扉を開けて〜松本智津夫三女の入学拒否問題を巡って

2004年04月30日

「人間愛」――これが、この大学の「教育の理念」なのだそうだ。
 こんなにも美しい「理念」を掲げる文教大学(石田恒好学長)が、和光大学に続いて、麻原彰晃こと松本智津夫の三女の入学を取り消した。
 報道によれば、三女は同大学人間科学部臨床心理学科に合格。ところが、3月16日に和光大学が入学を取り消したという報道があり、それから合格者の書類を調べたところ、三女の合格が分った。そして教授会を開き、入学許可を取り消すことを決めた。
 要するに、よその大学で排除したという報道を見て、まさかうちにはいないだろうなと慌ててチェックし、その名前を見つけて、問答無用で入学取り消した、というわけだ。
 三女は、昨年も別の都内の私大で同様の対応を受けている、という。
 石田学長は、同大学の公式サイトの中で、教育理念についてこうも書いてる。
<学生ひとりひとりが自己実現の道を求めながら、同時に他者の身になって、すべての人を尊重し、世界に向かって開かれていくことを基本としています>
 言っていることと、やっていることが、あまりに違い過ぎはしないか。
 
 大学側が三女と教団との関わりについて懸念を抱くのは、根拠がないわけではない。
 三女ら松本家の収入源は不明瞭だ。母親が受け取った遺産で生活していると言いながら、麻原の妻でもある彼女は、裁判で「遺産はすべて被害者に渡した」と して、刑期を短縮してもらっている。教団の隠し資産を受け継ぐとかか、現在も関係者の支援を受けているとかいうことなしに、三女が生活し、私立大学に進学 することが可能なのだろうか。財政面から教団との関わりについて疑問が湧くのは、当然だろう。
 しかし疑問が生じたら、まずは事実関係を調べるのが研究者としてあるべき姿勢ではないか。
 ところが、4月30日付朝日新聞は、こんな「同大学関係者」のコメントを紹介している。
「彼女が現在の団体とかかわりがあるかは調べていないが、私立大学としては受け入れるのは困難だ」
 彼女に教団との関わりや進学の目的を尋ねることも、警察や公安調査庁に相談したり、あるいはオウムなどのカルトと対峙していた専門家に意見を求めることもしていないらしいのだ。
 必要なことを調べもしないで、こんな重大な(そしておそらくは違法な)判断をするとは、教育機関としても、研究機関としても、許される態度ではない、と思う。
 この大学の教授たちは、こういうことが続けば彼女の中に社会に対する恨みが蓄積していくのではないかと、「他者の(この場合、三女の)身になって」考えることはなかったのだろうか。
 
 確かに、三女は麻原の後継者と目されていた時期もあり、教団の中では特別な地位にあった。
 ただ、それは彼女が選んだ道ではない。
 松本智津夫の娘として生まれた不幸は、彼女の責任ではない。
 なのに、幅広い価値観や知識を学ぼうとしても拒絶され、教団外の人々と交わる機会をことごとく奪われれば、彼女は父に与えられた特異な価値観にすがり、全面的に教団に依存するしかなくなる。
 一連の大学の対応は、社会に背を向け、場合によっては社会に敵対していく道へと、彼女を押しやっているも同然だ。
 直接の当事者になるまで、無関心。そして、いざ自分の所に”やっかいの種”が舞い込むと、違法合法あらゆる手段を使って排除し、うまく追い出せばそれで終わり。それば他にどういう影響を及ぼそうとも、後は野となれ山と慣れで、我関せず。
 オウムを巡っては、いろいろな局面で、そういう「他人事」「自分さえよければ」という対応を見てきた。
 このような対応が、教団のやりたい放題を許し、今に至るまでその存在を許してしまっている一因でもあると思う。
 和光大学、文教大学は、こうした過去の過ちを繰り返している、と言わざるをえない。

 大学の不安は分る。
 しかし、その不安を出来る限りなくし、むしろプラスの効果をもたらす方法がないわけではないのだ。
 例えば、オウムをはじめとするカルト問題に取り組んできたカウンセラー、研究者、弁護士、宗教者たちの連絡組織がある。そうした組織に相談をすれば、喜 んで協力をする人たちはたくさんいるはずだ。少なくとも長年オウム問題に関わってきた人は、必ず協力をしたはずである。私も、声をかけられればきっとすぐ に駆けつけただろう。
 そんなふうに、外に協力を求めていく態度こそ、「世界に向かって開かれていくこと」を理念に掲げる大学にふさわしいのではないか。
 そして、カルトの実態や問題点を知る人々が、学生たちに対して、カルトの怖さ、その勧誘の手口、そこから身を守る方法などについて、様々な角度から情報 提供をし、教えていくようにすればどうだろう。文教大学(もしくは和光大学)の学生たちは、この問題にたっぷり免疫をつけ、知識を持つことができる。
 社会で若者を待ちかまえているワナはオウムだけではない。そういう世の中をわたっていかなければならない彼らにとって、三女がいる文教大学(もしくは和光大学)で学ぶことはマイナスではなく、むしろ大きな財産を得ることになっただろう。
 せっかくのそういう機会を、大学当局は自ら摘んでしまった、ともいえる。 

 松本智津夫には、三女の下に四女、長男次男がいる。
 この子どもたちも、いずれ進学問題が出てくるだろう。
 このような不適切な対応が繰り返されないためにも、各大学が「他人事」「自分さえよければ」の態度をやめ、今から「松本家の子どもたちを、うちはどのように受け入れるか」というテーマで議論をして欲しい。
 そのために、声をかけられれば、やはりカルト問題に取り組んできた人々は、協力を惜しまないはずだ。
 
 また、松本家の人たち、とりわけ子どもたちの母親(つまり松本智津夫の妻)にも言いたいことがある。
 今の状況では、松本家の子どもたちと教団には、強い関わりが疑われても仕方がない。それをなんとかするのは、大人たちの責任ではないか。
 社会の責任ばかりを言い募る”支援者”に守られ、自宅に籠もって自ら社会と融和する努力を放棄しては、子どもたちにとって不幸な事態がいつまでも続く事になってしまう。
 例えば、三女がカルト問題の専門家と話し合う機会を設けてはどうか。彼女が進学を志した理由、将来やりたいことなどが理解されれば、大学側に助言をして もらうことも可能だろう。また、幼い頃に植え込まれた特異な価値観が残っているとすれば、そうした問題について相談に乗ってもらうこともできる。
 大学から依頼と同様、この問題に取り組んできた人々は、喜んで協力をするだろう。
 ぜひ真剣に考えてもらいたい。
 
 それぞれが自分の砦に立てこもって、一方は「自分さえよければいい」という事なかれ主義に走り、他方は権利だけを主張している状態では、決していい方向には進まない。
 みんなが少しずつ扉を開く努力することを、心から望んでいる。

(この原稿をアップした後で、東京地裁が三女の文教大学学生としての地位を認める仮処分決定を出した ことを知った。この決定を歓迎する。そして大学側が、その素晴らしいその教育理念に立ち返り、広く様々な人たちの協力を得ながら、三女にも他の学生にも益 する道を選択することを期待したい)

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