全面可視化を急げ

2010年02月14日

 冤罪・足利事件の再審は、検察官による無罪の論告、弁護人による弁論が行われ、審理は終結した。
 この再審では、検察側が当初から無罪の論告を行うことを明らかにしていたが、裁判所がある程度は菅家利和さんの求めに応じる形で、DNA鑑定を行った警察庁科学捜査研究所の責任者や菅家さんの取り調べを担当した元検察官が証言するなど、実質的な審理も行われた。再審公判の前には、別件での取り調べを記録したテープが弁護団に開示され、その一部は法廷で再生された。
 富山県で無実の男性が強姦事件の犯人として有罪とされ、服役した後に真犯人が見つかった事件の再審では、裁判所は「なぜ自分が犯人とされたのか知りたい」という男性の求めを拒否。警察官や検察官の証人尋問はせず、事務的に裁判を終わらせてしまったことを考えれば、今回の宇都宮地裁の対応は、画期的と言える。
 冤罪の被害者が、なぜ自分が犯人とされたのかを知りたいと思うのは当然だ。それに、捜査や裁判の問題点が公開の法廷で明らかになれば、そこから得られる教訓を社会が共有することができる。

 検察側の対応も、前例のないものだった。論告に付け加えて、「真犯人ではない菅家さんを起訴し、17年あまりの長期間服役を余儀なくさせ、取り返しのつかない事態になりましたことを、誠に申し訳なく思っております」と謝罪。3人の検察官が揃って頭を下げた。法廷という公開の場で謝罪をしたことは、評価できる。
 しかし、どうも釈然としない。というのは、この20日ほど前の記者会見で、宇都宮地検の高崎秀雄次席検事は、菅家さんを有罪に追い込んだDNA鑑定や虚偽の自白を引きだした取り調べ方法について、「特に何か問題があったとは思っていない」と強調していたのだ。
 となると、法廷で検察は何を謝ったのだろう
 記者会見の際、高橋次席は次のようにも語っている。
「結果的であれ、真実に反する自白を見抜けなかったのはなぜなのか「われわれは真実を解明するために捜査し取り調べをしている。その責務を果たせなかった。反省しなくてはいけない」
 取り調べの方法に問題はなかったのに、菅家さんが勝手に、自発的に「自分が犯人です」と嘘の供述をし、それが見抜けなかったということを、「誠に申し訳なく思って」いる、とでも言うのだろうか。これが検察の「謝罪」の趣旨だとすれば、相当に菅家さんをバカにした話ではないか。
 謝罪したり、責任を否定したり、また謝罪したり……司法が17年半もの間、無実の人に殺人犯の汚名を着せて自由を奪ったことの重みを、どれだけ認識しているのかと、問いたくなる。菅家さんが「物足りない」と言うのは、けだし当然だ。

 ところで、公判廷で再生されたテープは、本件(真実ちゃん事件)が起訴された後に、別の幼女殺害事件2件について菅家さんが取り調べられた時のもの。取り調べを行った森川大司・元検事が録音していた。
 各メディアに報じられていたテープの文字起こしなどを読むと、この取り調べの最中に、本件を否認した菅家さんに対し、森川検事(当時)が繰り返し「本当のこと」を言うように説得するなど、執拗な取り調べで、再び「自白」に追い込まれていく課程が、生々しく記録されていることが分かる。
 ただ、無実の人が「自白」をさせられるからには、さぞかし荒々しい言葉が発せられているだろうと考えていた人たちには、ちょっと拍子抜けだったかもしれない。というのは、取り調べは執拗ではあっても暴力的ではなく、森川検事の口調も乱暴ではないからだ。
 にも関わらず、なぜ菅家さんはやってもいない殺人事件を「自白」してしまったのか。
 
 法廷で再生されたテープで一番時期が早いものは、1992年1月28日だ。菅家さんが本件で警察に拘束されてから59日目。真実ちゃん事件では、すでに起訴されていた。問題は、この日までの約2ヶ月の間に、何がなされ、菅家さんがどういう状態だったのか、だ。
 菅家さんは、早朝に自宅から警察署に無理矢理連れて行かれ、暴力や恫喝をもって自白を迫られたと述べている。形の上では、任意同行であり、任意の事情聴取だが、実際は強制だった。いくら否認しても聞いてもらえず、怒鳴りあげられるだけ。そうした取り調べが深夜まで続いた。気の弱い菅家さんは、すっかり怯え、絶望感にうちひしがれて、泣きながら「自白」をした。
 その後の取り調べで、犯行の詳細を聞かれたが、犯人でない菅家さんには分からない。それでも供述を迫られ、仕方なく想像で話を作って述べた。どうしても話が作れなかったり、証拠と矛盾してしまった場合は、捜査員がヒントをくれた。そうして捜査員が望むような供述をしている限り、怒鳴られることもなく、取り調べは平穏だった。
 このように捜査官の求めに応じることで、その日その日をなんとかやり過ごしていた菅家さんは、本件の「真実ちゃん事件」だけでなく、その11年前に起きた「万弥ちゃん事件」、5年半前の「有美ちゃん事件」についても、警察で「自白」をした。
 それでも、検察官の前で、1度は思い切って否認をした。森川検事は、万弥ちゃん事件や有美ちゃん事件については、「やっていない」という菅家さんの訴えに耳を傾けるかに見えた。しかし、本件である真実ちゃん事件に関しては、「DNA鑑定で、君の精液と一致する精液があるんだよ」「違うって言ったってさ、君と同じ精液を持ってる人が何人いると思ってんの?」と取り合わず、「本当のこと」を言うように迫るばかりだった。泣きながら「勘弁してください」と訴えた菅家さんの絶望感は、いかばかりだっただろう。
 森川検事にとって、菅家さんが真実ちゃん事件の犯人であるというのが「本当のこと」だった。いくら穏やかな口調であったとしても、それ以外の事実は一切受け入れないという森川検事の強い意思が、菅家さんを再び深く絶望させたに違いない。
 テープに残された取り調べを受けた時の菅家さんの心理状態は、このように、任意同行された時点からの捜査課程を知らなければ、察することすらできない。
 ところが、真実ちゃん事件で取り調べを受けている間は、警察でも検察でも録音や録画がされていない。なので、どのような取り調べが行われ、菅家さんがどのようにして虚偽の自白に追い込まれていったのかは、客観的に検証できない。

 今は、DNA鑑定の結果、菅家さんが無実だということは、皆が分かっている。検事の取り調べで、いったん否認した菅家さんがわりと短期間に再自白となっているのを知っても、菅家さんを疑う人はいないだろう。
 しかし、一審の段階で、検察側が「DNA鑑定の結果、菅家さんが犯人の可能性が極めて高い」と主張している時に、この取り調べテープを聴かされたらどうだろうか。
 菅家さんの態度が曖昧に思え、「犯人なのに、処罰を免れたくて、煮え切らない態度をとっている」と思う人がいても、不思議ではないのではないか。「真犯人でないのなら、もっと頑強に否認するはず」と考えてしまう人もいるのではないか。
 絶望のあまり、自分を防御する力も失われた状態になってからの取り調べだけを録音録画しても、自白に本当に任意性や信用性があるのか、判断することは難しいと思う。
 
 菅家さんの事件では、なぜか万弥ちゃん事件の警察での取り調べテープが一部残っている。身柄を拘束されてから20日後、本件である真実ちゃん事件の取り調べは終了し、起訴される前日の取り調べだ。そこには、取り調べの警部に誘導されながら菅家さんが供述を進める様子が収められている。
 たとえば、発見された時に万弥ちゃんの遺体は手足がビニールひもで縛られていたが、その事情を説明する場面。
 
――万弥の体を何したっけ? ビニールで何? ひもは何に使ったんだい
「ひも、あのう」
――万弥ちゃんの死体にどうしたんだい、ひもを?
「……くるむようにですか」
――ひもは縛るだんべ
「あ、そうです」
――万弥ちゃんの体をひもで縛ったっつんか
「はい、縛ったということです」

 この遺体は黒いビニール袋に入れられ、さらにリュックサックに詰められた状態で発見されている。捜査員は、それに見合う供述を菅家さんから引きだそうと、懸命に誘導している。
 
――で、その大きいビニール袋は何かにまた入れたのか
「……自分は、あのう……ビニール入れまして」
――うん
「そうすっと、あのう、普通はよく透き通って」
――透き通って、中身が見えないビニール袋に入れたんだろ
「はい」
――うん、その後、万弥ちゃんが入ったビニール袋を何かに入れたんか? カバンか何かに?
「……」
――風呂敷に包むとか、何かしたんか
「ビニール入れまして……そのビニールをよくあのう、はっきりとは、透き通るとか……」
――うん、だから、中身が見えないビニール袋に入れたんだよ
「はい」
――その入れたビニール袋を、そのままじゃなくて、何か
――(別の捜査員)箱ん中に入れたとか
――ビニールを。この包んだね
「はい」
――包んだっつか、こういう袋入れたでしょ
「はい」
――さらに何かに入れたんじゃないかって聞いてんだよ。何も入れねえのかって、そのビニールしか
「……自分は、なんか、ビニールでして」
(テープ反訳は毎日新聞より)

 捜査員は、中身が分からないようにするためには、普通はビニール袋だけで持ち歩かないのだから、何に入れたのだと言って、菅家さんを追及する。けれども何かに詰めたのかが分からない菅家さんは、返答に窮する。
 休憩をはさんで、やりとりが続いた挙げ句、菅家さんは小声で「リックですか」と尋ねる。すると、捜査員は「うん、リック」と応じて、「リックちゅうのはさ、どこにあったんだよ」「おめーの家にリックはねえんか」と話を進めている。
 おそらく、足利事件についても、同じような取り調べが行われ、菅家さんの「自白」は作られていったのだろう。
 「自白」の任意性や信用性を判断するには、そういうプロセスが大事だ。
 ところが、警察や検察は捜査過程の可視化に反対し、もし実施するにしても、取り調べが事実上完成した後に録音や録画を採る「一部可視化」にすべきだと主張している。つまり、被疑者が絶望しきって、抵抗力を失い、捜査官との会話の中で作られたストーリーをすっかり覚え込み、すらすらと虚偽の「自白」ができるようになってから録音録画を行うべし、というのだ。
 それで、果たして誤判を防ぐことができるだろうか。菅家さんのテープを見る限り、一部可視化は、かえって冤罪を生み出すことにもなりかねないのではないか、と危惧する。冤罪を防ぐためには、可視化は、任意の時点から始め、被疑者に対する取り調べの過程をすべて対象とすべきだ。
 
 菅家さんが有罪判決を受けた当時は、職業裁判官のみによって行われる裁判だった。なので、菅家さんは、裁判所にも謝罪を求めている。
 しかし今は、殺人などの重大事件は、一般市民が裁判員として判決に加わる。判断を間違えば、私たちが冤罪を作って、他人の一生を台無しにする加害者になってしまうかもしれない。そんなことになれば、裁判員として有罪判決に関わった人たちは、負い目や深い心の傷を負うだろう。
 そのような事態を避けるためにも、できる限り判断を間違えないような仕組みを作ってもらいたい。

 全面可視化をすれば、冤罪は防止できるかもしれないが、厳しい取り調べがやりにくくなって、真犯人を取り逃がしてしまうとか、裁判が被告・弁護人に有利になる、という心配の声もある。しかし、そうとも言えない。供述経過を記録したテープやビデオが、むしろ有罪の立証に役立つこともあるはずだ。
 菅家さんの取り調べを録音した森川元検事は、再審の裁判で録音した理由を問われ、こう述べている。

「(別件2件は)起訴している事件より証拠が薄いところがあるので、本人が供述を維持するにしても、どういう質問にどういう供述をするのかと、供述の出方、供述態度が証拠になるだろうという思いがあって、録音していたと記憶している。調書で、『この時こういういことをして、ああいうことをした』と文書化されてしまうと、どういう質問に対してどう答えたか、経過がよく分からないので。特に、証拠の薄い事件だっただけに」

 つまり、別件2件を起訴した場合、補強証拠として使おうと考えてテープ録音していたのだ。供述の経過を残しておくことが、検察側立証に役立つと考えていたからに他ならない。
 事件と被疑者・被告人の関連性についての「証拠が薄い」という事件は頻繁に起きている。そういう事件で、真犯人が捜査段階で自白をしたのに、公判で「無理な取り調べによるもの」と主張した時、取り調べ状況を録画たビデオを裁判官や裁判員に見せれば、取り調べを担当した捜査員をいちいち法廷に呼び出すまでもなく、たやすく任意性は立証できる。
 真犯人を逃さないためにも、無実の人を獄につながないためにも、そして裁判員となる国民の負担を軽減するためにも、全面可視化を急ぐべきだ。
 
 民主党は、先の総選挙で掲げたマニフェストの中で、捜査過程の可視化を約束している。ところが最近、中井洽国家公安委員長の私的研究会が、可視化や司法取引などの新たな捜査手法などについて約2年間かけて検討することを決めた。総合的な研究をじっくりやるのは構わないが、可視化に関しては2年間も塩漬けにしておく必要はない。その間に、菅家さんのように冤罪に苦しむ人が新たに出るかもしれないではないか。
 幸い、民主党の中でも、早期に全面可視化の法案を国会提出しようという動きもある。冤罪を防ぎ、裁判員の負担を軽減するためにも、ぜひ今国会で実現して欲しい。

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