タブー化する拉致問題〜田原総一朗氏への提訴

2009年07月16日

 ジャーナリストの田原総一朗さんがテレビ朝日の『朝まで生テレビ』で拉致被害者の横田めぐみさんと有本恵子さんに関して「生きていない」などと発言した問題で、有本さんの両親が、田原さんに1000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしたそうだ。
 私は、この番組を見ていなかったので、田原さんの発言の詳細を聞いていない。ただ、報道された通りだとすると、田原さん自身も認めているように、かなり「乱暴」で無神経な言い方だったと思う。その後、田原さんが書かれたものを読んでみると、大切な問題を提起しようとされたようだが、番組ではかなり説明不足だったに違いない(これも、田原さん自身が認めている)。ゲストに対していささか挑発的な問いかけをして議論を盛り上げる癖が出て、必要以上に極端な言い回しになったのかもしれない。もう少し具体的に根拠を示して、誤解を招かないように、田原さんの問題提起の意図を説明すべきだった。
 田原さんは不快な思いをさせたことについて謝罪したが、有本さん側は納得せず、NHKと民放でつくる放送倫理・番組向上機構(BPO)に申し立て、さらに今回の提訴に至った。
 テレビでは、短くてインパクトのある発言がよしとされる傾向にあるが、それがこんな風に、当事者の感情を傷つける場合があることを、この業界に関わる者は、よくよく自覚しなければならない、と思う。私も、生番組でコメンテーターをしていて、言い過ぎたり、逆に舌足らずだったり、あるいは言葉の選択が不適切だったりして、後からとても悔やむことがある。心したいと思う。
 
 ただ、今回の提訴に関しては、私は大いに疑問を感じ、その影響を案じている。
 産経新聞の報道によれば、有本夫妻は「発言自体が著しく感情を害したうえ、虚偽をテレビで全国に伝えており、違法性が高い」と訴えに及んだという。
 娘が生きていることを信じ、救出運動に取り組んでいる有本さんの両親が、感情を害されたのは理解できる。けれども、田原さんが述べたことは「虚偽」と決めつけることは、どうなのだろうか。
 北朝鮮は、2002年9月に小泉首相が訪朝した際に、拉致被害者5人の生存と8人の死亡を伝えてきた。その後、詳しい状況説明を日本側が求めたのに対して、たとえば有本さんに関しては、次のような説明がなされている。
 石岡亨さんと結婚後の1988年11月4日夜、煕川市の招待所で、就寝中に暖房用の石炭ガス中毒で一人娘とともに死亡。遺骨は煕川市平院洞に埋葬されたが、95年8月中旬の大洪水による土砂崩れで流出し、不明になった。
 小泉訪朝の時、北朝鮮側は日本が拉致被害者として認識していなかった曽我ひとみさんの情報を出してきた。北朝鮮側は、拉致を認めて謝罪をすれば日本側は納得して、国交正常化の交渉に入ることができると考えていたようだ。早く問題を一段落させたい北朝鮮が、生きている人を死んだことにする意味は、あまりないように思える。
 その一方で、大韓航空機爆破事件の金賢姫に日本語を教えたと思われる田口八重子さんなどは、北朝鮮側としては日本に帰したくない被害者だろう。田口さんが証言をすれば、金賢姫の証言が裏付けられ、事件への関与を否定する北朝鮮の立場が苦しくなるからだ。同じように北朝鮮の弱みを知っている人は、生きているのに死んだことにされて日本人と接触させないようにしているかもしれない。あるいは、事故死や病死ではなく、口封じで殺害された可能性もないとは言えないだろう。
 公開された情報を見る限り、生存に関しては楽観できないものの、北朝鮮側の説明を裏付ける客観的証拠もない、という状態。生きていると言い切ることはできないが、亡くなったと断言もできない。
 なので、田原さんが独自の取材によって、死亡したと受け止めたからといって、「虚偽」と決めつけるのは、無理があるのではないか。いろいろな角度から情報を持ち寄り、議論をすることが、事件の真相に近づくには大切なはずなのに、今回の訴訟は、家族会の意向に反する情報は「虚偽」であり発信してはならない、と訴えているに等しい。「虚偽」をテレビで公言していたと決めつけるのは、田原さんのジャーナリストとしての名誉にもかかわる。その辺を、有本さんの代理人弁護士はどう判断したのだろうか。
 
 田原さんは、今回の発言をする以前に外務省関係者を取材した内容を、次のように書いている。
 
<拉致被害者家族をはじめとして日本の世論は、8人の拉致被害者が生きていることを前提にする交渉しか認めない。これでは本格的交渉はできないというのだ。
 実際に、北朝鮮側が日本に「8人の被害者は生きていないけれども、それ以外に複数の日本人被害者が生きていて、彼らを帰国させたい。もし、それをやれば、日本の北朝鮮に対する感情は良くなるのか。もし良くなるのならやりたい。良くなるのかどうかを外務省で調べてほしい」と依頼してきたという。そして外務省は調査を行ったが、「良くはならない、むしろ悪くなる」という結果が出て、北朝鮮にそれを伝えたら、帰国させたいという申し出が沙汰止みになったというのだ>(日経BPnetより)
 
 「世論」に押されて、きちんとした交渉ができない外務省はだらしない、と田原さんは叱咤する。
 その通りだと思う。
 ただ、「だらしない」のは、外務省だけだろうか。
 
 2002年から4年にかけて、拉致問題に関する北朝鮮当局の見立てはこうだっただろう。
 』巴廚鯒Г瓩銅婪瓩掘安否を明らかにすれば、日本国民は納得する
 ∪限玄圓魄貉帰国させれば、これで日本国民は納得する
 生存者の家族を日本に送れば、日本国民は納得する
 せ猖桓圓琉箙を返せば、日本国民は納得する
 北朝鮮が勝手に思い込んだのではなく、外務省も、いずれかの段階で拉致問題には一区切りをつけて、次のステップに進むことができると考えていたのではないか。
 いずれにしろ、どれも見立てはすべて外れた。日本の中では、北朝鮮に対する憤りと被害者への同情が高まっていった。
 決定的だったのは、「横田めぐみさんの遺骨」問題だ。
 「遺骨」は、2004年11月に日本に引き渡され、警察庁科学警察研究所、東京歯科大学、帝京大学の3か所で鑑定が行われた。このうち帝京大学では、遺骨のDNA鑑定に成功したとして、結果を政府に報告した。
 報告されたのは、,瓩阿澆気鵑裡庁裡舛聾―个気譴覆った△瓩阿澆気鵑箸楼曚覆訖擁2人のDNAを検出した――という内容だったようだ。
 これを受けて細田官房長官は、次のように発表した。
 
遺骨は横田めぐみさんのものではないという結論が出た。今回の北朝鮮側の調査結果で非常に核心的な部分でもあるし、先方の調査が真実でなかったと断じざるを得ない。きわめて遺憾だ」

 日本国民は憤慨した。メディアも、その怒りの激しさを競うようにして、北朝鮮を非難した。
 
 ところが、2ヶ月後にイギリスの科学雑誌『ネイチャー』が、この鑑定に疑義を呈した。執筆者の同誌東京特派員のデイビッド・シラノスキー記者は、1200度もの高温で焼かれた骨からDNAが検出されたことに疑問を投げかけたうえで、鑑定を行った吉井富夫・帝京大医学部講師(当時)の「私も(検出されたことに)実に驚いた」という言葉を紹介しつつ、次のように書いた。

吉井講師は、今回の鑑定が確定的なものではないこと、そして鑑定試料に他人のDNAが混ざり込んでいる可能性があることを認めた。「試料の骨は硬いスポンジのような状態で、いろんなものがしみ込んでしまう可能性があります。この骨を扱った誰かの汗や脂を吸い取ってしまえば、どうやっても取り除くことはできません」と吉井講師は述べた。
(中略)複数の日本政府高官は問題のDNAは再検査したいと述べているが、吉井講師は試料は最大で1・5グラムほどしかなく、5つとも鑑定のために使い切ってしまった、と言う。日本と北朝鮮側の意見の対立が解消する見込みはなさそうだ>(同誌05年2月3日号)
 
 鑑定を行った吉井講師自身が、「遺骨は別人のもの」とは結論づけていないのだ。なのに、どの段階で「別人のもの」という結論にすり替わってしまったのだろうか
 日本政府は『ネイチャー』誌の指摘に反発し、再鑑定を行うことを否定。これに対して、『ネイチャー』誌は、3月17日号で次のような批判を行った。
 
<日本の政治家は、いかに不愉快であっても、科学的な不確かさを直視しなければならない。北朝鮮と戦うには外交的な手段を用いるべきであって、そのために科学の倫理を犠牲にしてはならない。(中略)日本が、北朝鮮の発言をいちいち疑ってかかるのはもっともだ。しかし、このDNA鑑定の解釈については、政治の干渉から自由であるべき科学の領域に、政治が立ち入ってしまっている。(中略)遺骨に他人のDNAが混入している可能性があることは、逃れようもない事実である。この悲惨な出来事の中で、この骨がどこをどう辿ってきたかなど、誰が知るだろう。北朝鮮によれば、遺体は2年間埋められ、その後掘り起こされて1200度で焼かれ、夫の家で保管されていた。日本に引き渡されたのは、その後なのだ。北朝鮮の説明が虚偽である可能性は大いにある。しかし日本が根拠にしているDNA鑑定では、遺骨が誰のものかを解決できない。問題は科学的方法にあるのではなく、もっぱら政治が科学的領域に首を突っ込んでいるところにある。科学というものは、実験については、そこで生じた疑問点や問題を含めて、すべて明らかにして精査されるべき、という前提の上に成り立っている。日本の複数の科学者が、この鑑定はもっと大きなチームでやるべきであったと述べているが、これは実にもっともである。なぜ日本政府は、一人の学者が自分だけで鑑定を行うのに任せてしまったのか>
 
 つまり、日本政府は政治的な目的のために、科学的事実を犠牲にしていると、この科学誌は指摘するのだ。
 
 さらに問題は、政府の発表には科学的根拠がなく、重大な疑義が生じていることを、国民の多くが知らされていない、ということだ。
 『ネイチャー』誌の最初の記事が出た後、細田官房長官は、吉井氏が「(記事は)単なる電話インタビュー。きわめて不十分で言っていないことも書かれた」と語っていると説明。記事は不正確だと反論した。ところが吉井氏は、自身の口で国会やメディアの取材で発言をすることはないまま、大学から姿を隠した。
 なんと吉井氏は、いつの間にか警視庁科学捜査研究所の法医科長に就任していたのだ。複数のジャーナリストが吉井氏に接触を試みたが、警察が盾となり、インタビューは実現していない。『ネイチャー』誌は、この問題に関する第3弾として、吉井氏の突然の「転職」が「日本の拉致問題の解明を阻害する」と断じた。
 日本のメディアでは、遺骨鑑定の科学性に疑問を呈されていることは、あまり報じられていない(『ネイチャー』誌についても、日本語で出版されているダイジェスト版には、この問題についての記事は載っていなかった)。データベースで新聞各紙を調べてみたが、報じられても、内側のページに目立たぬようにひっそりと掲載されているだけ。一面に大見出しで「遺骨、めぐみさんと別人」と断定したとのは、大きな違いだ。
 なので、「遺骨」は「別人のもの」「偽物」と科学的に断定されたと信じている人が、ほとんどなのではないだろうか。
 
 人の生死に関わる問題に報道が慎重になるのは当然だ。しかし、外交に重大な影響を及ぼす事実や政府の判断について検証するのは、メディアの重要な役割のはずだ。なのに日本のメディアがその役割を果たさずにいる状況について、ニューヨーク・タイムズ紙東京支局長のノリミツ・オオニシ記者は同紙の系列紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙2005年6月2日付で、次のように伝えている。
 
<半年前、日本政府が北朝鮮はわざと偽の遺骨を引き渡したと発表した時に、日本国民の北朝鮮に対する怒りは沸点に達した。日本政府が真相を包み隠さず述べているかどうか疑問が浮かんでいるのに、日本政府はこの問題をきちんと説明してこなかった。それどころか、ナショナリズムが日本社会で高揚していく中、政府の北朝鮮に対する政策について疑問を呈することもタブーとなってきており、日本のメディアはほとんどこの問題を無視している>

 横田さん夫妻への同情や共感、北朝鮮への不信と怒りが渾然一体となって、「遺骨」が本物である可能性を論じることが憚られる雰囲気が日本中を覆っている。政治家もメディアも、こうした「世論」を気にして、鑑定に問題がある可能性を議論することもできないし、「遺骨」が本物である事態にした対策を話し合うこともできないでいる。
 感情が理性を凌駕し、拉致問題はタブーと化している。被害者家族の意向に反する報道や議論ができにくく、人々は冷静な判断をする材料を得られない。メディアも政治家も、被害者家族をおもんぱかって慎重になっているというより、「世論」(=視聴率や支持率)の反発を恐れて、報じるべきこと、やるべきことから逃げてはいないだろうか。特にメディアの場合、被害者家族は取材対象でもあるから、関係を悪くして取材拒否にあいたくない、という気持ちもあるだろう。その結果、家族の意向に沿う報道だけしか報じられなくなり、「世論」をますます特定の方向に導く悪循環に陥っているような気がする。
 外務省を「だらしない」と叱咤するなら、その言葉は、政治家やメディアにも向けられなければならない。
 しかも、5人の生存者の帰国やその家族を取り戻すのに尽力した外交官は、むしろ「売国奴」だの「北朝鮮のスパイ」だの「土下座外交の戦犯」だのと激しいバッシングを受け、挙げ句に自宅に爆弾を仕掛けられた。しかも、暴力を非難するより、石原都知事などのように、「爆弾を仕掛けられて当たり前」と発言まで飛び出す始末。こうした暴言は、厳しく諫められずに垂れ流され、新たな外務省批判の材料になった。
 外務省の肩を持つ気はさらさらないし、こういう反発の中でも、国益を考えて果敢に行動してこそ、真の外交官なのだろう。
 けれども、彼らを「だらしない」と叩く資格が、メディアの人間にあるのかな、という気はする。
 
 先日、以前拉致被害者の家族会で事務局長を務めていた蓮池透さんに話を伺う機会があった。その際、蓮池さんはこう語っていた。
日本がこういう世相だと、北朝鮮は本当のことを語らないのではないか。万が一亡くなっている人がいても、それを言えば、『また嘘をついている』と決めつけられるのなら、言わないだろう。それでは、いつまで経っても今の状況は変わらない。交渉で、相手に真実を語らせる努力をしていかなければならない。真実であれば、あらゆることを日本は受け入れるという状況にしなければ、事態はなかなか前進しない
 本当にその通りだと思う。
 
 だからこそ、メディアや外交官や政治家たちの中で、「家族会の意向の反することはやめておいた方が無難だ」という風潮が、これまで以上に広まっていくことを心配する。今回の提訴をきっかけに、事なかれ主義がさらに蔓延していけば、拉致問題のタブー化は進み、北朝鮮に真実を語らせる日はいよいよ遠のいてしまう
 少なくともメディアに関しては、被害者や家族への配慮は必要だが、何よりも、多様な言論や様々な角度からのレポートによって、真実に近づく努力をしていくことが、最大の使命であることを、私自身もしっかりと自覚したい。

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