音楽はあらゆる壁を越えて
2006年09月01日
8月の初め、スペインのセビリヤに行った。首都マドリッドから揺れの少ない快適な高速列車に乗って南南西に2時間半。アンダルシア州都のこの町は、『カルメン』『セビリヤの理髪師』『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』など多くのオペラの舞台として知られる。
ヨーロッパ大陸の西南端に位置するアンダルシア地方は、アフリカ大陸とは、海峡を挟んで、まさに軒を接している。そうした地理的な条件もあって、イスラム教徒が一帯を治めていた時期も長く、その文化的な影響も強く受けた。
セビリアの町を歩くと、それを肌で感じることができる。ヨーロッパで3番目の大きさを誇るキリスト教の大聖堂に隣接して、イスラム教モスクの尖塔として建てられた高さ97メートルの「ヒラルダの塔」がそびえ立ち、町のシンボルになっている。そして、その北東側には、かつてのユダヤ人居住区が広がり、壁は白く、玄関やバルコニーは黄土色に塗られ、ランタンを掲げた家が身を寄せ合うようにして建ち並ぶ。昼間外を歩けば、滝のように汗が流れる暑さだが、空気が乾いているので、日陰に入れば、案外さわやかだ。
ちなみに、アンダルシア地方はフラメンコの発祥の地でもある。これも遡れば、ジプシーやイスラム教徒の影響があるらしい。こんな風に、ここでは様々な宗教や文化が融け合い、独自の文化や気風を作り上げている。
今回が私が訪ねたのは、セビリアの郊外、人口1万2000人ほどの町ピラス。毎年夏になると、ここには、アラブ諸国とイスラエルから、若い音楽家が集まってくる。国交がなく、国民同士が顔を合わせる機会のない冷たい間柄の国からやってきた若者たちが、共に生活し、オーケストラを編成して共に練習し、その後演奏旅行を行う。昨年は、初めてパレスチナのラマラでも演奏を行った。
これは、世界的な指揮者でイスラエル人のダニエル・バレンボイム氏と、その親友でパレスチナ出身の思想家エドワード・サイード氏(故人)が、1999年に立ち上げたプロジェクトだ。当初は、ドイツのワイマールで、2002年からはピラスに場所を移して続いている。
ただ今年は、このプロジェクトにとって大きな試練の年になった。イスラエルによるガザ空爆、さらにはレバノン侵攻と、緊迫した中東情勢で、レバノンとシリアのメンバーが参加できなかった。おそらく安全上の理由からだろう、予定されていたエジプトでの演奏会も中止になった。
演奏会のプログラムに添える「声明文」の文言を巡って、メンバーが連日連夜大激論が展開された。文章はとりたてて偏っているわけではなくても、イスラエル軍による破壊とシーア派組織のヒズボラの砲撃を併記して批判したことに、一部のイスラエル人から強い反発の声が上がった。
バレンボイム氏とサイード夫人のマリアムさんは、若者たちの議論に粘り強く対応していた。だが関係者によると、終いにはさしものバレンボイム氏も「どうしてもいやなら、(オーケストラを辞めて)帰って構わない」と気色ばむ場面もあったそうだ。
けれど誰一人帰ることなく、練習は続いた。深夜に及ぶ激論の翌日であっても、練習となればアラブ人とユダヤ人の演奏者たちは隣り合って座り、一つの譜面を使い合った。アラブ人のコントラバス奏者とユダヤ人のチェロ奏者が独奏を行う協奏曲では、二人の息がぴったりと合い、最後まで弾き終えると、二人は笑顔でがっちり握手。独奏をもり立てたオーケストラからも拍手が起こった。
続いて、バレンボイム氏が用意したサプライズがあった。オーケストラがワーグナーの歌劇《トリスタンとイゾルデ》の『イゾルデの愛の死』を演奏し始めた時のことだ。この曲は、オーケストラだけで演奏されることも多いそうで、このオーケストラもコンサートで演奏する予定で練習をしていた。ところが、ベートーヴェンの第9の演奏会のソリストとして招かれていた歌手のワルトラウト・マイヤーさんが、リハーサル会場に現れ、やおら立ち上がって歌い始めたのだ。しかも、オーケストラの方に向かって、本気モードで。聞いていて鳥肌が立つほど、すばらしい熱唱だった。メンバーはびっくりし、ものすごく感激したらしい。この感動が、オケの一体感を高めたのだろう、マイヤーさんの歌に呼応するような熱演だった。
曲の理解を共有し、互いに音を聞き合わなければ、よい音楽を奏でることはできない。だからこそ、会話が生まれる。政治的な立場は全く違っても、音楽という土俵で、語り合いがあり、人と人とのつながりができ、生活を共にすることで互いに関心も深まる。バレンボイム氏と故サイード氏の狙いは、まさにそこにあった。音楽が一挙に平和がもたらすわけではないが、すべては人と人が知り合い、共通に語れる話題や関心を持つことから始まる。
このメッセージは、演奏がもたらす感動を通して、聞き手にも伝わる。練習を終えた彼らの今年最初の演奏は、セビリアの闘牛場での野外コンサート。会場は、5000人もの聴衆で埋め尽くされた。地元の合唱団を交えて、ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏した。今年のように緊迫した状況下だからこそ、「すべての人類が兄弟になる」と歌い上げるこの曲は、深い感銘を与えたようで、終演後の闘牛場にはアンダルシア地方特有の3拍子の拍手が響き、バレンボイム氏は何度も舞台に駆け上がった。演奏する側と聞く側が、その時と場所と音楽を共有することで、気持ちが一つになった。
音楽を通して、人と人はこんなふうにつながることができる。音楽以外の文化にも、あるいはスポーツにも、政治や経済とは違った形で、国境を越え、心のわだかまりなどのあらゆる壁をも通り抜けて、人と人を結びつけたり、出会わせたりする力がある。政治的には、激しい対立をし合う国と国の国民でも、文化やスポーツによってつながりを持ち、心を通わせることは可能だ。
(演奏会開始直前の闘牛場→)
これは何も、中東に限った話ではない。日本だって、政治的には隣国と必ずしも良好な関係にはない。しかし、音楽や映画、野球やサッカー、卓球などを通じて、いくつものつながりがある。一つひとつは細くて短いかもしれないが、そうしたつながりを網の目のように増やしていけば、平和を守る大きな力になりうる。
そういう観点で考えると、ヨン様ら韓流スターなどの功績はもっと評価されてもいいのかもしれない。彼らのドラマや映画をきっかけに、韓国に行ったり、韓国の出来事や人々の物の見方に関心を持つようになったという人は少なくないだろう。そうした女性ファンの行動を、眉をひそめて見る向きもあるようだが、スターの追っかけを通してであっても、これまで知らなかった人や地域を知ることは、むしろいいことではないか、と思う。それに、ヨン様ファンが「ヨン様のいる国」と戦争をしたいとは思わないはずだ。
あちらの国にも、日本の韓流ブーム以前から、日本の音楽を愛好する若者はかなりいた。彼らもまた自分の好きなミュージシャンを通して、日本に興味を持ち、言葉を学び、学校教育やマスコミなどでは伝えられない日本に目を向けていた。
日本の首相の靖国神社の参拝や、韓国の大統領の国内不人気をカバーするためとも思える対日強硬路線で、政治的な関係がギクシャクしても、文化やスポーツを通じたつながりが増えていけば、一戦構えるという物騒なことにはならないだろう(その点で、経済的なつながりばかりが先行する中国との関係は、少し心配だ)。
話が少し飛躍し過ぎたかもしれない。話題を、バレンボイム氏と若手音楽家たちに戻す。
大激論となった声明文も、闘牛場でのコンサートまでにはまとまり、プログラムと共に聴衆に配られた。そこでは、このオーケストラは政治的な活動ではなく、アラブ諸国から来た人もイスラエル出身者も、自由に自分を表現し、他者に耳を傾ける場であることを確認したうえで、二つの信条を共有していることを明記している。
< *イスラエル−パレスチナ間の紛争を軍事的に解決する方法はない
*イスラエルとパレスチナの人々の命運は表裏一体である。同じ土地に共存しなければならないのだから>
レバノンやガザでイスラエルが多くの人々の命を奪っていることや、ヒズボラがイスラエル北部で無差別な砲撃を行っていることを、「こうした我々の信条とは対極にある」と批判。最後に、こう結んでいる。
<出身の違いはあれ、私たちオーケストラのメンバーは、自分たちが中東問題に関して新しい考え方をするパイオニアでありたい。私たちのプロジェクトは世界を変えはしないかもしれないが、将来に向けての大事な一歩ではある>
なお、このプロジェクトには、アンダルシア州が毎年300万ユーロ(約4億4600万円)の助成を行っている、とのことだ。それがあるからこそ、パレスチナなど経済的に厳しい状況の中からも、若い音楽家たちが参加することができる。国交がない国や地域にも行って演奏できるようにと、昨年はスペイン政府がメンバーに外交官パスポートを発行し、パレスチナでのコンサートの実現を助けた。
こんなふうに、文化を通じて貢献する道もある。
(オペラ「カルメン」の一幕に出てくるタバコ工場→
現在この建物は、大学になっている)