「愛国心」を考える

2006年05月02日

 昨日紹介したDVDには、こんな場面がある。
 指揮者でありピアニストであるダニエル・バレンボイムが2004年に、ヴォルフ賞を受賞した。この賞は、科学部門と芸術部門があり、エルサレムのイスラエル国会議事堂内で大統領から手渡される、という権威ある賞だ。人類にとっての益をもたらし、人々の友好を実現した功績に対して、国籍や人種、宗教、政治的立場にかかわらず表彰する、というもので、芸術部門ではこれまでピアニストのホロヴィッツ、指揮者のメータやムーティが受賞している。副賞は10万ドル(約1120万円)。
 その受賞のスピーチで、彼はイスラエルの独立宣言の次の部分を読み上げた。
 
<イスラエル国は、国民すべてを利するべく、国の発展に尽くす。イスラエルの預言者が述べたように、国民にあまねくもたらされた自由と正義、幸福の原理が我が国の基盤である。我が国では住民が、信仰、人種、性のいかんに関わらず、社会的、政治的な権利を等しく保証される。信教、良心、原語、政治、文化の自由は守られる。
 皆を代表して、この独立宣言に署名する者は、平和のために尽くし、隣接する国々やその国民と友好的な関係を結ぶよう尽力することを誓う>(拙訳)
 
 バレンボイムは、続けた。
「私は今、沈痛な思いで、こう問いたいのです。他の国を占領し、そこに住む人々を支配する行為は、この独立宣言に馴染むのだろうか、と。ある国が独立を維持するために、他国の基本的な権利を犠牲にするということが、道理にかなうのでしょうか、と。絶え間のない苦難と迫害の歴史を持つユダヤの人民は、隣国の基本的な権利と苦難に冷淡であっていいものでしょうか。イスラエル国は、現実的で人道的な解決に尽力するのではなく、この紛争をイデオロギーで終わらせるという非現時的な夢にふけっていていいのでしょうか。
 私は常に、この紛争を軍事的に解決することは不可能だと確信しています。倫理的に、あるいは戦略的に解決することも、無理でしょう。
 今こそ解決方法を見つけなければなりません。だからこそ、私は自問するのです。解決方法が具体的にされるまで、漫然と待っていなければならないのか、と。こういう思いから、友人である故エドワード・サイードと共に、ユダヤ人であろうとアラブ人であろうと、中東のあらゆる国々の若い音楽家が参加できるワークショップを始めました」
 そして、この賞の副賞のお金は、イスラエルとパレスチナのラマラにおける音楽教育のために寄付することを付け加えて、彼は受賞スピーチを終えた。
 会場からは大きな拍手が起きた。
 
 イスラエルの独立宣言にこういう内容が含まれていることを、私はこのDVDで初めて知った。インターネットで、全文を入手して読んでみた。
<我々は、平和と友好を広げていくために、隣国やその国民に手をさしのべる。そして、自国において主権を有するユダヤ人が絆を結び、協力し互いに助け合おうと呼びかける。イスラエル国は中東地域全体の発展のために、共に努力していく用意がある>
 差別と迫害を経験した人々が、素晴らしい理想の国を自分たちで作っていこうという、決意と希望にあふれている。
 しかし、建国当初の志は、今、どこに行ってしまったのだろう。
 パレスチナ問題に関するこの国の対応を見ていると、近隣との強調があってこそ、自分たちの主権も守られるという、高邁な理想を忘れてしまったようにも見える。
 バレンボイムの問いかけは、先人が掲げた建国の理念を、もう一度思い起こそうではないか、という呼びかけでもあった。
 
 しかし、この彼の発言を快く思わない者もいた。 
 ヴォルフ賞を主催する財団の会長であり、リブネット・イスラエル教育文化大臣の目つきには険があり、見るからに不機嫌そうだった。そして、バレンボイムの短いスピーチの後、本来祝福をするべき立場の彼女は、壇上に立つなり、強い口調でこう言った。
「ヴォルフ財団の会長として、バレンボイム氏がこの場を利用してイスラエル国を攻撃したことに失望しています」
 一部からは拍手が起こり、それをかき消すほど驚きのどよめきが広がり、抗議の声も上がった。
 長くて白いひげをたくわえ、キッパと呼ばれる小さい帽子を頭頂に載せた、見るからに保守的なユダヤ教徒といった老人が、ヘブライ語で次のように大書した紙を掲げて立ち上がった。
<音楽は人を自由にする>
(私はこの人の立場がよく分からなかったのだが、音楽評論家の岡本稔さんから、「これはアウシュヴィッツの入り口に掲げられた<労働は人を自由にする>の標語のパロディで、このご老人は<音楽は人を自由にする>ことなどありえないということを強烈な皮肉を込めて主張しているでは」とのご指摘を頂いて、なるほど!と思った)
 賛否の声が渦巻く中、大臣は、そうした声に負けじと声を張り上げ、さらにバレンボイムを非難した。
 その間、演壇の一番近くに座っていたバレンボイムは、ほとんど表情を変えなかったが、大臣が降壇すると、発言を求め、穏やかに反論を述べた。
「大臣には、ここには自由がある、ということを思い出していただきたい。だからこそ、私は今回の機会に、先ほどのようなことを申しました。けれども、私はイスラエル国を攻撃したわけではありません。私は自分の自由を行使して、独立宣言を引用し、論理的な疑問をいくつか提起しただけです。大臣、その疑問に対して、あなたが私とは違う回答を述べる権利は、もちろんおありです」
 
 教育文化大臣の忌々しげな表情と非難の言葉が示すように、バレンボイムの考え方や行動は、シャロン政権の方向性とは大きく異なる。彼は、イスラエルがヨルダン川西岸やガザ地区の占領を続けることに、明らかに批判的だ。そして、音楽を通して、ユダヤ人とアラブ人が理解し合うための努力を続けてきた。
 シャロン首相が、軍隊を引き連れてイスラム教徒たちのモスクに入ったことがきっかけで、2000年にパレスチナ人たちによる反イスラエルの運動が一気に盛り上がった。それをイスラエル軍が鎮圧しようとして、多くの死者も出た。緊迫が続く中、バレンボイムは音楽家の指導のために、予定されていたラマラ行きを決行しようとした。結局、イスラエル政府の妨害で、彼は計画を断念せざるをえなかった。その時の「これは延期だ。中止ではない」というバレンボイムの言葉を、私は印象深く覚えている。
 このように、時の政権とは激しく意見が対立するバレンボイムだったが、彼は同時に、イスラエルという国や人々に対しては、深い思い入れを持っている。たとえば、湾岸戦争の時、彼はイスラエルにとどまった。ヴァイオリニストでユダヤ人のアイザック・スターンや、インド出身の指揮者でイスラエル・フィルとも関わりの深いズービン・メータもやってきた。彼らは、演奏の再開を許可されると、すぐにコンサートを開いた。この時の状況を、バレンボイムは自伝の中で、次のように書いている。
 
1991年2月、イスラエルでは、イラクからのミサイル攻撃を報せるサイレンが響き渡り、人々は一晩に2度、起きてガスマスクをつけ、目張りした部屋へ行って5分間待ち、自分たちがはたして生き残る運命にあるのかどうか見定めなければならないという状況にあった。これはイスラエルの国民にはかり知れない心理的重圧を与えた。それでもなお、安全が回復されるやいなや、イスラエル・フィルは一日に2度、夜は安全に問題があったので、昼の12時と午後の3時に演奏を開始した。会場に入ることを許されるのは一度に500人に限られ、おまけにガスマスクを持参しなければならなかった。音楽は演奏されることを、演奏家たちは演奏できることを、聴衆は聴くことを本当に必要をしていた。ある人々にとってはそれは昨夜の緊張を忘れる手段であり、またある人にとっては、必ずや警報が鳴り響くその夜のことを考えずに希望を持つ一瞬であった。いずれにしても、決して単なる娯楽というようなものではなかった>(音楽之友社刊『ダニエル・バレンボイム自伝』より)

 イスラエルの人々に対する、このような思い入れを、「愛」と呼ぶなら、バレンボイムは間違いなく、国のために命と体を張る「愛国者」といえるだろう。
 しかし、彼はイスラエル一国だけの繁栄を求めているのではない。むしろイスラエルが豊かな国として発展していくためには、近隣諸国とよい関係を結んでいくことが大切だ、と考えている。
 DVDの中でも、彼が記者会見の中で、「エジプトやヨルダンとの”冷たい平和”は、イスラエルにとってもエジプトやヨルダンにとっても利益にならない」と述べ、お互いが相手に対する関心と慈しみの気持ちを持つ必要性を訴えた。
 一国の利益や立場だけを主張するナショナリズムではなく、近隣諸国との関係を大事することで共存共栄を図るインターナショナリズムこそが、祖国に大きな恵みをもたらす、というのが、彼の考え方だ。
 
 バレンボイムの行動で思い出すのは、元国連の大量破壊兵器の査察官だったアメリカ人スコット・リッターの行動だ。
 今回のイラクに対する攻撃の前、彼は、イラク国内の大量破壊兵器は前回の査察によって処分され、ほとんどないに等しいことを、自分の経験や具体的なデータをもとに明らかにしていた。本を書き、講演を行い、取材に応じ、大量破壊兵器の除去を理由に戦争を起こすのは間違いであると指摘し続けた。
 そうした彼の言動に対し、彼を裏切り者扱いするような非難や脅しもずいぶんあったらしい。しかし、彼は国を愛するがゆえに、真実を伝え、祖国が間違った行動を取らないように努力するのだ、と強調していた。
 彼の場合も、祖国とその人々に対する思いの深さゆえに、時の政権の政策を真っ向から批判することになった。
 
 祖国に対する「愛」は、政府や政治的リーダーに対する忠誠や支持とは違う。人によって、自分の国や同胞たちへの思いの持ち方、表し方はいろいろだ
 けれども、
時の政権やそれに深く関わっている人たちは、政府批判につながるような「祖国愛」は認めようとはしない。イスラエルの教育文化大臣が、バレンボイムのイスラエルに対する深い思いを理解しようとせず、「国家への攻撃」として非難したように、「反政府的」な言動は、イデオロギー対立や個人的な感情ではなく、祖国や人々への思い入れゆえであったとしても、「反国家的」と決めつけられやすい
 しかも、えてして民衆は「愛国心」を利用した情報操作に乗せられやすい。知識人や芸術家、メディアも同様で、というより、むしろしばしば先頭に立って「愛国心」を煽り立てる。
 9.11の後のアメリカでも、「愛国心」は「時の政権に対する絶対的な信頼と無条件の支持」と同義となった。民衆の代表である国会議員も、あるいはメディアも、民衆と共に「愛国心」を燃え上がらせていった。9.11とは何の関係もないイラクにまで手を伸ばすようなブッシュ政権が「テロとの戦い」のために、国民の自由や権利を制限する法律は「愛国法」と名付けられた。テレビのニュース番組では星条旗が掲げられ、国会では民主党の議員までごくわずかの例を除いて、ブッシュ大統領に戦争を起こす権限を全権委任したことを、忘れてはならない。
 こうした現象は、洋の東西、体制のあり方、時代にかかわりなく相通じるものがある。しかも、他国とのかかわりの中で、自国が危機に直面した時に、より顕著に表れる。
 戦前の日本でも、戦争に批判的、すなわち反政府的な言動をする人々は、国家による厳しい言論弾圧を受けたのみならず、国民からも「非国民」として排斥され、「アカ」と蔑まれた。
 
 このような”特性”があるこそ、「愛国心」が、とりわけ権力に近い人たちから持ち出される時には、警戒心を働かせたい。
 今回、まさに権力の中枢、自民・公明両党の合意によって、教育基本法に「愛国心」を盛り込む改正が行われようとしている。
<伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと>
 この文章の字面だけを追うのであれば、不快感や反感を抱く人は少ないだろう。ただそこに込められた意図や信念が、気がかりだ。
 人の愛し方が様々であるように、国や人々への思いの表し方も、人それぞれだ。これころ、まさに内心の問題、と言えるだろう。
 なのに、靖国神社への参拝を「心の問題」として、外からあれこれ言うべきではない、とする人たちが、なぜ、「祖国への思い」は、1人ひとりの「心の問題」とせずに、学校現場で「愛国心」として一斉に教え込まねば気が済まないのか。私には、その意図が気になる。
 たとえ表向きの表現を和らげても、何が何でも、「国」と「愛」の二文字を入れたかった人たちは、子どもたちに、どのような「愛し方」を教えたいのだろうか。
 
 それでなくても、日本では最近、メディアやインターネットで「売国」という激しい言葉が頻繁に目にする。売国奴、売国的、売国○○といった表現が、書店に並ぶ雑誌の表紙にも大書されていたりする。異なる意見は、「サヨク」のレッテルと共に排斥し、侮蔑するような言い回しも、ネットの世界ではしばしば見る。そのたびに、「非国民」「アカ」という言葉が衣を替えて蘇っているような気がする。
 イラクにおける邦人人質事件の時には、政府に逆らった(そのうえ理屈を並べる生意気な)者は、国家の庇護を受けることも許されないかのような「憎悪の嵐」が巻き起こった。そうした風潮に異論を唱えようとすれば、自分に憎悪が向くのを覚悟しなければならない。「おかしいな」「なんかイヤだな」「ちょっと行き過ぎ」などと思いつつ、その言葉を飲み込んだ人はずいぶんいたはずだ。
 このような状況で、「愛国心」が強化されたら、どうなるのだろうか。
 少なくとも、「愛国心」の涵養を言う前に、「国」を「愛する」ことと、時の政府やリーダーの政策を支持・追従することはまったく別であるという合意が、国民の間にしっかり定着させる必要がある。そして、国や同胞への思い方は人によって違うという多様性を認める空気が醸成され、異論を持つ人たちの言論の自由や発言の場がきちんと守られていなければ、なんだかとても危ないことになりそうな気がして、心配でならない。

 

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