足利事件3 誰に最も責任があるか

2009年06月16日

 それにしても、この事件で警察や検察以上に責めを負うべき人たちが、責任を認めるわけでもなければ、謝罪するわけでもないことに、とても疑問を感じている。
 冤罪が明らかになると、メディアでも警察や検察が厳しく批判される。それは当然としても、それ以上に批判されて然るべき人たちに対しては、あまり批判がなされない。それどころか、冤罪の被害者を救ったかのような扱いをされることすらある。
 私が冤罪事件で最も責めを負うべきだと思うのは、裁判官である。今回の事件で言えば、とりわけ菅家さんの上告を棄却し、無期懲役刑を確定させてしまった最高裁の裁判官たちだ。具体的に言うと、亀山継夫裁判長と、河合伸一、福田博、北川弘治、梶谷玄ら4裁判官である。
 弁護団は、最高裁の段階で菅家さんの髪の毛を使って独自のDNA鑑定を行った。その結果が科警研の鑑定と違っていることから、再鑑定を請求すると共に、鑑定試料(被害者の衣服)を適切に保存するよう要請した。
 ところが、再三にわたる弁護側の請求を最高裁は無視し続け、上告から5年半後に菅家さんの無実の訴えを退けた。最初の上申書が出されたのは1997年10月で、菅家さんの逮捕からは5年10ヶ月後だ。この時に、再鑑定を行っていれば、もっと早くに菅家さんの無実は明らかになった。菅家さんの失われた17年半のうち、少なくとも11年間は最高裁の5人の裁判官(及び調査官)の責任だ。
 また、上申書が出された時期は、事件発生から7年5ヶ月後で、また公訴時効まで7年半あまりの時間があった。この時点で捜査をやり直せば、真犯人を逮捕する可能性はあったのだ。その点では、被害者に対しても、最高裁は大きな責任を負っている。
 一部報道で、最高裁の関係者が「当時としてはベストのベストを尽くした結果」と述べていると報じられたが、とんでもない話だ。
 最高裁を擁護する意見として、「事実審は高裁までであって、最高裁は法令違反や判例違反を審理する所だから」というものがある。しかし、最高裁が事実について判断してはならない、という決まりがあるはずがない。実際、この4月には、電車内の痴漢事件で罪に問われた防衛大学校の教授が1審2審と有罪判決を受けていたのを、最高裁が破棄して、無罪を自判した。下級審の事実誤認を、最高裁が訂正しただけでなく、早く被告人の座から解放するために、高裁に差し戻すのではなく、自ら判断をしたのだった。私が以前取材したひき逃げ事件でも、同じように1、2審の有罪判決を最高裁が破棄して自ら無罪判決を出していた。
 再鑑定をして自ら事実を判断するのが嫌なら(そういう横着者は、そもそも裁判官にならないでもらいたいが)、高裁に事件を差し戻し、高裁で再鑑定など事実に関する吟味をもう一度行うように命じることだってできた。
 菅家さんを裁いた最高裁の5裁判官は、いずれの道もとらず、しかも被害者の衣服を冷凍保存するなどして、付着した犯人のDNAが破壊しないように努めることすらしなかった。幸いなことに、今回の再鑑定では、無事DNAが完全な形で検出できたからよかったようなものの、そうでなければ、菅家さんの無実を証明するのは難しかっただろう。
 亀山裁判長ら最高裁の裁判官たちは、事実に対する謙虚さに欠け、事実を知ろうという好奇心すら希薄で、その怠慢により無実の人を刑務所に送り込んでしまったのだ。
 
 有罪判決が確定から1年5ヶ月して、菅家さんは宇都宮地裁に再審を請求した。
 この再審請求審で、ようやく被害者の衣服が冷凍保存されることになった。しかし、弁護側が行った再鑑定について、「鑑定に使った毛髪が菅家さんのものである証明がない」として証拠価値を認めず、結局5年2ヶ月近くの歳月をかけて、棄却決定が出された。
 弁護側の再鑑定に使われた髪の毛は、菅家さんが自ら引き抜いて、弁護人への手紙の中に同封したものだ。そういう手法を取らざるをえなかったのは、拘置所・刑務所では、弁護人は面会室でアクリル板越しに会うしかなく、直接の受け渡しができないからだ。もし、鑑定に使われた髪の毛が菅家さんのものではない可能性があると考えるのであれば、裁判所自ら髪の毛を採取して、鑑定を行うようにすればよいのだ。やるべきことをやらずにいた宇都宮地裁も、真実発見に対する姿勢があまりにも薄弱であり怠慢であったと言わざるをえない。 
 結局、最高裁と再審請求の宇都宮地裁で、9年以上の歳月が無駄に費やされたのだ。その間に、事件は公訴時効を迎えた。いったいこの責任は誰が取るのだろうか。
 
 再審請求の宇都宮地裁の裁判官たちにとっては、最高裁の判断と”法的安定性”が、菅家さんの人生や人権、真実を発見することよりも大きかったのだろう。
 確定判決を死守し、めったなことでは改めないことが、司法の信頼につながると多くの裁判官たちは信じているらしい。そういう裁判官たちにとっては、再審を開いて、過去の裁判の過ちを正すことは、裁判所の沽券や面子にかかわることなのだろう。だから、事実を知る努力をするより、どうしたら再審を開かずに済ませられるかが先に立つ。
 今回の事件は、不幸中の幸いで、東京高裁の段階で再鑑定が行われ、菅家さんの無実が明らかになったが、名張毒ブドウ酒事件などでは、有罪を支えた物的証拠がすべて崩れた後になっても、「まだ、捜査段階の自白があるじゃないか」と、再審を認めてもらえない。
 この現実を考えると、再審請求審こそ、国民の司法参加が必要ではないか、と思う。
 一般市民であれば、先輩裁判官に対する遠慮やしがらみはない。”法的安定性”より、事実や人の人生の方を大事に考えるだろう。再審請求が行われるような事件は、発生から時間が経過しており、事件の衝撃や怒りなどの感情も落ち着いて、一般市民も冷静な目で判断できるはずだ。
 そう考えると、一審を裁判員でやるより、むしろ再審請求審の方が、市民が参加する意義やメリットは大きい。
 検察審査会のように、一般市民が法律家などの専門家の助言を受けて判断した方が、最高裁の”権威”や裁判所の面子にとらわらず、まっとうな判断ができるのではないか、と思う。せめて、裁判官だけでなく、それ以上の数の一般市民が加わって判断をする裁判員方式とすべきだ。
 
 それに、そもそも警察の捜査員は自白にこだわるのは、自白調書を裁判所が安易に証拠採用してきた、長い慣例があるからだ。
 無理な取り調べを生む土壌は、裁判所が作り上げてきた、とも言えるのではないか。
 判決だけではない。裁判所は、捜査機関から請求があればホイホイ逮捕状や勾留状や捜索令状を出している。人権の砦であるべき裁判所が、その役割を果さないことが、多くの冤罪を生んでいる。
 なのに、裁判所にはその自覚がなさすぎる。
 
 富山の冤罪では、再審が開かれたが、その公判で裁判長が「被告人、前に出なさい」と命令する偉そうな態度をとっているのを傍聴席から見ていて、怒りがこみ上げてきた。
 自分たちの先輩が、一人の人間の人生をめちゃめちゃにしたという自覚も反省も謝罪も、まるでないのだ。
 誤ったら謝る――子どもにも分かる、こんな当たり前のことを、改めて裁判官に説かなくてはならないのは淋しい限りだが、間違ったら誠実に謝ってこそ、国民の裁判所に対する信頼は取り戻せることを、よくよく認識してもらいたい。

 そこで思い出すのは、吉田巌窟王事件と呼ばれる冤罪事件の再審判決だ。大正時代に起きた強盗殺人事件で、犯人の二人が自分たちの責任を軽くするために第三者を主犯にでっち上げる供述を行ったことから、吉田石松さんが逮捕された。一審は死刑だったが、二審は無期懲役となり、最高裁で確定した。事件発生から22年後に仮出所してから、自分を罪に陥れた男たちを探し出し、再審請求を重ね、事件から約50年後に、ついに再審を勝ち取った。
 名古屋高裁で行われた再審で無罪が言い渡された。その判決文を、小林登一裁判長は、次のように結んでいる。
 
「当裁判所は、被告人、否、ここでは被告人というに忍びず、吉田翁と呼ぼう、われわれの先輩が翁に対しておかした過誤を、ひたすら陳謝すると共に、実に半世紀の久しきに亘り、よくあらゆる迫害にたえ、自己の無実を叫び続けてきたその崇高なる態度、その不撓不屈の正に驚嘆すべき精神力、生命力に対して、深甚なる経緯を表しつつ、翁の余生に幸多からんことを祈念する次第である」
 
 そして小林裁判長は、左右の陪席裁判官を促して、裁判官席から被告人席の吉田氏に頭を下げた、という。
 検察側は上告を断念し、無罪が確定。だが吉田氏は、それから1年もしないうちに亡くなった。まさに雪冤のための人生となってしまった。さぞかし悔しかったことだろうと思うが、裁判官たちの謝罪があったことで、少しは報われた気持ちになったのではないだろうか。
 
 果たして、菅家さんの再審請求審や再審で裁判官たちはどういう対応をするのだろうか。 そこに、私は注目したい。
 
 
 さらに、一審を担当した弁護人の責任も大きい。
 公判中、面会にもほとんど行っていないようだし、菅家さんが勇気をふるって無実を訴えた時に、それを再び引っ込めてしまったのは、弁護士に諭されたからだったという。
 富山事件でも、弁護士が弁護人としての職責をきちんと果たさなかったことが指摘されている。
 足利事件も、一審での弁護活動がもう少しまともになされていれば、菅家さんが服役するような事態は避けられたかもしれない。
 未だに当時の弁護人から謝罪の言葉は出ていないようである。この問題について、弁護士会はどう取り組むのかについても、合わせて注目していたい。 

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