消された言葉 嵜瓦覆蕕困癲

2007年08月17日

 今年も、8月15日の終戦記念日に全国戦没者追悼式が開かれた。
 この追悼式では、決まって天皇の「お言葉」に次いで、内閣総理大臣の「式辞」が読まれる。
 「お言葉」の内容は、ここ10数年、ほとんど同じ。同じ「お言葉」を毎年繰り返すことで、戦争の犠牲になった人たちへの思いと平和の誓いを反芻するという意味があるのだろう。一方、「式辞」の方はそれぞれの首相によって少しずつ表現が異なる。読み比べると、それぞれの戦争観、国家観が微妙に反映されて興味深い。
 今回の安倍首相の式辞は、小泉前首相のものをそっくり書き写したような内容だが、いくつかの重大な言葉が削られ、いくつかの言葉が書き加えられた。
 そのもっとも象徴的な「消された言葉」が、「心ならずも」である。
 
 昨年の小泉首相の「式辞」には、次のような一文があった。
 
<終戦から61年の歳月が過ぎ去りましたが、今日の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています>

 小泉氏は、首相として初めて追悼式に臨んだ2001年以来、毎年、式辞の中で「心ならずも命を落とした方々の尊い犠牲」に触れている。
 ところが安倍首相は、この部分を次のように変更した。
 
<終戦から62年の歳月が過ぎ去りましたが、今日の平和と繁栄は、戦争によってかけがえのない命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています>

 8月16日付産経新聞によれば、秘書官が用意した文章に、安倍首相自ら手を入れて、「心ならずも」を「かけがえのない」に書き直したのだという。「心ならずも」では、「自ら命を捧げた戦死者に失礼だ」という保守系文化人や議員からの批判があったことを考慮したものだそうだが、安倍氏自身も首相になる以前、「保守系」議員の一人として、「我が国に命をささげた人たちのために靖国神社をお参りするのは当然だ」などという発言を繰り返していた。他の「保守系」の人たちへの配慮というより、安倍氏自身が、戦病死した方々は「心ならずも命を落とした」のではなく、「自ら命を捧げた」という認識でいるに違いない。
 前回の拙稿で述べたように、「捧げた」という言葉には、行為の主体の意思が含まれている。しかし、先の大戦においては、自らの意思と判断で「かけがえのない命」を国家のために「捧げた」人ばかりでは、もちろんない。
 例えば、映画監督の新藤兼人さんのもとに召集令状が届いたのは、1944年3月。この時、新藤さんは32歳だった。当時の心境を、新藤さんは映画『陸に上がった軍艦』の中でこう語っている。

「僕の生涯の仕事というのは、シナリオを書くことなんだ。そのシナリオも、何か十分な仕事ができないうちに、行かなきゃならなんというわけです。そして、妻も死んでしまったし、絶望的な気持ちで行きました」

 このとき、同じようにやりかけた仕事や家庭から引きはがされて、一カ所に集められた者が100人いた。このうち、生き残ったのはわずか6人、という。亡くなった94人は、果たして国家に「命を捧げた」のだろうか。それとも、国家に「命を召し上げられた」のだろうか。
 亡くなった本人だけではない。それぞれに家族がいる。
 新藤さんは、フィリピンに送られて亡くなった戦友が、生前、妻から届いたはがきを見せてくれた時のことが忘れられない。

「そのハガキには、『今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないでは、何の風情もありません』と書いてあった。その人は、奥さんのとっては、もう最大の人なんですね。どんな偉い人よりか、どんな権力のある人よりも、うちの亭主が大事なワケですね。そういう大事な人を待っている、と。しかし、その人はマニラへ行って死んでしまったというような現実がある。(中略)お父さんであったり、兄さんであったり、子供だったり、(中略)その人達にとっては本当にかけがえのない人が、前線に行って戦争をしている。もう残った妻の人生も破壊されるし、もう何もかもが破壊されるような大きなことが、その個人には起きているんだけれど、大局からみれば、戦略的に一人の兵が新だというようなことなんですね。戦争とは、そういうものなんだ」(『陸に上がった軍艦』の新藤さんの証言より)

 遺された家族は、大切な人を国家に「捧げた」のだろうか、それとも国家に「召し上げられた」のだろうか。
 
 それにしても、兵士として集められ、あの戦争の中で「心ならずも命を落とした」人たちは、いったいどれくらいの数に上るのだろう。
 そのことを考えるために、私は戦没者のうち、職業軍人以外の、徴兵や召集で集められた者はどれくらいになるのかを知りたい、と思った。
 ところが、である。戦没者の慰霊や遺族の支援を担当している厚生労働省援護局に問い合わせて驚いた。
 そういうデータはない、というのだ。
 例えば硫黄島など、限定された地域で亡くなった人たちについてはどうか、と聞いても、やはり「ありません」とのこと。
 ならば、この戦争のために徴兵や召集で集められた人たちがどれだけいたのか、せめてそれくらいは分かるだろうと思ったのだが、これについても「分からないんです」「そういう資料がありません」ということだった。
 防衛省の防衛研究所、さらには念のために靖国神社まで問い合わせてみたが、結果は同じ。唯一、防衛研究所が「召集された人の概数が載っている資料はみつかりました」と教えてくれた『日本陸海軍事典・下』(新人物往来社)によると、昭和12(1937)年から20(1945)年までの間の徴兵・召集兵は陸海合わせてのべ約1053万4000人、とあった。
 
 いったいなぜ、徴兵・召集された人の正確な数や、そのうち亡くなった人がどれだけいるのか、というデータがないのか。
 最大の理由は、軍が証拠隠滅を図ったからだ。終戦を伝える玉音放送が流れるや、大本営内部だけでなく、全国の様々な役所で重要な書類が焼却された。召集令状の伝達や出征した者の名簿など、徴兵・召集に関する事務は、各自治体が行っていたが、大本営から秘密裏に「軍の機密に関わる一切の資料を焼却せよ」という秘密指令が、全国の市町村に伝えられた。
 NHKスペシャル「赤紙が来た村」の書籍版『赤紙』(小澤眞人氏とNHK取材班、創元社)は、富山県庄下村(現在は砺波市の一部)の役場で戦時中、兵事係を務めた出分重信さんという男性の証言を紹介している。

「まず初めに陸軍、次に海軍からの指令がありました。内容は動員、召集、徴発に関する書類を焼いて、その目録を作り、軍に提出せよというものでした。書類を処分して、戦争責任の追及を免れようとしたのでしょう。軍の勝手な要求です」「命令は命令なので焼かねばならん。しかし私には忍びなかった。この小さな村でも50人近くの村人が戦死しているのです。これまでも軍の命令で多くの人が兵隊に引っ張られた。そして負けたら証拠を残すなという。(軍の)横暴な命令に対して反発する気持ちがあった。協力するだけ協力させておいて……」

 かつて軍は、細かい報告を役場に求めた。召集令状を届けた時の状況まで報告しなければならなかった。家族が泣き出したり、兵事係にくってかかるような家もあったが、そういう「心ならずも」出征する者に関しても、出分さんは「入隊後に本人に不都合が出ないように」と、必ず「士気旺盛なり」と書いた、という。その結果、<赤紙を手にした男たちの嘆きは、市町村の業務資料である日誌の、どこにも見あたらない>ということになった。

 徴兵・召集兵の戦没者数が分からない第2の理由は、戦後の政府がこうした問題に関心を払わってこなかったから、と私は思う。
 亡くなった人が、職業軍人であるのか、それとも一般市民としての生活を営んでいたのに徴兵・召集されたのか、遺族に対する援護事業の中で調べようと思えば調べることができただろう。しかし、それがなされていないということは、そうした問題には歴代の担当者も政治家も関心を払ってこなかったとしか考えられない。ちなみに、亡くなった時の年齢に関するデータもないという。これについても、調べる気があれば可能だろうが、やはり関心がない、ということなのだろう。
 全国津々浦々で地道に生活をし、家族にとってはかけがえのない人を紙一枚で引っ張っておいて、戦争が終わってしまえば、いったい何人集めたのか、何人を死なせてしまったのかも確認しようとしない。それでいながら、亡くなった人々は「心ならずも命を失った」のではなく、「国家のために自ら命をささげた」と美しい物語にして賛美する政治家がいる。しかも、そういう中の一人が、内閣総理大臣として国を代表し、行政のトップの座にいるのだ。安倍氏の場合、戦没者は政府や軍の誤った方針によって引き起こされた戦争による犠牲者ではなく、国家の危機に自らかけつけ命を「捧げた」愛国者と位置づけることで、東条英機内閣において商務大臣として戦争に多大な”貢献”をした祖父岸信介氏ら戦争責任者の罪を曖昧にしたいという”私心”も感じられる。
 これでは、「心ならずも」生活や勉学の場から引きはがされ、戦争に投入されていった人たちの無念さは、どうなるのだろう。かけがえのない人を奪われた家族の思いは、どうなるのだろう。
 「命より大切なものがある」式の美談や悲劇は、しばしば感動を呼ぶ。小説やオペラなどの芸術作品においては、それでいい。読む者見る者は、この悲劇が今の自分に及んでくることは、決してない、という前提で涙にくれていればいいのだから。それに、そういう作品に出てくる、「命を捧げた」人たちは、自らの意思でそれぞれの行為に及んでいる。
 しかし、現実の「命を召し上げられた」事実を、そういう感動の物語の中に押し込めていては、失われた命の無念さは決して伝わらない。
 戦時中は、断る自由がなかった、ということも忘れてはならないと思う。協力を拒めば、自分が非国民として処断されるだけでなく、家族、さらにはその地域全体が指弾された。さらには、正しい戦況も伝えられないまま、学校やメディアを通じて、子供たちは軍人へのあこがれを植え付けられたという事実もある。そういう中での「選択」や「判断」を、果たして自分の「意思」に基づいたものと言えるだろうか。それを考えれば、海軍の志願兵なども、「自ら命を国家に捧げた」とは言い切れない。
 様々な形で「心ならずも」命を召し上げられた人たちの無念の思いに目を向けてこそ、二度とこのような悲しみをもたらさないという非戦の誓いが、実のあるものになる。
 国家に対しても、亡くなった方々の多くは、「死んでお役に立つ」のではなく、生きて役に立ちたかったはず。その無念さに思いをはせる時、私の胸には、「感謝」よりも、ただただ心からの哀悼の気持ちがわいてくる。そして、政治の過ちによって、こんなふうに「心ならずも」命を召し上げられるような人を出さないように、自分なりにできることをやっていきます、という厳粛な思いになる。
 安倍首相が意図的に削除した「心ならずも」の一語を、私はしっかりと心に刻んでおきたい。

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