歴史と愛国心について考える〜田母神氏の記者会見に行って

2008年12月02日

 田母神俊雄・前航空幕僚長の記者会見があるというので行ってきた。
 
 私が特に聞きたかったのは、次の2点。
(1)教科書に書かれているのは、日本の多くの歴史家が積み上げてきた事実に基づく結論だが、それよりも、田母神氏が読んだいくつかの(その多くが外国人の手になる)書籍に書かれていることを正しいと考えた根拠は何か
(2)日本は長い歴史と豊かな文化を持ち、戦後の廃墟から人々が営々と今の豊かで曲がりなりにも平和な社会を築き上げてきたというのに、大日本帝国時代に侵略をしたと認めると、なぜ自衛隊員は「愛国心」を保てなくなるのか

田母神氏の根拠は何か
 田母神氏の主張に対しては、歴史家たちから批判の声が上がっている。たとえば、秦郁彦・元日大教授は、11月11日付朝日新聞の中で田母神氏の主張の主な点について、「根拠となる確かな裏付け資料があいまいで、実証性に乏しい俗論に過ぎない」「こうした話はミステリーのたぐいで、学問的には全く相手にされていない」と酷評している。
 秦氏は、沖縄集団自決をめぐる裁判では、軍の指示で自決が行われたと書いた大江健三郎氏を批判し、慰安婦問題では軍による組織的な強制連行があったという説をこれまた痛烈に批判している。決して田母神氏が忌み嫌う「左翼」ではない。
 それに、教科書に書かれている「史実」は、多くの歴史家が裏付けのある事実を積み上げてきた結果だ。もちろん、信憑性のある新事実が発見されれば、専門家の検証を経て、「史実」が書き換えられる可能性はある。
 とはいえ、田母神氏が依拠した文献、たとえば「日米開戦はルーズベルトの罠」と主張するのに挙げたロバート・スティネットという人の著作は、専門家の評価は高くないようだ。新聞の書評でも<「真実」解明の執念が感動とスリルを呼び起こす>(2001年8月5日付産経新聞 越智道雄・明治大学教授)、<本書で「陰謀」説が完全に証明されたわけではない>(同年7月29日付朝日新聞 北岡伸一・東京大学教授)などとあって、面白いし、新たな材料は出ているけれど、信頼できる歴史的資料とは評価されていない。先の秦氏に至っては、「荒唐無稽」とこき下ろし、いわゆる「トンデモ本」の類と扱っていて、こうした説が日本で受けるのは、「そういう話は耳に快い部分がある」からだと指摘している。
 田母神氏はなぜ、そういう専門家の評価が高いとはいえない書籍を、教科書より信頼がおけると断定したのだろうか。その根拠が聞きたかった。

 記者会見で、この(1)の質問は、私自身が聞くことができた。
 しかし、残念なことに田母神氏の答えは、記者会見冒頭のスピーチで述べた「歴史は勝者が作る。勝者とって都合の悪い資料は隠される。冷戦後新しい資料が出てきた」という範囲を出ず、彼が”新説”を信頼した「根拠」なり説明はまったく示されなかった。
 資料の”発見”が新しければ、信頼に値するというわけではないはずだが……。


負の歴史を認めると愛国心は持てないのか
 私が聞きたかった(2)については、他の記者からほぼ同様の趣旨の質問が出た。外国人記者が「イギリスでもドイツでも、過去の負の歴史についてきちんと語られ、そのうえで愛国心を持っているのに、なぜ日本では、負の歴史を認めると愛国心が持てなくなるのか」と尋ねたのだ。
 
 これまで、田母神氏はこう述べている。
<日本の国をいい国だと思わなければ、頑張る気になれません。悪い国だ悪い国だと言ったんでは自衛隊の人もどんどん崩れます。きちっとした国家観、歴史観を持たせなければ国は守れない>(参考人として呼ばれた参院外交防衛委員会で答弁)
<戦後の呪縛というしかない自虐史観が、我が国の安全保障体制の確立を困難にしているのである。日本の国は悪い国だと教えて立派な日本人が育つだろうか。誰が悪い国を命をかけて守ろうとするだろうか。防衛力の基盤は愛国心なのである>(月刊誌『WiLL』の手記)
 日本が侵略した事実を認めるれば、日本は「悪い国だ」と言うことになる――この田母神氏の前提に立って、一連の発言を読み解くと、日本の侵略経験を認めたら、自衛隊員は愛国心を持つことができず、頑張る気にもなれず、日本の安全保障体制は崩れてしまう、ということになってしまう。
 いったい、田母神氏にとって、あるいは自衛隊員にとって「愛国心」とは何なのだろうか。
 日本はただの一度も他国に迷惑をかけたことのない、完全無欠な歴史を持っていると教え込まなければ、彼らは日本を愛することができないのだろうか。
 
 誰にとっても完璧で欠点のない人などいないように、一度も過ちを犯さずにきた国もないだろう。田母神氏も「どの国にも光と影がある」と認めている。短所も含めて相手のあるがままの存在を受け入れてこそ人を愛せるように、影の部分、負の歴史、そして今の様々な問題点をも引き受けてこそ、真に国を愛することになる、と私は思う。
 それに、「いい国」でなければ抱けないという愛国心は、果たして本物なのだろうか。
 「いい子になれば愛してあげる」と条件付きの”愛”に、本当に親の愛を感じるだろうか。火事の中に飛び込んでいく親は、子どもたちが「いい子」だから助けようとするのか。そんな条件などない、まさに無条件で無償の思いがそこにあるはずだ。同じように、「いい国」だから愛するのではなく、過去にいくつもの間違いを犯していても、今の社会で様々な問題が起きていても、それでもやはりこの国に分かちがたい思いを抱き、「よりよい国」を目指そうと思ってこそ、本当に日本を愛することになるのではないか……。
 そんな疑問は、彼のスピーチを聞いていて一層膨らんだ。

 外国人記者の質問にもあったように、たとえばドイツの人たちは、過去のナチスドイツの時代について、次の世代に語り継ぎながら、今なお考察を続けている。しかし、彼らが自分の国家に対して「自虐的」かというと、決してそんなことはない。自国の文化や地域を愛し、誇りに思っているからこそ、戦争で廃墟となった後、戦前とそっくり同じ町を復元するところから復興を始めたところがいくつもある。今の環境問題に対する自国の先進的な取り組みを、誇らしげに「支持する」と語ってくれたドイツ人たちもいる。
 今年4月に発表されたイギリスBBCの世界34カ国で行った各国の好感度についての世論調査によると、ドイツは国民の75%が自国に肯定的な見方をしており、否定的な者は10%だった(ちなみに、アメリカ国民は自国に肯定的56%、否定的36%。日本は肯定36%、否定15%で、態度を鮮明にしない人が多かった)
 ドイツの人たちが自らの負の歴史を見つめるのは、むしろ自国を愛しているからこそ、同じ間違いを二度と繰り返さず、よりよい国作りをしたいという思いの現れであり、それを実現している自国を誇りに思っている、ということなのだろう。

 なのに、なぜ田母神氏は、日本の自衛隊の場合は、歴史の負の部分を認めれば愛国心が持てず、安全保障の根幹すら崩れてしまう、というのだろう。自衛隊員が抱いている愛国心というのは、そんなにヤワでもろいものだと言うのだろうか。
 
 しかし田母神氏は、この問いに対しても、「これまで日本は歴史の影の部分に焦点を当てすぎた。こんなに悪いことをしてきたとばかり教えてきた。これでは歴史を教える意味がない。愛国心を持たせることが歴史教育の目的だ」と述べるに止まった。
 結局、この日の記者会見の中身のほとんどは、今まで報じられていることの繰り返し。大事な質問に正面から答えようとしないのには、がっかりだった。
 
事実に向き合う、ということ
 ちなみに、「日本はこんなに素晴らしい国だと教えて、愛国心を持たせることが歴史教育の目的だ」という発言は、複数回にわたって行われた。
 過去の失敗から学び、それを将来の国造りに生かしていく、という発想は田母神氏にはないらしいし、彼自身も負の歴史は学びたくないようだ。
 というのは、特攻隊についての質問に答えて、彼はこんな発言をしたからだ。
 
「絶対に人が死ぬことが分かっている計画を立てることは避けるべきかなと思う。ただ、当時の隊員たちの中から、他に手段がないからこういう方法をしかない、それならば行くという声があって、それが盛り上がって、押さえることができなかったのかも分からない」
 田母神氏が特高作戦を賞賛しているのではないことにはホッとしたが、特攻隊の生き残りの方々の証言を聞けば、「隊員たちの中から」声が「盛り上がって、押さえることができなかった」という仮説が出てくるはずがない。
 形のうえでは「志願」したことになっていても、実際は拒否することができない状況に追い込まれ、やむなく応じた人たちの声を、田母神氏はなぜ聞かないのだろう。それを聞けば、彼らは確たる目標も与えられず、現地の天候すら知らされず、援護も結果を見届ける者もないまま、「雲があってもとにかく敵を見つけて突っ込め」という無謀な指示で、飛び立たされたことを知るだろう。飛行機の故障で不時着し、生還した者が、「なぜ生き延びたのか」と罵倒され、辱めを受けた事実など、若者たちの命を無駄に失わせた当時の軍部の非道さも分かるだろう。
 しかし、そういう旧軍の負の歴史を、田母神氏は直視しようとしない。彼にとって、旧軍はあくまで自衛隊の前身であり、その影の部分を認めたくない、ということなのだろう。
 そういう姿勢を垣間見ると、(1)の問題に関しても、田母神氏は、確たる根拠があって”新事実”を信頼しているのではなく、秦氏が言う「耳に快い部分」ばかりを受け入れて、そうでない事実からは目をそらしているだけではないか、と思えてくる。だからこそ、根拠を問われても、答えられないのだろう、と。
 
 
 確かに、侵略行為を行ったのは、日本だけではない。イギリス、フランス、オランダなどの西欧諸国は、日本よりずっと早くから、アジアやアフリカの諸国を支配してきた。
 また、二つの原爆投下や東京、横浜をはじめとする各都市での空襲は、数多くの非戦闘員に対する大量無差別殺戮に他ならない。アメリカとの戦争を決断した当時の日本政府の愚かな判断や外交上の失敗を反省する必要はあるが、だからといって老若男女を問わず一般の市民を無差別大量殺戮したアメリカの「人道に対する罪」が許されるはずがない。
 今となっては、日本政府として厳しく抗議するという方法は現実的ではないのだろうが、様々な形で、かつての「罪」を自覚させ、反省させる必要はある。
 広島の原爆慰霊碑の言葉、「過ちは繰り返しませぬから」は、人類の誓いとしては正しくとも、より具体的には、「アメリカなどの核保有国に同じ過ちは繰り返させませんから」という誓いでなければならない。
 河野洋平衆院議長の尽力で、今年9月、広島にアメリカ、ロシア、イギリス、フランスの核兵器保有4カ国を含むG8の国会の議長を招いてG8下院議長会議(議長サミット)が開かれた。アメリカからは、ペロシ下院議長が参加し、一同は被爆者の声を聞き、慰霊碑に献花をした。原爆投下から63年も経って、ようやく加害国のナンバー3が「過ちは繰り返しませぬ」の碑に向き合ったのだ。
 オバマ大統領にも、ぜひ広島か長崎に来て、「過ちは繰り返しませぬ」と誓ってもらいたい。日本政府は、ぜひとも粘り強く働きかけるべきだ。
 それは、被害国の権利であるのみならず、現在の友好国であり同盟国としての責務でもあるのではないか。なにしろ、反省をしないアメリカは、戦争のたびに同じ過ちを繰り返す。今もアフガニスタンやパキスタンで、「テロとの戦い」の名目で空爆を繰り返し、多くの市民を殺して、逆に反米感情を高める愚を犯している。
 そうした報道を見聞きするたびに、負の歴史から学ぶことは、誰のためでもない、自分たちの国のためなのだ、とつくづく思う。
 
 ところで、田母神氏は空幕長を解任されたことに「びっくりした」と何度も述べている。この日の記者会見でも、「私はずっと前から何度も同じことを言ってきた。まさか、(懸賞論文で)こんな騒ぎになるとは思わなかった」と語っていたが、その言葉には実感がこもっていた。
 今回は、懸賞論文の結果が公表されて外部の多くの人の目に触れたことで問題になったが、自衛隊の内部や、彼と接触の多かった政治家の間では、彼の発言は格別特異なものではなかった、ということなのだろう。
 騒ぎになってからの政府の対応は速かったが、そもそもなぜ、今まで問題にならなかったのかが問題だ。

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