世襲政治という「聖域」
2008年09月26日
小泉純一郎元首相の引退が大きく報じられている。
実に残念だ。
引退が、ではない。その後継者に次男を据えた、というのが、実に残念で情けない。
小泉氏は、「聖域なき構造改革」と唱え続け、「痛みを伴う改革」を強引に進めてきた。
その彼が、27歳の息子を後継者に据え、次の総選挙で国会に送り込もうというのだ。
隗より始めよ、と言うではないか。物事は、言い出したものから実践すべきである。ましてや、国民に「痛み」を強いるものであれば、まずは自分たちが身を削る努力をしてこそ、だ。実のある改革を目指すのであれば、政治を父から子へ、祖父から孫への”家業”にする世襲こそ、まずは変えなければならない。
ところが小泉氏は、自分にとって大事な「聖域」には手をつけない。自分が「痛み」を感じる改革は行わない。議員定年制を厳格にして中曽根、宮沢両長老に引退の引導を渡したのは、自分にとっての障害を取り除く作業に過ぎなかったろうし、長く議会にいて隠然たる影響力をるつもりがない彼にとっては、定年制は何の痛痒も感じなかったはずだ。
国会議員の世襲――これこそが、政界の人材難を招き、政治の活力を奪っている最大の要因だろう。
2代続いて政権を投げ出したのも、かつての首相の孫と息子だった。
総理大臣経験者の孫が一年で政権を放りだした後、別の総理大臣経験者の息子を首相に据え、それがまた1年で投げだし、さらに別の総理大臣経験者の孫を選ぶ……なんて国は、先進国と呼ばれる民主主義国家の中で他にあるだろうか。これでは、国の代表者の選び方という点では、北朝鮮を笑ったり批判したりできないどころか、逆に向こうからバカにされているのではなかろうか。
今度の麻生内閣の18人のうち、政治家(県議を含む)の子どもや孫は11人。元首相の夫人を伯母に持つ人を入れれば12人になる(残る6人のうち3人は官僚出身、もしくは官僚の子ども)。首相経験者の孫や子どもは4人もいる。
例えば、総務大臣となった鳩山邦夫氏。彼は、お金のことで苦労したことはないだろう。その彼が、疲弊しきった地方の財政、自治に関わる業務を統括する。
あるいは、少子化対策と男女共同参画担当の内閣府特命担当大臣となった小渕優子氏。民間にたとえれば、入社8年目の女性社員が出産して、職場に復帰したと思ったら、重役に抜擢されたようなものだが、同族会社でもない限り、考えにくい大出世だ。子どもが一歳となったばかりだそうだが、彼女の場合、保育園が見つからずに職場復帰に苦労する女性たちの苦労は無縁だ。
もちろん、自分が経験しなければ絶対に分からないなどと言うつもりはない。時間をかければ、情報収集や想像力で補える部分もたくさんある。しかし、政治的空白の後だけに迅速な対応が求められているうえ、立場がこれだけ一般人とかけ離れているとどうだろうか。
そもそも、同じ政党がずっと政権を握り続ける中、これだけ父や祖父の名前、地盤、人脈、財産を受け継いだ人ばかりによって動かされる政治は、いかにも不健全。若い頃から、生の政治、政治の現実を学ぶことができるというメリットをあげる人もいるが、果たしてどうか。学んだ方がいい現実もあれば、なまじっか身につけない方が(国民にとって)いいこともあるだろうし、第一日本の国会の3分の1は世襲議員だというのは、いくらなんでも多すぎる。
アメリカでも、ブッシュ大統領のような世襲の例はある。ケネディ家は特別な存在だし、アル・ゴア氏にしても父親も上院議員だった。しかし、それはやはり例外だろう。ブッシュ政権の出口戦略なき”テロとの戦争”で疲弊したアメリカには、オバマのように、自ら道を切り開いてきた若い政治家が出てくる。対抗馬のマケイン氏にしても軍人一家の出身だし、副大統領候補のペイリン氏は、地方の知事になってまだ2年にもならない。問題は多くても、それでもアメリカがなお国としての魅力と影響力を保っていられるのは、こんな風に政治の新陳代謝があるからではないだろうか。
日本には、それがない。この新陳代謝を阻むのが、小選挙区制度とセットになった世襲だ。1つの選挙区から1人の候補者しか当選しないため、先代の影響力と資金力をフルに生かせる二世、三世の候補者が圧倒的に有利となる。有権者も、「先代の先生へのご恩返し」とか、「全然知らない人より、なんだか安心」とかいった理由で、ついつい2代目、3代目に投票してしまいがちだ。
この陋習を「ぶっこわし」てこそ、つまり政治を停滞させている政界を変えてこそ、「聖域なき」改革と言えるのではないか。
ところが、小泉氏は、国民だけに「痛み」を残し、自らの「聖域」は死守しようというのだ。こんな手前勝手が許されるのだろうか。
そもそも小泉氏自身が、3代目の世襲の政治家だ。父は元衆院議員で元防衛庁長官。祖父は元衆院副議長でやはり大臣経験者。もし、次男が当選すれば、4代目ということになる。
次の選挙では、横須賀市、三浦市の選挙民たちの見識が問われる。民主党の対応も気になる。いっそのこと、小沢党首はこの神奈川11区から出たらどうか。といっても、その小沢党首自身が国会議員で大臣経験者の父の急死で、その地盤を受け継いで立候補するという、小泉氏と同じような経緯をたどって政治家になったのだから、彼が世襲批判をするわけにはいかないだろうが……
国会議員の3親等以内の親族は、その議員が引退、もしくは別の選挙区に移った後、少なくとも2回の選挙は、従来の選挙区から立候補できない、というくらいの「改革」は行うべきだ。
小泉氏ができなかったのであれば、誰か「真の改革者」に実行をしてもらいたい。増税やサービスの低下など、国民の「痛み」をもたらす前に、政治は自らの陋習を改めるべきだ。
世襲の禁止や制限という話になると、政治家たちは職業選択の自由を保障した憲法の規定を持ち出すようだ(アメリカに押しつけられたとしてして、日頃憲法をないがしろにしている政党の議員が、こういう時になると憲法を持ち出すのは解せないことである)。
しかし、憲法に規定されている権利でも、その職業によって制限が加えられることはある。警察官や刑務官には憲法が勤労者に保障している団結権や団体交渉権は認められていない。裁判官には、言論の自由に制約がある。政党機関紙を配布しただけで、政治的な行為を制限する国家公務員法に違反したとして有罪判決を受けたケースもあった。
国会は国権の最高機関であり唯一の立法機関。その議員は、日本のあらゆる仕事の中でもっとも公共性が高いと言える。その立場を私することは、絶対に許されない。そういう公益を守るために、一定の制約が加えられるのは、やむを得ない。
何も、政治家の子どもは政治家になってはいけない、と言うのではない。別の選挙区で、自ら支持者を開拓して出てくればいいのだ。そうすれば、世襲ではない新人候補者に近い条件で、今よりはフェアな選挙になるだろう。政界の新陳代謝も進む。
日本を元気にするのは、まず政治の世襲の廃止から――これを合い言葉に、次の選挙では、どの政党であれ世襲の政治家には投票しない、というのもいいかもしれない。政治家が、自ら改革しないのであれば、有権者が投票行動で示すしかない。すべての選挙区で、多くの有権者がそういう投票行動をとると、麻生太郎氏も小沢氏も落選ということになる。3分の1の現職議員がいなくなるわけだから、政界地図もずいぶん変わるだろう。
ついでに、首相経験者は首相を辞めた次の選挙で引退する、というルールも作ったらどうか。国民の支持を得られず、短期間で辞任せざるをえなかったのに、キングメーカーを気取っていつまでも隠然たる影響力を保とうとする者が消えれば、政界はだいぶ見通しがよくなり、活気のある論議ができる場となるのではないか。そうすれば、政界を目指す若い優秀な人も出てくるだろうし、日本は本当に民主主義国家になることができるような気がする。
そうなって初めて、真の「聖域なき構造改革」ができるのではないか。