冤罪の映画を見る(上)

2007年01月26日

 冤罪事件を扱った映画を立て続けに4本見た。1本は映画館で、あとの3本はビデオやDVDをうちで。
 
『真昼の暗黒』
 1956年(昭和31年)に公開されたモノクロ映画。八海(やかい)事件と呼ばれる冤罪事件をモデルに、『七人の侍』などの黒沢映画で知られる橋本忍が脚本を書き、監督は今井正。さらに音楽は伊福部昭というそうそうたるメンバーで作られた。
 裁判はまだ進行中で、最高裁からの圧力を受けながら、今井監督らは「もし有罪だったら、二度と映画は作らない」という覚悟でこの映画を作ったという。
 老夫婦が就寝中に殺害され、家にあった金を奪われる強盗殺人事件が発生する。夫が頭を斧でたたき割られ、妻は首を絞められ遺体は吊され、夫婦げんかの末に自殺したように見せかける工作がしてあった。犯人はすぐに判明。近くの遊郭で居続けの若い小島という男(松山照夫)が、血糊のついたジャンパーを持っていたことから逮捕され、自白する。しかし、警察は複数による犯行と思いこみ、小島を拷問し、共犯者の名前を言えと迫る。小島は知り合いの4人人の名前を挙げた。そのうちの一人植村(草薙幸二郎)が主犯とされた。一審判決は植村は死刑。小島を含む4人は無期懲役とされた。
 高裁での法廷のやりとり、被告人たちの家族の苦悩、そして事件の状況を行き来しながら物語は進行する。弁護士によって、検察側の主張の矛盾は明らかになった。4人の無実の被告人の身内は、ようやく濡れ衣が晴れたと確信する。判決当日、植村の母はこれで家に連れて帰れると喜んで法廷に向かったのだが……
 植村に対する死刑は維持された。面会室では、母も息子も語る言葉もない。重い足取りで母は面会室を出る。刑務官にうながされて立ち上がった植村は、金網にしがみついて叫ぶ。
「おっかさん、まだ最高裁がある! 最高裁があるんだ!」
 
 この当時は、映画に描かれているような激しい拷問が当たり前のように行われていたのだろう。判決の前に、裁判長が報道陣に「では写真を撮ってください」とうながし、正面から被告人たちを撮影させている場面もあった。今では、本人が希望しても(つまり、逮捕された直後の手錠をされた状態で険しい表情をしている映像より、法廷で落ち着いた顔を撮って欲しいと思っても)、被告人の撮影は許されない。
 そういう違いはあるが、検察側の主張を安易に受け入れ、被告人に厳しく弁護人の主張になかなか耳を貸さない裁判官の体質は、今も昔も変わらないな、と思う。
 「まだ最高裁がある」――最後のこの言葉が、とても重く響く。今はこのセリフを、名張毒ブドウ酒事件で死刑囚とされている奥西勝さんが心の中で叫んでいることだろう。
 ただ、この最高裁という機関は、裁判所の組織の中で、被告人からも現場からも一番遠い存在だ。最も権威的で保守的で教条主義的なお役所の一つでもある。それでも、ごくまれに「弱者の救済」に動くことはある。だから、つい期待をしてしまうのだが……
 被告人とされた無実の人たちは、期待があろうとなかろうと、戦うことを余儀なくされる。形の上では、被告・弁護側が戦うのは検察側であって、それを裁判官がジャッジする建前だが、実際の裁判ではそうはならない。検察官ばかりではなく、裁判官とも戦わなければならないのだ。
 事件を真っ正面から取り上げているので、見た後は重苦しい気持ちになる。娯楽的要素はまったくない。なのにこの作品は、公開された年の映画賞を総なめにしたという。原作となった正木ひろし弁護士の著書『裁判官―人の命は権力で奪えるものか』は、当時のベストセラーになったそうだ。
 昨年、アメリカのアマゾンや書店バーンズ・アンド・ノーブルで、ジョン・グリシャムの冤罪ノンフィクション”The Innocent Man"がベストセラーのトップになっていて驚いたことがあった。今の日本では、ノンフィクションの単行本売り上げ上位と言えば、ハウツー本か新興宗教の教祖の名前で出ている本が大半で、30ドル(約3600円)もする冤罪ノンフィクションがトップになるなんて、想像できない。
 でも、昭和30年代初期には、日本でも冤罪を正面から扱った本や映画が多くの人に受け入れられていたのだ。
 裁判所の体質は、当時と今ではあまり変わらないが、人々の関心は随分と変わったような気がする。
 
(出演は他に、牧田正嗣、矢野宜、小林寛、 左幸子、内藤武敏、北林谷栄、芦田伸介、織本順吉)


『それでもボクはやってない』
 『真昼の暗黒』から半世紀後、ラッシュ時の電車の中で痴漢と間違われて逮捕された青年を主人公にしたこの作品がヒットしている。
 留置場でオカマっぽい詐欺師の同房者に迫られるところなど、前半はコメディーの要素も。全編シリアスでは息苦しいということか。人々の関心が変わったなら、その変化に応じた表現をしていく柔軟性が必要なのだろう。
 その後は、特にドラマチックな盛り上がりをすることもなく、法廷の進行のメインの場面だけをつないでいく。むしろ淡々と裁判の状況が描かれていく。
 とりわけ法廷の様子がよく描かれている。法廷という場所は、憎しみや悲しみ、不安や憐憫など様々な感情が入り混じり合い、人々の思いが染み込んでいるはずなのに、「権威」がそうした感情や思いをすべて押しつぶしてしまうのか、空間全体がなんとも無機質で冷たい。その空気の感触が、画面から伝わってくる。
 ただ、撤平の最初の裁判官や書記官のゆるやかな雰囲気は、少々現実離れしている感じがする。私は、ここまで和やかな法廷を見たことがない。また、元裁判官でそれなりの事務所の所長をやっている弁護士にしては役所広司は若すぎるのではないか、という気も。
 秀逸なのが、室山裁判官(小日向文世)。言葉遣いや態度は丁寧だが、心の中では被告人を見下している。有罪判決を書くことを前提にしていて、裁判はそのための手続きとしか考えていない。そんな裁判所の態度を、実に見事に一人の裁判官に体現させている。
 被告人の金子徹平(加瀬亮)と母親(もたいまさこ)は、個性を極力消して「普通」の青年、「普通」の母親の像を描き出すことで、多くの観客が登場人物と自分自身やその家族を重ね合わせて、司法手続の問題について、我が身の問題として考えさせることに成功している。
 警察や検察での取り調べ状況も、「さもありなん」という感じだ。 たとえば、こんな場面。
 痴漢で捕まったサラリーマンが当初は否認する。ところが、粘着テープで手についた繊維片を採取する証拠採取の最中に、山田刑事(大森南朋)から「女のパンツと同じ繊維がついていたらどうする」「いいか、痴漢に証拠がないと思ったら大間違いなんだよ」と言われ、いきなり土下座。一転して事実を認める。そこに新たな痴漢事件の容疑者として徹平が連れてこられる。
 この刑事は当直明けだというのに、またくだらないことをするヤツのお陰でこれでまた帰れない。「またかよ。直明けだぞ」とグチる刑事。取調室に入ったとたん、疲れとイライラを爆発させ、徹平を怒鳴り上げる。徹平の言い分には耳を貸さない。つい、証拠採取の手続きを忘れ、とにかく自白調書の作成を急ぐ。
 その経緯を知らない徹平は、威圧的な刑事の態度に最初は呆気にとられ、そして不安を募らせていく。
 この映画で一番印象に残ったのは、その山田刑事のセリフ。徹平が否認を続けるので、少々自信がなくなった同僚とトイレで交わすこんな会話だ。

 同僚「ホントにやってるんですかね」
 山田「白かもしれねえと思ったら、落ちねえぞ」

 この山田刑事は、正義感の強い、職務に忠実な捜査官なのだ。
 だから、犯人が罪から逃れることは許せない。
 そういう正義感は実にまっとうだし、日本の犯罪捜査は、そういう多くの山田刑事たちによって支えられている。
 実際、彼らが日々相手にする者の多くは、卑劣な犯罪者や嘘つきなのだ。
 そういう者が、うまく言いつくろって罪を逃れるのを許さないという気迫は、捜査官たるもの必要だと思う。それを否定してしまっては、犯罪の検挙率は低落してしまう。
 その一方で、この正義感が時に冤罪を生む原因になる。
 まずは、その現実を知ること。そして、現実を前提にして、対策を考えなければならない。
 捜査員がどれだけ正義感に燃え上がっていても、早い段階のどこかで理性的なチェックが入り、 被疑者の心のバランスを確保できるような仕組みが必要だ。
 周防監督は、警察を悪者、被疑者を善人と単純化しない。誰に悪意があるわけでもないのに、無理な取り調べがなされたり、冤罪が生まれてしまう。この映画はフィクションではありながら、そういう現実を実によく伝えていると思う。
 万事テンポが速くなり、情報が溢れている今の社会にあっては、複雑な事柄をじっくり時間をかけて解き明かし、考えてもらう、ということが難しくなっている。
 そういう時代には、いくつもの論点が絡み合い、多くの人が関与している出来事を極力ありのままに伝えるノンフィクションより、ある程度登場人物を整理し、論点を絞って物語を構成するフィクションの方が、多くの人に伝える力という点では優れているのかもしれない。
 あるいは、『硫黄島からの手紙』のように、事実の中にフィクションを取り込むという手法もある。何が事実で何が想像の産物なのかがわかりにくいという難点もある。が、事実を知るための入り口と考えればいいのかもしれない。
 裁判以外にも、本当はもっと多くの人に知って欲しいのに、なかなか人々に届かない、受け入れられない事柄がたくさんある。
 何を伝えるかも大事だが、どのように伝えるかを、もっと考えなければ……映画館を出ながら、そんなことも思った。 
(続く)   

Copyright 2006 © Shoko Egawa All Right Reserved.
CMパンチ:ホームページ制作会社:港区赤坂