ワレリー・ゲルギエフの決断

2008年08月24日

 世界的に有名なロシアの指揮者ワレリー・ゲルギエフ氏が21日、グルジア軍とロシア軍の武力衝突の舞台となったグルジア南オセチア州の州都ツヒンバリを、自身が芸術総監督を務めるマリインスキー劇場管弦楽団を率いて訪れ、野外演奏会を行った。
 ロシア大統領府の支援を受け、ロシアの国営テレビが中継する官製の音楽会だ。映像を見ると、会場には軍服姿も多く見られる。
 プログラムは以下の通り

 チャイコフスキー  交響曲第5番第2楽章
 ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」第1楽章
 チャイコフスキー  交響曲第6番「悲愴」第3楽章、第4楽章
 
 最初の2曲は、第2次世界大戦中のナチス・ドイツ軍のレニングラード(現サンクトペテルブルク)に対する封鎖と砲撃を連想させる曲目だ。1941年9月8日から44年1月27日までの2年5ヶ月弱の間に少なくとも60万人以上の市民が死亡した、という。ドイツ軍に包囲される中、地元のレニングラード・ラジオ・シンフォニー・オーケストラは演奏会を続け、市民を励ましていた。1941年10月20日夜、チャイコフスキーの5番を演奏中、ホールの近くで爆撃が始まったが、同オーケストラは演奏を辞めず、最後まで弾ききった。この演奏はロンドンに生中継されており、第2楽章は爆弾の音と共に始まった、と伝えられている。
 また、ショスタコーヴィチは、レニングラードが封鎖される少し前に交響曲第7番を書き始め、爆撃が激しくなってからは町を脱出して、同年12月に完成させ、故郷の町にこの曲を捧げた。

 犠牲と抵抗、そしてその後の勝利。復活と輝かしい栄光……
 ロシア人の愛国心を刺激するだけでなく、ツヒンバリを戦時のレニングラードになぞらえる政治的なメッセージが込められた選曲だ。しかも、ゲルギエフ氏は冒頭のスピーチの中で、スヒンバリをレニングラードに喩え、2000人もの被害が出たのはグルジア軍のせいだと非難したうえで、こう言った。

「もし偉大なるロシアの助けがなければ、ここではさらに多くの死者が出ていただろう」

 偉大なるロシア!
 このスピーチは英語でも行われた。放送を通じて、世界中に伝わることを明らかに意識している。
 ゲルギエフ氏はロンドン交響楽団首席指揮者も務め、メトロポリタン歌劇場やウィーン・フィルハーモニーでも指揮をし、マリインスキー劇場のオペラやオーケストラを率いてしばしば来日もする。欧米や日本にも多くのファンを持っている同氏の知名度が、ロシア政府の対外的なプロパガンダのために活用されている。
 彼は、北オセチア共和国出身で、南オセチアではグルジア人と対立関係にあるオセット人だ。さらに、プーチン首相とはきわめて親しく、その全面的な支援を得て、マリンスキー劇場管弦楽団を立て直し、世界的な劇場に成長させた。
 そういう背景がある彼が、心情的に反グルジアであることは想像に難くない。とはいえ、彼が「偉大なるロシア」の代弁者として、政治的軍事的プロパガンダの最先端に躍り出てきたことには、強い違和感と失望を感じている。
 
 2004年9月にチェチェン独立派による北オセチア・ベスラン学校占拠事件で400人近くが死亡した事件(ただし、その多くが治安部隊との銃撃戦の中で亡くなったようである)の後、ウィーン・フィルと共に来日した時には、事件の犠牲者と新潟地震の被災者のためのチャリティ・コンサートを急きょ開いた。昼休みにサントリーホールでチャイコスフキーの「悲愴」一曲だけを演奏したコンサートは、私が聞いたことがある同氏の演奏で、もっとも感動的なものだった。
 私は、紛争や災害の犠牲になった人たちへの鎮魂と遺族への支援のための人道的な活動と受け止めていたが、今考えると、これもプーチン=ロシアへの強い忠誠心や愛国心の発露であり、チェチェン独立派の武装闘争の犠牲を世界に伝えるための政治的な活動だったのだろう。
 とはいえ、この時は露骨に政治的なメッセージを発していたわけではなかったし、人道的な活動と受け止める余地はあった。
 今回の言動は、この時とは比べものにならない、まさに政治的軍事的プロパガンダだ。
 
 音楽家が、自国や自分の信念のために、音楽を通じて政治的なメッセージを発することは、これまでもいくらでも例がある。また、時代によっては、好むと好まざるとをえず、音楽家も政治の流れに翻弄される。
 第二次世界大戦中は、音楽に限らず、文学、映画、絵画などの芸術が、国威発揚や戦争遂行に協力させられた。バイロイト音楽祭のように、ワーグナー好きだったヒトラーの庇護を受けたイベントや芸術家もいる。そういう芸術家は、全てがナチスの方針に賛成していたわけではない。私も、ナチス支配下で活動をしていた音楽家の一人に話を聞いたことがあるが、彼にはナチスに協力している意識は特になく、ただただひたむきに音楽をやっていただけのつもりだったようである。しかし戦争の後は、ナチスへの協力が批判され、音楽活動も制約されることになった。国家が紛争や戦争に関わっている時には、よほど意識していないと、そこに協力してしまうことになる、とつくづく思う。

 フランスの歴史学者アンヌ・モレリが第一・二次世界大戦から湾岸戦争、ボスニア紛争などに至るまでの情報操作を分析した『戦争プロパガンダ10の法則』(草思社)には、こんな記述がある。
<すべての広告がそうであるように、プロパガンダも、人々の心を動かすことが基本だ。感動は世論を動かす原動力であり、プロパガンダと感動は切っても切り離せないものだと言っていい。ところで、感動をつくりだすのは、お役人の仕事ではない。そこで、職業的な広告会社に依頼するか(中略)、感動を呼び起こすことが得意な職業、芸術家や知識人に頼ることになる>
<近年の湾岸戦争やコソヴォ紛争でも、芸術家や知識人はプロパガンダに協力を求められた。感動とは常に世論を動かす力であり、彼らは感動を呼び起こす才能をもっている。若い世代を感化するために、フランスの大学教授や哲学者、さらには、人集めが得意で、もろ手を挙げて戦争支持に向かわせるような「メディア型学者」がプロパガンダに一役買った>

 政治的色彩を帯びた活動だからすべて悪い、というわけでは、もちろんない。立場や時期によって、評価が大きく変わってくることもあって、その活動の良い悪いを簡単に言い切ることはできない、とも思う。
 第二次大戦中のレニングラードのオーケストラや、湾岸戦争の最中にミサイルが飛んできたイスラエルでの音楽家たちのように、戦争が起きている(あるいは起きそうな)地に踏みとどまって、避難できない市民のために演奏活動を続けている場合はどうか。戦争の一方当事者を鼓舞していると言えなくもないが、多くの人々の人間としての尊厳を守り、生きる希望を与える活動でもある。
 ほかにも、こんな音楽家たちがいる。
 東西冷戦下、一触即発の危うい状況の中で、チェリストのパブロ・カザルスはフランコ政権を承認している国では演奏しないという誓いを破ってまで、ケネディ大統領の招きに応じてホワイト・ハウスで演奏した。ベルリンの壁が壊された時には、同じくチェリストのロストロポーヴィチが駆けつけて演奏した。バレンボイム氏が進めているプロジェクト、イースト・ウエスト・ディヴァイン・オーケストラではユダヤ人とアラブ人の若手演奏家が合宿して練習や演奏を行う。
 政治的には対立したり、民族感情がぎくしゃくしている時でも、音楽は比較的スムーズに人の心に入っていく。対日デモなどが行われた後の中国にチョン・ミョンフン氏が東京フィルのメンバーを率いて演奏旅行に行ったことがある。計画当初はそのような事態は想定外だったようだが、当人たちは純粋な音楽活動をしているつもりでも、時期が時期だけに重要な文化外交となった。
 もっと直接的な文化外交では、北朝鮮を訪問したロリン・マゼール氏&ニューヨーク・フィルの演奏旅行が記憶に新しい。
 
 こうした活動をしている音楽家たちの中にも、なんらかの野心がうごめいている人はいるかもしれない。それを考慮に入れても、ゲルギエフ氏の今回の言動は、彼らのそれとは質的に大いに異なると思う。
 その違いを端的にいうと、ゲルギエフ氏の行動からは、全体主義の臭い、覇権主義への親和性が感じられてならないのだ。
 そうした志向や体質は、ロシアを率いるプーチン氏にも強く感じる。
 ゲルギエフ氏は、プーチン氏の協力を得てマリインスキーの音楽を盛り上げ、多くの若い音楽家を育ててきた。おかげで、ロシアのみならず世界の音楽を豊かにしたことは事実で、その功績は大きい。ただそれは、音楽のためにゲルギエフ氏が心ならずも権力者プーチン氏と手を結んだわけではなく、この両者は体質や価値観は似ていて、むしろ波長が合った、ということだったのではないか。異なる世界の支配者として、お互いを利用し合う。そんな関係だったのではなかろうか。
 今回の行動も、ゲルギエフは政府に脅されて渋々協力しているわけではもちろんない。知らずしらずのうちに権力に取り込まれてプロパガンダに利用された、ということも考えにくい。彼が自ら決断して、連隊としてのオーケストラを率い、「偉大なるロシア」の利益と影響力を広める戦いの最前線に立ったのであろう。

 今回の南オセチアでの武力衝突は、先にグルジア軍が動いており、一方的にロシアを非難するつもりはない。アメリカによるミサイル防衛網の東欧への設置、グルジアのNATO加盟の動きがロシアを強く刺激していることも間違いない。アメリカが、「人道支援」と称してバルト海に軍艦を送り込む予定らしい。力には力の対応が、ますますロシアを硬化させるだろうし、そもそも大義なき戦争を起こしてイラクに駐留しているアメリカにロシアを批判する資格はないような気がする。南オセチアでの犠牲者にしても、欧米で伝えられているように、ロシア軍によるものばかりなのか分からず、毎日新聞のリポートなどを読むと、グルジア軍による犠牲も少なからずあったようである。
 その一方で、ロシアが石油や天然ガスなどの豊富な資源にモノを言わせて、グルジアに圧力をかけ続け、平和維持の名目で軍隊を送り込み、西欧にエネルギーの供給について不安を与えてきたこれまでの経緯を無視することはできない。今回の紛争でも、この機に乗じて戦線を拡大させ、停戦後も居座って他国の領土の実効支配を強化しようというのは、いかにもマッチョなプーチン氏らしい、強権的なやり方だ。そのために、家族を失い、家を失い、難民となった人たちもたくさん出ている。
 「偉大なるロシア」に従順な人々は庇護してやろう。しかし、楯突くことは許さない、そのためには小国の主権や少数民族の人権が制約されてもやむを得ない。そんな強い意志を感じるからこそ、ヨーロッパの人々は今回の紛争を、冷戦時にチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」がソ連の軍事介入によって弾圧された事件と重ね合わせるのだろう。
 冷戦時に、チェコが東西両勢力の対立の狭間で、主権を奪われていったように、ロシアと欧米諸国という力を持った国々が、それぞれの利益を求めて行く中で、グルジアという小国の、それも南オセチアの少数民族である彼らに、被害が押しつけられたものといえる。ゲルギエフ氏自身が、その少数民族出身でありながら、大国の最大権力者と結びつき、大国の正当性を声高に、しかも音楽を使って主張している。武力行為を正当化し、賛美し、全体主義を肯定し、ロシア覇権主義を称揚することに音楽を使って協力している。そのことに、私の心が強い拒否反応を示している。
 当面、彼の音楽は聞きたくない、と思う。
 ただ、ベスラン学校占拠事件の後のチャリティ・コンサートが感動的だったように、インターネットで見る南オセチアでの演奏も、ぐいぐいと迫ってくる迫力がある。その場にいたら、きっと気分が高揚し、感動してしまうに違いない。ゲルギエフ氏の場合、こういう愛国的な活動になると、思いが高まるのか、通常のコンサートよりずっと聞き手の心を揺さぶる演奏になるみたいだ。
 だからこそ、怖い。

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