私たちの社会を映し出す《ピーター・グライムズ》

2008年09月24日

 札幌コンサートホール(通称キタラ・ホール)でブリテンのオペラ《ピーター・グライムズ》を聞いてきました。
 指揮は尾高忠明さん、演奏は札幌交響楽団、そしてタイトル・ロールは福井敬さん!
 「聞いてきました」と書いたように、音楽に集中するコンサート形式の上演です。舞台のオーケストラの向こうには、福井さんのほかエレンの釜洞祐子さんら歌い手がずらりと並び、3つの地元合唱団が舞台後ろ側の座席と舞台裏で歌います。
 ”福井さんの追っかけ”を始めて以来、びわ湖ホールには何度も行きましたし、仙台や大阪まで足を伸ばしたことはあるけれど、海を渡って(?!)北海道にまで飛んでいったのは初めて。
 《ピーター・グライムズ》は、20世紀の名作オペラの一つに数えられながら、日本では上演機会はそう多くなく、私も6年前に松本のサイトウ・キネン・フェスティバルで初めて見て以来。福井さんが主演ということもあり、人づてにキタラ・ホールの素晴らしさを聞いて「いつかは行きたい」と思っていたこともあって、今回、思い切って北海道ツアーに繰り出したのでした。
 
 このオペラは、1945年、つまり第二次大戦が終わってすぐのイギリスで上演された作品です。60年以上前に作られたというのに、その内容は、実に「今」的です。
 児童虐待、村八分、冤罪、ゴシップ好きのおばさん、現実が分かっていない裁判官、金がすべてを解決する発想……このオペラのキーフレーズをあげていくと、物語は「今の日本」を映し出しているかのようです。
 野田秀樹さんの《赤鬼》がロンドンで上演され、評価されたことでも分かるように、異質な人を排除する”村八分”的な感情は、イギリスの人の中にもあるのでしょうね。宗教や制度によって程度の差は生じても、国や地域を越えた人間の弱さ、と言えるのかもしれません。
 ブリテンは、 緊迫感のある音楽で登場人物の苦悩や葛藤を浮き彫りにつつ、美しいメロディで村の情景を描き、軽薄でおちゃめな娘たちのコミカルな歌で彩りを添えています。演奏も素晴らしく、あっという間の3時間でした。
 
 舞台は、漁村です。少年が死んだのは、雇い主で漁師のピーター・グライムズが殺したのか、それとも不幸な事故だったのかを争う裁判から、物語は始まります。とりあえずは証拠不十分で無罪の判決が出ますが、裁判官も彼が無実だと思っていないようです。少年を助手に雇うことは辞めるようにと言い渡します。地元の人は、ピーターが殺したと思っています。そういう村の噂は、判決では消えません。
 そんな中、エレナという女性教師だけが、ピーターを「名声を取り戻しましょう」と励まします。彼女は、ピーターの苦悩を理解しようとしています。誰も仕事を手伝ってくれないので、ピーターはやむなく孤児院の子どもを斡旋する業者の誘いを受け入れます。村人たちが非難する中、「せめて温かく迎えてあげたい」とその子を出迎えに出るエレン。老船長バルストロードは案じますが、ピーターは耳を貸しません。ピーターは、エレナとの結婚を夢見ています。そのためにも、村人を見返すために、大きな仕事をして金儲けをしようと心に誓います。
 エレンは、少年を気にかけます。そしてある日、その少年の体に痣があるのを見つけます。どうやらピーターはその子に虐待行為をしているようです。エレンはピーターを諫め、安息日には休ませてあげてと言いますが、ピーターは願ってもない魚群を見つけたからと聞き入れません。
 なんでそんなに夜も昼も休みなく働くのか。エレンに問われたピーターは、「金があれば、家が買える。人々の尊敬を勝ち取れる。苦悩から解放される。噂好きの連中を黙らせられる。そうして自由になるんだ」と叫びます。
 エレナは子どもの痣について問い詰め、「安らぎを買うことはできない。人々の口を封じることはできない」と諫めます。名声を取り戻そうという自分たちの考えは間違っていたのかもしれない、と嘆くエレナを、ピーターは思わず殴りつけます。そして、少年を連れて自分の掘っ立て小屋に戻ります。
 そうこうしている間にも村の中ではピーターについてのよからぬ噂は盛り上がり、人々は彼をつるし上げて白黒つけようと掘っ立て小屋にが押しかけてきます。それを知ったピーターは、裏の崖から少年を舟に降ろそうとしますが、少年は足を滑らせて転落してしまいます。ピーターは崖を降りて探しますが、少年は見つかりません。
 そのうち、少年の上着が浜に漂着。それを知った村人たちはピーターがまた少年を殺したに違いないと騒ぎ立て、彼を捜し回ります。詮索好きのおばさんが、興味津々に憶測を交えたストーリーをしゃべりまくります。
 エレンとバルストロード船長がさまよい歩いて疲れ果てたピーターをみつけます。バルストロードは、沖で舟を沈めるようにとピーターに勧めます。
 どこにも安らぎはない、自分を受け入れてくれるところも人もない――絶望と孤独の中で、ピーターは夜明け前の海に舟を出します。
 夜が明けると、村ではいつもの日常が始まります。遠くで舟が沈んでいくのを見つけた人がいますが、双眼鏡で確認しただけで、傍観するのみ。人々は何事もなかったかのように、それぞれの生活を始めます。
 
 作品の中には、ピーターが本当に少年を殺したのかどうかは書かれていませんが、殺人に関しては、おそらく彼はやっていないのでしょう。なのに、裁判ではその容疑を十分晴らされず、村人たちの噂が彼を追い詰めます。人々はいったん疑わしいとなるや、一斉に彼を叩きにかかり、排除します。大騒ぎをしても、当事者がいなくなれば、すぐに忘れる彼らは、本当は自分の日常にしか関心がないのです。
 それに対して、ピーターは仕事で成功して、金の力で名誉を挽回しようと必死になります。その必死さがあだになって、村人たちはさらに彼を敬遠する悪循環です。
 ピーターにつきまとう陰は、おそらく彼自身が虐待されて育ったゆえでしょう。そのピーターが、身近にいる少年に手を挙げる。虐げられている者は、さらに弱い者を虐げる、そんな法則性を感じます。ピーターをつまはじきにし、虐げる村人たちですが、おそらくこの漁村自体、貧しく、都会の発展から取り残された、まさに格差社会の底辺にいる、虐げられた地域なのでしょう。孤独を紛らわせるためか、刺激を求めてか、麻薬に溺れる者もいます。
 そうした閉塞した社会の湿った空気にも、今の日本の状況と似たにおいを感じます。音楽は私たち自身の弱さや私たちの社会の陰の部分を浮かび上がらせていくかのようです。聞きながら、それぞれの場面が映像として頭の中に浮かんできて、ほとんど演出家になったような(?)気分。
 まさに、今の時期こそあちこちで上演して欲しいオペラだと、つくづく思います。たとえば、コンヴィチュニーだったら、あるいはカーセンだったら、どんな演出になるのでしょう。
 尾高さんは、新国立歌劇場の次期監督になられることが決まっていますので、ぜひこの作品を取り上げて欲しい。あるいは民間のオペラ団体が企画して下さらないかな〜。
 そういう意味で、札幌交響楽団が今回この作品を取り上げたのは、実にタイムリーだったと思います。
  
 福井さんは、この役がまさにぴったり! 意識的に抑制された感情表現(と私には感じられました)によって、音楽に込められている、ピーターの内側に蓄積された思いの重さや暗さが、むしろ際だって聞こえます。はかない希望と孤独、そして絶望感が、聞く者の心の底にまでひたひたとしみ込むように伝わってきました。《トゥーランドット》のカラフに継ぐ福井さんのはまり役かもしれません。
 そして、釜洞さんがまた素晴らしいのです。《欲望という名の電車》でのブランチ役を演じられた時にも感じたのですが、彼女は、女性の深い哀しみや言葉で表しようのない寂しさを表現できる演じ手、歌い手として最高ではないかしら。今回も、運命を止めることができないエレナの無力感、哀しみが胸に迫って、心を揺さぶられました。
 それと対象的な飲み屋の女将(小川明子)の迫力、その姪で飲み屋の看板娘たち(鵜木絵里、平井香織)のいかにも軽薄なキャピキャピした歌いっぷりも楽しく、効果的でした。

 キタラ・ホールは噂に違わぬ、素晴らしいホールでした。公演の中にあり、緑に囲まれ、2階のバルコニーからは池が見えます。階段も含めて、すべてがゆったりとしていて、首都圏あたりのホールでは考えられないようなゆとりのある構造。肝心のホール内部も、音響が実に豊か。それでいて、音離れがいいと言ったらいいのか、音が残響に邪魔されず、実に美しく耳に届くのです。ベルリン・フィルのメンバーが「世界一のホール」と言ったという話も、むべなるかな、という感じ。
 しかも、札響音楽監督の尾高さんがホールの構造や響きをよくよく熟知しているからこそ、でしょう。合唱の配置にしても、オーケストラにしても様々な(例えば、3幕に一部の楽器をアクリル板で囲った中で演奏させたり、教会の鐘を字幕の電光掲示板の内側で鳴らすなど)工夫をしていて、それがすべて奏功していました。
 隅々まで神経が行き届いた見事な演奏で、まさに音で物語の世界を描き出していました。とりわけ、オーケストラでは金管楽器の美しく表現力豊かな音色が、私には印象的でした。

 
 最近、定期公演などで、このようなコンサート形式でオペラを取り上げるオーケストラが増えているように思います。
 この秋に限っても、新日本フィルが《ばらの騎士》を、東京シティフィルが《トリスタンとイゾルデ》を、N響も《トリスタンとイゾルデ》の第2幕を演奏会形式で上演。
 他にも、サントリーホールの『ホールオペラ』にならって、演出をつけてコンサート・ホールでオペラを上演する企画を他でもやっているようです。
 本格的なオペラ公演となると、お金もかかります(当然チケット代も高い!)。準備の時間も大変。でしたら、演奏会形式で、オペラの音楽を聞く機会を増やそうというのは、大変結構なことだと思います。今回の公演のようにいい演奏だと、自分の頭の中であれこれ演出をしてみる楽しみもありますし。
 他のオーケストラでもどんどんやっていただきたい。その際、どこかのオケに東京で《ピーター・グライムズ》をやって欲しいな。タイトル・ロールは、ぜひとも福井さんで。

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