ニューヨーク・フィルの訪朝を考える
2008年02月28日
ニューヨーク・フィルハーモニックが北朝鮮の平壌でコンサートを行った。
このニュースに、最初は違和感を覚えた。もっと率直に言えば、曰く言い難い”ヤナ感じ”がした。
この違和感は、今も消え失せたわけではない。
けれども、日米の報道をあれこれ見ながら考えるうちに、次第に「少なくとも、悪いニュースではない」という気がしてきた。
インターネットを通じて見るアメリカのメディアは、おおむね前向きの評価。新しいことをやる、ということに肯定的な国民性もあるのだろう。保守的なFOXテレビでさえ、「平壌でアメリカの国歌が演奏されたなんて!」と女性アナウンサーがはしゃいでいた。紹介される北朝鮮側の反応も似たり寄ったりで、「(アンコールで演奏された)アリランに感激した」とか。メインプログラムのドヴォルザークの「新世界より」やガーシュインの「パリのアメリカ人」は、果たしてどんな風に受け止められたのだろうか……。
前向きの評価とはいっても、これですべてが好転するとは限らないという冷静な視点もあって、今回の公演でアメリカ国民が北朝鮮への評価をガラリと変えることはありえない。むしろ、閉鎖的なこの国の様子を、メディアの側がせっかくの機会だからと興味津々でのぞき込んでいる感じだ。
公演終了後、客席と舞台で手を振り合っている様子などを見ると、この演奏を聞いた北朝鮮側の観客にも、何らかの感銘や肯定的な印象を抱いた人がいるのではないか、と思う。少なくともアメリカ人も鬼のような人ばかりではないという思いを持ったのではないか。たとえ、それがエリート階層の人に限られていたとしても。
もちろん、アメリカのメディアが「歴史的公演」と持ち上げるほど、今回の公演によって大きな変化が起きるとは思えない。演奏はテレビ中継されたということだが、そもそもテレビが普及してないこの国でそんなことをしても、確かにあまり意味はない。けれど、「あまり意味がない」のと「まったく意味がない」のには、やはり違いがある。
そもそも文化交流は、音楽にしろ映画にしろ、一つのイベントが成功したからといって、様々な問題が一挙に解決に向かわせるような性格のものとは違う。一つひとつは非力で細くて弱いかもしれにが、そうしたつながりを幾重にも通わせることができれば、政治という影響力のある太いパイプが詰まっている時にも、少なくとも「あいつらを殺してしまえ」という極端な話に飛躍しないですむ抑止力になるかもしれない。
それは、「かもしれない」というレベルのものではあるけれど、人と人のつながりは、多様で多重である方が、不幸な事態は起こりにくいような気がする。
日本のメディアは、批判的な論調と客観的な報道の2つに分かれた。面白かったのは、批判的なメディアほど、このイベントを大きく伝えていたこと。
産経新聞は、なんと2月27日朝刊の一面トップでこの公演を報じている。6面と7面にも関連記事が掲載され、計2枚の写真が載せられた。
読売新聞は、一面左肩の扱いでやはり写真付き。2面で解説を、7面で詳細なレポートを行い、さらには社説までこのイベントを取り上げる破格の扱いだ。やはり写真は2枚、そして公演会場の東平壌劇場の場所を示す地図を載せた。
毎日新聞は、一面左肩と6面での関連記事で、写真は計2枚。
一番そっけなかったのが朝日新聞で、一面の中程に「平常でNYフィル公演 金総書記は姿見せず」という写真付きの短い記事を載せたほかは、7面にごくごく短い関連記事を一段見出しという小さな扱いだった。
批判的なメディアは、「これが北朝鮮とってプラスの宣伝になってはいかん」という警戒心のあまり、たかだか1回行われただけのオーケストラ公演を大イベントに格上げしてしまったのは、なんとも皮肉なことだ。
内容的に一番興味深かったのは、毎日新聞国際面の記事。それによると、アメリカのオーケストラは、これまでにも東西冷戦期のソ連や中国、ベトナムで公演を行い、「米国との対立やしこりを和らげる役割を果たしてきた」とのこと。1956年にはボストン・シンフォニーが、1959年にはニューヨーク・フィルがソ連を訪れた。さらに、フィラデルフィア管弦楽団が、ニクソン米大統領の電撃的な訪中の翌年に中国を訪れ、1999年にはベトナムで演奏会を開いているが、これはクリントン大統領がベトナム戦争後米大統領として初めての公式訪問を行う前年だった。
今回も、核問題が今頃は進展していることを見込んで、両国の劇的な「雪解け」を演出するつもりで公演を企画したようだ。その思惑が外れてしまった中、米朝双方がわずかな期待と現実的で冷めた思いを抱きながら公演を実現した、というのが事の次第らしい。
中止した時に生じるマイナスのイメージを回避したい、という意図も双方にあっただろう。
今回の公演に批判的なメディアは、「政治的な色彩の濃い公演である」(読売)と指摘する。確かに、それは否めない。
けれども、「政治的な色彩」にも、いろいろな色と形がある。音楽を利用してナショナリズムを煽ったり、権力者の利益を図るのは困るし、過去には音楽が政治のプロパガンダに利用された歴史もある。今回の演奏会も、対アフガニスタンも対イラクも対イランも八方ふさがりで、残す任期のうちにせめて北朝鮮問題での実績を上げたいブッシュ大統領の名誉欲と、隣国韓国の大統領が変わって要求を丸呑みしてくれなくなったという事情を抱える金正日総書記の権力欲が前面に出ているのであればともかく、幸か不幸か双方ともそういう「政治的な色彩」をビカビカと発散することはできなかった。
「政治的な色彩」といっても、人々が理解し合ったり融和することに役立つ形でなら、それは悪いことではない。物は言い様で、音楽を政治に「利用」するというと悪く聞こえるが、音楽が両国の関係改善や友好に「貢献」するとなれば、むしろ肯定的に受け止められる。
政治的な課題への「貢献」を、積極的に行っている音楽家もいる。
ズビン・メータという指揮者は、そうした音楽家の一人だ。
若い頃、1978年から91年にかけて、ニューヨーク・フィルの音楽監督も務めている。最近は、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを何度も指揮しているし、オーケストラやオペラの公演で、しばしば来日もしているので、格別の音楽ファンでなくても、テレビで見たことのある人は少なくないと思う。
インド生まれで、ゾロアスター教徒の末裔と聞く。欧米の音楽家とはかなり違った背景を持って育った彼は、違う言葉や価値観の中で育っても、音楽という共通言語では人間は理解し合うことが不可能ではないことを、身をもって示している。
彼は、イスラエル・フィルとも早くから関わりを持ってきた。1968年に音楽顧問となって以来、親密な関係が続いており、今は終身音楽監督の地位にある。イスラエルとインドが国交を結んだのは、1992年。それまでの間、メータ氏は自身の立場を生かして、「非公式大使として活動した」と、私が以前インタビューした時に語っていた。政治的にはインドと緊張関係にあった時期の中国でも音楽活動を行った。さらにはベルリン・フィルをイスラエルに連れて行き、イスラエル・フィルと混成オーケストラを作って演奏することもしている。
不幸な過去の傷を癒し、人々の感情的なわだかまりを解きほぐしていくために、政治的な事柄にも、音楽家はむしろ積極的に関与すべし。あるいは、音楽はどんな政治的な障害も乗り越えて、人の心に響い合う。そんな信念に基づいた生き方を、メータ氏は貫いてきた。
実は、ニューヨーク・フィルの理事長として、今回の訪朝公演を熱心に準備してきたザリン・メータ氏は、このズビン・メータ氏の弟である。
ニューヨーク・フィル側は、北朝鮮に対して公演を中継することを強く求めたが、その要求を受け入れを北朝鮮が決めた決まった時、ザリン・メータ理事長はニューヨーク・タイムズに次のようにコメントしている」
「多くの人が演奏を聴いて、アメリカの文化がいったいどういうものか見るからこそ、我々オーケストラはこの企画に前向きなんだ。いわば、文化の伝播の一翼を担うというか、それが重要なんだ」
このザリン氏の言葉には、兄のズビン・メータ氏と通じる志を感じる。
政治的な事柄に積極的に関わっていく音楽家は、他にもいる。
メータ氏の親友でもあるダニエル・バレンボイム氏は、ユダヤ人でありながら、パレスチナに足を運んで演奏や指導を行ったり、ユダヤ人とアラブ人の若い音楽家を集めてイースト=ウェスト・デバイン・オーケストラを結成し、指導を行うなどの活動を続けている。
ベルリンの壁が崩壊した時には、バッハの無伴奏チェロ組曲を弾いたチェリストの故ロストロポーヴィチ氏の例もある。
チェリストと言えば、かつてパブロ・カザルスはホワイトハウスでケネディ大統領を前にして演奏を行った。
その時の録音がCDになっているが、そのライナーノーツにはカザルスがケネディ大統領の招聘に応じた経緯が次のように書かれている。
<カザルスは、アメリカ合衆国では1938年以来、公の席での演奏を中止していたのである。祖国スペインのフランシスコ・フランコ独裁政権を承認する国では絶対に演奏会を開かない、というのが老巨匠の信条であった。(中略)アメリカ合衆国の大統領の公邸で、たとえそれが非公開のものであったにもせよ、カザルスが演奏するというのは画期的な行事であった。(中略)
カザルスは受諾を知らせた手紙に、次のように書きしるしたのであった――。
「人間性が、今日ほど重大な状況に直面したことは、いまだかつてありません。いまや世界の平和ということが、全人類の祈願ともなっています。すべてのひとは、この最終目標達成のために最善をつくすというくわだてに参加する義務があります。
それゆえに私は、閣下と個人的に親しくお会いできるこの機会を心待ちにしております。私が閣下ならびに、閣下のお友達の皆様方のために演奏するのでありましょう音楽は、アメリカ国民への私の深い感情と、自由世界の指導者としての閣下にたいする私たちすべての信頼と誠意を、かならずや象徴化してくれるものと確信しております。
大統領閣下、どうか私の心からの敬意と誠意をお受け下さい」>
こうした音楽家たちの判断や活動には、批判もあったことだろう。
たとえばバレンボイム氏には、イスラエル国内からあからさまな批判が投げつけられている。
そんな中でも、活動を続けてきたバレンボイム氏の志と勇気に私は感動し、心からのエールを送ってきた。その気持ちは今でもまったく変わらない。むしろ強まっている。
ただ、今回のニューヨーク・フィルの訪朝を聞いて以来、心にわだかまっている”ヤナ感じ”と向き合う中で、バレンボイム氏に反感を抱く人の気持ちも、ほんのわずかばかり分かるような気がしてきた。
イスラエルには、肉親や友人をテロで失った人もいる。テロをもたらしたものは、イスラエルの政策にあると言っても、そうした理屈より、身近な人を失った人の喪失感や憤りへの共感の方が先に立つのが人間なのではないか。
けれど、そうした人間としての感情を大事にしながらも、人間を人間たらしめている理性に耳を傾けることは、やはり大切だ。とても難しいことではあるけれど……
北朝鮮に対しては、多くの日本人がそうであるように、私もいろんな思いがある。
なにしろ、核問題も思うように進展しないし、拉致問題は置き去りにされ、北朝鮮国内の人権問題も放置されたままだ。
北朝鮮のことを考えると、そうした現状に対する反感や金正日総書記らこの国の中枢にいる者たちへの不信感がまず先に立つ。その状態で、北朝鮮が国際社会に受け入れられれば、大事な問題が忘れられるのではないかという不安があるし、何より北朝鮮の利益になるような事柄を見せつけられるのは愉快ではない。拉致問題や脱北者などの人権問題などに深くかかわっている人であれば、その思いはなおさら強いだろう。
そんな感情に心を揺さぶられる一方で、北朝鮮を今以上に閉ざされた頑な国にしてはならないという理性の声も聞こえてくる。
それに、北朝鮮は日本やアメリカにとっては閉ざされた国だが、国際的に見れば、孤立した国というわけではない、という現実も、見据えなければならない。北朝鮮はすでに160カ国との国々と国交を結んでおり、ヨーロッパの主要国には大使館も構えている。
音楽に関しても、少なからぬ音楽家の卵を、北朝鮮はヨーロッパに留学させている。才能ある人もいるようだ。北朝鮮を国際社会から隔絶した文化後進国と見くびっていると、この国の実情を見誤り、適切な対応をし損なうかもしれない。
ただ、北朝鮮にとっては、音楽も国威発揚、国家の威信と結びついているようで、少しでも成績がよくない学生は即刻帰国させてしまう、などという話も伝え聞いた。
勝敗を競うスポーツがしばしば国と国との威信をかけた戦いになるのとは違い、音楽は勝負事ではない。なぜ国家の権威がしゃしゃり出てくるのかと問いたくなるが、北朝鮮の当局にとって音楽は、帽子の羽根飾りのごとく、国を装うアクセサリーという位置づけなのだろう。欧米のオーケストラの演奏会という、ちょっとしゃれた飾りをつけてみたい北朝鮮当局者の意識を、アメリカ側が上手にくすぐったということなのかもしれない。そう考えると、やはりニューヨーク・フィルの訪朝についての”ヤナ感じ”が再び頭をもたげてくる。
もっとも、日本も、特にバブル経済の時期には、ベルリンフィルやウィーンフィルなどの”ブランド・オーケストラ”の高額チケットが接待に使われ、音楽にまったく興味もない人が、”おしゃれ”や”泊づけ”としてコンサートにやってきた、という話を聞いたことある。音楽を帽子の羽飾りのごとくに扱う、という点では、日本があんまり他人をとやかく言える立場ではないかもしれないが……。
今後、北朝鮮のオーケストラがイギリスを訪問する計画があるらしい。何なら、日本に来てもいいではないか、と思う。その代わりに、先方にも日本のオーケストラを受け入れてもらい、今度はテレビではなく、ラジオで中継させる。国家の威信を見せつけるような立派なコンサートホールだけでなく、各地の学校や公民館のような場所での演奏会も実現してもらう。そういう提案をしてもいいかもしれない。
政治ではなかなか空けられない扉を、文化がノックするということは、やってみる意味があるのではないか。
こんな風に、文化と政治について、自分なりにあれこれ考える機会になったという点でも、今回のニューヨーク・フィルの平壌公演は、やはり「少なくとも、悪いニュースではない」と思うのだ。