人生、仕事、旅、そして幸せとは〜『半島へ、ふたたび』を読む

2009年07月04日

 蓮池薫さんの『半島へ、ふたたび』(新潮社)を読んだ。
 前半は、初めて訪れたソウルの旅行記。後半には、1人の「被害者」から、翻訳家、教育者としての道を歩み出していくプロセスが、その時々の思いと共に記されている。とても面白く、仕事も放りだして一気に最後まで読み終えてしまった。

 韓国も北朝鮮も、人々は同じ言葉と文化を持つ同じ民族。ソウルの旅行中、蓮池さんは行く先々で、北朝鮮での生活を思い起こしたらしい。アカマツを見ては厳しい冬の薪拾いを、伝統的な家屋を集めた民俗村を訪れては大量のキムチ作りを思い出す。生きるための闘いはどれほど大変だっただろうかと、当時の苦労がしのばれるのだが、蓮池さんの文章からは、そうした苦労への怨みや嘆きよりも、ひたむきに生きる生命力のようなものを感じる。家族で協力し、知恵を使って不便や困難を克服し、どんな環境の中でも、少しでも楽しく生きようと務めてきた姿が彷彿としてくる。そうした記述を読んだ時の感想は、誤解を恐れずに言えば、「大草原の小さな家」の読後感にも似ている。
 起きてしまったことをいつまでも悔やんだり、恨んだりするより、今自分が置かれた環境の中で精一杯生きる――そういう前向きさがあったからこそ、蓮池夫妻は拉致、そして子どもと離ればなれとなる帰国といった過酷な体験を生き抜くことができたのかもしれない。
 
 この旅行の中で、蓮池さんは朝鮮戦争の資料が展示してある戦争記念館と日本の植民地支配の象徴として残されている西大門刑務所歴史館を訪ねている。
 北朝鮮では、この国の歴史観を学ばされた。北朝鮮にとって朝鮮戦争は、アメリカの攻撃から祖国を守る戦い。そこから英雄たちの功績を学び、いずれ近いうちに起きる対米戦争で祖国統一を果たすのだ――と煽るために「戦勝記念館」があり、日々の生活の中でもそうした歴史観と覚悟を叩き込まれる。
 それに比べて、韓国の戦争記念館には「平和」とか「戦争の痛みと悲しみ」といった”ロマンチック”な言葉が並んでいて、蓮池さんはかなり戸惑う。
 同じ一枚の写真も、北朝鮮で教えられていた意味とはまったく違う説明がなされていた。北朝鮮の説明は信じられなくなっていても、では韓国が正しいとも言い切れない。
 国家が作る歴史観に対する蓮池さんの疑問がますます膨らんでいく様が、率直につづられている。
 蓮池さんは、北朝鮮で、旧日本軍の蛮行など、かつての日本の過ちをたっぷりと教え込まれた。韓国の歴史館では、独立を求めた人々に対する拷問の様がリアルに再現されていた。日本の植民地支配についての歴史観は、南北でほぼ共有されている。
 それを直視することから理解は始まると考える蓮池さんだが、そういう展示を見ながら、ここまでやると日本に対する反感ばかりが植え付けられるのではないか、と心配し始める。しかし、そこに掲示された韓国の子供たちが書いた感想のメッセージを読んで、別の気持ちも芽生えてきたらしい。反日的な恨み辛みより、自分の国を守った先祖たちへの尊敬や感謝、さらには自分も国をしっかり守っていくという決意など、ポジティブなものが多かったからだった。

<目に見える展示物だけにとらわれて、ここでは反日教育が行われていると断定することは短絡的なのかもしれないと思った>

 自分の知識や主義主張に固執したり、見た目の印象にとらわれない、こうした心の柔軟さが、蓮池さんの強さなのかもしれない。
 北と南、日本と朝鮮半島――異なる立場から歴史を見ていく蓮池さんの旅の記録から、複眼的なモノの見方、柔軟な発想を持つことの大切さが、決して押しつけがましくなく、すんなりと伝わってくる。
 
 この旅行記を読んで、もう1つ考えさせられるのは、旅とは何だろうか、ということ。初めての土地に行って、いろんなものを見て回り、たくさんの発見をすることもいいけれど、それ以上に、新たなモノや人との出会いを通して、自分のこれまでの体験や考えを掘り起こし、思索を巡らすことに旅の意味があるのではないか。蓮池さんのように、拉致を生き抜いてきたという特別な体験ではなくても、誰もがそれぞれ自分の歴史を持っている。その中で体験したり考えたりしたことを、新しい発見とともに反芻していくことにこそ、旅の意味もあり、面白さもあるような気がする。慌ただしく、いろんなものを見て回り、スタンプを押したり写真を撮って、土地のモノと食べたり飲んだりして、次の場所に移動……という、慌ただしい旅行では味わえない、人生に深みを与えてくれる旅のあり方というものを、この旅行記は教えてくれている。
 
 本の後半の手記は、拉致事件の「被害者」としての蓮池さんが、「プロの翻訳家」として自らの道を選び、歩んでいく奮闘記。「被害者」の立場は、決して自ら望んでなったわけでもなく、強いられた、いわば受け身の立場。そこから逃れることはできないし、彼は敢えて逃げようともしていない。むしろ、未だ安否の確認できない被害者のことを思い、帰国した「被害者」としての義務を感じている様が、ひしひしと伝わってくる。
 帰国後、彼は地元の市役所に職を得た。しかし、こうして与えられた場に安住せず、自分の生きる道を模索する。
 大学3年生の時から24年間。多くの人が勉強し、進路を探し、訓練を受け、経験を積んでいただろう期間を、彼は奪われている。日本に帰ってきても、若さと時間は返ってこない。そのことを嘆き呪うより、今ある環境を受け入れて、その中で自分がやれること、やりたいことを彼は探した。

<(自分にあるものでやっていくしかない)
 いつしか、僕はこう考えるようになっていた。
 なら今、自分にあるものって何だろう?>

 そして、彼は「あの国の言葉を武器に、生きていく」と決意する。
 未明の2時、3時に起き出して、翻訳をする日々。不安を抱えながらのスタートだったが、地道に1つひとつの課題を乗り越えていく。そして、この5年間に、16冊の翻訳本を出した。
 今の彼にとっては、<仕事が人生の半分以上の重みを占めている>という。

<仕事を楽しみ、仕事に熟達するための努力を楽しみ、仕事によって得た果実を楽しむ。これが、最大の生きがいである。だから仕事の虫だと言われてもかまわない。
 自分の目標を持ち、その実現のために努力するという、ごく普通の「夢」が長い間閉ざされてきたことへの反動なのだろう。
 「党や国家のおかげ」などではなく、自分の力で、子どもを育てあげる喜びも味わいたかった。親としてはあまりにも当然のことが、北にいた僕にとっては、叶わない夢であり、希望だったのだ。自分や家族のために、朝早く起き、頭を抱えて知恵を絞り、ワープロを打っているとき、ふと幸せを感じる>

 人生とは、仕事とは、旅とは、そして、幸せとは……。この本は、いろんなことを考えさせてくれる。
 拉致問題の悲劇を知るうえで参考になるのはもちろんだけれど、それ以上に、柔らかい心と強い生命力で困難を生き抜いてきた1人の人間の記録として読むと、じわじわ血肉にしみわたっていく本である。
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