オウム事件・菊地直子起訴 これでいいのか警察・検察

2012年08月07日

 東京地検は、オウム真理教の元信者菊地直子を都庁爆弾事件の殺人未遂と爆発物取締罰則違反の幇助罪で起訴した。一方、地下鉄サリン事件と猛毒の化学兵器VXを使った3件の殺人・同未遂事件に関しては不起訴の方針を固めた、と報じられている。
地下鉄・VX両事件での不起訴は、やはり、というしかない。本当は、警察・検察は初めから彼女を両事件では起訴できないことを分かっていたはずだ。爆弾事件は「共謀」を立証するは断念して、なんとか「幇助」で立件したが、かなり無理筋という感じがする。逮捕して65日もかけて、やっとこさっとこたどり着いた結果がこれだった。

菊地は地下鉄サリン事件で特別手配され、今年6月3日に相模原市の自宅近くで逮捕された。しかし、同事件に関しては、逮捕直後に「サリンの製造に関わったのは間違いないが、当時は何を作っているのか分からなかった」と述べたという報道があったきり。彼女が「いつ、どこで、何をした」という基本情報は、まったく報じられなかった。人を逮捕した時の報道としては、異常に思えた。私も新聞記者をやっていたことがあるが、事件報道では、「いつ、どこで、誰が、何をした」という情報は基本中の基本。なのに、それを抜きにして、マスメディアの報道は、もっぱら彼女の”愛と逃走の物語”に集中し、その後は高橋克也の居場所探しへと関心は移った。

地下鉄サリン事件に使われたサリンが作られた日や場所などは、これまでの裁判で明らかになっている。1995年3月19日、中川智正が隠してあったメチルホスホン酸ジフロライド約1.4圓鮓気法遠藤誠一の研究棟で中川と遠藤が生成した。製法は土谷正実が考えて教えた。遠藤の部下のTが作業を手伝った。中川、遠藤、土谷は殺人・同未遂罪で、Tは幇助罪で起訴され、有罪判決が確定している。

私は彼らの裁判を傍聴していたが、このプロセスに菊地の名前が出てきた記憶がない。資料やメモをひっくり返してみたが、やはり出てこない。何も知らされないまま、機材運びなどの手伝いをさせられていた可能性があるのかもしれないと思い、報道を待った。テレビやラジオに出演したり、講演などでこの問題を語るたびに、基本情報が報じられない異様さを指摘し、報道機関の人と話す機会があれば、「彼女がいつ、どこで、何をしたのかを、警察に問うてください」と頼んだ。しかし、地下鉄サリン事件で彼女がやったことは、勾留満期まで伝えられ ることはなかった。

彼女は、捜査員に語った自分のプライバシーに関わる事柄が、メディアに筒抜けになっていることで、不信感を抱くようになり、多くを語らなくなったらしい。そういう状態で、地下鉄事件については処分保留となり、6月24日にVX事件で再逮捕された。平田信にしろ、高橋克也にしろ、逮捕された容疑が勾留満期になれば起訴されたうえで、別の事件で再逮捕されている。平田の場合は、仮谷さん拉致事件の逮捕監禁致死容疑で逮捕されたが、起訴時には逮捕監禁に罪名落ちはしたものの、事件の実行犯の一人であるという位置づけは変わっていない。

再逮捕されたVX事件でも、彼女が「いつ、どこで、何をした」という基本情報はまったく報じられなかった。この事件でも、今までの裁判で誰がいつ、VXを作ったのかは明らかになっている。最初の試作品を生成する際には、土谷の部下だった菊地は、一番最初の工程の作業員として関わっている。しかし、その後事件に使われたVXを作る過程で、彼女の名前は出てこない。仮に、器具の用意くらい手伝わされたことがあっても、検察の冒頭陳述などで作業に関わった者として明記されるM女(故村井秀夫幹部の元妻)さえ本件で起訴されていないのに、菊地が殺人罪で立件されるとは、とうてい考えられなかった。

案の定、これもめいっぱい勾留された挙げ句、処分保留。そして7月15日に都庁爆弾で3度目の逮捕となった。この事件で菊地は、爆弾の原材料を山梨県上九一色村の教団施設から、井上嘉浩らが潜伏していた八王子市内のマンションに運んだ、とされている。中川に対する検察側冒頭陳述書には次のように記載されている。


〈被告人(中川)は、平成7年4月20日ころ、菊地を都内に呼び出した際、クシティガルバ(土谷)棟にあった薬品類の大部分が押収されずに残っている旨聞き、テロの具体的対象は未定だったものの、爆弾等を製造するため、それら薬品類を八王子アジトに持ってこさせようと考え、その旨菊地に命じた。そこで、菊地は、そのころから同月25日ころまでの間、数回に分け、.瀬ぅキシン製造用として、2−4−5トリクロフェノール等を、爆弾の製造用として、濃硝酸、ペンタエリトリオール、ウロトロピン、アジ化ナトリウム等を、青酸ガス生成用として、塩素酸カリウム、濃硫酸等をクシティガルバ棟から八王子アジトに運び込んだ〉

 この当時井上らは、テロを起こして捜査を撹乱して教組の逮捕を阻止するという村井秀夫の指示を実行するため、石油コンビナートの爆破やダイオキシンの散布を検討。実際にコンビナートの下見をしたり、ダイオキシンの生成に必要な器材を買い集めたりしていた。その後、村井秀夫が教団総本部前で包丁で刺されて死亡。井上は、計画の変更がないかどうか、女性幹部を通じて教祖の意思を確認。「新たな指示はない」との回答を得て、4月25日から26日にかけて決行可能なテロの方法を話し合った。そこで、中川が「一番簡単なのは青酸ガスであり、その次が小包爆弾だろう」と発言。井上らも「実行しやすいのから順番にやろう」と賛成した。小包爆弾事件の話は、この時初めて出た。

つまり、菊地が薬品類を運んだ時には、まだ事件の計画はなかったことになる。菊地に対する起訴事実でも、薬品を運んだのは「4月23日頃から同月25日頃までの間、3回にわたり」とある。
そのうえ、井上らが最初に取りかかったのは、新宿地下街に青酸ガスを発生させることだった。ところが、3回にわたって試みた青酸ガス事件は失敗に終わった。

それで、5月6日頃になって中川が爆弾の材料を別のアジトに移した。同月8日頃、女性幹部から教組のメッセージを伝えられ、井上らは手っ取り早く起こせる事件として、小包爆弾を作ることにした。郵送相手も、この時に協議し、井上の提案で青島幸男東京都知事とすることにした。具体的な事件の着手はこの時点であり、菊地が薬品を運んでから2週間後になる。

中川が、「小包爆弾を作って事件を起こすので、その材料を持って来い」と明確に使途を指示したというならともかく、そうでなければ菊地を罪に問うのは、かなり無理筋ではないのか。しかも、中川がそのように指示した可能性はきわめて低い。教団で違法行為をする時は、情報漏れを防ぐため、幹部が末端の信者に詳しい説明をしないのが普通だったからだ。

彼女は、土谷の下に配属されていた作業員の一人だった。注射用麻酔薬や覚醒剤などの製造には関わっていた。いずれも、教団が儀式と称して信者に使っていたものだ。麻酔薬でもうろうとなっている状態で本音を探ったり、覚醒剤や麻薬を飲ませて幻覚を見させ、「神秘体験だ」などと言って信仰心や忠誠心を強固にするために使われていた。これも末端の作業員である菊地は、どこまで本当のことを知って関わったのか分からない。

地下鉄サリン直後、教団がどれだけの毒物をどこに隠しているか分からず、井上ら幹部らが逃走していた時期には、日本中の人の命が危険にさらされていることを考えれば、別件逮捕ではないかと思われるきわどい捜査もやむを得なかったと思う。現に井上らは、テロを決行することが教組の意思だと信じて、事件を引き起こして いるのだ。

しかし、今はそういう差し迫った危険性があるわけではなく、ましてや菊地は現役信者でもない。地下鉄やVX事件などのように明らかに起訴できるはずがない事件で、めいっぱいの勾留をしたのは、正当な捜査とは思えない。彼女はこれまでに有罪判決を受けてきた教団幹部も知らないような秘密を知る立場ではなく、教団の事件の全容解明という大義すら成り立たない。

彼女を特別手配した時点では、地下鉄サリン事件の全体像も分からなかっただろう。しかし、裁判で様々な事実が分かった後も、手配を見直すことなく、罪名をそのままにしておいたことも、問題にされなければならないのではないか。薬事法違反事件では、インパクトが落ちると思ったのだろうか。それとも、ただ漫然と手配を続けていたのか。今回の都庁爆弾事件の幇助罪での起訴は、殺人罪で特別手配してきたのだから殺人罪で立件したいという捜査側の面子が先に立っているような気もする。

オウム真理教が引き起こしてきた事件の数々は、歳月が経った今も、決して許されることのないひどいものだった。菊地には、自分のなしたことの道義的責任の大きさは自覚してもらいたい。また、早くに出頭していれば、オウム事件の捜査の終結はもっと早まっただろうから、逃走を続けていたことを、人々から批判されたとしても、それはやむを得ないだろう。しかし、国家が個人の刑事責任を問う権力行使の是非は、そうした倫理や感情とは別に、理性で判断するべきだ。

この事件は裁判員裁判で裁かれる。「幇助罪」という分かりにくい法解釈を、一般市民がしなければならない。くれぐれも「市民感覚」に流されないよう、裁判長の公正で丁寧な訴訟指揮を望みたい。(敬称略)

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