便利さと引き替えに

2006年06月27日

 先日、出演したテレビのニュース番組で、24時間営業の店が続々増えている、という特集をやっていた。
 コンビニやファミリー・レストランだけではない、生鮮食料品を揃えたスーパー、銀行、クリーニング店、引っ越し業者まで、24時間営業している、という。
 私の近所でも、24時間開いているスーパーがだんだん増えて、今や徒歩5、6分の圏内に4店舗もある。肉も魚も野菜も果物も、たいていの物は夜中だろうが明け方だろうが手に入る。近くに繁華街もあり、夜遅くに仕事をしている人にとっては、確かに便利になった、と言えるのだろう。
 でも、果たしていいことづくめ、なのだろうか。便利だからといって、24時間営業の店を増やし続けることが望ましいのだろうか。
 コンビニ・チェーンのセブン・イレブンが24時間営業の店を始めたのは1975年。その後またたく間に、24時間コンビニは全国に広がった。30歳未満の若い人たちは、コンビニが24時間365日開いているのが当たり前、という中で育っている。
 便利さに、人はすぐに慣れてしまう。私自身もそうだ。たしか高校生くらいの頃、初めてセブン・イレブンを知って、「夜中の11時まで開いていて、いったい誰が何を買いに行くんだろう」と不思議に思ったものだが、今ではどうだろう。出張に行った先で、ホテル近くにコンビニが見つからないで、「なんて不便な町なの?!」とブリブリ怒ったりしている。以前だったら、翌朝になって商店街の店が開くまで待つのが当たり前だったのに、だんだん「待つ」ということができなくなっている。
 物だけではない。携帯電話やメールの普及で、人と人のコミュニケーションも、ぐっと便利になった。
 個人が使う電話といえば、玄関や居間の固定電話だった時代には、深夜の電話はマナー違反だった。よほど緊急の連絡や一人暮らしで親しい相手でもない限り、夜9時を過ぎれば、「明日の朝まで待とう」となるのが普通だった。相手が外出している場合、留守番電話に吹き込むか、帰ってくるのを待たなければならなかった。
 けれども、携帯電話のお陰で、「待つ」必要はなくなった。
 総務省の通信利用動向調査(平成17年)では、20〜40歳代の携帯電話の利用率は9割を超えており、60歳代後半でも5割近い。6〜12歳は2割だが、最近は居場所を把握するGPS機能付きや発信先を限定した携帯電話を親が子どもに持たせることも多く、利用率は今後増えるだろう。
 そのうえ、メールを利用すれば、相手が携帯電話にも出られない時でも、海外にいて時差が気になる時でも、こちらの用件はすぐに発信できる。
 便利だ。私も、今では携帯電話のない生活は考えられないし、メールを使わなければ、仕事にならない。けれども私の場合、特にメールで時々失敗をする。夜中、感情が煮詰まった状態で書き殴ったメールを送ってしまい、翌朝になってから、激しく後悔するのだ。「朝まで待てばよかった!」と。
 こういう失敗を重ねてみて、「待つ」時間は、ただ耐えるだけでなく、自分の気持ちを整理し、考えを熟成させるためにも、本当は大切なのではないか、という気がしてきた。
 「待つ」間に、相手の立場や心情に思いを巡らしたり慮ったりすることもあるだろう。そういう「待つ」力が、便利さと引き替えにもろくなって来たかもしれない。
 そのせいか、携帯の留守番電話にメッセージを吹き込み、携帯とパソコンにメールを送ったのに、相手がすぐにすぐに反応してくれないと、じりじりしてしまったりもする。相手には相手のペースがあり、事情があるのに……。
 そんな自分を棚に上げるようで気が引けるのだが、通信機器が発達した環境の中で育っていく子どもたちは、大丈夫なのだろうか。
 ただでさえ少子化で、一人の子どもの思いや願望を、両親祖父母など何人もの人たちが先回りするようにして満たしていこうとする家庭も少なくない。かといって、今の便利さを放棄はできない。せめて、誕生日が来るまで欲しい物を買わないとか、手紙のやりとりをするとか、周りの大人たちが「待つ」環境を作ることが必要なのかもしれない。そのように意識することで、大人たちも、便利さばかりを追い求めて忘れかけていた何かを思い出すきっかけになるような気がする。
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