これは個人的な「失言」ではない

2008年02月26日

 イージス艦が漁船に衝突した事故と、26年前も前の「ロス疑惑」の再燃で、鳩山法相の冤罪に関する発言は、すっかり忘れられてしまった感がある。そのうえ、発言の主が自党の幹事長の弟であるために遠慮をしたのか、民主党はハナから大きな問題としてとらえる姿勢が見えなかった。けれども、これをこのままにして、完全に忘却の彼方に葬ってしまっていいものだろうか。
 当初、鳩山氏は「個人的な見解」として、鹿児島県議選での選挙違反事件(志布志事件)について、「冤罪と呼ぶべきではない」と断言。さらに「冤罪という言葉は服役後に真犯人が現れるなど、100%ぬれぎぬの場合を言う」「(志布志事件を冤罪にするとは)すべての無罪事件が冤罪扱いになってしまうのではないかと思う」と述べた。
 後日発言を撤回し謝罪したが、その際、同氏は次のような釈明を行っている。
「今回の冤罪の問題は、法務省や検察が常日ごろ言っていることをそのまま言った」「真犯人が後から現れた場合を冤罪と言い、裁判による無罪は冤罪とは言わないというのが法務省、検察の基本的考え方だ」「検察の方は謝るべきでないと思っただろうが、私は自らの気持ちでおわびした」
 つまり問題の発言は鳩山氏の「個人的な見解」を述べたのではなく、法務省・検察当局の見解を代弁した、というわけだ。となると、これは「友人の友人はアルカイダ」などの、まさに「個人的な見解」とは事情が異なると言わざるをえない。しばしば物議を醸す同氏の個人的失言というふうに矮小化してとらえるのではなく、冤罪についての法務省・検察当局の認識を厳しく問い直すべきだ。
 しかも、「自動的に死刑執行」という発言は、かなり乱暴な言い方ではあるが、執行の対象者が密室で決まることなど、今の死刑制度の問題点を突いたものであった。「アルカイダ」についても、本人の蝶々採取の趣味の課程で、密林の奥などに行く同好の仲間から聞いた話を、無防備にかつ何の脈絡もなく言い出したもので、適切とは思えないが、彼なりに日頃考えていた事柄を口にしたと言えるだろう。
 また、初めて死刑執行の後に自ら記者会見を開くなどして、事実を公表するなどの改善を行ったり、司法試験の合格者を3000人にするというのは「多すぎる」として、減員の方向性を示すなど、鳩山氏の法相としての仕事ぶりは、評価すべき点が少なくない。前後の脈絡とは関係なく、唐突に、しかも突飛な物言いで物議を醸してはきたが、何の根拠もないでまかせを口にしてきたわけでもなかった。
 冤罪に関する今回の発言も、鳩山氏としては、単なる思いつきを述べたわけではなく、法務省・検察当局内部の常識に基づいて話をしたら、それが社会の常識とは大きく食い違って、批判をされることになった、というわけだ。
 鳩山発言から推測するに、法務省・検察当局は志布志事件を「100%ぬれぎぬ」とは認めていないらしい。つまり無罪にはなったが無実とは考えてないようだ。
 しかし、志布志事件はありもしない事件を警察が作り上げていたものであることは、すでに明らかになっている。検察も警察の不当な捜査をまったくチェックしないばかりか、アリバイなど無罪を示す証拠類を無視して、有罪の論告を行った。そういう経緯を考えると、検察当局の責任は相当に重い。
 そのうえ、検察が保釈に反対したために、長い人で身柄拘束は395日にも及んでおり、事実上の”服役”を強いられた。
 逮捕から無罪が確定するまで約4年の年月を要した。その間、刑事裁判は判決公判も含めて54回を数えた。裁判や打ち合わせがある日には、一日がかりで鹿児島市内に出向かなければならない。その負担の大きさたるや、東京など交通の便利な町中に住んでいる者の想像を絶するものがある。
 マスコミの世界でも、裁判で有罪判決を受けてその後無実が明らかになったケースのみを「冤罪」と呼び、法務省・検察当局と同じように、志布志事件を「冤罪」の枠組みから外しているメディアもある。しかし日本では、ひとたび逮捕されれば、事実上「犯人」扱いされるのが常だ。起訴された時点で、職を失う人も少なくない。そして無罪判決を受けても、事件前の生活に戻れるとは限らない。
 電車内で痴漢に間違われ、最終的に無罪が確定したある元被告人は「無罪になっても、ゼロからの再出発さえできない。マイナスからの出発なんです」と嘆いていた。
 冤罪の場合、警察や検察は、一般市民にそうした多大な苦痛や損害を与えた加害者である。そういう加害者としての自覚や責任感が、法務省・検察当局には著しく欠落している。
 犯罪の捜査や裁判で、検察官は容疑者や被告人に対し、被害者に対するお詫びを求め、反省が十分でない者を厳しく論難する。けれども検察当局の責任者が、志布志事件を初めとする冤罪事件の被害者を訪ねてお詫びをしたという話はついぞ聞かない。
 今回の鳩山発言は、国会などでそうした捜査機関の姿勢を問いただし、反省を求め、冤罪を起こさない、冤罪の被害者には償いをするという方向性を打ち出す機会だったのに、民主党の態度には本当にがっかりした。
 検察は新たな冤罪を防止する対策にも消極的だ。違法な捜査を防ぐために、取り調べをすべて録音・録画する「全面可視化」の必要性を訴える声に対して、検察側は断固反対の態度を続けている。通常の取り調べは密室のまま行い、調書代わりに被疑者が自白する場面だけを録画して証拠に利用しようというのが、検察側のねらいだ。しかしこんな「一部可視化」では、志布志事件のような違法捜査をチェックすることは、到底できない。
 鳩山氏は、「もう冤罪という言葉は使わない」と言っているそうだが、これでは謝罪の意味がない。本当に今回の発言を反省しているのであれば、鳩山氏がやるべきは、取り調べ課程の全面可視化を導入し、新たな冤罪防止に尽力することだ。その課程で、法務省・検察当局の意識変革を導いていくことが、法相には求められている。

(2008年2月25日付熊本日日新聞掲載の《江川紹子の視界良好》に加筆しました)

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