イギリスで福田首相辞任の報に接す

2008年09月10日

 福田首相の辞任は、取材でイギリスの田舎巡りをしている間に知った。
 驚くよりも、ああ、また辞めちゃったんだ……という感じ。力が抜けるというか、がっかりというか、何だか情けなかった。そしてしみじみ思った。やっぱり、公明党≦創価学会は怖い、と。

 夏になってからの公明党の非協力の姿勢はあからさまだった。国会の時期や期間を巡って抵抗し、さらには定額減税というバラ撒きを要求。国会の会期に関しては、元は同党委員長でありながら現在は創価学会と対立関係にある政治評論家の矢野絢也氏が参院で証言する可能性があるために、できるだけ短くしたい、というのが公明党の意向だと報じられてきた。低所得者にとって有利な定額減税を求めたのは、自党に有利に選挙を展開するため。そのうえ同党にとって国政選挙以上に大切な東京都議会議員選挙に支持基盤の創価学会員の力を結集させるために、総選挙はなるべく早く終わらせておきたい、ということで、早期の国会解散をするよう求めた、とも伝えられている。宗教団体の認証を行うのは都道府県なので、その本部がある東京都政は、創価学会にとって何より大事、公明党にとっても最大の課題だという。
 格差や食の安全、高齢者医療にアメリカの戦争にどれだけおつきあいするかの問題、景気の後退に加えて諸物価の値上がりラッシュなど問題が山積しているのだから、一日も早く国会を開いて対策を検討・実行して欲しいのに、国民生活のことより、自党及びその基盤である宗教団体の事情が最優先。そういう相手に毅然とした態度をとれば、少しは人気も上がるだろうに、選挙での創価学会票が欲しい同僚議員に引きずられてか、福田首相は公明党に対して強く出ることができずにいた。
 その首相の足もとを見るように、公明党≦創価学会は増長し、強気の態度に出た。小泉氏のような人気者であれば、アメリカの対イラク侵略戦争に自衛隊を参加させる政策すら同調した公明党が、支持率が低いと見るや、少なくとも小泉政権より国際協調路線と思われる福田政権の足を引っ張りにかかったのだ(私は、福田政権がインド洋での給油活動を無理に再開させたことには賛同はしていないが、イラク侵略戦争に加担した公明党が、今になって給油活動の延長をさせないと言うのは、あまりにも支離滅裂な対応だと思う)。
 福田首相が辞任を選んだのは、与党である公明党の協力を得られず、このままでは政権運営ができない、ということが大きかったのではないか。
 公明党は2006年の「新宣言」で次のように書いている。
<理念なき政治、哲学なき政治は混迷をもたらし、国を衰退させる。民衆、現場から離れた政治は迷走する。公明党は深き理念と哲学の基盤に立って、幅広い国民の理解と連帯と協力のもと果敢に諸改革の実現に取り組む>
 現実は、まさに公明党の「理念なき政治、哲学なき政治」が政治に混迷をもたらしているように思えてならない。

 そうはいっても、このような事態を引き起こした最大の原因は、福田首相に「私は何がなんでもやりたい」という強い熱意をもって取り組むものがなかったことだろう。環境対策にせよ、消費者問題への対応にせよ、外交にせよ、福田首相が目指した方向性は、少なくとも前任者2人よりはるかにまともだったと思うが、何がなんでもそれを実行したいという熱意が伝わってこないのが、ひどくもどかしかった。
 調整型の総理大臣があっていいと思う。貧富の格差が広がろうと地方が疲弊しようと、俺がやりたいことをやる、という小泉型の”強いリーダーシップ”はもうごめんだ。けれども、一国のリーダーになる人には、とりわけ今のように難問山積みの時代には、いざとなったら、(政権を放り出して逃げるのではなく)腹をくくって大ばくちを打つくらいの器量と覚悟を人々は求めている(実際にばくちを打って欲しいわけでは、もちろんない)。そういう器量と覚悟が、この人なら任せて大丈夫ではないかという信頼を生み、この人の元でなら少しは事態はよくなるだろう希望につながる。アメリカの大統領選挙で共和党候補の支持率が急上昇したのは、ペイリン氏の華やかさが人々の関心を惹きつけたのもさることながら、国政の経験のまったくない地方の知事を副大統領候補に抜擢するという大胆な賭に出たマケイン候補の決断力に惚れ直した人々も少なくないのではないだろうか。
 よくよく思い出してみれば、福田首相も、薬害肝炎の問題では、(だいぶ時間はかかったが)被害者を救済する決断をしたことがあった。ガソリンの暫定税率問題でも、(やはり時間を要したが)一般財源化の決断をした(この約束は、この後どうなってしまうのだろう)。薬害や自衛艦事故の対応などを見ていると、人間的にも、福田氏は週刊誌などで批判されているような冷たいエゴイストではないように思える。
 しかし、いかんせん、あまりにスピード感に乏しく、なにより熱意のほどが伝わってこなかった。今度の国会に関して言えば、福田氏が最も力を入れていた課題の一つである(と報じられてきた)消費者庁の設置も議題になるはずだった。なのに、国会の会期を巡る公明党のごり押しに対する福田首相の対応を見ていると、これも「何がなんでもやりたい」というほどではないのではないか、という気がしてきた。
 それに比べて公明党≦創価学会は、「何がなんでも」守りたいもの(人?)があるから、いざ”お家”の大事となれば、出てくるパワーが違う。熱意が違う。衆院議員の数は、自民党と公明党では304対31で、人数はば10分の1程度ではあるけれど、強い求心力のある核を持つ強さだろう。自分のことが何より大事な人たちの集まりである世俗政党とは、結集力が違う。信心に根ざした彼らの強い意志の前に、一国の宰相が早々に白旗を掲げてしまった、というところから、今回の辞任劇は始まったのではないか。公明党≦創価学会の底力を見せつけられたような気がする。それだけが原因というわけではないにせよ、特定の新興宗教団体が、その気になれば日本の政治をひっくり返す影響力を持っている現実には、慄然とする。そういう影響力を持つ団体が「理念なき政治、哲学なき政治」によって、「国を衰退させる」様を、私たちは今、目の当たりにしているのではないか。
 それに対して強気で突っぱねることは、今の自民党は誰がトップになってもできないのだろう。しかも福田氏の場合、髪を振り乱し歯を食いしばって対抗したり、すべてをぶちまけて国民の助けを求める、というようなことは、美学には反すると見える。なにしろ、オリンピックで本番を前にした選手団に対して「せいぜいがんばって」と言った人である。傍目も気にせず必死にがんばる、というのは彼の流儀ではなさそうだ。結局は、国民より自分の美学が優先し、せいぜいがんばってみましたがダメでした、ということなのだろう。
 新たな総裁選びを、民主党の党首選にぶつけることで、国民の目を引きつけ、その勢いで総選挙をやることで自民党の大敗を避けるためにこの時期の辞任となった、とも伝えられている。そうであるなら、福田氏の小沢党首への意趣返しと自民党の勢力確保のために、国民は置き去りにされた、ということになる。
 いずれにしても、福田氏にとって、国民の存在はかくも軽かったのだ……。
 それを思うと、憤りよりも、ただただ空しく脱力感のみが残る。
 しかも、そういう福田氏を担いだ自民党の面々が、わずか1年前の自らの判断の是非を省みることもなく、わっせわっせと総裁選に乗り出している様は、見ていてしらけるばかりだ。
 本当に自民党が国民の支持を回復したいなら、まずは公明党≦創価学会と距離を置き、特定の宗教団体より国民を大事にする姿勢を示すことから始めるべきではないのか。同時に民主党も、数あわせのために公明党≦創価学会にすり寄る下心が1%でもあれば、次の選挙で勝ったとしても、「国を衰退させる」道を歩むことになるだろう。
 
 それにしても、事情は異なるといえども、2代続けて、1年ほどでの首相が辞任。いったい外の目に、この有り様はどう映っているのだろう――そう思って、イギリスの新聞を4紙ほど買ってみた。
 紙面を広げて、またがっかりした。
 大きな扱いをしているのは、経済紙フィナンシャル・タイムズのみ。同紙だけは、国際面に福田さんが記者会見で頭を下げている写真がデカデカ載り、本記の他に解説や論評が掲載され、麻生氏が有力な後継者として、小池氏が対抗馬として、それぞれ顔写真入りで紹介されている。あとは軒並み地味な扱いで、淡々と辞任会見の事実と簡単な経緯、後継として麻生氏の名前が挙がっていることが書かれているくらいだ(同紙に限らず、麻生氏を紹介するイギリスのメディアは、たいてい「タカ派」「右翼」「ナショナリスト」という形容詞をつけていて、かなりの警戒感をもっているようだった)。
 一番ショックだったのが、インディペンデント紙。
 26面の下の隅、短針欄に3.8×7僂両さな小さな記事(写真参照)が掲載されているだけだった。
 たったこれだけ?! 
 テレビの報道も低調。朝は支度をしながらBBCを流していたのだが、福田首相辞任のニュースにはお目にかかれずじまい。
 現地にいるジャーナリストに聞いてみると、「BBCでもスカイニュースでも、第一報が報じられたのは24時間後くらい。インターネットで出たのは早かったけど、テレビではほとんど報道されなかった」とのこと。
 その程度にしか扱われなかったということは、この国の人々の今の日本に対する関心の低さを示しているのだろう。他の国の新聞をチェックしたわけではないが、日本の存在感は、日本にいる私たちが思っている以上に、ヨーロッパでは希薄になっているのではないか。
 もし、中国で胡錦涛主席が突然辞任したら、イギリスの新聞も一面か、それに準じる大きな扱いだろう。テレビでもトップニュースになるはずだ。少なくとも、扱わないなんていうことはありえない。
 地味な報道のお陰で、日本の恥をあまりさらさずにすむ、という見方もあるだろうが、そうはいってもやはり寂しい。寂しいけれども、この現実を私たちはよくよく認識したうえで、いろんな対応をしていかなければならないと思う。
 自分たちを過大評価して驕ることなく、かといって過小評価して卑屈にもならず。東洋の小国だけど、何かキラリと光るものがあるとか、人々が居心地よく過ごせる場だったとか、あるいは地道だけれどまっとうで人々の尊敬を得られる存在になるとか――そんな国づくりを腹をくくって目指すリーダー候補はいないものか……なあんていうのは、夢のまた夢か。幻想を持たず、これまた現実を直視するしかないのだろう。

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