受難の時代に

2008年01月24日

「ここはもう、本屋さんが一軒もない町になってしまいました」
 正月に実家に帰った際、タクシーの運転手さんが自嘲気味に言うのを聞いて、ショックを覚えた。一軒も? 前は、少なくとも2軒はあったはずなのに……。
 私の実家は、昭和30年代に東京のベッドタウンとして開発された住宅街にある。地域の住人の高齢化が進み、私が通っていた頃には1000人を超えていた小学校の児童数は、今では600人ほど。町全体に活気が失われつつあるのは否めない。とはいえ、人口が激減しているわけではない。なのに、コンビニで雑誌や若干の漫画を売っている以外、この町では本を買う店がないのだ。
 日本書店商業組合連合会に加盟する組合員数は2006年4月に6330店で、20年間で半減した。この1年の間だけでも、353店も減っている。
 それも地方や郊外の住宅街だけではない。東京・渋谷で昨秋、二つの書店が閉店した。一つは、ビルの6フロア920坪を占めた大型書店。近くに新たな店舗を出したとはいえ、そこは以前の5分の1ほどの売り場面積だ。都会でも、売り上げが思わしくない地域では撤退や縮小せざるをえないほど、書店の経営は今や厳しくなっている。
 活字離れで売り上げが減る一方で、新刊の出版点数は増えている。15年間で年間出版点数は倍増し、2006年には8万点を超えた。しかも、インターネット販売を利用すれば、最寄りの書店を通すより早く本が届く。この変化に、特に規模の小さい「町の本屋さん」は対応できずにいる。
 いたし方ないのかもしれないが、本屋さんは町の文化の窓と思っていた私は、自分が育った町から書店が消えたことに、落胆した。そこに追い打ちをかけるように、二つの出版社の倒産を伝えるニュースが相次いで飛び込んできた。

 一つは中堅出版社で、「声に出して読む日本語」などヒット作も出している草思社。そして、自費出版の大手でもあった新風舎だ。
 草思社の場合、広告収入が見込める雑誌を出しておらず、出版不況の中でしばらく単行本のベストセラーに恵まれなかったことも業績悪化の一因、とか。それだけではなく、「出版以外のビジネスで債務がかさんだ」という事情もあったようだ。ただ、同社に対しては支援の申し出はあり、再建の期待はもてそうだ。
 新風舎は、昨年末に民事再生法の適用申請をしたと聞いていた。支援の動きもあると聞いていたのだが、結局話はまとまらず、今年に入って再建を断念。会社は破産の手続きに入った。
 同社は、新刊を次々に出版する強気の姿勢で出版不況を乗り切ろうとした。しかし、出版点数の増加で収益を上げようとする自転車操業は、書店からの返本が増え、多数の在庫を抱え込む事態を招く。業績悪化に加えて、自費出版の客から訴訟を起こされたことも響いたようだ。それでも同社は、都心の高級賃貸ビルに事務所を移すなど、強気一本槍の拡大路線を続けた。その結果、負債が膨らんで破綻した。マスメディアでは、自費出版にまつわるトラブルばかりが強調されているが、それ以前に、会社の体力を無視した無謀な経営が最大の原因のようだ。
 私も同社から何点か本を出していることもあって、自費出版についてのトラブルは気にかかり、これまでに何度も問い合わせや申し入れをしてきた。同社の対応は、必ずしも迅速かつ適切に対応されたとは言い難いものの、社員たちは真摯な態度で少しずつ改善に努めているように見えた。それだけに、今の事態は残念だ。
 というのは、新風舎は自費出版だけではなく、絶版や品切れになっていた様々な本を文庫本の形で復刊するなど、良質な出版活動もしていたからだ。
 たとえば、『弘前大学教授夫人殺人事件』(鎌田慧)、『白鳥事件』(山田清二郎)、『冤罪 免田事件』(熊本日日新聞社)、『袴田事件』(山本徹美)といった優れたドキュメンタリー作品や、向田邦子賞を受賞したテレビドラマの脚本などが、同社によって次々に復刊された。
 同社からの私の本も、単行本を出版した会社が増刷をしないと決めたものばかりだ。それに、補足取材や加筆をしたりして文庫化した。
 年に8万点の新刊本が出版されるとはいっても、一部をのぞいて、すぐに書店の書棚から消え、絶版されてしまう。単行本や新書が、今では雑誌のような早いサイクルで現れては消えていく。本が使い捨てられていく時代に、良書を残そうとする志は貴重だった。それだけに、トップの経営能力の欠如が、残念でたまらない。

 今考えるに、新風舎の失敗の最大の原因は、現実の課題より、経営者の”夢”とか”思い入れ”、趣味や願望が優先されてしまったことではないか、という気がする。
 元々詩人である松崎義行社長は、自分の思うような本を出したいという夢もあって出版社を設立した、と聞いた。すべての「表現者」は平等であり、尊重されるべきだ、と松崎氏は語っていた。理念としては私も共感する。しかし現実には、同社の出版は二つの形態があった。一つは、本を出したい人がお金を出す自費出版。もう一つは、筆者に印税を払う、通常の商業出版だ。私が出版したのは、もちろん後者の形態である。ところが同社の目録では、どちらの形で出された本も同じように扱われており、「著者」としてはプロの書き手も初めて本を自費出版する人も混在する形で名前が並んでいた。
 私が同社に申し入れた事柄の中で、受け入れられなかったことの一つは、出版形態の異なる書籍はきちんと区別することだった。
 書店に並ぶ本は、出版される本の一部であって、書店が注文してくれなければ店に並ばない。まして300部や500部といった出版部数で、全国の書店に出回るはずがない。そんなことは、出版社や本を出した経験のある者には、当たり前に思える。しかし、そうした業界とはまったく縁がなく、初めて自費出版で「自分の本」を作ろうという人はどうだろうか。
 しかも、目録では自分の横にそれなりに名の通った書き手の作品が載せられており、その作品は大きな書店に行けば売られている。となれば、それだけで自分の本も同じように扱われる、という思いこみを招きかねない。
 自費出版をする人は、「思いを本という形にする」「もしかして私も作家デビュー?!」など様々な夢を抱いて、依頼をしてくるのだろう。多くの自費出版本は書店などでは売れないのが現実でも、時たまヒットして、皇室に愛読されたり、マスコミに取り上げられたりするものも、ないわけではない。「次は私が……」と大きな夢を持つ人もいるだろう。新風舎の自費出版は、流通ルートに乗せる可能性を持っているという点で、そうした諸々の夢を売る仕事、あるいは夢を本に託す人を相手にしたサービス業と言えた。だからこそ、会社側は相手を商業出版の「著者」とは分けて、むしろ「お客様」と心得て対応しなければならない、というのが私の主張だった。今の出版や書店業界の厳しさも、業界の外にいる「お客様」だからこそ、分かりやすくお伝えして分かっていただく必要があるのではないか、と。
 「お客様」には、出版にかかる実費に加えて、社員の人件費や事務所費、それに会社の利益を上乗せしたものを払っていただくことになる。これは、いわば夢を買う代金だ。夢の実現に向けたお手伝いをするサービス料金といってもいいかもしれない。ところが同社は、「著者」と出版社が「共同」して本を出すための「編集費」と説明していた。それが、編集に関わる実費のことだという誤解を受け、実費以上の金額を支払わされた、明細が不明朗であるといったクレームも招いた。
 にもかかわらず、こうした点が変わらなかったのは、「表現者」を平等に扱いたい、という松崎社長の理念、あるいは思い入れゆえだろう。けれども、現実に出版形態が異なり、実際に苦情が来ている以上、作品に対しては平等の敬意を払いつつも、現実に合わせた対応が必要だったのではないだろうか。

 こうした問題が起きている間も、出版不況の荒波に挑むように、同社は次々にたくさんの本を出版し、事務所も次々に拡張した。自らの力量を客観的に見ることなく、かなりのスピードで、松崎社長は自分の夢の実現に突っ走ったように見える。経営が悪化しているにもかからわずマイクロソフトも入っている高級賃貸ビルに事務所を移したことについては、「ああいう豪華な所で仕事をしたいという、社長の個人的な夢を実現しただけではないか」との批判も聞こえてくる。
 現実を置き去りにし、自分の夢や思い入れや願望に没頭して、帳簿の数字も冷静に読めない経営者を、周囲が止められなかったのは、運悪く現実感と経営センスをもって諫めてくれる人がいなかったのか、社長がそういう人を疎んじて”お友達”しか近くに置かなかったせいなのか……
 新風舎の自費出版も、すべてが問題だったわけではなく、むしろ本を出せたことの喜びや、編集者への感謝が書かれているブログを読んだことも結構あった。でも、そういういったんは夢を叶えた人たちも、今ではひどく落胆していることだろう。しかも、倉庫に保管されている本は、いくばくかのお金を払って引き取らなければ、断裁されることになってしまう。夢を売るはずの会社なのに、人の夢を潰してしまった経営者の責任は、やはり重いと言わざるをえない。
 足下を固めず、急いで自分の夢ばかりを追い求めて自滅するという点では、ホリエモンこと堀江貴文・元ライブドア社長の失敗と通じ合うものがあるような気もする。
 どちらも、他にはない新しいことをやろうとする才能と意欲があったのに、自分の夢が破れたのみならず、多くの人に迷惑をかけることになった。経営者というのは、発想のユニークさや事業への情熱もさることながら、聞く耳と柔軟な心を持つかどうかで、成功と失敗が大きく分かれるのかもしれない。

 私自身が同社から出版した本のうち、『名張毒ぶどう酒殺人事件 六人目の犠牲者』は、再審請求をしている奥西勝さんを支援している人たちの協力で、在庫分をすべて買い取ることにした。この事件は、名古屋高裁で一度再審開始決定が出されたものの、異議審で逆転され、現在最高裁で審理中だ。今後需要もあるかもしれないので、購入方法が決まり次第、ここでもお知らせしたい。『冤罪の構図』は一定部数、『オウム事件はなぜ起きたか・魂の虜囚 (上・下)』もいくらかは同社の倉庫から救出したいと思っている。とはいっても、何しろ置き場がないので、限界がある。救出できなかった多くの本は、いずれ断裁されてしまうと思うと、胸が痛い。
 私は今年、某出版社から新たに本を出す予定があるのだが、出版・書店業界の暗いニュースがこう続くと、果たしてちゃんと読者の手に取ってもらえるだろうか……という不安が心をよぎらないではない。本に携わる者にとっては、受難の時期かもしれない。

 でも、こういう厳しい時こそ、耳をよくそばだて、心を柔らかくして、様々な意見を吟味しながら、地道にやっていきたい。そして、活字の仕事を一層大事にしたい。これが、遅まきながらの、私の新年の誓いだ。
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