それぞれの「真相」〜決定はむしろ遅すぎたくらいだ

2006年03月30日

<真実聞けず残念>
<真実知りたかった>
<無言の教祖 真相闇に> 
 いずれも、オウム真理教教祖の麻原彰晃こと松本智津夫に対する東京高裁の控訴棄却を報じる3月28日付朝刊の見出しだ。
 こうやって引用しながら、実にむなしい気持ちになる。
 このような発言を述べたり書いたりする方々は、これ以上ダラダラ裁判を続けて、いったいどういう「真実」や「真相」が明らかになると期待しているのだろう。
 
 一審で死刑判決が出た後も、「真相は何も明らかになっていない」「控訴審には真相究明を期待したい」といった趣旨の発言があった(中には、一連のオウム裁判をまったく傍聴せずに、そういう言説を声高に主張する”識者”までいた)。
 松本の弁護人など、「裁判所はすべてを闇の中に葬り去ろうとしている」とまで言って、今回の棄却決定を非難している。
 しかし、これまでの裁判で「真相」は本当に何も明らかになっていないのだろうか。
 そんなことはない。松本の公判だけでも、一審では、論告・弁論を入れて256回の公判が開かれ、1259時間かけて延べ522人に対する証人尋問が行われ、様々な事実が語られた。
 それ以前に、彼の弟子たちの裁判でも、各事件の事実関係、それに至る経緯、信者の心を支配した、いわゆるマインド・コントロールの状況、それぞれが教団に引きつけられた事情など、オウムの全体像に迫る様々な事柄が明らかにされてきた。
 弟子の発言は、古い事件では細部について記憶があいまいになっていたり、自己保身のためか誰かをかばっているのか、意図的にか無意識的にか事実に反する証言をする者もいたりして、人によって言い分に食い違いも出た。
 だが、複数の証言をつきあわせることによって、それぞれの事件像はだいたい明らかになっている。
 松本が起訴された中で、一番新しい地下鉄サリン事件でさえ、発生から11年が経過した。最も古い田口さん殺害事件は17年、坂本弁護士一家も16年半になる。当然、関係者の記憶はすでに固定化されている。今さら、教祖の責任の有無に直結する重大な事実が明らかになる可能性など、考えられない。
 確かに、松本があれだけの事件を指示した動機については、必ずしも明らかになっていない。例えば、坂本弁護士一家殺害事件では、松本から直接指示を受けた信者たちが、坂本さんを生かしておくと、「教団発展の障害になる」という教祖の言葉を聞いている。だが、事件を否認し部下が勝手にやったと言う松本が、当時の心境や犯罪の動機を語るわけもなく、直接本人に確かめることはできない。
 では、これから延々と裁判を続ければ、松本はそれを語る見込みがあるのだろうか。
 彼の立場で、本当のことを語るとしたら、その動機は次の2つしか考えられない。1つは、反省をして、せめてもの償いに真実を明らかにしようという心境になること。第2に、自分が行ってきたことに確信があり、自信を持って事実を語ること。後者の例では、今も松本への忠誠心を持ち続ける新實智光がいる。
 では、松本はどうか。弟子の証言に動揺したり、弟子に責任をなすりつける態度からは、この男が教義を含めた自らの言動に確信を持っているとは、とても思えない。反省をすることも、未来永劫ないだろう。どれだけ時間をかけても、彼が事実を語るなど、まったく期待できない。
 国民が裁判所に期待しているのは、「真相」の解明、有実の者に対する適正な処罰、そしてそれらの手続きが迅速に行われることだろう。新たな「真相」が出てくる期待ができない以上、裁判をこれ以上遅滞させず、少しでも早く適正な結論をえるべく努めるのは、裁判所として当然ではないだろうか。
 控訴棄却決定は、むしろ遅すぎたくらいだ。「急ぎすぎ」などという非難は、まったく的はずれとしか言いようがない。
 
 それにしても、報道を見ていると、裁判を傍聴したり法曹関係者と接する機会がある人の中にも、裁判所に対して未だに強い「真相」解明の期待を持ち続けている人が少なくないのに、驚く。 、
 そもそも、裁判所が解明できる「真相」とは何なのだろう。
 裁判は、物証と人間の「記憶」によって事実を「再現」していく作業だ。証言にしろ、捜査段階での調書にしろ、細部の記憶は人によって食い違うことは珍しくない。時間が経過すれば、記憶は曖昧になる。自己保身や願望、あるいは誤解、憎しみや愛情などの感情から記憶が歪められることも珍しくない。動機や犯行当時の心境のように内心に関わる事柄の場合、時期によって、人間関係や置かれた環境の変化もあいまって、「真相」が異なっていくこともありうる。
 物証と、それぞれは100%「真実」かどうかは分からない「記憶」から、なるべく確かな「事実」を見つけ出し、被告人の責任を明確にする。その際、できるだけ多くの人が納得できるような形で、事件を「再現」していく。人の「記憶」に頼る部分がある以上、裁判所に完全無欠な「絶対的な真相」を期待するのは、無理というものだ。
 たとえば、被疑者・被告人の「真相」と、被害者側の「真相」が食い違うことはよくある。検察官が立証しようとする事件の構造と、弁護人が描く絵柄は、まるで別の出来事のように感じることもしばしばだ。また、客観的には事件の本質や全体像には影響のない食い違いも、当事者にとっては、判決以上に重大な問題となることだってある。
 オウム事件も、例外ではない。
 例えば坂本事件。坂本宅に鍵がかかっていたかどうかで、被害者の遺族と被告人たちの意見が分かれた。被告人たちは、鍵は空いていた、と主張。中には「鍵が閉まっていさえすれば」と、まるで被害者の側に落ち度があったような言い方をする者もいた。当然のことながら、遺族側は強く反発。几帳面だった被害者家族が鍵のかけずにおくなど考えられない、と述べた。犯人たちが語る「記憶」は、遺族の「記憶」に残る被害者像とは大きく食い違った。法廷で証言する遺族の背からは、死人に口なしはゆるさない、愛する家族を守らなければ、という使命感がにじみ出ていた。
 客観的には、鍵が開いていたからといって、深夜に他人の家に押し入って一家を皆殺しにする行為が許されようはないし、犯人の罪深さは、万分の一も減殺されるわけではない。判決は、鍵は開いていたという前提で事実認定を行ったうえで、実行犯らにはいずれも死刑判決を言い渡している。
 それでも、遺族にとっての「真相」は変わらない。あくまで、鍵が閉まっていたことが「真相」であって、それを貫くことが、志半ばで命を絶たれた家族に対する愛情の証でもあるのだろう。
 また、被告人たちが殺人の指示を唯々諾々と受けてしまった心境について、検察側と被告・弁護人が対立する場面がずいぶんあった。
 オウムの非常識な言動をも、検察側は常識と経験の枠に収めて考えようとする。それで、信者が教祖に気に入られて、教団内で昇進したいという欲望から、迷いはあったものの犯行を引き受けた、と仮定する。
 他方、被告人の側からすると、絶対的な存在である教祖からの指示を「断る」という選択肢はなく、教祖とのつながりを密にしたいという思いは、企業などでの昇進願望とは違う、ということになる。
 裁判所は検察側の主張を採用することが少なくないが、一般的な昇進願望と全く同じように考えるのは、「真相」とは違うような気が、私にはしていた。
 共犯者同士で、それぞれの役割に関する言い分が違うのは、ちょっちゅうだ。一方の発言に自己保身を感じることもあるが、それぞれの中で異なる記憶が定着しており、どちらも自分にとっての「真相」を語っているのだろうな、と思えることもある。
 そういう食い違いを見てきて、私はだんだんこう思うようになった。「真相」とは、唯一絶対のものではなく、事件に関わった人の数ほど「真相」があるのではないか。しかも、時期によって「真相」は変化するのかもしれない、と。
 これまでの多くのオウム裁判で、検察側・弁護側双方から光が当てられてきた。私以外にも、何人もの人が傍聴記や手記を書き、発言をしている。法廷外での独自取材を行った記事や番組もあった。多くの立場から見た「真相」が語られ、呈示されてきた。そういうものを通して、私たちは事件を複眼的に見る材料をたくさん得た。
 今必要なのは、そうした材料を元に、事件に直接関わらなかった人たちも一人一人が、それぞれの「真相」を模索し、こうした悲劇を二度と起こさないためにはどうしたらいいか、考えることではないのだろうか。
 
 
 
<追記>
 今回の控訴棄却決定の一週間ほど前、弁護人は控訴趣意書を提出する旨、高裁に連絡した、という。その後記者会見した弁護人は28日までに提出すると述べた。
 それを待たずして決定を出したと、弁護側は猛反発している。しかし、その主張はおかしいのではないか。
 控訴趣意書の提出期限は、本来昨年の1月11日とされていた。それを東京高裁は弁護側の事情に配慮して、同年8月末日まで、8ヶ月近くも延長した。ただその際、「記録の検討をあまり進めておらず、著しい作業遅延というほかない」と、弁護人の対応を批判している。
 そして、その2度目の期限の8月31日、弁護団は約50ページの控訴趣意書を高裁に持参しながら、「本日は提出しない」と持ち帰った。明らかに、裁判の引き延ばし行為だった。
 高裁はその後、被告人には訴訟能力がないという弁護人の主張に対して、自ら専門家に依頼して鑑定を行う一方、控訴趣意書の提出を強く迫り続けた。にもかかわらず、弁護側は被告人の訴訟能力についての主張を繰り返すばかりで、控訴趣意書の提出を行わなかった。
 法は、期限内に控訴趣意書の提出がない時には「控訴裁判所は、決定で控訴を棄却しなければならない」(刑事訴訟法386条)と定めている。
 本来は、昨年8月末の段階で、控訴棄却の決定を出すべきだった。けれども、事案の重大性を考えてのことだろう、私には弁護団に配慮しすぎだと感じられるくらい、と裁判所の態度は慎重だった。
 こういう裁判所の配慮に、弁護側は甘く見ていたのではないか。
 そもそも裁判所は、松本に対して1審段階から、最大限の配慮をしてきた。 
 他の被告人についた国選弁護人は最大3人だったが、松本に対しては彼の一審には東京の3弁護士会から刑事弁護の経験豊富なベテラン・中堅弁護士が12人もつく、特別待遇。その報酬額は4億5200万円に上った。これだけの数の弁護人がついたのだから、事件を分担して、効率よく活動を進めると期待されたが、弁護団は訴訟の迅速化には徹底抗戦。検察側証人に対して入念な(しばしば「くどい」と感じられるほどの)反対尋問を繰り返した。同じことを同じ人に何度も尋ねる重複尋問がなされる場合を除いて、裁判長が尋問を制限したりせず、弁護人の活動を最大限認めた。検察側はやむなく、地下鉄・松本サリン事件の被害者を死者・重傷者に絞り、薬物密造事件の公訴を取り下げて対抗した。
 もっとも責任のある立場の教祖が、もっとも手厚く人権を守られている、という印象が強い。おそらく高裁が棄却決定にしても、控訴趣意書の本来の締め切り日から1年2ヶ月以上も待ったのは、教祖の裁判だったからだろう。他の信者の弁護人が同様のことをやったら、もっと早くに控訴棄却がなされたのではないか。
 それにして見苦しいのは、弁護人の態度だ。
 すでに控訴趣意書はできているのだから、本気で提出するつもりなら、「3月28日に」などと記者会見するまでもなく、その時点で出せばよかったのだ。そのうえで、必要があれば後から補充書で補えばいい。
 なのに弁護団は、やるべきことをやらず、裁判所の配慮に甘え続け、いざ決定が出ると自分たちの判断ミスを棚に上げて、批判ばかりをする。むしろ、被告人が実質審理を受ける権利を奪った点で、弁護団は自らの責任を痛感し、対応を誤ったことを猛省すべきだ。弁護士会も、この弁護団に対する懲戒を検討してもらいたい。

 

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