会社と親の監督責任はどこまで?
2006年04月06日
社員が、勤務時間外に、しかも業務とはまったく関係ない状況の中で引き起こした犯罪に、会社はどのような責任を負うのだろうか。
福岡のテレビ局RKB毎日放送のスポーツ記者(29)が集団強姦の疑いで逮捕されたのを受け、同局ではその日のうちに謝罪会見を開いた。
席上、同局の社長は、「公共性が高く、法令順守に厳しくなければならない放送局でこのような犯罪を起こしたことは、誠に申し訳ない。被害者とその家族に深くおわびしたい」と述べたそうだ。
報道によれば、この記者は携帯電話を利用した掲示板で共犯者のガソリンスタンド店員(39)と知り合った。そして二人は、出会い系サイトで知り合った女子高生をホテルに連れ込み、強姦した、という。いずれも容疑は認めているらしい。
この経緯からすると、事件は勤務先とはまったく関係ないところで行われている。「放送局でこのような事件を起こした」と表現は、しっくりこない。
同社の社長は、こうも語っているらしい。「なぜこのような犯罪が起きたのか、社内で防げなかったのかということを、大きな課題として検証しなければならない」
強姦をしてはいけません、という社内教育でもやるのだろうか?
ここまで謝罪をしているからには、被害者に対する賠償も行うつもりなのだろうか?
なんだか違うような気がする。
今の会社と個人の関係は、まるで大きな家族のように、社員を一生抱え込んでいた時代とはまったく違う。学生が徒党を組んで悪いことをした場合に、学校が指導不足を謝罪をするのは分かるが、会社は学校ではない。
それでも、私生活で悪いことをしないようにと注意を配る監督責任まで、勤務先の会社は負うべきなのだろうか。
「負うべき」と考える人は、かなりいるらしい。同放送局には、記者の逮捕から丸一日で200件を超す抗議や苦情が電話やメールで寄せられた、という。
では、親の責任は、どうか。
朝日新聞社長の長男(35)が、大麻を所持していた捕まった事件を、週刊誌や夕刊紙などが大々的に書き立てていた。容疑者の父親が、朝日の社長でなければ、事件自体、まったく報じられることはなかっただろう。
確かに、新聞は教育論や子育て論を掲載することもある。自分の子どもをまともに育てられない人間が、新聞社のトップに座るとは何事か、というのが、事件を大きく扱ったメディアの言い分のようだ。
もちろん、親の育て方が、事件の背景になっていると思われる事件も少なくない。
たとえば、少女を監禁していた自称”王子”などはその典型かもしれない。資産家の一人息子で、甘やかされて育ち、母親が亡くなった後は、その代わりを求めて結婚と離婚を繰り返す。いくら問題を起こしても親が金で解決してくれる――その挙げ句の果てに、少女を監禁して暴行する愚劣な犯罪に至った。
親が有名人だったり、社会的な地位があるからといって、必ずしも”立派な子ども”ができるわけではない。そういう期待が子どもには重圧と感じられ、そこから逃避するために、問題を引き起こすケースだってあると思う。
そういうケースは、家庭環境や生育歴を無視して語ることはできない。そうした要素を検証する必要は常にあるだろう。
けれど人間は成長するにつれて、親子関係以外の、様々な人間との関わりや経験していくし、それによって良くも悪くも変わる。何らかの病気が行動に影響を与えることもある。
35歳になった息子の愚行まで、いちいち親が責任を問われ、コメントを求められるとすると、いったい子どもが何歳になれば、親はそうした責任から解放されるのだろう、という疑問もわく。40歳になったら? 45歳? それとも50歳? あるいは生きている限り、ずっと?
あるいは、子どもはいくつになったら、親への従属から解放され、一人の責任ある大人として扱われるのだろうか。
そのうち、60歳の人の事件の責任を、80代の親が追及されるなんていうことも起きるのかもしれない。
そういえば、イラクで武装勢力が日本人が拘束された事件の時にも、親の責任が注目された。捕まった人たちは、事件の被害者なのだが、むしろ政府の指示に逆らってイラク入りし、事件に巻き込まれて政府にお手数をかけた厄介者と見られた。その点では、扱いはほとんど犯罪者と一緒だった。
2度目の事件が起きた時、捕まっていたジャーナリスト安田純平さんの実家には、多くの報道陣が押し寄せた、という。その時親御さんは、記者にこんな風に詰問をされたらしい。
「息子さんをイラクに行かせた親の責任をどう考えているんですか!」
安田さんはこの時30歳。
この年齢になっても、まだ子は親の監督下にあるのだろうか。
その一方で、この時には「自己責任」という言葉がずいぶん叫ばれていた。自己責任とは、組織や国や、ましてや親などに依存せず、自分の判断のリスクは自分で引き受け、自分の行動の結果は自分で背負う、ということのはず。
「自己責任」を求めながら、他方、30歳を過ぎた大人の行為にも、親や勤務先の「監督責任」を問う。若者に自立を求めながら、いつまでも子ども扱いが抜けきれない。そういう矛盾を矛盾とも思わない日本の社会では、なかなか大人になりきれない若者が少なくないのも、無理からぬ気はする。