足利事件・菅家さんインタビュー

2009年06月13日

――よろしくお願いします
「テレビでいつも見てましたよ」
――刑務所の中で? 何の番組を?
「あれは確か、関口宏さんの」
――サンデーモーニング?
「そうです。それ見てました」
――日曜日は作業はないから…
「そうなんです。見られるのは9時からなんですが」
――菅家さんがいらしたのは、雑居房?
「雑居房です。今はですね、日曜日だけは、9時から3時半頃まで、それから、また夜7時から9時までは見られるんですよ。それで9時になると寝る時間なんです」
――その時間になると、切られるんですよね。
「自動的に消えちゃうんです」
――何を見ようか、っていうのは?
「自由です」
――誰が決めるの?
「やはりですね、一週間交替で、決める。今週は自分だとすると、来週は相手。一週間おきになっちゃうんですよ」
――刑務所にいたときに、誰かとケンカしたことあります?
「そういうことはないですね」
――でも嫌なこと、いっぱいありましたでしょ?
「嫌なことはありますね」
――例えば?
「自分がね、入所してすぐ、(同房の人に)一週間は菅家さんはお客なんだからと言われました。それで、一週間のあいだに、見ててもらって、全部覚えろというんですよ。布団のあげかた、毛布の揃え方、トイレ掃除、窓の拭き方、全部覚えろっていうんですよ。ところが、誰も一週間じゃ覚えることはできなかったんです。自分だけじゃなく。新しい人が来るとみんなその人が命じるんですよ。絶対一週間以内で全部覚えろと。誰も覚える人いないんですよ。全然無理ですよ」
――できなかったら、怒鳴られたりするんですか?
「怒鳴られましたよ」
――どんなふうに?
「殴られたり、肋骨を2本折られて。洗面器の中に水をいっぱい入れられて、顔を頭から押さえつけられて、もがきましたよ、私は」
――どういう人なんですか、そんな事をするのは?
「その人は昔、暴走族だったんですよ。ものすごい乱暴者で。自分だけじゃなくて、他の人にもやったらしいんですよ」
――そういう人と同じ房だった
「そうです、そうです」
――それに対して、抗議したりしなかったんですか?
「できないですよ、自分は。入ったばかりで…。その人は17年いるんですよ。無期懲役で。だから、あれから8年経ちましたから、20何年いるんです」
――でも、そういう時のために刑務所の職員がいるじゃないですか?
「それを(刑務官に)言ったら大変ですよ。殺されちゃいますよ。自分はそんな目にあいましたから。12月の寒い時ですよ。トイレの中へ、裸で、すっぽんぽんですよ。閉じこめられたんですよ、一晩中ですよ。『てめえ、中入ってな、こごんでろ!』こういう風に、(便器を)またいでろって言われたんですよ。
 しまいには、『しょんべん飲め』とか。溜まってるんですよ。タワシの中にこういう、タワシを置く入れ物がありますよね。溜まっちゃうんですよ、どうしても。それを飲めっていうんですよ。それからあと、もう一つ。うんこですよ。食えっていうんですよ。そういうんですよ。
――そんなひどい事されて、房を変えてくれって言えなかったの?
「その時は、入ったばかりで…。「言ったら殺す」っていわれるんですよ(だから言えなかった)」
――いじめられた時に、抗議とかしない方ですか?
「できなかったですよ。もう、性格ですよね。自分は気が弱くて、言い返す、それは出来なかったですよ」

――事件の前にお仕事されてましたけど、社会でも嫌なこととかあっただろうけど、そういう時は抗議したりケンカしたりはしなかった?
「そういうことは、ありませんでしたね。おとなしい性格で、人に対して攻撃、できない質でした」
――ましてや、刑事さんに言われたときに、言い返すっていうのは?
「出来なかったですね」
――思いもよらなかった?
「思いも寄らなかったです」
――事件が起きる1990年まで普通に生活してて、それまで、警察ってどんな所だと思ってました?
「やはり警察というところは、市民を守る。そういう風に思ってました。ところが、実際に自分がね、無実の罪でね、捕まって、取り調べをされて、髪の毛をひっぱったり、蹴飛ばされたりしてね。取り調べのときね、私はね、『やってない』『やってない』と言ってたんですよ。ところがね、頑として聞き入れてくれなくて。(語気を強めて)『お前がやったんだ!』と、こうですよ。デカい声で。『証拠があるんだ』と。でもその時、言い返すことが、自分はできなかったんですよ」
――その時はどんな気持ちでしたか?
「もう、ムヤムヤもやもやしてて…。何も考えてなかったですね」
――この時に、「やりました」と言ったら、自分は刑務所へいっちゃうとか、死刑になっちゃうとか、そういうことは考えていました?
「考えてません。やはり、自分は事件のことは、全く身に覚えがないので、死刑になるとか、刑務所に送られるとか、全然考えてません。はい」
――例えば自白したら、逮捕されて裁判になるとは考えてました?
「それは考えてましたけど、でも、死刑とかは全く考えてなかった」

――逮捕される前、事件があって、その後に交番のおまわりさんが訪ねてきたときがありましたよね?その時も、そういうことは全然考えていなかった?
「もう全然。ビクビクなんて全然してませんよ。事件には関係ないんですから。やってないんですから。だから、1年間(警察に)尾行されていたと(後から)言われたんですが、自分は全然気がつかなかったです」
「(逮捕の)確か1年前だと思うんですが、交番のおまわりさんが来たんですよ。それで、『上がってもいいか?』っていうんですよ。『いいよ』っていって。もう自分としては、何のやましいところはないんですから。上げたんですよ。それで、『ちょっと悪いけど、押入れ開けてくれる?』って言われたんですよ。そうすると、自分が秋葉原で買ってきた、そういうテープレコーダーですね、何が入ってるんだ?っていうから見せたんですよ。『ああ、そうかそうか』と。それから、『灰皿貸してくれないか?』というんですよ。『ああ、どうぞどうぞ』って(灰皿を出した)。何本吸ったんだろうな、すごいですよ。30分の間に10本くらい吸ってましたよ」
――その時に『お前があやしい』というような話は?
「全然ありません」。

――では、自分が疑われているって、いつ気がついたんですか?
「(仕事で)幼稚園の送迎やってました。それで、まあ、刑事がきたわけですよ、幼稚園に。それも、後になって聞いたんですけど、刑事が来たとか。それで、自分がね、解雇されたんですよ。その後ですけどね。気がついた、っていうか、教わったっていうか…」
――誰かから言われたんですか、疑われるぞ、って?
「自分は辞めさせられて、他の幼稚園に行ったんですよ。もう一度送迎やろうと。そこの幼稚園行っても、二日間でまた辞めさせられたんですよ。その辺で、おかしいと思ったんです」
――そういう辞めさせる時に、相手を問いつめたりしなかったんですか?
「全然しなかったんですよ」
――だって真面目にやってる訳でしょ、仕事は?
「そうそう、自分としてはね。真面目にやってるつもりなんですよ。一切事故も起こしたこともないし。だから、保育園の送迎やったときも、先生に、信頼されていた訳ですよ、私は」
――なのに、クビにするのおかしいじゃないか、って言わなかったんですか?
「言わなかったんです、そこが。だから、自分、何回も言いますけど、気持ちが小さいんですよ。気持ちが小さくて、問いつめるってことが全然出来なかったんですよ。今ならですね、聞きたいですよ。どうして、クビにするんだ、と。今ならですよ。その時は、なんて言うんですかね。性格というんですかね、気が小さいというんですかね。気が小さかったですよ。
 少し気持ちが変わったのは、刑務所に入ってからですよ。入ってから、入所したときは殴られましたよ。しかし、1年から2年経った時点で、同僚の人に、『菅家さん、気が小さいなあ。もっと強くなれよ』と言われたことがあるんですよ。
 それまでは、中でケンカしてる人を見ても、自分は壁の方へ離れていったんですよ。関係していたくないから。端のほうへ行って、知らんぷりしてたんですよ。でも、『そうか、やっぱりもっと気を強く持とうと、決心したわけですよ』
――菅家さん自身は、ケンカしたことあります?
「いや、ないですけど……」
――じゃあ、ケンカしてる人を注意したり?
「したことあるんですよ。『ケンカしない方がいいよ』なんて言ったんですよ。で、何て言うんですかね。自分も気が強くなっちゃったんですよ、急に。ケンカするのだったら、自分からね、注意してやろうと思いましたね。
――菅家さん、中にいたときに懲罰受けたことあります?
「ないです。一度もありません。一回もないです」
――そうでしょうね…。争い事とか、モメ事とかは好きじゃないのね?
「全然ダメです」
――論争なんかも苦手だろうなと思うんですけど。
「苦手ですよね」

――事件に戻りますが、いわゆる事情聴取っていうのは、逮捕の前にはなかったんですか?
「全然ありません」
――では、いきなりですか?
「いきなりです。刑事が、いきなり来たんですよ。
――連れて行かれる時は、どんな状況だったんですか?
「自分がね、午前7時頃に起きたんですよ。パジャマ姿です。玄関の方で音がするんですよ。誰だろうな、と。カーテンと鍵を開けましたら、『菅家、いる?警察だ』っていうんですよ。開けたら、ドカドカって入り込んできて。なんだこの野郎、と思ったら、『おう、そこ座りや』」って言うんですよ、刑事が。で、言われたまま、座ったわけですよ。そしたら、『お前、子ども殺したな』って言うんですよ。『子ども?! 知りませんよ』って言ったんですよ。そしたら、言った途端に肘鉄砲ですよ。自分をドーンと突き飛ばして。自分はどんとひっくり返って、ガラスが割れるわけですよ。もう少しで頭ぶつかりそうでしたよ。もしぶつかってたら、切っちゃってましたよ。
 もう1人の刑事が、ポケットから写真を出したんですよ。その写真が、真美ちゃんなんですよ。自分も、真美ちゃんの写真に見覚えがあるんですよ。その見覚えっていうのは、パチンコ屋さんの、入り口に貼ってあるのと同じなんですよ。
――情報提供を求めるポスターね?
「そうです、そうです。そうか、それと同じなんだな。と。それで、自分が疑われてるんだなって」
――じゃあ、本当に当日なんだ、自分が疑われてるってはっきり知ったのは?
「それまでは(よく分からなかった)。自分がね、『今日は保育園の先生の結婚式に行くんですよ』って言った。そしたら、『そんなの、どうでもいいんだ!』って。頭きましたよ。
――頭に来ても、反抗はできなかった…。
「ダメです。それで、今から警察いくからな、と。そのまま」
――着替えはしたんですか?
「着替えはしました。着替えてそのまま。任意同行じゃないですよ、強制ですよ」
――今は、任意同行って分かってらっしゃるけど、当時は?
「よく分からなかったですよ。今思うと、任意と強制、違いますよね。でも、当時は全然分からなくて…」
江:警察が行くと言うからには、行かないといけない、と?
「そうですよ」
――それで行ったら?
「取り調べですよ。30分位待った、中で。刑事が入ってきて、今から調べを始めるからと」
――取り調べの時に、自分が喋りたくないことは喋らなくてもいいという黙秘権は告げられました?
「それは、自分は聞いてないと思う。裁判の時は、聞いたと思う。その時は聞かなかった」
――その日は遅くまで取り調べを受けましたよね?
「今からやるからと。「お前は子どもを殺したんだな」と。自分はやってないですから、『やってませんよ!』と。『お前がやったんだ』『やってませんよ』と。それの繰り返し。一日中。それで、夕飯が終わってから、『証拠がある』と。証拠があるとしても、自分は何の事か分からないし。当時、DNA鑑定のことは自分も分からないし。刑事も知らないと思う、DNAって。『やってる』とか、『やってない』って。同じようなこと(をずっとやりとりしていた)。夜10時くらいになって、これじゃあ、自分は帰れないと。もういいや、どうにでもなれと。『はい、分かりました、自分がやりましたよ』と言ったら『おお、そうか』と。こうですよ。その日は(取り調べは)それで終わったんです」
――その自白の時に、警察の人が言うのは、菅家さんが警察官の手をとって泣き崩れたと?
「それはありました」
――その時の気持ちは?
「悔しい涙でしたよ。やったとか、やらなかったとか、そういうんじゃないですよ。悔し涙ですよ。自分はやってないのに、どうしてこんな事されなきゃならないの?って、ずーっと思ってました」
――悔しさのあまり?
「そういうことですよ。やって、泣いてたんじゃないですよ。悔し涙ですよ。本当に。だから今だったらハッキリと言いますよ、やってないと。当時は、何も分からないですから。本当に初めてで。警察というのは、市民を守ってくれると、ずっと思ってましたから。なのに『お前がやったんだ』と言われるとは思ってないし」
――お前がやったとなった後、結構細かいストーリーが出てきますよね?それはどういう風に作られた?
「事件当日、幼稚園の勤めに行ってたんですよ。送迎で。それで、実家から幼稚園まではバイクで通勤してたんですよ。それで、幼稚園の送迎が終わって、土曜日ですから、車の中を少し掃除して、実家に帰っていったわけですよ、バイクで。それで、うちへ帰ってきて、即席ラーメンですけど、食べて、バイクでなくて、自転車で行ったわけですよ、菓子屋まで。それで、菓子屋まで行ったんですけど。その日は、事件があった日なんですけど、私は自転車で行ったんですよね、菓子屋まで。その日は、自転車を使ってたんだから、自転車で、真美ちゃんを乗せたことにして、現場まで行ったことにしたんですよ。自分で作ったんですよ、それは」
――なんで、そんな話まで作っちゃったんですか?
「やはり、そういう風にね、言わないと、なかなか刑事っていうのは、なんていうんですかね、『おお、そうか』とか言ってくれないですからね。適当に、自分で、作っちゃったんです」
――作ると、刑事さんは納得するんですか?
「分からないですもん、真犯人がどうやったか。だから自分で適当に、真美ちゃんをパチンコ屋さんから、載せて、土手から下りになるんですよ。下って野球場がある。ネットの後ろいって、河川敷いって、おろして、自転車そのままにして、真美ちゃんをおろして、なんていうんですか、ムラムラっていう言葉を使って、真美ちゃんのクビ締めて殺して、抱いて、現場まで行ったと言ったんですよ。
――そのストーリーは、刑事は納得した?
「納得したというか、そうですよ」
――現場は行ったことのある場所だったんですか?
「そこはないですよ。全然」
――行ったことない場所については、想像したんですか?
「想像です。橋の上から見えるんですよ、だいたい。河川敷も見えますし。それで、自転車おいて、真美ちゃんのクビ締めて、抱いて、おいて、自分は逃げたと、と(言ったんです)」
――客観的な事実と、菅家さんのストーリーが違うときはありませんでしたか?
「それは、たまにありますね」
――そういう時は、どんな風に言われましたか
「それは、(実況見分で)。警察官と現場に行ったときに、刑事が、『真美ちゃんの死体はどこにあるんだ?』と。自分は分からないから、(適当に)『ここです』と言った。すると刑事は『違う、もうちょっと向こうだ』と言って、『ここだ』と(別の場所を示した)。それで、ここかと思った。自分は(遺体のあった場所を)分かりませんから」
――違うって、警察官が教えてくれた?
「教えてくれるんですよ、違う、ここだって」

(ここで佐藤弁護士が補足説明。「殺した場所以外は、彼の言うことで警察は納得するんです。遺体があった場所教えて貰って、あとは、彼が言う通りに調書とってるんですよ。警察も(犯人の経路や行為の詳細は)分からないし」。首の絞め方も、菅家さんが説明する通りの両手で絞める方法が調書にされた。法医学者によれば、遺体の状況からは、そうではなく、片手で絞めたと考えられるが、この時の栃木県警はそうした殺害状況にはあまりこだわらなかった。「普通は、これじゃ満足しないですよ。でもDNA鑑定があるから、もうそれで、いいんだ、と。判決でも、足りない部分はDNAが補っているんですよ」と佐藤弁護士)

――捜査の途中で弁護士さんがつきましたね。自分がやってないっていうのを、会った弁護士さんに訴えよう、というのは思いませんでしたか?
「その時は、思わなかったですよね」
――なんでかしら?弁護士さんに対して、本当の事言いたいという気持ちはなかった?
「それはありましたけど、でも、それを言うと怒られるとか、そういう風に思ってましたね」
――え、誰に?!
「弁護士に」
――え? じゃあ、弁護士はやってると思いこんでる感じ?
「そうです、そうです」
――それなのに、やってないと言ったら怒られると思った?
「そうです、そうです」
――弁護士さんについては、どんなイメージを持っていました?
「いや、イメージも何も、分からないですよ。何も知らない。弁護士という言葉も分からなかったし、検察も分からなかったし。ただ分かっていたのは警察ですよ。市民を守る。それぐらいしか分かってません」
――じゃあ、弁護士の役割って分からなかったんだ?
「全然分かりません。何も分からなかったんですよ」
――弁護士から「君を守るために来たんだ」という説明はなかった?
「全然ないですよ。だから、何も分からないですよ、自分は」
――検察と弁護士の違いも?
「全然分かりません。本当に」

佐藤「今の点は、弁護士に非常に深刻な反省を迫ってる所なんです。DNA鑑定で捕まったと報道されている中、お兄さんがなけなしのお金をはたいて、私選弁護士を頼んだんですよ。弁護士さんも犯人だと思っちゃったんですよ。それで、『菅家さん、本当にやったんですか?』って聞いたんです。そう聞かれるから、『この弁護士さんも、自分のこと犯人だと思っちゃってるな』と思って、最初はメソメソ泣いてたんですって。それでね、3回目かなんかに『やりました』って言っちゃって。それを聞いて弁護士さんも安心しちゃって、外の待ってる記者に向かって、『とうとう私の前でも自白しました、間違いありません』って言って、これで良かったと弁護士さんも思ってしまった。
 こんなおとなしい人で、(警察で)すぐ潰されちゃってるでしょ。そのうえ、弁護士の役割も分かっていない。弁護士は、よっぽど『本当のことを言っていいんだよ』って言ってあげないと、本人の心には届かないですよね。
 起訴された後、警察から拘置所に移って、家族に対して手紙が書けるようになった。弁護士には、全然真実は言えなかったんだけど、唯一、家族には、僕はやってませんと書き続けるんですよ。お兄さんは、おかしいなと思って、ある日弁護士に19通の手紙を届けるんですね。ところが、お兄さんがまた大人しい人で、弁護士さんが留守だったので、(事務所に)手紙を届けただけで帰っちゃうんですよ。弁護士さんは手紙を読みまして無実って書いてますね。ずっとやってますと認めてて、家族に無実って書いてあるの、どういう意味だった聞いたんですよ。そしたらね、菅家さんは『無実ってことは、やってないっていうことで』って言ったんですよ。『やってないって、どういう事だ、今まで言ってたことは違うのか?』って問い詰められて『はい、そうです』って泣き崩れちゃうんですよ。

――弁護士さんに最初会ったとき、どんな人でした?
「年がいった人で、なんか、怖いような印象が残ってる。だから、やってないと言うと、怒る、そういう風に思ってました」
――実際に、弁護士さんに怒られたこともありますか?
「それはないですけど、でも、やはり自分としては、気が弱いから、何言われるか分からないと思って…。本当に辛かったですよね。今ならね、絶対ハッキリ言います。当時は、何も分からないもの。弁護士とは、どういう役割。検事さんはどういう役割。当時なんか、何も知らないですもん。突然ですから、本当に分からなかった。何も分からないで…」
――裁判が始まって、法廷でも自白を維持されてましたね。裁判官に本当のことを言おうとは思いませんでしたか?
「その当時は、思わなかったんですね。どうしてかと言われると、あれなんですけど。本当にね、何にも分からないですから。ただ、怖い。それしか思ってなかったですね。当時は、刑事がいると思ってたんですよ、傍聴席に。だから、何かやだな、やだな、と思ってて。そのまま、やった風になっちゃったんですよ」
――裁判官も怖かったんですか?
「そうです、そうです。そうです。だから周りの人はみんな怖い人だと思ってましたよ」
――裁判でも犯行の状況を身振りまで混ぜてされましたよね?なんでそこまで具体的にされてた?
「やはり、そういう風に説明しないと、何ていうんですかね、怒鳴られる、怒られる、そういう気持ちだけでしたよ。だから、当時のことを思うと、今ですけど、なんで自分はハッキリものが言えなかったんだろう、そう思ってますよ、今は」
――裁判始まったとき、このままだと自分は刑務所に入れられるとか、死刑になるかもとか?
「死刑とかそういうことは、全然頭になかったですよ。全然なかった。自分はやってない、そういう気持ちでいましたから」
――被害者のご遺族が、菅家さんを極刑にして欲しいと調書の中で言っているでしょう? それを聞いて、どうでした?
「やっぱり、動揺はしましたよ。自分はやってないけど、もし死刑にされたら困るなと、その時思いましたけど、それで求刑になって、無期懲役ですよね。それで、弁護士の先生に、『無期懲役は嫌ですよ』って言ったんです。『そうか、嫌か』と。それで終わっちゃったんですよ。もう、話なんか聞くような関係じゃないですよ」
――判決で、無期懲役と言われたときは、どんな気持ちでしたか?
「冗談じゃない、と。やってないのに、なんで無期懲役だと。そう思いましたよ」

――一審の途中で一度否認をして、すぐに撤回して、その後論告・求刑の後、再び否認に転じて、以後は否認を貫いていますね。真実を言うと強い決心をしたのは、何かきっかけがあった?
「それは、支援者の方が面会に来てくれたんですよ。それからですよ。
――支援者の方っていうのは、どういう繋がりなんですか?
「繋がりはないんですよ。全く知らない人で」
――どういうところから、支援してくれるようになったんですか?
「最初、その人から手紙をもらったんですよ。手紙をもらった後に、1か月くらい先だったと思いますが、面会に来てくれたんですよ。それで、『私は絶対やってません。これからもお願いします』と頼んだ訳ですよ。それからです」
――その人の手紙を読んだり会ったりした時に、どんな気持ちになりましたか?
「『そうか。こういう人がいるんだ』と。自分は、気が強くなっちゃった訳ですよ。それまでは、誰もいないんですよ、周りには」
――信じてくれる人が?
「そうです。で、その人が来てくれたおかげで自分は、よし、これから頑張ろうと。そういう気持ちになりましたよ」
――その方が、真実はちゃんと言った方がいいですよと?
「言われましたよ。本当のことを言いなさい、と」
――信じてくれる人がいるって、違いますか?
「そうなんですよ。だから、そういう人が出てきたおかげで、自分も救われたんですよ。もし、その人が来てくれなかったら、自分は、終わりでしたよ。無期懲役のまんまで。もう、終身刑と同じですよ」
――それで、頑張ろうと思って?
「そうです」
――その後、控訴審から佐藤弁護士が着きましたよね。佐藤先生は、自分のことを信じてくれてると、感じました?
「感じました。感じましたよ。もし、佐藤先生がついてくれなかったら、今の自分はなかったですよ。釈放もありません。なにもありません。人生終わりですよ」
――佐藤先生が、最初面会に来てくれたこと、覚えていますか?
「ええ、覚えてます。この先生なら絶対俺を救ってくれるんだと、思いましたよ。ピンときましたよ。本当に」
――でも、それから15年。佐藤先生がついてくれたからと思ったけど、すんなり順調にはいかないですね。
「順調にはいかないけど、でも、私は、佐藤先生を絶対信じてましたから、本当に。本当に信じてましたよ」
――でも、高等裁判所は信じてくれなかった。高裁の判決聞いたときは、どんな気持ちでした?
「やっぱり悔しかったですよ。ふざけんな、この野郎!と思いましたよ」
佐藤「控訴棄却と言われるでしょ、そうしたら菅家さんは『裁判長』って手を挙げたんですよ。『私、やってません』って。もう判決終わりですよ。で、裁判長が、『そういう事は弁護人に相談するように』って終わっちゃった」
――裁判官には一言言わずにはおれなかった?
「そうです、そうです」
――その判決を受けた後、拘置所に戻りますよね。どうして一晩過ごしてました?
「全然眠れなかったですよ」
――悔しくて?
「そうです」
――もう、これダメかな、と思いました?
「いや、そういう事は全然考えてません。ダメかなとは、考えてません。本当にダメかな、と思ったのは一審ですよ。あの弁護士はもう、ダメだと思いましたよ」
――佐藤先生がついたあと、弁護士さんが何人かつきましたよね、みんな信じてくれました?
「信じてくれましたよ。本当ですよ、それは」
――それはやっぱり心強いですか?
「心強かったですよ。だから、まあ、今も話しましたけど、もし佐藤先生がいなかったら、今の自分は無いですよ。(涙)本当に。本当に感謝してますよ。これだけね、すごい弁護士さんいないですよ。自分はそう思いましたよ。本当に。
――いい出会いがあって良かったですね。
「そうですよ」
――それを引き合わせてくれたのは支援者の方ですよね?
「そういうことですよ。その支援者の方にも、自分は感謝してますよ。本当ですよ」

――逆に、怒っているのは、誰に対して怒っていますか?
「やっぱり、自分としては、当時の刑事、検事。この2人ですよ。それから、裁判官。この3つですね。ものすごく怒ってますね」
――謝ってほしいとおっしゃいましたね?
「ああ、その通りですよ。今もその気持ちは変わってません。今でも来てもらって、謝ってもらいたいですよ。もし、今でもね、当時の刑事が、当時の気持ちと同じでいたら、ぶん殴りますよ。殴りたい気持ちです。今、本当に。それだけ怒ってますよ、今。絶対許さない。謝りにくるまで。冗談じゃない。そのためにね、自分の親父ですよ。ショックを受けてね、亡くなったんですよ。だから、亡くなったのは誰のせいだと言いたいんですよ。刑事でしょ。だから、絶対許さないですよ。今でも。絶対許さない。(涙)そうですよ、両親ですよ。悔しながら死んでいったんです(涙)」
佐藤「ここへ来る途中ね、空を見ながら『お母さんと、前来たことがある』って」
――この辺(横浜)に?
「東京見物ですよ。当時ね、自分の母親が生きてるときに、自分と兄と、妹、兄の息子で来たんですよ。東京見物に。一緒に来たんですよ。その時の母親、喜んでくれてましたよ(涙、涙、涙)。お前ら、絶対許さないからな。絶対許すもんか(涙)。無実の人間をね、今日まで苦しめてきたんですよ、あの刑事たちは。それも何の話もないんですよ。謝罪もないんですよ。一生許さないですよ、私は。だから、当時の刑事がね、私の家庭をめちゃめちゃにしたんだから……」
――これから、再審やったり、国賠請求やったりすると思うんですけど、これからどうやって生活していきたい?
「自分としては、地元へ帰りたいです。免許証もありますよ。当時、次の年、免許証書き換えの時期だったんですよ。それができなくなっちゃったんですよ」
――でも、帰るのは、なかなか簡単じゃない?
「簡単じゃないですよ」
――一度犯人にされちゃうと、その後…
「大変ですよ、本当に。本当に。もう」
――足利に帰れたら、どんな生活しますか?
「静かに生活したいですよ。またですね、子どもたちの相手をして、送迎をやりたいなー、という気持ちがありますよ」
――子ども、好きなんですね。
「当時の子どもがもう、30いくつになってるんですよ。また会いたいなと思いますよ。
――テレビきっと見てますよ。
「絶対見てますよ。当時の子どもが私のこと『やってない、やってない』って言ってくれていたらしいんですよ。自分はね、(それを聞いて)本当に嬉しかったですよ、だから今ね、30すぎて、どうしてるかなーと思って。会いたいと思ってるんですよ。まあ、それと(会いたいのは)保育園の先生ですね」
――今となっては、もう時効で、被害者のご両親は、真犯人に対して「子どもを返して」と叫ぶことさえできなくなってしまいました
「だから、自分としては、時効、これがあっては絶対ダメだと思ってるんですよ」
――真美ちゃんたちのご両親のことを思うこともありますか?
「あります、あります。だからね、自分は、真美ちゃんの両親に会いに行って、話したいんですよ。本当に」
――ありがとうございました。

(2009年6月7日 横浜市の佐藤弁護士の自宅で)

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