再審を国民の手に〜横浜事件再審の結果を聞いて

2009年04月24日

 戦時中最大の言論弾圧事件と言われる横浜事件。その第4次再審の判決が出た。
 「被告人」は、雑誌『改造』の編集者だった小野康人さん(故人)。政治学者の細川嘉六氏(故人)が同誌で発表した論文の校正を担当した。その論文が「共産主義を啓蒙するもの」とされ、治安維持法違反で神奈川県警に逮捕され、終戦直後に横浜地裁で有罪判決を受けた。小野さんの子どもたちが再審を申し立てていた。
 第3次再審判決が、昨年2月に最高裁で確定したのを踏襲し、結論は再び「免訴」だった。
 免訴は、犯罪が行われた後に刑が廃止されたり時効が成立した場合などに、有罪無罪を判断せず、裁判を打ち切ることを言う。「無罪」を求め、父親の名誉を回復しようとした遺族の思いは裏切られた。
 判決は、「有罪判決の失効という点では免訴も無罪も同じ」と言う。だが、それが屁理屈であることは、この判決を書いた裁判官自身がよく分かっていて、実際「免訴は、名誉回復を望む遺族らの心情に反することは十分に理解できる」とも述べているのだ。
 そのうえで、「(免訴判決確定後に)刑事補償請求をすれば実体判断が示され、決定の公示によって一定程度は名誉回復を図ることができる 」とした。
 何のことはない、自分たちで結論を決めずに、刑事補償を求める手続きに先送りをしたにすぎない。
 判決では、「拷問が横浜事件の被疑者らに加えられたことが推認され、拷問による自白は信用性が乏しい」と認定。富山・泊町(現・朝日町)で共産党再建準備のための集まりがもたれたという点については、「遊興をさせるための会合であった可能性が高い」として、有罪判決の内容を否定した。
 裁判官は、有罪とした判決に根拠がない=無罪とすべき条件は整っていることを充分に認識していた、といえる。
 それだけではない。
 小野さんの裁判記録は判決文と予審終結決定書しか残っていない。私が以前、この事件を取材した時、「終戦後、裁判所の裏で書類の山を燃やしていた」という話を聞いたことがある。この問題について、今回の裁判長は、再審の公判で「保管すべき期間を過ぎていないのに廃棄されているのは、保管しておくことが不都合な理由があったと推察される。当裁判所としても誠に遺憾」と述べて、司法の責任を認める発言をしていた。
 
 そもそも、この有罪判決が出される経緯からしても、極めて不自然だ。
 横浜事件の裁判は、異常なスピード審理で結論が出されている。第1次再審請求を行った元『改造』編集者は、予審判事から「ゆっくりやっている時間がない」「いろいろ言い分はあるだろうが、この際、私に任せてくれ。悪いようにしない自信がある」と説得されたと語っていた。その説得を受け入れ、栄養も環境も悪い拘置所から出るために、公判で事実関係を争わずにいた。そうしたら、初公判が始まってわずか10分後に、裁判長があらかじめ用意していた「懲役2年執行猶予3年」の判決文が読み上げられた。
 敗戦後、GHQによる支配が本格化すれば、拷問による捜査など、様々な人権問題が明るみに出て、警察、検察、裁判所の関係者が責任を追及される可能性があった。その前に、拘置所にいる人たちをさっさと外に出して、しかも裁判記録は廃棄したに違いない。誰の指示だかは分からないが、裁判所が証拠隠滅の実行犯となったわけで、その責任は重い。
 
 なのに再審の法廷での裁判官たちは、自分たちの先輩の過ちによって罪に陥れられた人たちの名誉を回復しようとしないのには、とてもがっかりした。
 遺族の心情に同情的な言葉を述べようと、審理の過程で司法の責任に言及しようと、日本の司法は自ら過去の過ちを正すことができないのである。
 そうであれば、もう裁判所に再審手続きを任せておくことはできない。
 名張毒ぶどう酒事件の再審開始決定を潰した名古屋高裁の判断について述べた時に、再審を開くかどうかを決める手続きこそ、国民の「健全な良識」による判断が必要だと書いた。
 再審請求審だけではない。再審こそ、裁判員でやるべきだ。国民の多くは、凶悪な犯罪を行った者には厳罰を臨んでいるだけでなく、冤罪の防止や、ひとたび冤罪の被害者となった人には速やかな名誉回復を期待している、と思う。
 裁判所が、その役割を放棄している以上、国民の手に再審の裁判を委ねてもらいたい。
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