チベット問題・最悪のシナリオと唯一の解決法

2008年03月28日

「ダライ・ラマが提唱してきた中道路線が最も現実的であり、チベット人のみならず、中国政府にとっても有益である」
 3月27日、日本外国特派員協会で行われた記者会見で、ダライ・ラマ法王及びチベット亡命政府の駐日代表ラクパ・ツォコ氏は、そう強調し、中国政府が「現実的」な対応をとるよう、協力を求めた。
 ダライ・ラマ法王はチベットの独立は求めず、中国の一部として高度な自治のみを要求すると、様々な場で約束している。あくまで対話を呼びかける非暴力な手法を貫いており、血気にはやる若者たちを諫めてきた。その姿勢が評価されて、ノーベル平和賞を受賞している。
 だからこそ、今回のチベット騒乱に関して、世界各国がダライ・ラマ法王との対話を呼びかけている。当初は腰の重かったブッシュ米大統領も胡錦濤国家主席に電話でダライ・ラマ法王との対話を促した。
 ところが、中国政府はそれを拒否。対話を行うのは「ダライ・ラマが分裂の立場を放棄し、分裂活動を完全に停止すること」が条件だとして、あくまで一連の騒乱は「ダライ分裂集団」が指示したものだという主張を続けている(これを信じているのは、言論統制の中、政府の主張だけが流されるメディアに接している中国国民だけだろう)。
 中国政府の宣伝は、あたかもダライ・ラマ法王さえいなくなれば全てはうまく行くかのようだ。
 しかし、この認識は誤っているどころか、むしろ全く逆である。
 このまま事態が解決しないまま、ダライ・ラマ法王の影響力が弱まれば、タガがはずれたように、様々な行動が、何の統率もとれないままに行われ可能性がある。
 原意、ダライ・ラマが提唱する非暴力路線でも、事態が改善しないどころか、チベット人にとって状況はむしろ悪化している。文化的宗教的アイデンティティへの抑圧は強まり、漢民族とチベット族との格差も拡大。そんな中、非暴力路線に見切りをつけて、武力闘争に心を引きつけられている若い人たちは増えている。
 『ニューズウィーク日本版』2008.4.2号は、チベット問題のレポートの中で、若い亡命チベット人たちの間で高まっている不満を伝えている。
 
<ダライ・ラマが掲げる非暴力の中道路線に、公然と反対するチベット人はほとんどいない。それでも、若い亡命チベット人の間では不満が高まっている。「過去50年、ダライ・ラマの中道路線が何をもたらしたか考えてみてほしい」と、国境地帯へのデモ行進を企画した組織の一つ、チベット青年会議のツェテン・ドルジーは言う。「ダライ・ラマ本人は、いくつかの栄誉と欧米人の支持者を手に入れた。しかし、われわれは何も手にしていない。もし誰かが武器を持って自由のために立ち上がったら、全力で支える」>
<「かつてチベット人は偉大な戦士の王に率いられていた」と、非暴力でもの計画をとりまとめた活動家の一人シェラブ・ウエサルは言う。「チベット人が信心深くなったのは、仏教が入ってきて以降のこと。われわれの目標はチベットの解放であり、そのためならどんな手段でも使う
 若い亡命チベット人の多くは、自由のための闘争を始める心の準備ができている。彼らにとって、今回の騒乱は自分たちの祖国を取り戻す「歴史的なチャンス」。「このような大義のために戦える機会は、もう二度と来ないだろう。これは生きるか死ぬかの戦いだ」とウエサルは言う>
 
 こうした血気にはやる若者たちも、現時点では、ダライ・ラマ法王に反旗を翻してまで武力闘争に走ることはしていない。これまでも非暴力路線の放棄を訴える若い人たちを説得してきたダライ・ラマ法王は、今回も、亡命政府の元首からの退位を示唆しながら、暴力の自制を必死で訴えている。
 しかし、ダライ・ラマ法王も72歳。病に伏したり亡くなったりして、メッセージを発することができなくなったら、どうなるだろうか。
 このまま中国政府が対話を拒否し、騒乱にかかわった(と中国政府が認定した)者を処罰し、取り締まりを強化していけば、チベット人たちの不満はますます高まるだろう。カリスマである法王の重石がとれた時、それでもチベット人たちはあくまで非暴力路線を貫けるだろうか。そういう人々もいるだろう。しかし、武装化に舵を切る者たちが、少なからず出ることは、容易に想像できる。
 これまで、各地で独立を求める人々が展開してきた”武力闘争”を思い起こして欲しい。クルド人がトルコ国内で、チェチェン人がロシア国内で行った”武力闘争”に、どれだけ多くの一般市民が巻き込まれ、犠牲になったか……。たとえば2004年9月、武装集団によるベスラン学校占拠事件では、ロシア当局の強硬な姿勢もあって、子どもを含めて300人以上の死者が出る大惨事となった。武器を突きつけ人質を取って立てこもったり、あるいは多くの人が集まるところで爆破事件を起こすなど、手法としては絶対に認められないが、そうした被害が出なければ、世界の人たちは問題を忘れ、事態の解決のために声を挙げたりもしないことも、事実だ。
 パレスチナの問題では、和平交渉が進まない中、希望を失った若者がイスラエル国内で自爆を行い、民間人の死傷者を出す。イスラエルは軍隊の力で押さえ込もうとし、さらに子どもを含めたパレスチナ人の命が失われる。報復に次ぐ報復で多くの犠牲者が出て、世界の人々は、衝撃や憤りと共に、この問題が未だに解決していないことを思い出したり、思い知らされたりしたのだった。パレスチナでは、そうした事件を引き起こした者は、非難されるどころか、英雄として扱われていると聞く。
 チベットに関してはどうだろう。
 今の時点で武力に訴える者が出ても、それは法王の意思に反した行為として大衆の支持を得ないだろう。しかし法王が過去の人となってしまった時点では、武闘派は民衆の不満を代弁する存在として英雄視されかねない。
 穏健な非暴力路線を続けている間は、世界の人々も、日頃チベットの問題を忘れがちだ。それでも、ダライ・ラマ法王の地道な活動には、世界各国の人々から尊敬を込めたまなざしが注がれており、その言動は常に注目されている。こうした発信力のある存在を失なえば、あとは武闘派による多くの犠牲を伴う活動だけがチベット問題を世に訴える手段ということになってしまう。
 チベットを、そんな風にしていいのか。
 世界各地で今も進行中の悲劇から、中国は教訓を学ぶべきだ。

 チベット問題を、早期に、平和裡に解決しようとするのであれば、中国政府にとって選択肢は一つしかない。それは、ダライ・ラマ法王が若い人たちの不満を抑え込むことが可能な今のうちに、共存のための話し合いを行うことだ。その結果合意に至れば、余計な火種を抱え込まずに済むという点で、中国政府にとっても大いにプラスになる。法王がラサに戻れるようになれば、この地は平和の聖地として栄え、中国のイメージは飛躍的に向上するだろう(ひょっとしたら、様々な言論弾圧や天安門事件の記憶など、中国がなしてきた諸々の人権侵害を、国際社会は忘れてくれるかもしれない)。そのうえチベットを手放す必要はないのだ。
 しかし、あくまで対話による解決を拒否し、抑圧を続ければ、いずれは力の勝負になる。今の中国政府の姿勢は、むしろチベット人たちを暴力への道に追いやろうと挑発しているかのようだ。そうなれば、一挙に不満分子を粛正できると考えているかもしれないが、そんなに甘くない。武力の点では、中国政府が圧倒的に勝ることは間違いないが、いくら最先端の兵器をそろえ、多くの兵士を抱えても、広い国土のどこで起きるか分からないテロは食い止められまい。それは、戦力的には圧倒的に勝っているイスラエルがパレスチナの抵抗に苦しみ、アメリカ軍がイラクで苦戦しているのを見れば想像に難くない。
 しかも、こうした武力闘争は、いったん始まれば、どちらも矛を収めるのが難しくなる。そうすれば中国は、テロの恐怖と不安という火種を、長く長く抱え込むことになるだろう。被害を受けるのは、中国の一般市民であり、中国に滞在する外国人であり、中国は国際的に大いに信用を落とすことになる。
 そればかりではない。9.11テロでもパレスチナ問題が名目にされたように、チベット問題を大義名分にした世界のあちこちで破壊行為が起きるなど、中国の外に飛び火していく最悪のシナリオが実現してしまう可能性もある。
 対話と拒絶――それぞれがもたらす結果は、こんなにも大きい。中国政府は、メンツにこだわらず、どちらに実利があるか、冷静に判断すべきだ。
 

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