花冷えの日に

2007年04月03日

 冷たい雨が降り続く東京・霞ヶ関で、こんな光景を見た。
 厚生労働省の向かい、たぶん日比谷公園の敷地になるのだろう、原爆症の認定を求める裁判を起こしている患者さんとその支援者たちの座り込みだった。これまで5つの地裁で原告勝訴の判決が出ているつい最近も、東京地裁で原告30人のうち21人の不認定処分を取り消す判決が出たばかりだ。
 判決では、「形式的な適用によって放射線と疾病との関係を否定するのは相当ではない」「被爆状況や急性症状の有無なども総合的に考慮する必要がある」と国の対応を批判している。
 日本の裁判所は、国の判断を否定することには、とても慎重だ。よほどの立証をしなければ、なかなか国の非を認めない。その裁判所が――しかも、とりわけ慎重な東京の裁判所も含めて――5つ連続で国の主張を退ける判決を出した。
 それでも、いずれの裁判も控訴して争っている国に対する抗議と、原爆症認定制度の見直しを求めて、4月2日から丸3日間の座り込みを行っている、とのこと。原告はいずれも様々な症状に苦しんでいる方々だろうから、この冷えと湿気はひときわ体に応えるに違いない。まさに命を削っての訴えだ。
 ついこの間も、同じような光景が展開された。
 薬害C型肝炎訴訟の原告たちが、全面解決に向けた協議をして欲しいと柳沢厚生労働大臣に面会を求めたが拒絶され、抗議の座り込みを行ったのだった。この薬害訴訟も国側が3連敗し、控訴している。
 裁判所の判決が出ても、国が解決に本腰を上げなければ、根本的な解決にはならない。そのための話し合いを大臣立ち会いのもとで始めたいというのが、原告たちの切なる願いだっただろう。なのに、会いもしないなんて、あまりに冷たすぎるのではないか。
 大臣は、解決の時のセレモニーに出てくるだけが仕事ではない。政治家として、強い意志を持って臨めば、大臣主導で事態を動かすことだってできるはずだ。たとえば、名古屋拘置所で刑務官の暴行で受刑者が死亡した事件の後、森山まゆみ法相(当時)は辞職をする覚悟で、刑務所の改革に臨んだ。その結果、監獄法を廃止して新法を制定するまで大きく改革は進んだ。
 一方の柳沢大臣は、そういう覚悟がないのか、やる気がないのか、結局は厚生官僚に守られ、彼らのいいなりになっているだけだ。「生む機械」発言の時は、国語力の不足でごまかしたが(政治家に国語力が足りなければ、これは本来大問題なのだが)、今回の二つの問題についての対応は、「これは何とかしなければ」という政治家としての強い意思がない、ということなのだから、もう本質的にどうしようもない、としか言いようがない。
 そういう人を大臣に任命した安倍さんは、「ならば自分が総理としてリーダーシップを発揮する」と言うならばまだしも、やはりだんまりを決め込んでいる。
 ハンセン病を巡る訴訟で、小泉首相は控訴断念を決めた。首相談話の中で、小泉氏は「患者・元患者が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として深く反省し、率直におわび」を表明。「国政の基本的なあり方にかかわるいくつかの重大な法律上の問題点があり」と判決への不満を述べながら、「できる限り早期に、そして全面的な解決を図ることが、今最も必要なことであると判断するに至りました」とした。
 これについて様々な評価はあったし、その後の韓国や台湾の元患者は、裁判で国が敗訴したにもかかわらず控訴するなど、差別的な対応に批判もあったが、それでも、一連の訴訟となった問題を政治的な判断で決着しようとする意気込みには、小泉さんを批判することの多かった私も、大いに感銘を受けた。
 残念ながら、今の安倍氏には、そういう意気込みはまったく期待できそうにもない。
 控訴すれば、高等裁判所での審理に数年は要するだろう。さらに上告すれば最高裁でまた年月を費消する。長い時間をかけた戦いに、皆が疲れて倒れ、訴える者が消滅するのを待っているのだろうか。
 原爆症認定訴訟の原告らが座り込んでいるテントの後ろには、満開の桜が数本、冷たい雨に耐えていた。それでも時折り、薄紅色の花びらがひらりはらりと落ちていく。
 美しいけれど冷たい――安倍さんが目指しているのは、そんな国なのだろうか
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