これでいいのか、検察審査会

2010年07月23日

 東京都内の飲食店経営会社の社長から現金約30万円を脅し取ったとして6人が恐喝で逮捕され、不起訴となった事件で、東京第4検察審査会は、この会社の役員1人について「起訴相当」とする議決をした。
 東京地検はこの6人を、「起訴猶予」にしていた。犯罪としての要件は満たすけれど、あえて起訴するまでもないという判断だ。この点で、犯罪事実の立証そのものができなずに「嫌疑不十分」で不起訴とした民主党の小沢一郎氏の政治資金を巡る事件とは、大きく異なる。
 今回の事件は、元はと言えば店の共同経営者同士の利益の配分を巡る民事上のトラブルであるし、被害金は返却されている。さらには逮捕後の被疑者の態度なども考慮されたはずだ。検察はわざわざ国費を使って裁判にして犯罪者を増やすほどの意味はない、と判断したのだろう。
 一方の検察審査会は、被害者の主張を重視し、その被害感情を汲み取って、検察の判断に異を唱えた。被害者側からすれば、被害者重視の「市民感覚」によって検察審査会が存在感を発揮した、と言うことになる。
 検察側はもっと被害者が納得するような対応なり丁寧な説明なりをしなければならない、という「市民感覚」による意思表示とも読める。
 
 ただ、議決はそれだけで終わらなかった。
 検察審査会の議決要旨は、「起訴相当」の結論を書いた後、わざわざ民主党の横峯良郎参議院議員の名前を挙げて、捜査批判を行った。
 まず、横峯議員は<いわば参謀のような活動をしており、深く犯罪に関与している>と断定。それにも関わらず、取り調べ対象にならなかったことについて<弱い立場にある者だけが捜査の対象になっているのである。余りにも不公平で適正を欠く>と捜査を非難し、そのうえで<捜査機関は国民の信頼や期待を裏切ることのないよう厳正公平に捜査を行っていただきたい>と注文をつけた。文章に、憤懣やるかたないといった感情がほとばしっている。
 検察審査会は捜査の全課程を検証する機関ではなく、求められているのは検察の不起訴処分に対する判断だ。そもそも横峰氏は、被害者からの告訴対象にもなっておらず、今回の審査対象でもない。そうした人物について、ここまで言及したことに、「踏み込みすぎ」という批判も起きている。
 小沢氏を巡る事件でもそうだったが、政治家、とりわけ与党議員の名前が出てくると、検察審査会のメンバーは俄然、使命感をかき立てられるのだろうか、ついつい前のめりになり、感情的な発言も多くなるようだ。
 この東京第4検察審査会は、4月下旬に鳩山由紀夫首相(当時)の資金管理団体で虚偽の収支報告書が作成された件で不起訴となっていた鳩山氏に関し「不起訴相当」の議決をしている。その議決要旨の最後に、政治資金規正法が<政治家に都合のよい規定になっている。選任さえ問題がなければ監督が不十分でも刑事責任に問われないというのは、監督責任だけで会社の上司等が責任を取らされている世間一般の常識に合致していないので、本条項は改正されるべきである>という意見が強く主張された旨の付言がある。
 鳩山氏を「起訴相当」にできないことへの無念さがにじみ出ている議決をした当時のメンバーが、この検察審査会にはまだ半分残っている。その無念さが、横峯氏は「与党の議員=強い立場」だから捜査対象にならなかった、という見方につながり、捜査機関への憤りとなって噴き出したようにも思える。
 そういう事情が背景にあるとすれば、横峯氏の名前がなければ、検察審査会がこれほど被害者に感情移入しただろうか、という気もしてくる。検察側の判断に異議を申し立てるにしても、「起訴相当」までいかずに、「不起訴不当」程度で済んだのかもしれない……これは、私の想像に過ぎないのだが。
 
 閑話休題。政治家は、一般市民よりはるかに厳しくその言動をチェックされるのは当然だ。
 横峯議員に関しては、私自身も、この事件への関与が取りざたされた後の態度は必ずしも誠実とは言い難い印象が残っている。そもそもトラブルが起きている先に、プロレスラーを紹介するという発想が、理解しがたい。また、彼が参議院議員にふさわしい仕事をしているのかについても、疑問を抱いている。なので、国民から様々な批判を受けたり、メディアに報じられたりしたからといって、かばい立てをしたいとは全然思わない(もっとも、衆議院が解散された2日後、逮捕された6人はすでに釈放されているにもかかわらず、2つの週刊誌に横峯氏の関与が報じられたことには、総選挙を前にした警察の意図的なリークの臭いもするのだが)。
 しかし刑事責任は、道義的責任、民事責任、あるいは政治的責任とは別に考えるべきだ。
 起訴をすれば、法廷で検察側は証拠に基づいて有罪を立証していかなければならない。裁判の場では、雑誌など報道から得た情報や印象などは排除される(ことになっている)。そういう中で有罪判決が得られる見込みがなければ、検察は起訴はしない。
 小沢氏を巡る二つの議決といい、今回といい、検察審査会のメンバーは、刑事責任の意味や裁判での立証などについて、どの程度事前にレクチャーを受け、理解していたのだろうか、という疑問がわく。
 裁判員制度は、初めて導入されることもあって、事前に模擬裁判を重ねるなどの準備を行った。予断を持った人は裁判員に選ばれないようにする仕組みもある。そのうえで、実際の裁判の前に、法廷に出された証拠のみで判断するように、裁判員たちにレクチャーがなされている。
 一方の検察審査会は、制度としては以前からあった。なので「起訴相当」の議決2回で強制起訴とすることになり、権限が大幅に強化された時にも、裁判員制度の導入ほど注目もされず、事前にどのような準備が行われたのか、よく分からない。
 審査にあたって、予断を持つ人が排除されているのかも、分からない。事前にどのようなレクチャーがなされているのかも分からない。どういう証拠に基づいて判断したのかも分からない。検察官が呼ばれて説明をしたのかどうかも、その説明内容も分からない。補助員の弁護士がどういう意見を述べたのかも分からない。それどころか、議決文全文も明らかにならない(発表されるのは、あくまで「要旨」だ)。
 裁判員は本人の意向を確認したうえで、匿名のまま裁判終了後に記者会見で感想などを述べることがあるが、検察審査会の場合は、それもない。
 最終的に無罪となったとしても、誤った起訴をされて刑事被告人となるだけで、一般人の場合は職を失うこともあり、公務員でも休職を強いられ、政治家は政治生命を失いかねない。起訴の権限を持つということは、それだけ重い責任を負うということだ。
 先日、金沢地裁で盗難クレジットカードを使ってコンビニのATMから現金を引き出した、として窃盗罪で起訴された男性が、鑑定の結果犯人とは別人と証明され、検察側は無罪の論告をし、謝罪した。
 「嫌疑不十分」で不起訴となった人が、検察審査会で2度の「起訴相当」を経て強制起訴された場合、裁判で無実が明らかになったら、どうするのだろう。検察審査会によって、間違った起訴がなされた場合、いったい誰が責任をとり、誰がどのように謝罪するのか。損害を回復するための措置を、誰がどのようにしてやってくれるのか。
 強い権限と重い責任を担っている検察審査会のあり方が、果たして今のように不透明でいいとは思えない。予断を排し、証拠のみによって審査を行う工夫や、検察官や補助員弁護士の説明や証拠の標目は公開するなど、改善すべき点は少なくない。早急に、検察審査会の問題点を洗い出し、よりよい制度にするための議論を始めるべきだ。
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