足利事件から学ぶこと

2009年06月13日

 栃木県で1990年に発生した幼女殺害事件(足利事件)で、無期懲役の判決が確定し、服役していた菅家利和さんが、6月4日に釈放された。東京高裁の再審請求審で認められたDNA再鑑定の結果、真犯人とは別人であることがほぼ明らかになったためだ。再審開始が決まる前に検察側が刑の執行停止に応じるのは、おそらく初めて。検察側も、今回の件では完全に白旗を揚げた格好で、最高検の次席検事がその後、謝罪のコメントを発表する展開となっている。
 事件が起きた頃は、ちょうど警察がDNA鑑定を科学捜査の手法として導入し始めた時期だった。十分な鑑定試料さえあれば、指紋と同じように、百発百中で犯人を特定できるかのようなイメージが流布されつつあった。
 しかし、今からみると、当時の鑑定方法はまだ精度が低かったうえに、それを扱う技官たちの技術も未熟だったようだ。今回の再鑑定で、当時と同じやり方で検査をしてみても、菅家さんと犯人が残した精液のDNA型は異なる、という結果が出ている。最先端の技術であっても、それを使うのが人間である限り、間違いはありうる、ということを、今回の事件から私たちは、よくよく学び取る必要がある。
 特に、刑事裁判の世界では、まもなく裁判員制度での裁判が実際に始まろうとしている。裁判では、DNA鑑定に限らず、様々なジャンルの専門家が、最新の技術を駆使した鑑定結果を説明する。それぞれの道で、それなりの権威を持っている人が出てくることも多く、自分の学説や技術には確信を持っているので、自信たっぷりに説明をするだろう。
 その道の素人は、専門家の自信や、技術のすごさに圧倒されがちだ。だが、どんなに権威を言われる人のやったことでも、人間がやる限り、間違いや失敗はありうる。
 裁判員となる人たちには、そのことをよくよく理解してもらったうえで裁判に臨んでもらう必要があるだろう。裁判所は、足利事件からしっかりと教訓を学んでもらいたい。
 
 ところで、足利事件を裁いた裁判官たちは、もちろん裁判のプロである職業裁判官たち。1審から最高裁まで、少なくとも11人の裁判官がかかわっていながら、無実の人を無期懲役刑にして刑務所に送り込むようなことになったのか。
1)裁判官もDNA鑑定の魔術に幻惑されてしまった
 科警研のDNA鑑定が間違うなどとは、裁判官にとっては「想定外」のことだっただろう。
2)菅家さんの自白があった
 それも、捜査機関だけでなく、裁判所でも一審の第6回後半で突然否認するまで、自白を維持していた。一審の裁判官からすれば、自分が強制したわけでもないのに、犯行状況を語るのだから、これは間違いない、と思っただろう。しかも、一度否認した後、すぐそれを撤回し、その理由を、被害者の遺族が死刑を望んでいると知らされて怖くなったから、と説明する上申書を提出されている。よもや、弁護人が説得して、そういう上申書を書かせたとは、裁判官も思わなかったろう。なので、再度否認に転じても、一審の裁判官たちが自白を信用したくなった気持ちは、分からないではない。
 自白は、おそらく裁判官たちにとっては、DNA鑑定以上に大きな影響を及ぼしただろう。裁判官も法医学に関しては専門家ではないので、DNA鑑定について、弁護側が学者の意見をあれこれ提出しても、専門的な目でそれを判断することはできない。しかし、自白に関しては、何と言っても「裁判官の前で罪を認めた」という事実は分かりやすい。
 二審以降、弁護人がDNA鑑定への疑問をいくら呈示しても、主張が認められず、再鑑定も行われずに来たのは、裁判官たちがどれほど自白に引きずられていたかを物語っている。

 では、菅家さんはなぜ自白したのか。そして、それを維持したのはどうしてだろうか。
 菅家さんに話からは、次の4要素が浮かび上がってくる。二つは捜査側の構造的な問題点、二つは菅家さんの側の事情だ。
 前者としては、
A)強引な取り調べ
B)被疑者を孤独を強いる
という点が挙げられる。
 後者としては
C)気の弱い性格で、対立的な人間関係でのコミュニケーションが極めて苦手
D)黙秘権など被疑者の権利についても、検察官や弁護人の存在など刑事手続きの仕組みについて全く知らなかった
という事情がある
 
 取り調べに関しては、任意同行したその日が全てだった。
 菅家さんによれば、朝、いきなり捜査員がやってきて、有無を言わさぬ態度で、”任意”同行された。実際は「強制」だったと菅家さんは言う。
 黙秘権を告知されたことは、まったく記憶にない。形式的に告知はあったのかもしれないが、黙っている自由はまったくなく、頭ごなしに「子どもを殺したな」と決めつけられた。否定しても、「証拠がある」と聞き入れてもらえない。「やった」「やらない」のやりとりが夜遅くまで延々続いた。
 当時の新聞記事を見ても、その厳しさは伺われる。

<「私がやりました……」
 菅家容疑者は、絞り出すような声で真実ちゃん殺しを自供した。午前中、取調官が事件に触れると、ポロリと涙を流した。「容疑者に間違いない」と取調官は感じた。
 だが、菅家容疑者が事件について語り始めたのは夜十時近くになってから。取り調べは一日朝から十四時間にも及び、事件発生から一年半にわたる捜査がようやく実を結んだ瞬間だった>(1991年12月2日付読売新聞)。

 ましてや、菅家さんは気が弱く、これまで不当に職場を解雇されても、経営者に文句を言うどころか、理由を問い詰めることさえしなかった。そんな風に、争いを避け、無難に、角が立たないように人生を生きてきた。
 捜査員に対しても、「やってない」と繰り返すのが精一杯だったという。

 認める時、菅家さんは捜査員の手を取って泣き出した、という。
 おそらく、捜査員はこれを「悔悟の涙」と受け取ったのだろう。しかし、菅家さんにとっては「やってもいないことを言わされた悔し涙」だった。
 この日の取り調べで、菅家さんの自分を守る砦は完全に崩れた。日常とあまりにもかけ離れた環境にいきなりおかれて、現実感も希薄だったろう。ましてや、事件には無関係なので、このままいけば、死刑や無期懲役などの厳しい刑罰を受けるという実感もわかないとにかく、初日の取り調べに気圧されて、すっかり萎縮したまま、すべてが夢の中のような、非現実的な時間が流れていったようだ。
 当時の心理状態を、菅家さんは「ただ怖かった」という。誰も信じてくれる人は周りにおらず、まったく孤独な状態。そんな中で、「やった」という前提で話していれば、平穏な状態が続く。菅家さんは、ひたすら周囲に迎合し、悪夢が覚めるのを待つように、ただ時間をやり過ごす。
 警察に関しては「市民を守ってくれるところ」というイメージがあったが、自分が責められることで、その思いは崩壊した。弁護士や検察官に関しては、その役割もよく分かっていなかった。弁護士は自分より年上で、取っつきにくく、この人は自分の味方という風には感じることができなかった。なので、弁護士に対しても、ただただ頭を下げるだけ。
 とにかく「やった」といれば、無難に時間が過ぎていく。そのままの状態で、裁判が始まった。高いところから見下ろす裁判官には威圧感があった。なので、やはり怖く感じた。自分が犯行を認めている限り、裁判は平穏に進み、無難に時は流れていく。裁判官は偉い人なので、自分があれこれ説明しなくても、すべてをお見通しだろうという期待もあったようだ。なんか、このままではマズイなと思いながらも、流れを変えるきっかけもなく、重罰への実感も持てないまま、ズルズルと公判の回数を重ねてしまった……
 
 その菅家さんが、新たに自分を守る砦を築くきっかけとなったのは、一人の主婦の手紙。その主婦は、新聞で裁判の報道を読み、菅家さんがいったん否認し、すぐにそれを撤回したことを知った。撤回は、弁護士に諭されてのことだったが、そうした事情は知らないまま、手紙を書き、拘置所に面会に行った。
「なんだかおかしいな、と思った。それで、もし本当にやったのなら、被害者のことを考えて心から償って欲しい、でもやってないのなら、真実を貫くべきだ、と言ったんです」とその主婦は言う。
 菅家さんが、無実を訴えると、信じてくれた。警察の取り調べを受けて以来、初めて自分のことを信じ、励ましてくれる人と出会えたことで、彼は真実を貫く決意をする。それまで、怖かった弁護士にも、思い切って手紙を書いた。
 この支援者が、弁護士としては早くからDNA鑑定の問題点に着目していた佐藤博史弁護士を訪ね、控訴審の弁護人になってくれるよう頼んでくれた。
 
 多くの人は、「やってもいないのに、自白するわけがない」と思う。その点では、裁判官もあまり変わらない。
 激しい拷問があったのなら、まだ分かりやすい。捜査員が巧妙な誘導や強制をしたのであれば、詳細な嘘の自白調書ができあがるのも、まだ理解できる。また、警察の取調室など、密室の中ならともかく、公開の法廷で嘘の自白をするわけがない、と裁判官もマスコミも一般市民の大半が思っていることだろう。
 しかし、菅家さんの自白は、多くの人が冤罪事件でイメージするより、早い段階で行われ、誘導や強制も少ないうえに、法廷でもしばらく維持された。
 こういう事態は、法律や制度を作った時には、想定されていなかったのではないだろうか。
 しかし、これは決して菅家さんに特有な出来事だったわけではない、と思う。強姦・同未遂事件で実刑判決を受けた男性が、服役後に、真犯人が現れて再審無罪となった富山の冤罪事件でも、いったん自白をした後は、それを公判廷でも維持し、一審で判決が確定した。
 この柳原さんの場合も、孤独と無理な取り調べにより、すっかり打ちのめされ、事実を語っても無駄だと諦めてしまったようだ。大人しく、自己主張が強くない人が、孤独な状況におかれれば、ひとたび崩壊してしまった自分を守る砦は、そう簡単に再構築されることはない。そのことを、この二つの事件はよく示している。
 
 釈放されて4日目の日曜日、菅家さんはテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」に出演していた。
 その時、自白の内容を説明する様に、視界の田原さんも少し慌てている様子だった。事情をよく知らない人が菅家さんの話を聞いていると、テレビカメラの前で自白を始めてしまったように思っただろう。
 実は、佐藤弁護士の家族も、テレビの前でパニック状態に陥っていたそうだ。「うちのお父さんの弁護士生命も、これで終わりじゃないか…」と思ったらしい。
 しかし、佐藤弁護士は平然としていた。菅家さんの話した、「……と自分は自白しちゃったんです」という風に落ち着くことが分かっていたからだ。
 テレビはもちろんだが、他人に自分の事情を説明したり、説得したりする経験があまりない菅家さんは、多くの交渉事や説明では「結論から言う」ということを知らない。そういう場でのコミュニケーションの機会があまりなかったからだ。
 身柄を拘束されていた頃には、コミュニケーションの能力はもっと弱く、佐藤弁護士も裁判で知的障害の可能性があると主張していたくらいだ(ところが、釈放後、こうやってインタビューを受ける機会が増えて、菅家さんのコミュニケーション能力が飛躍的に向上。人が言うことに、オヤジギャクを交えて返すほどになった。その変化に、佐藤弁護士も驚いている)。
 そして、菅家さんの特集が終わった後、政治家たちが登場して、政局に関する議論になった。石原伸晃氏や辻本清美氏ら、0.5秒でも空白があればすかさず自己主張をし、人が話している間でも、より大きな声で圧倒しようとする、雄弁な政治家たちが”活発な”議論を展開した。なんと菅家さんと対象的な人たちだろう。
 しかも、日本の刑事手続きを作るのは、こういう雄弁な人たちなのだ。彼らが法律や制度を作るうえで、菅家さんのような人をまったく想定してこなかっただろう。
 権利に精通した裁判官も、弁護士も、あるいは悪事を働きながら何とか言い逃れようとする犯罪者に対峙してきた警察の捜査員も検察官も、菅家さんのような、気が弱くて、波風を立てることが何より苦手な存在は、想定せずに仕事を進めている。しかし、現実には、そういう人たちは決して例外的に少ないわけではなく、それどころか知的障害者など、自己主張の能力が極めて弱い人たちも刑事手続きに乗っかってきている。けれど、それはないものとして、多くの手続きが進んでいる。つまり、みんなが見て見ぬふりをしてきたのだ。
 今回の事件は、これまで見ないで(あるいは見ないふりをしてきて)いた事柄を、きちんと直視し、そのうえで法や制度を変えなければなければならないのだと教えている。
 
 その一つとして、現在、捜査過程をもっと透明化するために、「可視化」の必要性が論議されている。
 取り調べをすべて可視化する必要性を訴える声に対して、捜査機関は反対を唱え、取り調べの最終段階、自白をまとめて喋る程度ならOKと言っているようだ。
 しかし、菅家さんのように、”任意”の段階で事故を守る砦を完全に破壊されてしまっている例があるわけで、冤罪を防ぐためには、取調室に入った時から、被疑者の様子も分かる形で映像に残しておく必要があるのではないか。
 菅家さんの父親は、息子が逮捕されたショックで亡くなり、母親も無実が明らかになるのを待たずに世を去った。きょうだいなどは、犯罪者の家族ということで、苦労させられてきただろう。冤罪は、その被害者だけでなく、その周囲の人たちの人生をもめちゃめちゃにする。
 そればかりか、被害者や遺族にとっては、真犯人が分からないということになり、まさに何重もの悲劇だ。
 それを考えると、冤罪をなくすための対策は、本当に急務だ。「想定外」のこと、見ぬふりをしてきたことも、しっかりを直視をしなければならない。

Copyright 2006 © Shoko Egawa All Right Reserved.
CMパンチ:ホームページ制作会社:港区赤坂