ショーは終わった。課題は残った〜ライブドア・フジの和解を受けて

2005年04月19日

 要するに、これが「大人の解決法」ということなのだろう。
 ”白馬の騎士”北尾氏の出現とライブドア株の下落が、ホリエモンに現実的な選択を迫った。これ以上引き延ばしても、フジテレビの経営への参画は不可能で、手に入れたニッポン放送をどう扱っていいのか、具体的な事業計画もなければ、それを作るノウハウもない。
 フジテレビにしても、問題を長引かせれば、ブランドに傷がつくし、今後どんな「想定外」の事態になるか分からない。当初の目的だったニッポン放送の子会社化が実現し、ライブドアの本丸への侵入を阻止できれるのであれば、あとは金で解決できることはさっさと解決したい。
 TOB価格を5.9%上回る価格での買い取りになるが、市場価格より低いTOBに応じるような”理解ある株主様”に支えられたフジテレビには、引き続きご理解いただける、という読みがあったのだろう。
 「インターネットと放送の融合」に関して、今のところ何の成果もない。でも、今後業務提携を協議する「推進委員会」で話し合うと、先送りをすることで、ホリエモンの顔は一応立った。
 こうして見ると、なんだかいやに日本的な幕切れで、これまでの双方の大義名分はいったいなんだったのかいな、という気がしなくもない。
 金銭的には、ライブドア側の圧勝。
 1030億円で取得したニッポン放送株を1033億円でフジに引き取ってもらえるうえ、第3者割当増資440億円を引き受けてもらえた。差し引き443億円の利益、ということになる。
 けれども、堀江氏の一番の狙いは成就できなかった。
 業務提携に関しては、フジは今後、何かいい提案があれば乗るし、そうでなければ無視することもできる。もちろん440億円もの出資をするからには、ライブドアの企業価値が高まるように望む立場にはなるのだけれど、仮にこのお金も、今回の高い授業料の一部と割り切るならば、何がなんでも急いで一緒に事業をやらなければ、ということにはならない。
 フジテレビとライブドアが「融合」できるかどうかは、全くの白紙と言ってもいいだろう。
 ただ、今回の一件は、単なるマネーゲームだと切り捨てる人がいるが、私はそれは違うと思う。
 ホリエモンは、本当にフジテレビが大好きで、欲しくてたまらなかたったのだろう。会社の事業展開の中で、メディアが必要だという考えももちろんあっただろうが、あの熱意にはそうした事業欲というより、愛情に似たものを感じた。
 もっともフジテレビ側にしてみれば、可愛がってやっていた近所の若いモンがいきなり押しかけて、自分を婿にしろと迫ってきた感じがしたらしい。しかも、その挙げ句に大事な家族のニッポン放送を人質にとられたという被害者意識があった。
 そういう感情が、今回の和解でさっぱり消えて、「さあ、これから仲良くやっていきましょう」となるのだろうか。
 フジ側の気持ちはむしろ、大金はかかったけれど、やっとしつこいストーカーを追っ払うことができてほっとしている、というあたりではないだろうか。

ホリエモンの弱点

 野球にしても、今回にしても、堀江氏の失敗の原因は、異文化・異世代間コミュニケーションの稚拙さと、損得勘定では計り知れない人間の感情を軽視したことだ。
 文化も歴史も異なる企業の買収・合併を成功させようとするならば、最も必要なのが相手とのコミュニケーションではないだろうか。異なる文化や世代の人と交渉するには、善悪や好悪の評価は抜きにして、まずは相手の言葉や流儀を理解したうえで、相手に受け入れられ、自分の思いや考えを誤解なく伝える方法を考える。
 ところが堀江氏は、相手が誰であろうと、常に自分たちの言葉、自分たちの流儀を押し通す。それは傍から見れば、相手が誰であろうと態度を変えず、媚びることをしない、という潔さに映る。だからホリエモンは分かりやすい、と思える。けれど、当事者となった者は、そんなふうに見ることはできないだろう。
 とりわけ、人間というのは感情を持つ動物であり、この感情は思わぬエネルギーを生む。好きな人のためなら損得抜き頑張るし、嫌いな相手を失敗させるためには、自分が多少の損をしてでも足を引っ張ったりする。とりわけ、憎い相手を引きずり下ろすネガティブな力は、決して侮れない。
 感情の面でもつれると、思わぬコストを生み、自分の目的が達成できない。これが、今回の一件で堀江氏が学んだ最大のレッスンだろう。

ホリエモンの功績と残した課題

 とはいっても、彼が行動を起こしたことは決して無駄ではなく、日本の社会に対する貢献度は大だったと思う。
 第1に、今回のことで株式市場に多くの人の目が向いた。日本の経済を支えている仕組みでありながら、私たちがいかに知らないことが多いか、今回の一件でつくづく知らされた。
 未だ合法違法がはっきりしない”裏道”がいくつもあるらしい。堀江氏の「仕組みを知らないままぼんやりしていると、悪い人に騙されてしまいますよ」という忠告は、しっかり受け止めて、対応を急ぐ必要がある。
 第2に、彼の「やる前に諦めない」という姿勢は、とりわけ若い世代に大きな刺激になっただろう。ライブドアのような新興の小さな会社が、フジテレビのような巨大なメディアグループの総帥を飲み込むなどと、考えて行動に移した者がこれまでいただろうか。ところが、今回の一件の途中では、ライブドアがフジテレビを買いに動くかもしれない、という話まで、まことしやかに論じられた。
 堀江氏は、起業するかどうか迷っている人には、迷わずやってみることを勧めている。失敗してもせいぜい破産するだけ、やってダメだったらまたやり直せばいい――そんなポジティブさは、若者たちを大いに励ましただろう。
 彼の出現によって、ITの分野で活躍している若い起業家たちにも注目が集まった。そのことも、彼らに続く人たちに刺激を与えたと思う。
 第3に、メディアの現場にいる人たちが、メディアの今後について考える機会を与えられた。堀江氏が語る「インターネットと既存メディアの融合」は、今ひとつ具体的な構想として描くことができないけれど、新聞にしても雑誌にしてもテレビ・ラジオにしても、これからはインターネットとどう関わっていくかを、本気で考えなくてはならない。日々の仕事で追われている現場の人々も、今回のことは、自分たちの仕事が5年後、10年後どうなるのかということを考えるきっかけになったはずだ。
 それは私自身にも言える。目先のことでバタバタしているだけではなく、今後、私たちの表現形態はどうなっていくのか、堀江氏の行動を契機にあれこれ考えさせられた。
 そういうプラスを、これからどう生かしていくか――これが、これからの大きな課題だ。
 今までは、ライブドアvsフジテレビという面白いバトル・ショーの観客だった人たちも、この課題に関しては、当事者の立場から逃れられない、と思うのだが。

儲けたお金の使い道について

 最後に、蛇足で個人的な経験と感想を付記しておく。
 私が、昨年12月に堀江氏にインタビューに行ったのは、彼らが「市民記者」を募り始めたと知ってだった。
 その時私の頭に浮かんだのは、韓国の「オーマイニュース」だった。
 「市民みんなが記者」を合い言葉に始まったインターネット新聞には、報道のあり方を変えようと立ち上がった一人のジャーナリストに、社会を変えたいという多くのネチズン(市民)が加わって、大統領選挙にさえ影響を与えるようなメディアに発展させた。
 創設者の呉連鎬(オ・ヨンホ)氏は世界新聞協会の総会に招かれて行ったスピーチの中で、韓国で『オーマイニュース』のようなメディアが誕生したのは、「もっといい世の中を作りたいという、参加する若い世代がいるからだ」と強調した、という。
 既存のメディアが無視するような、あるいはまっすぐに事実を伝えないような事柄を、市民の目からどんどんすくい上げていく。もちろんプロの記者もいて、大事だと判断した事柄を集中的に取材し報じていく。
 そんなメディアを堀江氏が作ろうとしているのであれば、私自身も一人の「市民記者」として参加したい。そんな思いもあって、堀江氏の考え方を聞きたくて、取材の申し込みをしたのだった。
 その結果は、<「新聞・テレビを殺します」 〜ライブドアのメディア戦略>に書いたような内容で、私も思惑は外れてしまった。
 ライブドアのサイトでは、「パブリック・ジャーナリスト」募集のお知らせには、こう書いてある。
<livedoor ニュースでは、インターネットを活用したパブリック・ジャーナリストシステムを構築、それを通して生活の現場、仕事の現場から寄せられた生の声をお届けすることで、豊かさを感じさせない日本社会の問題点に光を当て、それらを一つひとつ解決に導いていく一助になりたいと考えています。つきましては、これからの時代をよりよいものにしていくためにも、我こそはパブリック・ジャーナリストとして物申したいという方を募集いたします>
 ところが、堀江氏はこの制度を「単なるコスト削減策」と言い切り、「メディアのあり方が変わる」という自身の発言を含むライブドアのPRに関しても「そうやって煽った方が、みんな期待感を生むじゃないですか。僕はどっちでも……」とつまらなそうに語るのだった。
 対外的なPRと社長の考えには、だいぶ乖離がある。現場は、どちらかというと宣伝文にあるような意気込みを持っているように思えるが、果たして大丈夫なのだろうか。堀江社長は既存メディアが掲げる「報道の使命」、ジャーナリストの「志」を「思い上がり、自意識過剰」と切り捨てている。その価値観は、自社の「これからの時代をよりよいものにしていく」という「志」と、どう整合するのだろうか……

 その後も、彼らのメディア観に違和感を感じさせられる出来事があった。
 というのは、ついこの間、私自身がライブドア・ニュースに誤報をされてしまったのだ。このメディアの現状を伝えるために必要最少限度の範囲で、そこで起きたトラブルを紹介しておく。
 記事を書いた記者は、その日初めて現場に出たらしい。予備知識もなく、何の準備もしないまま、私が他の記者に話していることを横で聞きかじり、自分自身の想像を交えて書いてしまったようだ。
 たまたま、私はその誤報記事を自分で発見することになった。
 私が、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯岡崎一明に関して「許してやるべきだ」と言ったという記事になっていた。冗談ではない。私はそんなことを考えたことなど一度もない。仮に、個々の被告人について哀れみがわいたとしても、私は「許し」を与えられる立場ではない。その資格があるのは、遺族とせいぜい宗教者くらいだろう、と考えている。
 それに、万が一この記事が遺族に目に触れれば、どれだけほど困惑させ傷つけるだろうかと、私は血の気が引くような思いがした。
 すぐに記者に電話をして、即刻配信をやめること、訂正を出すことを強く要求した。
 その後、報道センター長のS氏から丁重な謝罪のメールがあった。
 私は、この記者がこんな記事を書いたこともさることながら、どうしてそれが何のチェックも受けずに、出てしまったのかということが気になった。ライブドア・ニュースにもデスクはいる、という。そのデスクは、オウム犯罪を追及する側の私が、いきなり「許し」を与えることを何の疑問も持たず、確認に必要を感じなかったのだろうか。
 何も、私の考えや立場を誰もが知るべきだなどと思い上がった考えでいるわけではない。だが、報道機関のデスクなら、オウム問題に関して私がどういう立場で発言をしていたかは、予備知識の範囲ではないだろうか。例えば、北朝鮮の拉致問題を追及している重村智重・早大教授などが、何の脈絡もなく突然「横田めぐみさん拉致の実行犯は許してやるべきだ」と発言したという原稿が出てきたとしたら、びっくりしないだろうか。
 S氏も「私がデスクを担当している時であれば、『あれ?』と思ったはず」と言う。
 デスクと話をさせてもらいたい、と私はお願いした。S氏と話したことで、とんでもない記事を出されたショックも収まっていた。この”事故”の原因がはっきりさせ、これを教訓にして誤報のないように努めてもらえればいい、という気持ちでいた。
 ところが、デスクのX氏と話をしていて、その気持ちはくつがえってしまった。X氏は、「江川さんがオウムを扱っているのは知っていましたが、細かいことは知らなかった」ので何の疑問も抱かなかったと、悪びれる様子もない。彼はかつて松本サリン事件を「研究」したことはある、とのこと。ならば、私がオウムを追及する側にいたことぐらいは知っていたでしょうにと思ったが、「そういう細かいことは存じませんって言ってるんですよ」と。
 そして、「訂正を出し、Sが謝罪をし、私もこれから気をつけるとおっしゃってるのに(←本当にそう言った)、これ以上何をしろって言うんですか」と開き直った。
 私が熱くなって反論すると、X氏は小馬鹿にしたようにせせら笑うのだ。
 この会話を横で聞いてさすがに「まずい」と思ったらしく、X氏との電話が終わると、すぐにS氏から「会ってお詫びをしたい」と連絡があった。S氏は報道の現場での経験が長く、誤報をした時の対応も経験があるのだろう。S氏との会話は、至極まっとうなやりとりだった。
 しかし……。
 間違っちゃったら、謝って訂正すりゃいいでしょ――そういう価値観の人間が、デスクという報道の要に位置し、そのうえ「市民記者」の養成まで任されている。そういうメディアが、このまま成長したらどうなるのかという不安までは、どうしてもぬぐきれなかった。
 確かに、このメディアはまだスタートしたばかり。中身のクオリティに関しては、これからを見守っていく必要があると思う。
 「オーマイニュース」だって、一番最初は素人集団だったのだ。何しろ、経験のある記者は呉氏一人。その彼が、大学を出たばかりの未経験の記者二人と経験わずか1年というカメラマンを率いて立ち上げた。もっとも彼らは、金も経験も乏しいが、一人ひとりの人が社会を変えていくのだという信念とそのために貢献するメディアを作るという志があった。その点で、ライブドアニュースはかなり趣を異にする。
 とはいえ、せっかく立ち上げたからには、堀江氏も、まっとうなメディアに育つまでには20年くらいはかかるという長い目で、真剣に関わって欲しい。そのためにも、今回儲けたお金の一部を投入して、優秀な人材を採用したり、今いるスタッフをきちんと鍛えてたり、きちんとした取材をするための経費を確保する、というのはどうだろうか。そうする中で、ここからも「志」が芽生え育っていくかもしれない。「インターネットと既存メディアの融合」を大義にして得たお金なのだから、自らのメディアの質を高めることに、まずは投入するのがふさわしく、今回の一件を「マネーゲーム」と言わせないためにも、いいのではないか。
 ただ堀江氏は、今回フジテレビから得たお金で、どうやら次のM&Aを考えているらしい。常に拡大拡張していくことで、社員をモチベーションを保っていく、というのが彼の経営術だ。どうしても、「すでに手に入れたもの」やそのユーザーに対する対応は、後回しになる。はてさて、次のターゲットはどこなのだろうか。
 私としては、彼のようにやる気のある若い人の活躍の場は広げたい。けれど一方で、ライブドアニュースが安心して見られる状態になるまでは、他のメディアに手を出すのはやめて欲しい、という気持ちもある。朝刊トップを飾ったホリエモンの笑顔を見ながら、なんだか複雑な心境だ。

【付記】
 上記の文章を出したすぐ後で、ライブドア・ニュースの例のデスクX氏からメールがあった。主な用件は、私が3月24日に掲載した「そろそろ本題に入ろう〜ライブドア高裁決定を受けて」に関しての抗議だった。
 「なぜ一ヶ月も前の記載について今頃?」と、彼の意図に疑問が湧いた。X氏にはこの誤報の時点で私のサイトについてはお伝えしてあるからだ。ただ、「事実誤認」との指摘なので、X氏からのメールのうちその部分に関しては真摯に検討し、拙稿に手を入れた。
 ただ、なにしろ相当時間が経っているので、私のこの問題に関する考えに興味のある方は、すでにご覧になっていて、わざわざ読み返す人もあまりおられず、手を入れたことに気づかない方も多いのではないかと思う。そこで、この最新の文章に追記として、X氏の説明とどのように変更したのかを書き加えることにした。

 X氏が「事実誤認」とする私の文は次の2点。
(1)パブリック・ジャーナリストなる自前の記者が書いている文章には、独りよがりの駄文が目立ち、読むに耐えないものが少なくない。

 これに関して、X氏は次のように書く。
<パブリック・ジャーナリスト(PJ)はライブドア自前の記者ではありません。「ライブドアPJニュース」という制度に投稿する一般市民で、世間に向けてニュース・オピニオンを書きたい人たち。いわば、本業は別に持つフリーランスのジャーナリスト・ライターです。小生もその一人です。>

 確かに誤解を招く表現だと思われるので、書き改めた。また、改めて読むと「駄文」という言葉も、感情的に過ぎるように思えたので、なぜそのように感じたのか具体的に書き直すことにした。その結果、(1)の文章は、以下のように変更した。

彼らが「パブリック・ジャーナリスト」と呼ぶ、プロの記者ではなく、一般市民から募った人たちが書くものには、このところ堀江社長ヨイショの文章が目立ち、報道や論評というより、サークルの内輪の会報といった観がある。自前の記者の記事も、どこかの発表文をまとめたような感じで、いかにもまだ緒についたばかりという状態だ。(なお、ここで言う「このところ」とは、3月24日付拙稿を出した頃のことを指す)
 
 
(2)彼らも、取材現場に自前の記者を送り込んだ時期もあった。だが、わずか4ヵ月ほどでその動きは縮小。自前の記事より、新聞社や通信社から買った記事の方がアクセス数が多く、割が合わない、という判断らしい。いち早く新しいことを始めるが、見切りをつけるのも早い。
 
 これに関して、X氏は「全くの事実誤認」と言う。
< これは全くの事実誤認です。現在でも以前と同じように現場に記者を送り込んでおります。ただし、ライブドア社員の記者は現時点で6人しかおりません。取材の縮小などしておりません。また、現時点では新聞社・通信社からの配信記事量とは比較になりませんが、1本あたりのアクセス数に関しては遜色はありません。今後のライブドアという会社の方針がどうなるかは小生には分かりませんが、現時点で見切りをつけたという事実はありません。これらの内容は取材した結果のものなのでしょうか>
 
 取材に基づく記載ではあるが、確認が甘かったことは私のミスで、この段落はそっくり削除した。
 私がライブドア・ニュースの記者に誤報をされたのは4月7日で、その時点で記者を取材に出していることは分かったので、その時点で削除すべきだった。誤報とそれに関するX氏の対応に伴うトラブル、さらには自分自身の記事執筆などで慌ただしくしていて気が回らず、その後もそのままになってしまったことと合わせてお詫びする。ただ、X氏にはもっと早くご指摘をいただければ、早い時期に修正ができたのにと、これだけはいささか残念に思う。
 なお、3月24日付拙稿は、ライブドア・ニュースの現状について論評する趣旨のものではなく、X氏に問題と指摘された部分は、堀江氏がニッポン放送をメチャクチャにするつもりではないかという不安の声に対する私の考え方を述べた中の一部。読者の方々には、もし時間が許せば、3月24日付拙稿を通して読み直していただければ、こんなにありがたいことはない。

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