本当に、この人で大丈夫か?!
2007年08月01日
赤城農相が辞任した。
その理由は、「私に関するさまざまな報道があり、参院選で与党敗北の一因となった」ために、「大変申し訳なく、この際、けじめをつけたいと思った」からだという。
政治家としての説明責任を全うできなかったため、さらには国民の政治(家)不信を増加させたためではない。
そういえば、原爆に関する「しょうがない」発言が批判された久間前防衛相の辞任の理由も「選挙で足を引っ張ることになっては申し訳ない」だった。
安倍内閣を構成する政治家の視線は、国民に対してではなく、もっぱら仲間に対してのみ向いていると言わざるをえない。
参院選挙は、新聞各紙が一面に「歴史的大敗」と大見出しを打つほどの惨敗だったのにもかかわらず、総理大臣の座にしがみつく安倍首相の場合は、「選挙に負けたのはボクのせいじゃない」ということなのだろう。「ボクは一生懸命やったのに、足を引っ張った大臣たちが悪いんだもん。ボクがやりたいことを、まだやらせてもらってないんだから、辞めるもんか」と。
で、その「やりたいこと」とは?
「私の国造りはスタートしたばかりで、総理としての責任を果たしていかなければならない」
「私の内閣」「私の使命」「私の方針」と、やたら一人称が多く、自分をアピールしたがる安倍首相。今度は、「私の国造り」と来た。
けれど、ちょっと待って欲しい。あなたに「私の国造り」などやってもらいたくない、というのが選挙で示された国民の意思だったのではないのか?
それでも「美しい国づくりについては、基本的には国民にもご理解をいただいている」と、すべてを楽観的に、都合よく解釈する「鈍感力」は並みではない。よほどの大物なのか、あるいはまったく空気が読めない鈍チンなのか……大臣の失言や金銭スキャンダルの際も、国民の反応を読み違え、対応を誤ったのも、この「鈍感力」ゆえだろう。
赤城農相のバンソウコウ姿は、イメージとして象徴的だったが、その赤城氏を農相に選んだのも安倍首相だし、次々に問題が出てきて、国民も嫌気がさしている状況でも辞めさせなかったのも安倍首相だ。その前任者の松岡氏の場合は、本人が死を選ぶほど苦しんでいたのに、それでも辞めさせなかった。
こんな風に、人を見る目がなく、人々の心も物事の展開も読めない人に、内外に難しい問題をたくさん抱えている日本の舵取り役を任せていて大丈夫なのか?!――多くの国民が徐々に、漠然とではあるが、そういう不安や不信を募らせているように思う。
選挙で自民党が大敗した最大の原因は、年金や個々の大臣の失言、政治とカネといった個々の問題や格差が放置されている現状もさることながら、日本中を覆う、この茫漠たる不安や不信感ではないか。
今さら赤城さんを更迭したからといって(しかも、その理由が選挙に負けた一因だからというのでは)、この重苦しい不信感がぬぐえるものではあるまい。
7月30日付読売新聞夕刊が、<最後まで楽観論…甘過ぎた見立て>と題する記事で、選挙戦においても安倍首相の”空気が読めない”様を次のようにレポートしている。
<各種世論調査で自民党の獲得議席が40議席を割るとの観測が強まっても、安倍は投票日直前まで「過半数は無理でも、40議席台は獲得できる」との見方を示していた。
「最後の3日間で行ける。そういう雰囲気だ」
安倍は選挙戦終盤、周辺に選挙戦の「手応え」を強調して見せた。
「動員が数百人程度しかなかったはずの場所に、何千人も集まってくれた。熱狂的だった」
安倍は聴衆の雰囲気が変わった理由を、「あまりにも自民党が負けるという報道ばかりだから反作用が出ている」と分析。官邸内でも、安倍の見立てに異を唱える声は少なく、不思議な「楽観論」が漂っていた。>
多くの人が集まったのは、危機感を強めた運動員たちが、必死に人集めをしたのだろう。けれども安倍さんにはその現場の苦労が見えていない。
一方、自民党比例区で当選した舛添要一氏は、選挙戦の現場の状況を次のように語っている。
<地方では地元の選挙区候補が(中略)「自民党公認の○○です」とか「安倍総理と一緒に頑張ります」なんて言ったらもうダメです。クモの子を散らすように人がいなくなっちゃう。ゼロです、ゼロ>(8月1日付毎日新聞夕刊)
舛添氏は、ビラを配っても突き返されたり、「ゴキブリでも見るかのような感じ。イヤそうな目を向けられる拒絶反応」にも遭った、という。だからだろう、6年前には160万票近くも集めた同氏が、自民党内ではトップ当選とはいえ、今回の得票数は47万票と前回の3割ほどしかない激減ぶりだった。
佐々淳行・元内閣調査室長によれば、「危機管理の要諦は、最も悲観的に準備して、もっとも楽観的に対応すること。最悪なのは、楽観的に準備して悲観的に対応すること」だそう。もっとも悲観的な状態を想定して備えをし、いざコトが起きたら、前向きな態度で取り組むべし、ということだ。逆に、楽観的な見通しで準備をして、問題が起きてからあたふたするのが最低。安倍首相は、問題が起きるたびに、その最低のパターンを繰り返してきた。その最たるものが、松岡農相の自殺と後任の赤城農相の問題だろう。
そして、この期に及んでも、まだ「美しい国造りについては、基本的には国民にもご理解をいただいている」などと、”不思議な楽観論”を展開している。
本当に、この人で大丈夫なのか?
対応を誤って自民党が大敗するぐらいならいい。それより、党内の危機管理もできない”安倍首相と仲間たち”に、問題が山積していて、そのうえに今後いかなる想定外の出来事が起きるか分からない国政を任せていて、本当に、ほんとうにいいのだろうか。そういう不安は、むしろますます増している。
とはいえ、各種調査を見ていると、民主党が政権を取ることにも、まだ不安がある、というのが、今の国民の心情のようだ。
たとえば読売新聞が行った世論調査では、自民党大敗の理由として「安倍首相や自民党への批判」68%が1位、「政権交代への期待」は39%で2位だった。
民主党はせっかく多数の議席を与えられたのだから、与党の政策をきっちりチェックし、よりよい案があればドシドシ提案し、参院を実りある議論の場にして、国民が抱いている与党の政治への不安と民主党の手腕へ不安という二つの不安を不安を少しでも和らげてもらいたい。