泣ける《トゥーランドット》

2009年04月24日

 こんなに泣ける《トゥーランドット》は初めて見た。
 神奈川県民ホールとびわ湖ホールなどによる共同制作公演で、トゥーランドットは並河寿美さん、カラフは福井敬さん、リューを高橋薫子さんが演じた。

 この作品は、たいてい3幕の途中、リューが死ぬところでジーンとなって、その後の展開に気持ちがついていけないことが多い。
 リューの最期は、ひたすら涙を誘う。なんて健気で、なんてかわいそうなリュー……。
 なのになのに、カラフときたら、こちらの涙も乾かないうちに、リューの死の原因であるトゥーランドット姫を、リューの遺体が運び出されたその場で、熱く口説くのだ。氷のように冷たかった姫の心はカラフの愛に溶かされ、皇帝も人民も喜び大団円。音楽は、最後に大盛り上がりで終わる。
 どれだけ豪華に最後を締めくくっても、「リューの死の直後にこれ?」と、こちらは内心盛り上がれない。 
 プッチーニの筆がリューの死で止まってしまったのも、なかなか気持ちの切り替えができなかったからだろう。
 
 というわけで、この違和感を埋めるために、いろいろ工夫をした演出もある。リューの死以降を演奏会形式にしてみたり、あるいは先般の新国立劇場の公演のように、それまでの物語を劇中劇のように構成してみたり……
 でも、そうした努力は、たいていあまり功を奏していない。
 
 今回の粟国淳さんの演出は、リューの死の後の展開も実に見事だった。
 暗転幕が下りて、音楽も止まる。リューの死を悼みつつ、ここから新たな物語が展開する予感。
 再び幕が開いた時には、大勢の人々は消えて、カラフとトゥーランドットだけがいる。紗幕がかかり、舞台上は少しかすんでいる。照明も幻想的で、現実の世界ではなく、トゥーランドットの心象風景のようだ。
 リューのひたむきな愛によって、トゥーランドットの心を覆っていた殻が砕け、それまで奥底に押し込められていた感情が彼女の全身を満たしていく。彼女の目には、カラフ以外の人の姿は目に入らず、彼女の耳には彼の声しか聞こえない。私たちが聞くカラフの声は、トゥーランドットの心に響いている彼の声なのだろう。
 粟国さんの演出で並河さんの歌を聴いていると、トゥーランドットはたぶん、本当は純粋で柔らかい心の持ち主だったのかもしれない、という気がしてくる。それゆえに、ロウリン姫の悲惨な死を知って衝撃を受け、その怨念にとりつかれたかのように、異国の男たちに対する復讐に血道を上げるようになったのではないだろうか。そんな彼女は、リューによって、いわばロウリン姫の呪いから解放され、素の自分を取り戻したのだ。
 それでも、彼女は迷う。カラフに立ち去ってくれるように頼むのは、最後の抵抗。愛は奔流となってあふれだし、呪いもプライドも押し流していく。
 そして最後の場面で、舞台は再び現実の世界に戻る。大勢の人々の前で、彼女は父親である皇帝に「彼の名前が分かりました。それは愛です」と告げる。その甘やかな響きに、拷問に耐える強さのゆえんを聞かれて「愛です」と答えたリューの声が蘇る。
 トゥーランドットとカラフは手を取って、階段を上っていく。皇帝よりも高いところまで二人は上り詰める。そしてその上に、白い雲が浮かんだ青空が広がる……
 
 今回の粟国演出は、時代も場所も不明。ひょっとしたら宇宙のどこかの星かもしれない。昔のようでもあるし、未来のようでもある。時代や場所を越えた、普遍的な愛の力を表現しようとしているのだろう。
 青空もまた、時代や場所を越えて、今の人を見守り、人の心を解放する。そして未来の人々にも、この青空は通じる、そんな希望を与えてくれる。
 この最後の場面には、全身が何ともいえない感動に包まれた。まさか、この作品のラストで泣けるとは思わなかった。

 リューの死は、ひとつの物語の終わりであると同時に、次の物語の始まりだ。二つの物語は、リューの愛によって結ばれている。だから、見ている私の心は死の場面に置き去りにされることなく、自然に、そして感動とともに、次の展開に誘われていく。
 奇をてらった読み替えや、こけおどかしの仕掛けなど、何もない。音楽や聴衆の心に無理を強いない、その手法はむしろオーソドックスの部類に入るだろう。なのに、こんなに感動する《トゥーランドット》は初めて、という、実に新鮮な感動を与える演出でもあった。

 この演出のよさを存分に味わえたのは、歌い手たちのパフォーマンスのすばらしさゆえ。
 トゥーランドット役のソプラノには、人間離れした強い声に圧倒されることはあっても、この役にシンパシーを感じられない。現実離れした物語なので、共感など得なくてもいいのかもしれないが……。リューの死の後の展開に心がついていけないのは、トゥーランドットの強さのためでもあるかもしれない。いったいなぜ、カラフがあそこまでトゥーランドットに入れ込むのか、実感として分かりにくいのだ。
 けれども並河さんのトゥーランドットは、強さと柔らかさを巧みに使い分けて、内面にもろさや葛藤を抱えているがゆえに、より強く冷たく振る舞う彼女の内面をきめ細やかに表現した。特に3幕は、その生身の人間らしい感情の動きが伝わってきて、聞いていて引き込まれた。
 たとえば、トゥーランドットがカラフにこう告げるところがある。
「あなたの目には英雄たちが持つ光と確信がありました。それゆえに私はあなたを憎み、あなたを愛したのです」
 この葛藤の深さや苦しみが、歌や表情に込められていて、「あなたも苦しかったのね」と、寄り添いたくなるほど。おまけに、スタイルもよく、「絶世の美女」にぴったり。これなら、カラフが惚れ込むのも分かるし、最後のハッピーエンドも違和感なく、見ていることができる。
 カラフ役の福井さんは、この日は声が必ずしも絶好調ではなかったようだが、そういう日はそういう日なりの歌い方と、豊かな表現力で、聴き手を物語の世界にどっぷり浸らせてくれるところはさすが。
 この役のアリアというと、荒川静香さんのフィギアスケートで有名になった「誰も寝てはならぬ」が有名だが、私は、それ以上に「泣くな、リュー」が好きで、この日も福井さんの思いがたっぷりこもった歌に、しみじみ酔った。
 そして、リュー。日本人のソプラノに向いている役の一つだと思うのだが、わけても高橋さんのリューは、本当に美しく、健気でやさしく、献身的で清らか。はかなく、か弱いようで、芯の強いリューを見事に演じきった。最期の場面は、涙なしには見られないほど。幕が降りた時、客席からは、鼻をすする音が聞こえた。
 ティムール役は、佐藤泰弘さん。この方の深いバスには威厳と力を感じる。老いさらばえた無力で惨めな元王というより、地位は追われても誇りを失わず、むしろリューとの放浪の旅の中で人間として真の強さを身につけた、そんな感じがした。
 
 それから、特筆すべきは沼尻竜典さんの指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏
 繊細さとパワー、美しさと迫力を縦横無尽に使う、実にスケールの大きな演奏で、時代と空間を超えた演出ともマッチしていたように思う。特に、登場人物の心理を音楽がとてもよく伝えていて、私自身がドキドキしたり、気持ちが高ぶったり……。3幕のトゥーランドットとカラフのふたりの場面などは、なんとも官能的。トゥーランドットの内面の変化がダイレクトに伝わってきて、物語の世界を体と心で堪能した。
 
 こんな素晴らしい公演が、これっきりで終わるのはもったいない。
 何らかの機会で再演できないだろうか。
 それから、NHKがこれを収録していなかったのが、本当にほんとうに残念でならない。

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