を得て、時代や国や文化の違いを飛び越えて、聞き手の心のど真ん中に飛び込んでいく。これこそまさにヴェルディの真骨頂、という感じがする
 第3幕は、セイドとグルナーラ、グルナーラとコッラードの二重唱、そして最後のグルナーラ、コッラード、メドーラの三重唱と、ヴェルディの魅力がいっぱい!第2場の牢獄の場では、チェロを中心にした低弦の緊張感のある哀切な響きに続いて、コッラードが我が身の不運を嘆く。その思いがひしひしと胸に迫ってくる。
 オペラは、頭であれこれ考えるより心で感じればよろしい……ということなのだろう。
 
 ただ、そんなふうに思えたのは、歌い手たちの渾身の表現力と、そして演出の力があってこそ。
 なんといっても、感動が最高潮に達したのはこの第3幕。グルナーラへの愛憎が入り交じった直野セイドと、コッラードを思うあまり人殺しまでやってのけた佐藤グルナーラの、燃え上がるような情念には凄みがあった。コッラードへの愛、早まった自らの行為への後悔、グルナーラへの羨望と疑いなどさまざまな思いが心の中で渦を巻きながら、次第に力尽きていく大岩メドーラの死にっぷりもお見事。
 そして、なんといっても、福井さん!! 直情径行で誇り高いあまりに、かえって矛盾を抱え込んでしまう男の単純さと複雑さを絶妙に演じていた。なにしろ、単純にすぎれば強いけれど平板に、複雑さにこだわれば埋没してしまう。そんな難しい役を、オケも合唱も貫き通す強い声と、濃密な表現力で、圧倒的な説得力をもって迫ってきた。それに、立ち回りも含め、福井コッラードの立ち振る舞いは、抜群にかっこいい!!
 オケも、嵐の部分などがやや迫力に欠ける感じがしなくもなかったけれど、心の琴線に触れる、まさにヴェルディ節を美しく歌って、十分酔わせてもらった。

 さらに、舞台装置や照明、衣裳などが、歌い手たちの熱演を巧みに盛り上げる。とりわけ舞台の後ろに広がる海の効果は抜群だった。戦いの場面では海も荒々しく波立ち、夜には月明かりに照らされて静かに光る。終演後、舞台に連れて行っていただいて分かったのだが、海は水色の台に光るテープを貼ったものを斜めにおいてあっただけで。どうやら照明などの工夫で、それが海の様々な顔を表現していたらしい。どういう技術を使ったのか、詳細は不明だが、本当に素晴らしかった。
 ホールの中に入ると、船の帆に見立てた幕とか、船の一部でもあり建物のバルコニーでもあるようなセットが見えて、開幕前からオペラの雰囲気を醸し出していて、本当によくできた舞台だったと思う。
 衣裳もきれいだし、丁寧に作られたセットもよかった。舞台の転換も、素早かった。予習をしてないので、ストーリーを追うのは字幕が頼りだったのだが、これもきれいで分かりやすい日本語だった。
 ここのホールに来るといつも思うのだけれど、裏方さんが、それぞれの役割を120%こなして、公演を盛り上げようとしているのが分かる。今回も、そうした多くの人たちの思いが舞台に結集した、という感じがした(そいう思いは、舞台だけでなく、カフェやホワイエの人たちに至るまで、ホールのあちこちにあふれていて、いつ来てもここは本当に感じがいい)。
 今年も、びわ湖遠征をやってよかったな〜と思った。
 
 こうした質の高い自主公演を続けているこのホールは、とても貴重な存在だ。
 残念ながら、このホールのヴェルディ・シリーズはこれで終わり、とか。おなじみの作曲家だけれども日本で上演されたことのない作品を毎年舞台に載せる、素晴らしいシリーズだった。日本で初演音楽監督だった若杉弘さんが新国立劇場の音楽監督に就任するために、これで打ち止め、ということらしい。う〜ん、残念。
 初演にこだわらなくても、ヴェルディの作品は全部やって欲しいのに……
 いつか福井さんの《オテロ》をここで聞きたいと、これだけは諦められない。
 ただ、再来年春には神奈川県民ホールとの共同制作で《ばらの騎士》をやるなど、他のホールとのコラボレーションを始めるというのは朗報。こんないい公演をやっていても一度の公演で終わりで、歌い手さんたちもせっかく練習したのに、他で上演する機会もなく、セットも衣裳も全部廃棄となるのは、あまりにもったいない。
 できれば今までの公演も、他の地方で再演して欲しい。
 

 

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